奏でよう、破壊への調べ
闇夜は離さない。
悪夢はやまない。
夢か現実なのか、判断が鈍るような感覚に陥る。
必死に助けを請う。
でも、一体誰に?
暗闇の中を無我夢中になりながら、伸ばした腕の掌は空だけを掴む。
****
退院してから日々は幾分暮れた。
日常生活も別段不便なく行える。
仕事も順調に ――難産だったりそうではなかったりとそれは何ら変わりもなく―― 進んでいた。
薬は毎日服用している。
今となってはそれがどう効果を及ぼしているのか判断がつき難くなっていた。
だが自分には必要な薬なのだと言い聞かせ、きちんと用法は守っていた。
火村は出来る限り泊りがけでやってきては、あれやこれやと世話を焼く。
食事の世話から日常に至るありとあらゆることまで。
やれ飯は食ったのかやれ薬は飲んだのかと、まるで口うるさい母親のようだ。
来る度に大量投入される食料、リクエストに添う献立、注がれる感情。子供の如く、思う存分甘やかされていた。
まるで童話に出てくる魔女のようだと有栖は片隅で一欠片思う。
肥えさすだけ肥えさせて、美味しく頂いてしまうと言う寸法だ。
まあ食材としては美味しく食べられるわけではないので、相変わらずの単なる妄想に過ぎない訳だが。
それでも気が付いている。
悪夢は毎夜訪れるわけではない。
恐ろしさと苦しみと絶望。あらゆる負の要素を超えたものに追い詰められ、苛む我が身を優しく覆いくるむ優しい掌。
泣き出しそうになる髪を抱きしめるその両腕。
目覚めるといつもそこにある。
事実。
彼が来ない日々の暮らしは悪夢もなく穏やかなのだ。
それがまた有栖を貶める。
既に何にも代え難い存在。いなくなれば半端ではない虚脱感が漂うのは確実。
此処まで来たら、もういないことに対して想像することすら及ばない。
終わらせようと離れようとしていた自分がもう信じ難い。
依存は激しかった。
腕をもぎ取るだけではもう離れることは叶わない。
何を差し出せば赦しを得るのか。
そんなものはとうの昔に、心の何処かで認識しているというのに。
神により美しく拵えられた顔と身体は、何時までも穏やかに付近にあった。
掌を伸ばせば容易に届く範囲。
何もかも、愛おしくて堪らない。
なのに何故なのか。
***
ダブルベッドですら男二人で眠るには狭い。
それでも有栖はなるべく身体を密着させるようにした。少しでも何処かに触れていたいから。
そうでもしないと、何かが何かを奪い去ろうとする気がするのだ。
火村もそれに応えるように優しく抱きくるみ眠る。
まるで肌当たりのよいカシウエアのブランケットのように。
慈しみ全てを赦す聖母のように。
寝返りをうつ度に、眼が軽く覚める度に、そこに暖かいものがある安堵感。
触れるそれは冷んやりとする素肌だったり着ている服だったりと日によって様々だったが、とても重要な枷だった。
堕っこちた自分を更に沈まぬよう繋ぐ、見えない位細い細い糸だけれど。
**
火村は愉快でたまらなかった。
日々自分の中に深く深く堕ちゆく己より大切な存在。
何があっても守る。
それは絶対的に定められた揺るぎない真実。
誰かに盗まれ失うわけにはいかない。
自分以外の誰かに一欠片も奪われることなど妥協なく許しはしない。
完璧な包囲は隙間さえ作らずあらゆる逃げ道を防ぐ。
―――そう。
狂っているのは有栖なんかじゃない。あれは寧ろ正常な状態だ。
幾年にも渡って仕掛けた罠は思わぬことで作動したが、結果は想像以上のものを齎した。
動揺してしまった入院の原因が自分だったなんて、至福の極みに他ならない。
あまりにも過剰な幸福に笑いが零れる。
有栖は確実に手中に収まった。
きっと彼自身、逃げ方を忘れたに違いない。
もがけばもがくほど絡まり解くことは出来ない、支配と言う名の糸。
猶予などという生温いものは与えてやらなかった。探し出せば好機は幾らでもあった筈なのに。
―――なぁ、アリス。
望んで囚われたのはお前じゃないか。
火村は北叟笑む。
闇は互いを捕獲し、浸食は極まりなく。
*
叫びこそなかったが、有栖は飛び起きた。
今日はどんな方法で殺めたか。
絞殺なら感覚は掌に残り、刺殺なら赤い血がやはり掌に残る。
鮮明さは日に増し有栖を憔悴させた。
起きてすぐ確かめるのは、掌に残る忌々しい感触。
「どうした」
美しい音が全身へと注がれる。
喉がからからで声を発することがままならない。
「水を持ってくるよ」
火村はベッドから起き、寝着代わりのスエットを素早く身につけると、キッチンに向かった。
ウォーターサーバーのコックを捻り、冷たい水をグラスに注ぐ。
思わず零れそうな笑みを我慢して。
「飲めるか?」
虚脱感が激しい有栖に敢えて問う。
掌が未だ震え、グラスを持つことさえ目下困難だ。単純すら不可能に近い動作である。
火村は水を自らの口に含み有栖の顎を捉え軽く上を向かせると項と髪に指を絡めながら抑え、口づけを施すかのようにそのまま流し込んだ。
ごくりと嚥下する音がした。
溢れた水が口端から流れるのを、舌で拭う。
口から口へと与えるその行為をいくつか繰り返し、漸く満たされたのか有栖は火村をとめた。
「…ありがとう」
グラスをサイドボードへ置き、火村は有栖を抱きよせ背後から己でくるんだ。
「震えてるな。寒いか?」
腕を取り、掌のひらに口唇を押す。
「火村がぬくいから大丈夫」
有栖は頭をぽすんと首辺りに預ける。
火村はその髪に愛おしく口づける。
「起こしてもうてごめんな…」
「明日は休みだ。構わないさ」
次は眼の縁に。
「くちびる…冷たい」
有栖は指で火村の口唇をなぞった。冷えた水を口に含んだのだからそうなのだろう。
その指を嘗めてやると急いで引っ込めた。
「何すんねん」
照れたのだ。
もっとその顔を見せろよ、と厭らしく言い、先ほどの如く項から後頭部を掌で抑えて口唇を奪う。激しく口内も侵食して。
有栖も応えるように絡める。
息が続かなくなりそっと離れた。もう一度後ろで身体を預け、有栖は力を抜いた。
「火村が此処におってくれて、ほんま良かった」
長い睫毛を揺らして。
火村は更にきつく抱きしめる。
「前に終わらせようとしたけど、俺には無理な話やった。あん時はごめんな」
「…やけに殊勝だな」
「ほんまのことや。たまにはこんな俺も悪ないやろ」
背後から抱きしめるその腕に手を重ねて言う。
「確かに、そんなお前も悪くない」
柔らかい髪に何度も顔をうずめる。
「火村」
「なんだ」
ばんばんと腕を叩きながら言う。
「心配せんでも俺はキミのもんやし、キミは俺のもんや。安心せえ」
火村は微笑んだ。
更なる絶望、更なる失望。そして苦痛。
澱むほど依存して、何もかも考えられなくなればいい。
思考は既に異常なまでの塊へと化している。
それはもう救い難く、不可能に近く。
そして禁忌である破壊を促す問い掛けを。
「なぁ、アリス。お前は一体どんな夢を見るんだ」
有栖も微笑んだ。
さあ、共に堕ちてしまおうか
PLAY HIDE and SEEK の阿樹冴子様より捧げモノとして頂いてしましました〜♪愛するが故の闇・病みを受け入れて仕舞うほどのアリスとソレを悦びと感じてしまうダークサイドな火村がとてつもなく病的に素敵だと思いますvv根底には愛があるのに、その選択しか出来ない、あえてしない二人が痛いけど好き。この上ない甘さの中に切ない哀しさを含ませるなんて…素晴らしいと思います。冴子様、本当に有難うございます。二人がこのまま何処へ行きつくのかとても気になります!
Author by emi