基本情報
[台帳番号] | 024 |
[作品名] | 木下成太郎像 |
[作 家] | 朝倉文夫 |
[設置年] | 1941年 |
[設置場所] | 南11条西4丁目、中島公園菖蒲池東 |
[所有者] | 札幌市緑化推進部 |
[材質・構造] | 本体材質 ; ブロンズ 高165x横**x幅**x径**(cm) 台座材質 ; 花崗岩石組 基盤花崗岩 高**x横**x幅** |
[写 真] | 1: 仲野三郎(No***)、2 **** |
[記 事] | 松原安男 |
[解 説] 松原安男
昭和16年(1941年)、木下成太郎の喜寿を記念して建立された記念像。
木下成太郎は、慶応元年(1865年)但馬の国(現兵庫県北部)富岡藩家老の弥八郎の長男として生まれ、明治、大正、昭和にかけて、北海道に貢献した政治家。また、若い頃から美術にも深い理解を示し、現在の武蔵野美術大学、大東文化大学を創立するなど、芸術教育に力を注いだ人物。(妹の浜は、登別温泉の開祖、滝本金之助へ嫁いでいる。)
像の作者朝倉文夫は、大分県の出身。10歳の時、朝倉家の養子となり、のち、彫刻家の実兄をたよって上京。東京美術学校在学中に1,200点もの作品を制作し、主席で卒業したというエピソードを持つ。明治43年(1910年)第4回文展に代表作《墓守》を出品、これを契機として自然主義的写実表現を確立。この像は、木下成太郎が和服をつけて端然と座り、長年の辛苦に耐えてきたその表情は、モデルの内面に迫ろうとした、力のこもった朝倉芸術の傑作のひとつ。金属回收令によって大通公園の銅像などが取り払われた中にあって、それを免れた戦前の彫刻としても貴重な存在。