J・R・R・トールキン

『指輪物語』 J・R・R・トールキン/瀬田貞ニ・田中明子 訳/評論社

スウ (2003.4.8)

●純粋な「物語」の醍醐味
映画を先に観て、面白かったけれど良くのみこめない所が多く、細かい部分や登場人物の気持ちをもっと理解したくて読んだ。
たとえばサルマンは偉大な賢者だったのになぜ裏切り者になったのだろう、ゴラムの辛い過去とはどんなものなんだろう(これは実際分かってみると相当に悲しい)。サムとフロドの固い固い友情にはどんな背景があるのだろう。
それと、映画では私はメリーとピピンはあまり重要な人物ではないような気がしていたのに、さらわれて助けに行ったり殺されたと思って慟哭したりしている様子に今ひとつ共感しなかったから。
読んでみてメリーとピピンは単なるいたずら者で成り行きで一緒に来た訳じゃなく、周到な計画のもとに固い決意で同行を決めていると分かって、考えてみればこんな過酷な旅に出るのに成り行きで耐え切れるはずもないのでこれが当たり前だと思った。馳夫さん登場から同行する一悶着も同じで、いきなり現れた未知の人物と一緒に出来る旅ではない。(でも映画でこれをいちいちやっていたらテンポが悪くなるだろう)
最初はずっと映画との比較だったので、先が分かっている事が惜しかった。黒の乗り手に追われ始める場面など、先を知らないほうがよりドキドキして楽しめたと思う。『二つの塔』の終わり頃から純粋に「この先はどうなる?」という、理屈抜きの物語の面白さがひっぱっていってくれた。

「物語の面白さ」 と言えば、活劇的な急展開の面白さもあれば、感動の名場面・名ゼリフも盛りだくさんで数え上げるときりが無い。
魔の指輪があらゆるものを誘惑し決して善には働かない所も、人は結局自らの欲望を律し得ないものなのかと感じてしまう。それが分かっている者だけが、指輪を手元に置く事をあえて避けている。

●緻密な世界構築
そしてそんな恐ろしい指輪を託されるのが、何の力も無さそうな、冒険よりも平和な暮らしを愛するホビット、という所がポイントなのだろう。ホビットはただ小さくて陽気な田舎の人というだけじゃなく、いざとなるととんでもなく頑健で勇気ある民族で、話好きで噂好き、パイプ草に関するこだわりなんかも知っているのといないのでは後々面白さや説得力が全然違ってくる。だから、最初の話がなかなかはじまらない所もこらえて丁寧に読むほうがいい。実際後からその細かいウンチクの末が物語に生きてくる所が快感だった。
民族の書き分けの丁寧で細かいところも舌を巻いてしまう。歴史・物・地理・言語・誇り、等々、その種族がいる事を「作りごとだ」なんて全く意識させないところが凄い。ここまで緻密に世界構築された物語を読んだ事が無かったような気がする。
ファンタジーというと今まではディズニーアニメのようなものしか浮かばなかった私は、これがいわゆる王道なのね、と認識した。

※以下ネタバレありです

●泣かせどころサムワイズ 
やっぱり文章で読んでなんぼ、の長ゼリフは原作のほうが心に沁みる部分が多かった。映画では無い、馳夫さんがメリーとピピンを助けに行くべきか、指輪保持者の後を追うべきか悩むところもよかった。
そして話の中で一番情に訴えてくる泣かせどころはやっぱりサム。
フロドが一人でモルドールに行く決心をした事をたった一人悟って追って行く場面なんて、映画は原作を読んでいると10倍感動する。フロドに「ひとりで行く」と言われた時のセリフ、字幕訳は「いいえ!おれも行きます!」だけれど、実際は(吹替え訳)「わかってます!だから俺も行くんです!」。この「わかってます!」にサムのサムたる所以、想いが凝縮されているというのがよく分かるので。
「フロドと指輪の話をしてよ」の場面もその少し前からのセリフが好きだし、「サムワイズ殿の決断」でその決断を翻す時のサムのいじらしさと言ったら涙なしでは語れない。
フロドは映画よりも強く落ち着いた雰囲気で、サムの保護者という印象が強かった。(映画だと「守ってあげたい」感じの方が強い)ゴクリを諭す場面やファラミアとの冷静で賢明なやり取りが印象的だった。このような主人だからこそ、サムが「着いて行きます!」となるのだろう。

ゴクリで一番印象深かったのは、フロドたちをシェロブに引き渡す直前の、ただの老人のようになったゴクリ。あの時サムが罵倒しなければ、ゴクリは善のほうに傾いていたのだろうか。
ゴクリの最後はなんとなく予想していたけれど、その落ち方が意外にあっけなかった。というか、善と悪の間を逡巡する存在が、最後は善になって良い方向で果てるのかと思っていたから。
これだと結局魅入られたまま過失によって命を落としている訳で、そこのところが私にはちょっと残念だった。

話の終わりは大団円で終わるのだろうと思ってはいた。でもそう思った矢先の最後にまだひと悶着あったのには驚いた。そこからは一気に読んで、おしまいの余韻がまた素直に良かった。
最後まで純粋な「物語」の醍醐味を味あわせてくれるお話だったと思う。



『ホビットの冒険』 J・R・R・トールキン/瀬田貞ニ 訳/岩波少年文庫

スウ (2003.4.22)
●ホビットはなぜ裸足なのか
面白かったけれどすごく好みの話だったかといえばそうでもない。 結局は『指輪物語』や映画の興味の延長線上で楽しんだという感じではある。
でも、
 地面の穴のなかに、ひとりのホビットが住んでいました。〜中略〜
なにしろ、ホビットの穴なのです。ということは気持ちのいい穴にきまっているのです。
という出だしでもうにんまり。
ワシの巣に連れてこられた時の文章もなんだか大好き。

ホビットほどの小さな小人が、夜の夜なか高いワシの巣にいるのですから、ワシに失礼なことをしてはなりませんとも。

やっぱり最後のビルボによる裏取引きの場面が一番感動した。
ホビットがすばらしい種族で、ビルボが本当に善良な人なのだというのがこれでもっと実感できた。正義を行おうと意識してやっている訳じゃない、とにかく「争い事はたくさんだ、早く家に帰りたい」という一念による行動だという所がたまらなくいい。
ビルボもフロドも、そもそも冒険したいと思って住み心地のいい我が家を離れた訳じゃない。その過程で成長していろんな意味で強くなったかもしれないけど、正義の味方でもないし冒険好きなんかでもない。
そこの所を良く知るとますます映画が愉しくなるってもんだ、とうれしくなった。

ビルボが離れ山で冷たく固い岩肌を足の裏に感じながら辛いと思った所や、故郷に帰ってきて柔らかい草の上を安らぎを持って歩いた場面を読んで、
ホビットが自然と共存し豊かに生きる種族なのは、いつも裸足で大地の感触を実感しながら生きているからだ、と強く感じた。


< Home < Book