江戸時代の後期、文化文政の頃になると、 県北の沿岸に外国の船が出没しはじめました。 そこで水戸9代藩主徳川斉昭は海防のため天保7年(1836)に 現在の地に助川海防城を築かせました。 城は元治元年の天狗党の乱の時に破壊され、 現在ここは助川城跡公園となっています。(左の写真) ここにはたくさんのさくらが植えられ、春には美しい花を咲かせます。 助川小学校・日立二高・日立病院そして 小平台までこのあたり一帯にはさくらの木が たくさん植えられていて、春にはあちこちで 色とりどりの美しい花を咲かせます。
特に助川小学校の4代桜は有名で、校庭の一隅で明治・大正・昭和 そして平成の4代にわたって子供たちの学ぶ姿を眺めながら 咲きつづけています。助川小学校校庭の4代桜 助川小学校正門の海防城址碑側の桜 - 次(会瀬グランドのさくら)へ
日立二高の正門前の桜 小平会館から城跡公園方向を望む -