基本情報
[台帳番号] | 004 |
[作品名] | 石川啄木像歌碑 |
[作 家] | 坂坦道 |
[設置年] | 1981年 |
[設置場所] | 大通西3丁目、大通公園北側 |
[所有者] | 札幌市緑化推進部 |
[材質・構造] | 本体材質 : ブロンズ 高150x横**x幅100 (cm) 台座材質 : 黒曜石 高20x横200x幅180 (cm) |
[写 真] | 1-仲野三郎(No651) 2 松原安男 |
[解 説] 松原安男
石川啄木の70回忌を迎えた昭和56年(1981)9月、札幌在住の文学関係者と札幌観光協会とによって、等身大の像として制作された。作者は坂坦道。
最初の構想では、右手にトウモロコシ、左手に詩の本を持たせる予定だったが、屋台のトウモロコシ売り上げ増に一役買わせる商業主義との印象を与えかねずとして、トウモロコシは引っ込められた。また、この啄木像の髪型に異論説があり、札幌での啄木の頭は丸刈りだったはず、ともいわれている。
石川啄木は生涯で3度北海道に来ており、よく知られているのが、明治40年(1907)5月5日から翌年の4月24日まで一年近く続いた放浪生活。このうち、9月14日から27日までの2週間を札幌で過ごしたが、それは、函館の大火で勤めていた新聞社が全焼したため、新たな就職先を求めて札幌にやってきた。啄木このとき満21歳。詩の友達(向井夷希微)らに出迎えられ、彼らの宿でもあった「北7条西4丁目4番地、田中サト方」(現札幌クレストビル付近)の住人となった。滞在2週間であわただしく札幌を去り、小樽、釧路へと、放浪の旅に出るが、滞在期間は短いものの啄木にとって札幌は、生涯忘れがたい青春の一ページとなった。