「・・・降って来よった」
無性にプリンが食べたくなって、夕方近くのコンビニに買出しに出た。
マンションのエントランスを出ようかというまさにその時。
小粒の雨がぽたり、と頬に落ちる。
仰ぎ見た空には黒く厚く覆う雲。
やがて本格的に降り出すであろう、と仕方なく回れ右をすると一階に止まったままのエレベーターへと逆戻りした。玄関の鍵を開けて靴箱の脇に立てかけてある傘を手にすると再度、止まったままの箱の中へと滑り込み、
ゆっくりと電光掲示が変わっていくのを眺めながら、手の中の傘を握り直す。
この傘を使い始めてからもうずいぶん経った。
木製の柄に入れられていたブランドのロゴも今や掠れて見えなくなった。それでも、どこも骨が折れる事無く、またどこかに置き忘れてしまう事無く。
今なお、アリスの手の中にある。
やがて微かな音を立てて扉が開き、雨脚の強まった地表が見える。
この空の色合いからみれば、きっと京都も雨が降っているだろう。
ふと。
大きな黒い傘を持つ准教授の顔が浮かんで思わず苦笑してしまった。
こんな雨の日はいつもの革靴じゃなく、合皮の黒い革靴を履いているんやろな・・・。
院に進みそのまま大学に残り、講師として勤める事が決まった時、火村はこれから歩んでいく研究者としての制服だ、と一足の革靴を誂えた。
紳士の国、イギリスが誇る老舗・ジョンロブ。
ある教授の紹介で特別に一足からのオーダーを受けてくれたのだ。そのシンプルなこげ茶のストレートチップは数年経った今でも飽きる事無く火村の足元を飾っている。
出来立てのような新鮮さは無い。それでも、使い込まれよく手入れされた好い趣を醸し出している。さすがに雨の日にグッドイヤーは履けないと代用の黒い革靴も買っていたから、きっと最近は下宿で仕舞われたままだろう。
鬱陶しそうに白髪交じりの髪を掻き揚げて、水溜りの出来た校舎間を行き来しているのだろうか。
その手に、大きな黒い傘を持って。
「・・・・傘、も」
先ほどから降り始めた雨に制服姿の高校生がアリスの脇をすり抜けるように足早にコンビニへと駆けていく。アリスは少し身体に腕を寄せて傘を避けた。
火村が差している、黒い大きな傘はいつか心斎橋に買い物に行った際にまだ勤めていた頃のアリスと一緒に買ったものだった。
有名な工房の手作りの傘は芯がしっかりした骨の多いデザインで、アリスは濃紺の縞、火村は黒の格子柄を選んだ。同時に2本購入したので、サービスで入れてくれたネームはいつのまにか消えていた。
時が経ち、ずいぶんになるが依然として2本とも二人の手の中にある。
コンビニのチャイムを潜っても丁寧に畳んだ傘を手にしたままで店内に入る。
目的の棚を見つけると暫くその場で吟味する。新しく発売されたものはどれもこれも違った趣向があって目移りしてしまう。
たかが、プリン。されどプリン。
そのうちの一つを選ぶとレジへと持っていったが、大の男がプリン一つを買うのも少々気恥ずかしくて
ついでに頼んだ駱駝の箱と一緒に入れられた小さな袋を手に店を出た。
ジャーっと派手な音を立てて往来を車が通り過ぎている。
最近ではあの古い型のベンツもすっかり見なくなった。
舌打ちをしながら銜え煙草でキーを回すあの准教授のものを除いては。
エントランスを潜って待機していた昇降機へと乗って七階まで上がると傘を傘立てに入れて部屋へと入る。カサリ、とテーブルに置いた袋の中には、プリンと小さな駱駝が見えた。
「・・・・なんかなぁ」
職人の傘も、ジョンロブの革靴も、アンティークなベンツも。
そして、学生の頃からの下宿も。
気がつけば火村の回りには変わらないモノが溢れている。
特別に大切にしているわけではない、といつだか君は言っていた。
それでも、変わらないものはあるだろう?変えたっていいものだってある。
「・・・そういうヤツやんな」
拾われない独り言を呟くと、袋からプリンを出した。
定番のプリン、いつもと同じ変わらない、プリン。
きっと、それでもいいのだと思う。
そうして、変わらずに私達は隣に居る。
それだって、きっと変えたっていいハズのものだろう?
それでも、かわらずに隣に居るのだ。
「・・・やっぱりこの味やな」
それが、きっと答えなんだ。
これを書いた時にはまさか駱駝が廃版になるなんて予想だにしませんでした。何年か前の梅雨の時期に書いたものです。猫、関係無くてすいません。
Author by emi