残暑お見舞い申し上げます。

巷では俗に言う夏休み。


一足先に子供たちが炎暑を謳歌している今年もまた
私は京都に向かう。

なにもわざわざ暑さが厳しいといわれる土地に出掛ける事も
ないだろうにとも思うのだが、我らが准教授が身を寄せる下宿には
愛すべき3匹の毛玉が居るのだ。お盆休みに娘さんの家へ行って
婆ちゃんも居ないから店子とはいえ留守を預かる火村は避暑しようにも
北白川からは動けない。

よって愛猫の世話をしつつ、部屋で過ごすのが定例となっている。


・・・だからといって私が行ってやる必要があるわけでもないのだが
そこは大目に見てやって欲しい。



たまにはどこへも行かず家でゆっくりして居たいと思うのは
ごく真っ当な人情じゃなかろうか。

そう。

決して人ごみへ出掛けて行くのが面倒だからというわけではないのだ。
たとえ暑くて溶けそうだからでもないし、30を越えて腰が重くなったからでも無い。


とにかく、日ごろ二人だけでゆっくりとした時間を過ごせていない
私は心の休息を取るべく北白川の部屋に籠るわけだ。



「コンセント、よーし」

今年の日程は少し長め。
8泊を数えるから家の戸締りなどを入念にこなす。

自宅の電話は転送設定したし、PCはノートを持参する。
忘れがちな冷蔵庫も整理して、あとは荷物をまとめるだけ。


「うし。我ながら準備万端やな」


珍しく計画的な行動で約束の時刻まであと半日ほど残しているあたり
本当に珍しい。いつもが無計画なのではない。

その計画がそもそもイレギュラーであるだけなのだ。

「オレかてやればできるしな」

自賛の独りごとを漏らしひと息入れようとソファに腰をおろすと
冷えた感触が肌に心地よい。


「う〜は〜」


ソファに染みついた薫りに誘われアリスはいつの間にか
転寝をし始めてしまった。
出掛ける前に転寝をしてしまうあたり、計画がイレギュラーに支配される
ゆえんなのだが本人は気がつくはずもなく、冷房の効いた快適な環境下で
アリスは意識を手放していった。





起きているのか眠っているのか。

自分でもよくわからないほど曖昧な意識の中。


夢を見ているのか、
はたまた実際に起こっている事由なのかもわからない
――そんな時間。


それは一瞬のようでもあり、そうでない気もする。


ソファで転寝をしてしまっていたという認識はある。
寝転んだ状態でアリスは目を覚ました。
重たい瞼を開ければぼんやりとした視界が開ける。

寝てた――。


そう思っても、シャキっと目が覚めず、上がっていた
瞼もゆるゆると落ち込んでしまう。

あとちょっとだけ――。


そんな風に自分に言い訳をしながら身体を仰向けにする。

と。


ふわり。



鼻に知った薫りが届いた気がして、意識が少し浮上する。

目は未だ覚めない。


煙草の薫りをふんふんと嗅ぎながら耳を澄ますと
次いで聞こえるのは扉の開閉音、そして足音。

確かに感じる、気配。


ひむら・・・。


意識では声に出していたつもりでも実際はただ
心の中で呟いたに過ぎない名前。

気配は徐々に近づいてきて、アリスが横たわるソファすぐ傍で
立ち止まった。薫りは強くなり、息遣いまでも感じられる。

アリスが眠っていると思ったのだろう。

脇に立つ火村は言葉を発するでもなく、しばらくそのまま
じっとただ見下ろしているだけで時折吐く息と身じろぎの
音が届くだけ。


なんや、人の寝顔じっと見て・・・。


どこかくすぐったい、じれったい感じがして
眠っている体なのに笑ってしまいそうにもなる。

それでも、なかなか身体は覚醒しようとしない。


そうしているうち、火村の気配が動いた。


ぎしり。


ソファに手をつき寝転ぶアリスに覆いかぶさる形で
覗きこんできたのだ。


顔のすぐ横にあの大きな手を感じ、腰のあたりに
膝をついてじっと顔を覗きこんできている火村は
やはり何も言わない。


顔に、息遣いを感じてアリスはとうとう目を開けた。


「・・・―あ、・・・あ?」


声を、出したつもりだった。


それなのに、起きぬけでは掠れた音しか漏れず
何かを言おうとしても、身体が反応をしない。

でたのは、音に近い『あ』だけ。


開いた眼に映るのは、見慣れた天井。



霧散した、気配。



そして、声にならない悲鳴が響いた。











「あ?俺の幽霊?」

「そう、そうやって!絶対そうやって!!」



逃げ出す様に大阪を後にしたアリスはほうほうの体で
火村の部屋に掛け込んでいた。

あまりに慌て過ぎて電車で出かけるつもりが車で来てしまうほど。


「早く用意が出来たから少し休もうと思ってソファで寝転んでたんや。
そしたらキミが来た気配がするやん。それでも目が覚めんと目瞑ったまま
寝転んでたんや。そしたら、キミは傍に立っててそんでそんで・・・」

「目を開けたら何も無かったと」

「そうや!」


居る筈の火村はおろか、誰の気配もなく、何も見えない。
1秒前まで確かに感じていた筈の息遣いは急に消え、
それなのに、覆いかぶさっていた体重の感覚は残っているのだ。

あまりの恐ろしさにアリスは絶叫した――つもり。


「おまけに身体が動かへん。金縛りいうやつや」

嫌な汗が噴き出て指先が凍る気がして、
必死に動こうともがいて這う様に部屋を出て来た。

「・・・夢見てたか気のせいじゃねぇの?」

「ちゃう!あれは絶対キミやった!あ、そうや!キミの生き霊かもしれん」


あくまでも『幽霊』だと言いはるアリスに呆れた顔で
火村が笑いかけ、そうして暫くの間二人の言い合いは続く。







喧々諤々と結論のでない言い合いを続ける二人を、
襖の向こう側から3匹の猫たちがじっと見ている。


その猫たちが。


『なんや、火村センセは自覚してないんやなぁ』
『ほんに、さっきまで寝とった自分がまさか、とすら思わないんやないの』
『そうや、暫く会えないからって意識だけが勝手に忍んで行ってしまったとは思わないやろ』


なんて会話をしている事を二人は知らない。

暑中お見舞いを頂いた方へのお返しSSでした。ある「意味」寒いを目指したつもり。意味は各自でご判断くださいませ。

Author by emi