図書館の怪






中間試験明けという事もあり、館内は学生も少なく閑散とした雰囲気に包まれている。


やっぱ、図書館はこうあってほしいもんやな。


その静寂を好ましく思いながら、アリスは最近お気に入りの文学全集のある書庫までの道筋に居た。
天候は曇り、夕方くらいから雨の予報。

この曇天であれば、降ってくるのは時間の問題かもしれない。見渡す書架に人影は無い。


お行儀よく並べられた背表紙を目線で追いながら気になったタイトルを手にとってはその場でぱらぱらと捲り、斜め読みしては戻す。そんな風にしながらだらだらと過ごしている午後がアリスは好きだ。

今日の講義は午前中のみ。
折角大学に来たのだから、午後は此処で有意義に過ごそうと思っていたのだ。


「・・・あ。コレ・・・」

小さく呟くもソレを咎める人も居ない。

手に取り読み耽ってじっと立ち読む。天候が曇っているだけに明り取りの窓も光を受け入れる事無く、館内はやや暗く手元の字が読みにくくて、アリスはスポットの下へと移動した。


「・・・?」

幽かに。

すすり泣くような声が聴こえた気がして思わず、固まってしまう。
その手の話が特別苦手なわけではなかったが、得意なわけでもない。
薄暗く、人影の無い図書館という用意されたかのような状況に加え、外は雨の降り出しそうな曇天。

「・・・!」

確かに、聴こえる。すすり泣くような、細い吐息のような掠れた声が・・・。

『・・・・ぁ』


背筋をぞぞぞ、這い上がる寒気にも固まってしまい、立ち去ることもかなわないで、それでも逆に耳だけは冴えて聴きたくない声を拾ってしまう。

じょ、冗談やないぞ・・・・。そんなん“出る”なんてきいたことないのに・・・。

『・・・ぅあ、・・・ぁ・・』

耳だけの感覚を残して全身から血の気が引いて手にした本さえ落としてしまいそうだ。

立っている位置から見える奥の書庫は此処よりも更に暗くて、中は見えない。
その、暗い先に、何かが見える気がしてアリスは眼を閉じたくなった。


み、みえへんぞ・・・。なんも、見えへん!


だんだん、息苦しいような感じがしてきてくらくらする。深呼吸をしてから叫ぶなり逃げるなるしようと目を閉じたところに、ふと背後に生暖かい風を感じて・・・、直後。


大きなぬくもりがアリスの口元を覆い、吸い込んだ息を飲み込んでしまった。


「・・・・!!」



あまりの驚きと恐怖に声すら出せず、強い力に引かれてそのまま一列裏の書架の影に連れて行かれた。どうやら、誰かが後ろからアリスの口を塞いで羽交い絞めにしているのだと、わかってからも心臓が千切れそうになるくらいばくばくとしていて、動けない。ずるずると力の抜けているアリスは膝から折れてしゃがみこむ体勢になって、ソレを背後から誰かが拘束している。


「・・・・静かに、アリス」

消え入りそうなくらい小さな囁きが耳朶に吹き込まれて、こくこくと頷いた。
辛うじて鼻腔を擽る洋煙の匂いにその人物が火村かもしれない、と思ったが、掠れたような小さな声はまるで別人の様にも聴こえる。


声・・・、そうや。あのすすり泣き声は・・・?

動けないアリスはばくばくと煩いほど聴こえる自分の心音の先に先ほど聴こえた怪しげな声を探すが、もう聴こえないようだ。背中に火村の体温を感じ、依然として大きな掌に口元を覆われて苦しさに文句を言おうかとしたその時。
かたん、と奥の暗い書庫から音が聴こえた。


やっぱり、何か居る・・・!

後ろに居る火村の存在が安心でもあり、不安でもある。顔が見えないのだから果たして火村であるのか、わからないからだ。それでも、何故だか火村だ、と思うのは不思議だったが、本の隙間から見える奥の書庫で白い影が動いた気がしてアリスは、声も出せないくらいの緊張が走るのを感じた。

ゆらり、と影はだんだん大きく近づいてくる。白くて・・・・、人影のような・・・・。


「・・・・もう、いやや、って言うたのに・・・」

「ええやん、こんな時間なんて誰もおらへんし・・・、お前やってその気やったくせに・・・」


白い影は会話をしながらアリスたちが隠れている書架を通り過ぎていく。だるそうに大またで歩く男性と、髪の乱れを整えながら男の腕に絡みつく女性と・・・。二人。

暗がりが書架を包んでいるせいで二人はアリスたちに気がつく事無く通り過ぎていき、やがて声も聴こえなくなった。

あの、すすり泣き声って・・・・、まさか・・・。


「・・・・ス、アリス・・・」
「・・・・ぁ」

しゃがみこんで力が入らなかったせいであろうか、いつの間にか後ろに居る火村の胸に寄りかかるようにして背後から抱き締められた格好になっていた。勿論、口元を覆っていた大きな掌は外されている。肩に凭れた頭をふっと横に向けると息を感じるくらい近くに火村の顔があって少しだけ驚いたが声が出ない。


「・・・大丈夫か?アリス・・・?」
「・・・・むら・・・」

薄暗い中では火村の瞳が一層暗く、漆黒に見えて綺麗だな、と思う。
心配そうに見つめる火村に頷くだけで返すとアリスを寄りかからせたままで後ろの壁に凭れる体勢に、先ほどの声が耳に戻ってきてなんだか恥ずかしい。

「・・・さっきの声って・・・・」
「ああ、間違えなくヤッてたな。あの二人・・・」

なんだ、怯えて損した気分だ。それにしたってこんな場所でヤルな、迷惑な・・・。
はあ、と大きくため息をつくアリスを見咎めてくつくつと笑う火村に身を起こしたアリスが向き直った。
「・・・なんや、火村・・・・」
「おまえ、お化けかなんかと思ってただろ?それで、あんなに硬直してたのか?」

笑う火村の脇には先ほどアリスが手にしていたはずの本があった。どうやら、力が入らなくて落とす寸前に火村がキャッチしていたらしい。

「・・・ちょ、ちょっとそうかな、って思っただけや!そ、そもそも、なんで突然後ろから襲われなあかんねん!そっちの方が吃驚したわ!」
「・・・お前、絶対なにか勘違いしてそうだったから普通に声を掛けたら叫ぶな、と思ったんだよ。・・・・そうだろ?」

ぐ、それは・・・、そうだろうが・・・。

「それに、あの声の調子じゃ終わりは見えてたからな・・・。あんなところに突っ立っていたら鉢合わせるだろうが。感謝しろよ?アリスが気まずい思いをしないように隠れてやったんだぜ?」

揚揚と話す火村の顔を思い切り睨みつけてやると、軽く鼻であしらわれたようで、更に腹が立つが文句を言う気も失せていたのでやめておいてやる。
なかなか立ち上がろうとしないアリスに火村は笑いを滲ませた声でおもしろそうに聞く。

「・・・アリス、もしかして腰がぬけてるんじゃねえよな・・・?」
「な、ち、違う!」

断じて違うぞ。ただ、ちょっと力が入らないだけで・・・。
うろたえるアリスに再度顔を近づけると火村は取って置きの低い囁きをアリスへと向けた。
それも、直接耳元に、だ。ご丁寧にアリスが逃げないように後ろに座ったままでその身に腕を回して覆いかぶさるような体勢で。

「・・・アリス、震えていたよな?怖かったか?」
「・・・・っ!」

耳を掌で押さえると思いっきりその頬を手で押しやって遠ざけてやる。
何をするんだ、この阿呆は!!

すると、頬を押されて少し歪んだ火村の微笑む顔は、さらに可笑しそうに笑い出した。

「ほんと、アリス。おまえ、耳弱いのな。・・・・お、もしれー」
「・・・うっさいんじゃ!!」

なにさらすねん、ほんま。余計な事を火村がするからドキドキが止まらないじゃないか。
囁かれた耳から、抱きこまれた背中から。
ドキドキと心音が止まらない。

勘弁して欲しいな。
力の入らない身体をなんとか奮い立たせて起き上がると、盛大に睨みつけてやる。

「・・・・ドあほ!!」

いつか、思い知ればいい。
そして、きっと君は後悔するんだ。


正体を、知らないほうがいいことだってあるって事を。

Author by emi