生涯忘れられない「あの日」

                  開  勇  長崎  当時7歳   

 当時、私は長崎県西彼杵郡長与村西高田郷(今の道の尾付近)に住んでいました。
 山頂に近いビワ畑の木に登ってセミとりをしている時、空襲警報も発令されていないのに、急に飛行機の爆音が聞こえてきました。驚いて空を見上げ、爆音のする方角をしばらく見つめていました。その時どろどろの赤い火が見えたと思った瞬間、超巨大な青白い灼熱の閃光が私を包み込みました。一瞬、目が見えなくなりました。閃光の衝撃で、顔をいやというほどたたかれました。周りは真っ暗闇になりシーンとして物音一つ聞こえません。子ども心に、殺されたと思っている時、地響きとともに“ドーン”というものすごい爆発音がしてビワの木が大きく揺れ動きました。振り落とされないように必死でした。助かったと思いながらも全く目が見えません。

 そのうち“ゴーッ”という地鳴りと風の音が遠くから聞こえてきました。そのころになってやっと目の中に紫色の景色が見えはじめました。町の中心から山沿いに向かって真っ白に町の色が変わっていきます。まるで将棋倒しをしているようです。その時、叔母さんの叫ぶ声が聞こえました。慌ててビワの木から下りて声のする洞穴(芋ガマ)の中へ逃げ込みました。瞬間ものすごい熱風が吹き、周りの竹林や雑木林をなぎ倒し、大木の枝が吹き飛び、息もできないような爆風が襲ってきました。熱風は五分程で収まりました。

 恐る恐る洞穴を出て山頂に登ってみると、町は黒と灰色の中にピンク、黄色、赤の巨大なキノコ雲が渦を巻きながら天に向かって立ち上がっています。ガスタンクが爆発して炎が上がっています。あちこちに赤い炎が上がっています、生きた心地もありません。恐怖で足がすくみ、家まで500m程の距離がすごく遠くに感じられました。
 家の中は家具や建具が倒れてメチャメチャになっています。まもなくして真っ黒い雲がやってきました。ベタベタした黒い雨が少し降りました。その後、黄色いきれいな雲になって消えていきました。今の原爆なら私は一瞬にして灰になっていたでしょう。
 戦争だけはしてはなりません。