基本情報
[台帳番号] | 002 |
[作品名] | 開拓母の像 |
[作 家] | 佐藤忠良 |
[設置年] | 1962年 |
[設置場所] | 大通西2丁目、大通公園北側 |
[所有者] | 札幌市緑化推進部 |
[材質・構造] | 本体材質 : ブロンズ 高176x横**x幅** (cm) 台座材質 : 赤花崗岩 高**x横**x幅** (cm) |
[写 真] | 1 仲野三郎(No656) |
[記 事] | 松原安男 |
[解 説] 《開拓母の像》 佐藤 忠良 1962 大通西2丁目
佐藤忠良には珍しい、ずっしりとふくよかな量感溢れる母子像で、忠良にとっては北海道での野外彫刻の第1号作品。昭和38年(1963)6月22日、札幌市に寄贈、除幕。昭和33年(1958)11月、全道農協婦人部大会の席上で「北海道開拓の先駆者の苦難、特に婦人のかげの力の偉大さを偲び讃えるとともに、今後の営農への勇気を奮い立たせるためにも婦人部が中心となって、開拓母の像を」と提案された。3ヵ年計画、10万余名一人10円の資金カンパが実り、道農協婦人部連絡協議会創立十周年記念に完成したもの。像が披露された当初は、金色に塗られていたようだ。
制作者のことば: 北海道農協婦人たちから開拓記念像の制作を私にということで、冬姿で子牛を抱いた婦人像の試作を送ったところ、ゴム長靴はダメということで返されてきた。当時北海道ではこれを澱粉靴とか、芋靴といっていたが、多分劣等感があったのではないかと思う。私は思いきって、しゃがんだ裸の母の膝にのった赤ん坊が、原野の熊笹を母の手から受ける形の試作を送ったところ、今度は市側から、裸は困る…の声が出たとき、婦人たちが、裸一貫で開拓したのだと言い張って落着したというのがこの像であった。(ブロンズ代の一部を作者が負担している。)