茶を基調とした執務室は重厚感にあふれつつも凛とした雰囲気で、
書類を捲る音が時折響く以外には、
そのほとんどを静寂が支配している。
部屋の主が居ようがいまいが、それは普遍の日常。
トルルルル、トルルルル・・・
そして、その静寂を破るのは鳴り響くベルだけだ。
大きな樫のデスクの上には電話が3台並んでいて
一つは外線を繋ぎ、
一つは政府要人からの緊急連絡を受ける為にある。
そして、残る一つは局長室への直通回線だ。
着信を知らせる紅いランプは直通回線で、その着信は
陽一郎が密かに待っていた報告に他ならないだろう。
だが、そんな気配を微塵も感じさせない動作で
陽一郎は受話器をあげた。
「はい」
「局長、マルタイの周囲に昨日から同じ人物と
思しき男がうろついておりますが、いかがいたしますか」
「・・・対は気がついているか?」
「いえ、今のところは。ただ・・・」
「ただ?」
「マルタイが、おそらくは意味も無く回り道をしたり、
同じところを通ったりとしておりますので、
もしかしたら何かしらを感じ取っている可能性は否定できかねます」
「・・・そうか。うろついていると思われる輩の裏を洗え」
「了解いたしました」
簡潔に、それも特定の固有名詞を出すことなく
用件だけを述べて通話は切られる。
いつものことながら優秀な事だ。
ツーツーと無機質な音を立てる受話器を下ろすと、
陽一郎は人知れずため息をついた。
(光彦・・・)
眉間に寄ったしわを摘むように指を当て瞼を閉じると
脳裏に焼きついたかのように光彦の顔が浮かんでくる。
弟として、同じ屋根の下で食卓を囲んでいるときの笑顔。
伯父として智美や雅人と共に笑う、優しい笑顔。
事件を追っているときの、真摯な表情。
そして。
恋人として、自分の腕の中で幸せそうに、微笑む光彦。
(アレを守るためなら、私はなんでも出来る)
陽一郎は自嘲気味に笑うと再び執務へと気持ちを戻した。
・・・――歳の離れた弟だ。
光彦が物心つくころには、自分はすでに成人しており
学生の頃には一家を背負う大黒柱としての立場で
母を養うため、というよりは、まだ幼い弟達を育てるために働いた。
だからこそ、光彦が一人前になった今尚、心のどこかに
彼を守るのが自分の使命なのだという、気持ちがある。
情を交わした後、それはさらに強くなったと思う。
いつから、だったろうか。
慈愛が、恋慕へと変化していたのは。
いつの間にか音も立てず、するりと陽一郎の心の中へと
染み込んでいった思いは、気がついたときには
抑えられないものとなっていた。
だが。
その想いは禁忌のモノ。
喩え、抑え切れないほど燃えるような情熱であろうと
自分の外側へ出すわけにはいかなかった。
・・・―伝えるつもりなど、端から無かったのだ。
だから。
光彦が涙を流して気持ちを伝えてきたときは
何かの間違いだと思った。
もしかしたら、気持ちのどこかで否定していたかもしれない。
それを、顔に出していたかもしれない。
それでも、頑なに「好きだ」といい、真っ直ぐに見詰める
光彦を見て、夢や都合のよい勘違いではないのだと悟った。
そのまま、己が止まってしまうのではないかとさえ思える瞬間。
まさか、まさか。
光彦が、同じ想いを抱いているとは思いも寄らなかったからこそ
このまま、時が止まってしまうのでないかとさえ思えた瞬間。
ずるい、と知っていた。
甘い誘惑にも、いけないと知っていながら乗った。
一度は、気が付かなかった振りもした。
それでも。
ソレは予め決められていたことの様に、動いていたのだ。
抗える、筈も無かった。
意識とは別の部分から口をついて出た言葉は、
隠し様の無い、本心。
欲しくて欲しくて仕方の無い、モノ。
それを、手に入れたのだ。
だから。
彼を守るためには、なんだって出来た。
まだ光彦が学生だった頃。
あと少しの処で光彦を、
無垢な心を失ってしまうかもしれないという恐ろしい事件があった。
そのときは、同窓の好で情報を手に入れ、
あと一歩のところで光彦を救い出せた。
だが。
脅威は去ったわけではない。
真っ直ぐに、無垢なまま、光彦は光彦らしく居てくれる。
そんな彼を自分以外の誰が守ってくれるというのか。
どこか危ういアレを。
危険を察知していなければ。
ソレを取り除いてやらなければ。
余計な事だと、わかっていても強く思った。
自分に出来ることは、何であるのか。
答えを出すことは、案外と簡単だ。
上へ、上へ。
守るだけの力を要する、位置まで。
そのためになら、なんだって利用する。
由緒正しい家柄というものは、全てにおいて繋がりを持つ。
繋がりは、力となり自分の価値を高めるものだ。
家族を、愛していないわけではない。
生まれてきた子供達を、愛しまないわけではない。
寄りそう、妻をも――。
だが、其れは。
何にも変えられない、光彦を守る為の城壁なのだ。
浅見の家を守り、体裁を守り、地位を守る。
其れが、光彦を守る砦となる。
(キミを失うことなど、私には耐えられないのだ・・・)
事件に係わろうとする光彦は、理屈や論理と言った
理路整然とした理由からではなく心で追うのだ。
それは決して私心などではなく、
純粋なる好奇心や正義心なのだろう。
だからこそ、事件にのめりこむのだし、時として、
情を読み取りすぎて同じように心を痛める。
それでも、諦める事無く。・・・穢れてしまう事無く。
そのたびに、それとなく後ろから彼を守るよう選びぬいた
確かな部下を警護に当たらせている。
数名を交代で光彦には悟られないよう、細心の注意を払い、
彼を守るのだ。
其れができるのは、自分が刑事局長という椅子に座っているから。
「・・・マルタイ、ね」
キミが、無事で居られれば、それでいい。
この命を賭してもキミを守ると、心に誓ったのだ。
この腕に、繋ぎとめて置けなくとも。
その翼で、飛び立ってしまっても、留めておくことは出来ない。
それが、禁忌を犯した、私に負わされた罰責なのだから。
だからどうか。
笑っていて欲しい。
だからどうか。
幸せを。
以前、サイトにアップしていたお話に手直しをしたものです。陽一郎さん視点で。
Author by emi