戦争を知らない今の平和を

                  藤島 郁子  長崎 当時10歳   

 あの忌まわしい戦争から、早いもので70年を迎えました。当時10歳でした私も80歳の傘壽を迎えております。
 早いものですが、70年前の原爆のことは今でも鮮明に覚えて居ります。忘れることが、出来ない体験でした。
 その日、私は爆心地から約3.5キロ離れた中川町の自宅近くで遊んでおりました。家外で、すごい爆風と光を受けました。瞬間、空は真黒で、夕暮れになりますと火災で真赤に変わり、子ども心にも恐い物を見た気持は、本日、70年経っても忘れ得ません。姉が女学校の学徒動員に行っている、被爆地の近くの幸町工場に爆弾が落ちたとの噂が立ち、案じた母と私と2人で姉を探しに長崎駅前迄行きましたが、それ以上行くことが出来ませんでしたけど、1時間位後、裸足の姉が下駄を片手に、おびえた顔をして玄関に帰ってきました。
 お陰様で長崎市内より、少し離れた矢上に医院を開業している親戚が居りまして、被爆当夜、3時間かけ真夜中の道を歩いて、お世話になることができました。
 戦後、父が無事帰国して、家族5人で長崎の自宅に帰ることができました。
 その後、成人しまして貧血、ガン、血圧と入退院を繰り返していますが、若い頃は被爆者とは隠し続けて来たことを覚えています。
 でも今日まで、生きられた喜びに改めて幸せをかみしめております。
 今、孫たちも立派な社会人と成人していますが、当時10歳で受けた大きな経験を、子、孫の上に起きることが無い様に、いつ迄も平和な日本であることを心から願っております。