木枯らしの口付け



だりぃ…。


教室に備え付けられた暖房器具は、いまどき類を見ない程年季の入ったモノで、温かい空気をある一定の箇所にのみ送りこむと言う役に立たない代物。それによって得られるのは、一部が暑くなるという不具合だけ、快適さの欠片も無い。上に溜まった温かい空気と廊下から足元へと流れ込む冷えた空気のバランスに集中力も削がれるというもの。

頭寒足熱ならぬ頭熱足寒によって集中を乱し、先ほどから時計ばかりを気にしている周囲に冷めた視線を送る火村とて大差無い。亀の歩みを決め込んでいる時計の針はやっとで山を越え、5分足らずを残すのみとなった。

外は常緑樹の葉を揺らす程度の風が吹いているらしい。麗らかな季節には心地よい風の強さも、日が駆け足で沈み始めた季節では掌を返したように脅威となるのだ。

傾いた日と、吹き付ける風。

身を切る様な寒さが容易に想像できる状況に聊かうんざりしながら、巡らせた視線の先に…ふわふわと揺れる明るい髪が見えた。

アリスだ。

斜め前、少し離れた位置で呆けている様に前を見つめる横顔には細くしなやかな指が添えられており、立てた教科書の内側には明らかに異質の紙が見え隠れしている。
手にしたペンは先ほどから動く気配は無い。

瞬きもしないで…目、乾かねぇのか?


大きな瞳を大きく開いて…じっと何かを見つめている様子のアリスだが、その実、何も見てなどいないという事を最近になってやっと思い知った。

その瞳はただ、向けられているだけ。

アリスの思考は視線など遠く及ばない遙か彼方へと彷徨い出でて、ただぼんやりと漂っているだけなのだから。


…それで、俺はまんまと感違い、したんだ。

毎日、自分の席に着いたアリスが前に座る同じ人間をあまりにもじっと見つめているから、てっきりソイツの事が好きなんだろう、と思った。…思って、嫌な気分になって。

そして…。

ああ、俺はアリスが他の誰かを見つめている事が赦せないんだ。

と、気がついた。それくらいには、嫉妬、していたんだろうと思う。


早い話、自分の気持ちすら見えないほど、いつのまにかアリスに執着していたんだろうと、だからこそ、他の誰かを見つめている、かもしれないと思いついた時、あんなにも…嫌な気分になったんだ。

…まあ、自覚してからは多少なりとも余裕が出たんだろうな。
アリスの見つめる仕草が…実はなんの意味も無い、単なる癖の様なモノなんだとわかったから。思考を自分の繭の中へ飛ばす間、視線や仕草がおろそかになるだけ。じっと見つめているのは視線の及ばないもっと深いところへだ。そうしてアリスは繭に籠って糸を紡いでいるんだと思う。


「…は、ここまで。45ページまで宿題な。以上」

無骨な声と共に耳に馴染んだ機械音が響いて、静寂は雑音へと、その世界を明け渡す。
はっとしたように、教科書を閉じて仕舞い支度をするアリスを確認してから、薄くなったかばんへノートだけを詰めて立ちあがった。

「…アリス、今日は帰るだろ?」
「ああ、火村。帰る!やって、買い物するんやろ?」

う〜ん、と伸びをして立ちあがったアリスは嬉しそうに満面の笑みを浮かべてかばんから取り出したマフラーを巻き、コートに手を掛ける。チェックの柄のマフラーと無地のダッフルがアリスに良く似合っていると思う。ふわふわと収まりの悪い少し長めの髪を巻き取る様に隠すと、その周囲を護る様にフードが立てられて、アリスの小さな顔を更に小さく見せるのだ。

…後ろから見える、マフラーとの間で擦れて少しずりあがってふわんと膨れた髪も、実は気に入っていたりする。

「っ…、やめいうとるやろ!火村!」
「ああ、つい…。いいじゃねぇか、減るもんじゃねぇし」

気に入りすぎて見る度に掌で撫ぜる俺に、いつだってアリスはちょっと頬を膨らませて怒ってみたりするんだ。もっとも、顔はいつだって微笑んでいるんだが。

「減る、様な気がすんねん。って、あ…」
「…どうした?」

廊下を歩いている途中、急に立ち止まったアリスにぶつかる人間もそれを咎める人間も居ない。昇降口から少し離れた位置にある教室であった為、本校舎へ行くための渡り廊下は極端に歩いている人間が少ないからだ。以前は使われていたであろう教室も、生徒数が減った現在では空きとなって締まったまま。

その前で、しきりに瞳を気にして指で擦っている。

「…ゴミ、入った、かも。うう、痛い〜」
「擦るなよ、腫れるぞ。眼薬は?」
「…持ってへん。なあ、鏡持ってる?」
「俺が鏡を持ち歩いてたら、気持ち悪いだろ?」
「…それはそれで、そうなんや、って思うけど。あ〜痛い!」

あ〜とか、う〜、とか繰り返して瞼を開けたり閉じたり、上から擦ってみたりといろいろしているが、ちっとも取れないらしく、覗きこんだ瞳は赤く擦れ涙まで滲んでいる。

「も、いやや!…なぁ、火村。ちょっと取ってくれへん?」
「…は?」

瞳をぎゅうっと瞑ってしまったアリスはそのままの顔で、俺の方を向いて顔を突き出している。やがて、そろり、と開かれていく瞼が大きく潤んだ瞳を惜しげも無く曝け出してその瞳の奥に…見えたモノに思わず目眩がした。

じいっと見つめるアリスの瞳、薄い色と潤いを湛えた瞳が一杯に映し出す…俺の姿に。まるで、瞳の奥に吸い込まれてしまったような感覚さえ覚える。他には何も映し出さない、瞳一杯を占める俺の姿に…アリスの全てを支配している様な気分だった。

「…火村?な、はよう…」
「あ、っ…ああ、じっとしてろ」

見つめ合ったまま、涙が幾らか押し出した長い睫毛を慎重に指先で拭いとってやる。

「いいぜ…、アリス」
「ん〜、あ、治った!サンキュ」

あ〜痛かった、とか言いつつぽてぽてと歩きはじめる後ろ姿に、一歩出遅れた感に思わず舌打ちが漏れていたらしい。聞き咎めたのであろうアリスがん?と振り返るのに手を伸ばし…髪を掻き回してやった。

「あ〜、なにすんねん、火村!」
「でっかい目してなげぇ睫毛してるからだろ?そんなに大きな目で乾かねぇのか?」

「仕方ないやん、おかんに似たんや。君みたいに切れ長の目がよかったんやけど…」
「…俺?よせ、アリス。凶悪な目をしたお前は、お前じゃねぇ」

「なんや、それ…。ええやん、すっとしてて男前や!」

ほわん、とした温かい笑顔を向けてアリスが笑う。ソレを見て、瞳を細めた。

ああ、そうだ。アリス。
お前はそのままがいい。
ソレが一番似合う。そうやって…笑っているのが。

大きな瞳を細めて、柔らかく微笑む仕草に…惹きつけられて已まない。
そうして思うのだ。
その瞳は、誰を捉えて誰を見つめるのだろうか。
魂まで見透かすような視線を以て、穢れすら浄化する程の澄んだ視線で
いったい誰を…見つめるのだろう。

願わくは…、その瞳一杯に映った様に見つめてくれればいいのに。
そうして見透かして、絡めて離さなければいい。

「やって、火村かっこええやん?」

惜しげも無く与えられる賛辞の言葉に、はにかんだ様に笑って答える事しか出来ない自分に…余裕の無さを知る。

「…それは、どうも」
「うん!」

並んで歩く、時折触れる肩に。
木枯らしが口付けをした。





こちらのお話はあられ様の作品から感銘を受けて(勝手に…あわわ)書き下ろさせて頂いたものです。同じ学校に通う火村とアリスという萌えな設定をこれまた勝手にパクッて←恐ろしい子…!学生という甘酸っぱいシュチェで描いてみましたvvアリスの髪がもふっとなっている姿は私のつぼでもあります(笑)少し長めの髪がもふっとなっていたらさぞかし火村には萌えポイントだろうとがんばって書いてみましたが…伝わっていると嬉しいです。あられ様の描かれます純真無垢で天真爛漫なアリスには程遠く及びませんが(汗)楽しんでいただけますと幸いです。 Author by emi