『忘れてはイケナイ物語り』野坂昭如 編/光文社

スウ (2002/09/06)
●正気を保つ為の、戦争体験談

この本を読もうと思ったきっかけは、
終戦記念日の頃、テレビで「広島の原爆投下直後を体験者が描いた絵を、データベース化しようという取組みがある」という特集をやっていて、見る前から「悲惨で悲しいのは分かっているし、今まで散々聞いてきた事。いまさら・・・」という気持ちが自分に起こってしまったから。

直後に思い直して、その番組も結局は見た。
やっぱり悲惨で悲しくなったけれど、それは「分かって」いることなんかではなかった。
「戦争はいけない」と頭で分かっている事と、本当に体験した事とは恐ろしい隔たりがあり、こういうものを読んでもきっとその万分の一も分かりはしないのだろう。
でも、編者の野坂氏が言うように、その「思い」は伝わる。

悲しくて悲しくて、平凡な言い方だけれど、涙なしには読めない。
私たちにとっては「忘れてはイケナイ」、
でも記録文を寄せた体験者にとっては「忘れたくても忘れられなかった物語」。
それを、戦後50年以上経ってようやく外に出す事ができた、伝えないうちに死んではいけないという気持ち。

以下は、抜粋だったり要約だったり、とにかく強烈に心に残った事実のメモです。

・4歳の幼児でさえ、
 ねだってはいけない事を知っていた時代。
 薬が無いためになんでもない病気で死んだ。

・『ビルマ従軍』

 憔悴した目で追うのは
 敵の飛行機から落ちてくる食料補給。
 その落下傘は山の向うへ消える。

・結婚後まもなく出征した中隊長。
 50キロ爆弾の爆片が胸に突き刺さり死ぬ瞬間、
 「きよ!」と一言、奥さんの名。

・防空壕は安全のために掘ったはず。
 でも多くの人が蒸し焼き、生き埋めになった。

・沖縄。近づいてくる米兵に、
 恐怖と緊張で大笑いが止まらなくなった子供。

・広島、原爆投下。
 音は山口県にまで響いた。
 風船のように、ぱんぱんにふくれた、死体の列を
 凝視しながら父の遺体を捜した女性。

 きのこ雲は4日間その形をとどめていた。

・長崎。被爆後の街の片付をした中学生たち。
 十数日後、親友はつぎつぎに死んだ。
 ひとりは
 「はまぐち、にっぽんば・・・・・、たのむぞ・・・・・。」
 と言い残して。

 ひとり生き残った賢治は、
 今だその責を果たせぬ己自身を、悲しく恥じている。

・二十歳、出征。千人針の中央に
 「勝たずんば 死すとも帰らじ」と書いた父に
 負けて帰る言い訳を悩み続けた。

 いつ帰るとも知らせないのに
 駅で待っていた父は
 「よく帰った、ご苦労」と言った。

・朝鮮人の留学生、特攻隊員として出撃。
 前夜、酒宴の席でアリラン(朝鮮民謡)を歌った。
 店のおばさんを母代わりに、形見のお財布を残した。

・「源が死んだ!!」
 母はひと言叫んだまま、
 手に持った葉書を凝視して動かなかった。
 そして、すぐ、「源!源が・・・・、はーぁ、はーぁ・・・」
 と大声で泣き出した。 弟を亡くした母の瞬間。

・「五族協和、王道楽土」のうたい文句に
 夢と希望を抱えて渡満した16歳。
 終戦後 彼の地で無念さと飢えに苦しんだ。
 「死んだらあかん生きて父母の待つ日本に帰るんや」
 その思いだけが彼を支えた。

・満蒙開拓青少年義勇軍で散った兄。16歳だった。
 いまなら、暖かい部屋でホクホクのご飯、
 だしをしっかりひいた美味しい味噌汁、
 消化のよい得意料理を作って、
 沢山食べさせてあげたい。

・大虐殺があったとされる
 南京攻略戦にも参加している祖父の
 進撃図や軍の表彰状を、誇らしく孫に見せた祖母。

 それは祖母にとって
 知る必要もないものだとも思いました。

・友達と、「また明日」と約束をしたが、
 その「あした」は来なかった人。
 翌日 東京大空襲。
 翌日 原爆投下。

・虱の発疹チフスに冒された母と弟の巌。
 娘たちの前でいきなり立ち上がり、
 「父さんが帰って来た。父さんが。―戸を開けなさい・・・」
 と叫ぶと、床に倒れて、それっきり、
 もうなんにも言わなくなった。
 その十日後、巌も静かに息をひきとった。

・隅田川。 船の水より上の部分がみんな焼けて、
 残った船底へ 片付けても、片付けても、
 翌日には慕い寄るように十数人の死体が
 塵芥と共に浮かんできた。

・『私の戦争は終らない』

 勤労奉仕に行く途中、米軍の機銃掃射。
 頚椎に残った鉛の破片が除去できず、
 戦後40年近く身体的苦痛を抱えて生きた。

 やっと摘出できたところ、新聞記者のすすめで
 複雑な手続き書類を2年もかかって揃え
 「戦傷認定」を県当局に申請したが、
 紙切れ一枚で却下された。

 「負傷した時の写真がない」という担当者。
 ―この人は戦争を知らないのだ。

 私は戦争を語らねばと思う。
掲示板より

●風太(2002.9.16)
-偶然にも私も同じ頃、那須正幹さんの『折り鶴の子どもたち』とうみのしほさんの『折り鶴は世界にはばたいた』を読み、衝撃をうけていました。

児童書ですが綿密な取材をされ、きれい事ばかりでなく公平に書かれたすぐれたノンフィクションでした。
もうずいぶんきかされ「また原爆か、もう充分知っている」と考えていた自分の浅はかさを思い知らされ、ただただ恥じ入りました。

いつのまにか忘れかけていた戦争の悲惨さ、平和の尊さ、語り継いでいくことの大切さを、あらためて感じさせられました。

※この文章は風太さんの了承を得て掲載しています。ありがとうございました。
風太さんのサイトはコチラ→「タイムトンネル」


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