微笑みのセオリー





締め切りを明けて…無事に原稿を送ってからふと我に返ると、急におなかがすくのは何故だろう。それまでは半ば必死になって言葉を紡いで繭を為して、衣食など二の次になってしまっている分、脱稿して人心地着くと急に「人として当たり前」の事をしたくなるから不思議なものだと思う。

・・・それは、学生のころから変わらないアリスの習性で。

他の作家さんに聞いたわけやないからみんながみんなそうなのかは・・・まあ、わからんけどなぁ。


空腹を抱え辿りついた冷蔵庫は当然からっぽで、なんとも生活感の無い現状を目の当たりにしてアリスは深い溜息をついた。

衣食に構ってなどいない日がどれくらい続いただろうか。

今回は長編ということもあり、いつもよりは長い期間「修羅場」に身を置いていた気がする。 買い物はおろかエントランスのポストにすら行っていないのだから、空腹を抱えて冷蔵庫を開けたところで飢えた舌を潤すような“何か”が腹を満たしてくれるハズも無いのだ。


「…買い物、行かな…」

捜索を諦めて窓の外へ視線を投げるも・・・見えるのはどんよりと曇った空ばかり。 加えて雲は足が速く、吹く風が強い事を知らせていてげんなりする。

とてつもなく寒そうなのだ。

でも。

このままじっとしていても食べ物が降ってくるわけでもなく、そうしている間にますますひもじい思いをするだけだ。

ピザを、頼んだ方がいいだろうか。

一瞬、そう思ったりもしたけれど、このところ大したモノを摂っていなかった腹は、きちんとした食事を求めていて電話一本で届く食べ物でごまかされる状態に無い。


ふう。

自分を奮い立たせるような溜息を吐き、立ちあがる。

立ち上がるだけでこのありよう、早くも心が折れてしまいそうだが、そんな自分を叱咤して出かける支度をするべく寝室へ移動し始めた・・・その時。


pipipipipi


久しぶりに響く携帯の着信音が、微かな希望をアリスに伝えはやる気持ちに急かされながら テーブルに投げ出されていた携帯に手を伸ばし、3コール目が鳴る前にボタンを押した。

ディスプレイには見慣れた名前。

『アリス?このタイミングで出たって事は、脱稿したな?』
「火村!どうしたん?」

ざわざわとした雑踏特有のノイズを背後にさせた受話の向こうからは、にやり、と音がしそうなくらい笑いを含ませた火村の声が聴こえて・・・抱いた希望は期待を孕んで膨れていった。

『ああ、そろそろ脱稿するころかと思って・・今、マンションへ向かっている所だ。もちろん喰いもんなんかねぇだろうと思って買い物したから・・・そのまま待ってろよ?』
「うわぁ、ナイスなタイミングや、気ぃつけてな!!」

はいはい、と笑って切れた通話に否応なく嬉しさが溢れた。








「そういやぁ火村、なんで料理するようになったんやった?」

電話を切ってからほどなく到着した火村が手際よく調理をしてくれて、実に久しぶりの「手料理・きちんとした食事」を摂って大満足のアリスは、料理に合わせて火村が買ってきた辛口のワインを半分ほど空けた処でふと、思った事を口にしていた。

「・・・あ?」

思った事を口にしただけだったので、話は脈絡の無い唐突なモノだったのだろう。案の定片方の眉根を上げて疑問を示した火村に・・・なんとなく、笑って見せた。

「いやぁ、大学の頃って確かあんまり自炊しとらんかったやろ?作らんかった訳やないけど・・・今みたいな手の込んだ“料理”っぽい料理はしてなかった気がしてな」
「ああ、確かにな」

ふう、っと口元から煙が吐き出され天井のあたりに留まってやがて消え行くのを見るともなしに眺める。

「でも、いつの間にか・・・料理、上手になっとったやろ?なんでかな、思って」


口当たりがマイルド過ぎるワインは実はあまり得意ではない、というか、呑みやすくて、つい呑み過ぎてしまうのだ。…ワインは後から来る。30を過ぎたあたりから翌日に響く確率がめっきり高くなって来ているのも確かで、それに気がついてからというもの口当たりのよいワインは出来るだけ避ける様にしているのだ。

意味はなくグラスの淵を指で撫ぜるアリスにちらりと視線を投げると、最後の一息で短くなったキャメルを灰皿へ押しつけた火村がグラスの底に残っていたワインをぐい、と飲み干す。

その、嚥下する喉元に湧き立つような男らしさを見た気がして。なんだか気恥ずかしくて目を、逸らして仕舞った。


「そりゃ、あれだ。・・・お前が言ったからだろ?」
「・・・何を?」


火村の長い指がゆっくりとその頬に添えられ、傾けた顔を支えて頬づえをつく。そんな仕草がとても様になっていると思う。アルコールのせいだろうか、濡れて色香を纏う漆黒の瞳がじっと自分を見つめているのに、このまま体中の血液が沸騰してしまうのではないか、とすら思った。


身体中が湧き立って枯渇してしまいそうな錯覚。

そんな風に思ってしまうくらいにはアリスだって酔っているのだ。

何もかもを見通す瞳にそんな自分を暴かれてしまいそうで、慌ててグラスを傾けるも 気づいた風もなく火村は言葉を続ける。

「何をって、旨い手料理が喰いたいって言ってたじゃねぇか」


少しだけ拗ねた様なモノ言い、でも・・・決して責めている気配は無く、むしろ慈しみをのせた声色で告げる火村に、湧き立つ全身の更に奥の方で何かが。


温かい、何かが。



じわり、と溢れだしてくる、そんな気がした。


「お前、外で喰うのも好きだけどなぁ・・・基本、籠ってるだろ?家で旨いもんが食えるに越したことはねぇからな」


仕方ねぇだろ?なんて憎まれ口、叩いているけど。



じっと見つめていた視線がふいに逸らされた理由とか。
買ってくるワインが、アリス好みの訳とか。


考えたらきりがない位に示される、態度に。



堪らなく“好き”が溢れて来るんだ。


「アリス?」

「なぁ・・・火村」

「ん?」



「めっちゃすき!」






久しぶりのサイト更新、拍手お礼の再録となりました(汗)拍手にはおまけを付けての掲載でしたが、今回はコレで。甲斐甲斐しい火村先生、きっとアリスの笑い顔にノックアウトされてるんでしょうね〜、天然なアリスが大好きだ☆

Author by emi