ウイーン平和博物館訪問記 
          (オーストリアの反核運動の歴史に触れて)

              福岡市原爆被害者の会 城南区支部 石川晶子

 私はウイーンに行く予定がありましたので、オーストリアの、女性では初めてのノーベル平和賞受賞者、ベルタ・フォン・ズットナー(1843〜1914)の自伝的小説「武器を捨てよ!」を読み、縁あってその翻訳版を出版された立命館大学、平和学の山根和代先生に、ウイーン平和博物館の創設者、リシュカ・ブロジェットさんを紹介していただき、その平和博物館を訪れました。
 この博物館は、ズットナーの没後100年を記念して昨年創設されたもので、とてもユニークでした。 訪問そのものは素晴らしい思い出となりましたが、ここでは詳しい内容は省略します。 訪問前後の学習で、オーストリアの歴史の深さと、平和で安全な生活を手に入れるため、人々は“武器を捨てよ!核を捨てよ!”と長年並々ならぬ努力をしてきたことを知りました。

 オーストリア政府は、近年、核軍縮の部門では目覚しい活躍で、世界を牽引しています。核保有国の、怠慢でやる気のない核軍縮政策にいたたまれず、熱心な国々とともに会議を開き、非核保有国の意見をまとめ、保有国にも参加を促し、参加国の数を年々増やしています。    
 昨年2014年12月8日〜9日2日間にわたって、核兵器の人道的影響に関するウイーン会議が王宮で開催されました。その時日本からは日本被爆者団体協議会・田中事務局長が演説。核保有国では今回初参加のイギリスとアメリカの代表の発言も注目されました。参加国は160カ国を超えています。

 オーストリア政府のその活力源は一体なんだろう? ずっと疑問でした。でも今回のウイーン訪問をきっかけに調べてみると、本当に感動ものでした。
 オーストリアには稼動している原発が一基もありません。造りはしたものの、稼動した記録はありません。しかし1985年までは、国民の中には原子力発電所の稼動をという声もあったのです。
                     1978年、ツベンテンドルフ原発が完成し、原発の稼動の可否を国民投票で問うた結果、過半数(反対50.47%)のわずかな差で否決され稼動はされなかったのです。その翌年(79年)に、アメリカのスリーマイル島原発事故が起きました。そして1986年には現ウクライナのチェルノブイリ原発事故が起きました。
  写真:ツベンテンドルフ原発跡地(ドイツの原発の研修等に使われていた) 

 オーストリアは1999年、連邦憲法に「オーストリアでは核兵器を製造したり、保有したり、実験したり、輸送したりすることは許されない。原子力発電所を建設してはならず、建設した場合にはこれを稼動させてはならない」の項が盛り込まれました。
 このような原発稼動の是非を問う国民投票での僅差の勝利が、30年後の今日、素晴らしい平和の底力となり、ヨーロッパに国境を越えて訴える核軍縮運動にも成長していったのではないでしょうか。第二次世界大戦後、NATOには所属せず、永世中立国となったことが、原発ゼロ、核兵器ゼロ政策を世界に先駆けて可能にしたのかもしれません。
          
               風力発電の風車 
 私たちにも異型の苦難の歴史がありますが、オーストリアのこの30年余の反核の歴史を、どうにかお手本にできないものかと思いをはせています。