2004/02/14(Sat) : スウ
title: 「1年ののち」『ジョゼと虎と魚たち』に小道具で出てくるサガンの『一年ののち』をひっぱりだして再読してみています。
このジョゼ虎があちこちで随分評判がよいもので。じゃあそのものを読めよって話なのですが。
続編の『すばらしい雲』も古本屋で入手してしまった。100円でした。うーん、相変わらずあまり面白くない(というか私にとって興味が薄い)ものの、場面場面では読ませるのでなんとか読んでます。
あとがきを読むと、やはり賛否両論だったようで玄人ウケはしてたみたいです。
はっきりしたひとつの筋の流れで話を持っていくものではなく、登場人物が沢山いて人生のある一時期の綾を織り成すようなものです。
面白くないとは言ってますが、途中と終わりにすごく好きな場面・台詞があるのでずっと手元において置く本に入っています。2004/02/16(Mon) : テハヌー
スウさま、こんにちは。
わたしも昨日図書館で「1年ののち」「すばらしい雲」を借りてきました〜。映画パンフによると(サガンの)ジョゼが主人公の話は3部作なのですね。
でも残念ながら3作目の「失われた横顔」は置いてなくて替わりといってはなんですがベアトリス側の続編と思われる「乱れたベッド」を一緒に借りてきました。
まだ「1年ののち」の頭をぱらぱらと読んだ程度なんですが冒頭ぽくなくて突然途中から始まってるみたいな感じですね。
スウさまのおっしゃる人生の一時期の綾を織りなすということも少しわかるような気がします。 まあまだ読んでないくせに映画からの印象もコミになってる勝手な想像ですけども(笑)。
「ジョゼ虎」の中では主人公のジョゼがいつも「1年ののち」を読んでいたと語られるのですけどいつもずっと好きな本を読み返す読書もいいなあと思いました。 沢山の本を読むのも素晴らしいけど1冊の本を何度も読むのもいい感じの読書ですよね。 自分はどっちつかずの中途半端読書なのですけど(笑)。2004/02/17(Tue) : スウ
テハヌーさんこんにちは!
借りてこられたんですね〜私は今朝「一年ののち」を読み終わりました。
最初に読んだのは19くらいの時でしたが、今のほうが分かるような気がします。忘れてるだけかもしれませんが。
> ジョゼが主人公の話は3部作なのですね。
あ、そうなんですか。知りませんでした。ありがとうございます。
でもこれ、次を読まなくてもなんら気にならないつくりになってますからね。といっても今回は次を読みます。
「乱れたベッド」がベアトリスの続編というのも知りませんでした〜。しかしベアトリスは今読むとかなり悪女ですな。> 冒頭ぽくなくて突然途中から始まってるみたいな感じですね。
そうですね。だからほんとにストーリーがどうのこうのじゃないんですよね。人の感情の動きをべたつかない感じに細かく描写しているという・・
> 映画からの印象もコミになってる勝手な想像
私も「ジョゼ虎」は観ていないくせに皆さんの感想を読んで勝手な印象を抱いています。
それで、たぶん「一年ののち」には共通するような感情のながれがどこかにあるような気がすると思いました。> 「ジョゼ虎」の中では主人公のジョゼがいつも「1年ののち」を読んでいたと語られるのですけど
そうですか。うーん、これを恋愛経験がないままに何回も熟読したらすごい老成したひとになってしまいそう(^^;
あらすじよりも時の経過とともに変わる人の感情に対する諦め感、なげやりというのではない微妙な感情の動きが描いてあるので、時間がたくさんあって本が少ない状況だったら何回も読むのに適した小説でしょうね。ところで「いい感じの読書」というテハヌーさんの言い方がいい感じです^^
2004/02/21(Sat) : スウ
title: 実は「すばらしい雲」も途中で放り出して「指輪物語」です。しょうがないです。
いまお金持ち夫婦のドロドロ関係なんて読んでる気分じゃありません。2004/02/23(Mon) : テハヌー
スウさま、こんにちは。
こちらは『1年ののち』『すばらしい雲』を読み終わりましたです(^^)。
結構読みやすいんですね、サガン。
どっちがいいかというと『1年ののち』の方が好きかなー。
しかし「金持ち夫婦のドロドロ話」はなんと的確な表現!(笑)。 これって依存関係なのかしらとも読みながら思ってしまいました。
達観しているはずのジョゼが何故かなんともいえない結婚生活を送ることになってしまったものですね。
まあ達観しながらも感情にも流されてしまっている風でもありますか。 あ、でもベルナールとジョゼとの距離感はいい感じになってましたね。
『1年ののち』の最後の会話はわたしも好きです。
しかし自分もそろそろ読みたい本を一区切りさせて 『指輪物語』に備えなきゃな〜と思ってます。
でも『博士の〜』も読みたいし…と色々悶絶してたりして(笑)。2004/02/23(Mon) : スウ
title: 日々悶絶ですね(笑)あっテハヌー様!読み終わりましたか両方?やばいっす。私は途中でほったらかしてそのまんま(笑)
あと半分くらいなので明日までに読もうと思います。
読み易かったですか?私はあの会話が””で、思考が『』とか「」とかになるのがどうにもイライラしちゃいました。なぜ普通の表記にしなかったのでしょうか。
でも版によって違うのかしらん。私も「1年ののち」の方が好きです。バーバままさんのトコにも書いたのですが、続編って言ってもそんなもの蛇足ではないの?と思ったくらいなので・・
テハヌーさんも最後のところお好きですか〜?うれしい。
なんとも言えない さりげなくお見事な締めだなあと思うのです。
ちなみに私があと私が好きなのは、ジョゼがジャックを探し回って探し出して「あんたが必要だったの」と言う場面です。
前後の関係から雰囲気からどうにも印象に残っています。
やあでもこれだけ書きだすと恥ずかしいなあ・・(^^;>「金持ち夫婦のドロドロ話」
いや、あはは(恥)。まだ途中までしか読んでないのに失礼ですね私。
たぶんコレを、生活に憂いの無い学生時代とかに読んでいればもっと浸れたような気もするんですが。
結局遊んで暮らして二人で悶々してるわけね、良いご身分ね、なんてな事をうっすら思ってしまう汚れた自分が悲しいですわ(^^;2004/02/24(Tue) : スウ
title: そして読み終わりました『すばらしい雲』・・。うーん。結局最後まで
ブルジョアーな夫婦の愛憎遊戯、という感じでしたが、まあこれもストーリーがどうのこうのという小説ではないのでこれで良いのでしょう。
でもほんと、ベルナールとジョゼの距離感はいい感じになってますね。
ベルナールが怒った場面は思わずエライ!と拍手しそうになりました。パチパチ。こういう誠実さがサガンの小説が倦怠感で満ちるのをふっと救っているような気がします。いつも。
そしてジョゼがキレた場面はすごいワクワクして何するのかと思ったら・結局それかい、オイ!・・と(^^;私はサガンで一番好きなのは『優しい関係』、あと『ブラームスはお好き』です。
『優しい関係』はめずらしくけっこうドラマチックなんですが、後から考えるとちょっと少女漫画的なのかなとも思いました。昔の『LaLa』に載ってそうな。<またそれか2004/02/24(Tue) : テハヌー
title: 全くブルジョアジーってヤツは(笑)いやほんとにいいご身分だと思いますよ(笑)。二人とも仕事らしい仕事も家事も何にもしないですもんね〜。
それで精神的な事柄の方に集中しちゃうのかなと。この本のベルナールはオブザーバーとしていいですよね。
ジョゼの良き兄貴分みたいな感じで。元々この二人は似たもの同士のようだから兄妹みたいな友人関係が一番良いのかなーなんて思いました。
『失われた横顔』ではジョゼも幸せになるらしいですよ(^_^)。
わたしの方は『乱れたベッド』に取りかかってます。ベアトリスは相変わらずベアトリスですよ(笑)。
けなげなエドワール君が新進劇作家として復活してます。しかしベアトリスが出てくるとなんだか昼メロ女優モノみたいな気がしてくるんですよね(笑)。
『優しい関係』『ブラームスはお好き』『悲しみよこんにちは』等もいずれ読んでみたいと思ってます。
「熱いのだが寒い」とか逆の言葉を続けて使う描写がなんとはなしに印象的でした。
しかし昔のLalaって確かに文学的ぽかったですよね。2004/02/25(Wed) : スウ
title: サガンづいてますね^^そうなんですよ!いいご身分なんですよね。
あの家の家政婦にだけはなりたくないざます。万年思春期こまったちゃんざます。<ダレ?
あ、ベルナール、兄貴分ですか。なるほどそういう見方もありますね。
『一年ののち』でずいぶんヘタレだったので次で健全な感じになって良かったなあと思ってました。
しかしあの可哀想な奥さんはどうしてるんかな・・
ジョゼは最後幸せになるんですね。そりゃ良かった。しかし相手はまた違うのでしょうか・・。ベアトリスはすごい分かりやすい人ですよね(笑)昼メロ女優モノってわかりますわかります!
エドワール君が劇作家って、なかなか楽しい展開ですね。女優ベアトリスはわかりやすく行動するんでしょうか。気になります〜。
テハヌー様はサガンづいてるんですね。読んだらまた感想を聞かせてくださいませ♪「昔のLaLa」ってそうですね。そんな言い方しかできないのは最近のマンガが全然わからないからでもあるんですが(^^ゞマンガ雑誌にも傾向・個性があるんだなあと
思ったのがLaLaからでした。2004/02/25(Wed) : バーバまま
テハヌーさんとスウさんのサガン話も微妙に気になっている今日この頃、
>スウさま
では、オフ会で拝借させていただいていいですか?ちょっと長くかかるかもしれないけど。わたしがむかーし読んだのは『悲しみよこんにちは』『ブラームスはお好き』・・・あとなんだっけ・・・
たしかに、ブルジョワ的で生活感がないというか・・・ではありますが、エロスとか愛に命をかけるというか生き甲斐としているというか、さすがフランスだわ、という印象でした。田辺聖子がジョゼという名前や「一年ののち」を小道具につかったのも、理由があるはず、と思ったのですが・・・どうなんざんしょ。
2004/02/25(Wed) : スウ
バーバままさんこんにちは!
今日図書館で「世界の名作をよもう」みたいな本があって作家の顔写真とか載ってるのだったんですが、たまたまサガンの写真をみました。
うおーすごいおばあちゃん顔。なんだけど、少女のような表情でおめめくりっとしてるところがやっぱり彼女らしいというか・・
サガンはページ数が少ないという事もあり昔よく読みました。何冊も読んでるとどれがどれやら(^^;になりますよね(笑)>エロスとか愛に命をかけるというか生き甲斐としているというか、
そうそう、生活感がないからこそソレに浸れるというのはあると思います。
小道具に使われたのも・・きっと、読んでいただけると分かる部分があると思います。が自分はジョゼ虎見てないのでそのへんはごにょごにょ・・
ちょっと押し付けるみたいになりますが、その辺のところ含めて感想をお聞きしたいなあと思いました。2004/02/26(Thu) : テハヌー
スウさま、バーバままさま、こんにちは〜。横レスですが出遅れてます。すみません(^_^;)。
>さすがフランス
はい。サガンってフランス映画のイメージありますね。ある意味、恋愛=人生みたいな感じが。
恋愛に終始する様が確かに少女漫画的なのかもとも思ったりしました。
>小道具
田辺さんはサガンが好きだったのだろうなあと単純に思ってました。
小説の感じがなんとなく似てますし。
田辺さんのジョゼがサガンのジョゼに憧れていただろうことは『1年ののち』を読んでみてなるほどなあと思いました。
そんな訳で田辺ジョゼは田辺さんの好みと自身が投影されて出来たキャラなのかなと思ってます。
田辺さん自身が足が少し不自由とお聞きしたのでそれもあって。
以上はわたしの感想ですがバーバままさんはどんな風にお感じになるのか気になります。楽しみです。
>サガンの写真
ああやっぱり可愛らしい方なんですね。
素敵なおばあちゃんになってらっしゃるといいなあ。2004/02/26(Thu) : きな
うろ覚えなのですが・・・・。
サガンを読んだ田辺さんが、こういうのを私は大阪弁で書く!と決意した経緯を何かに書いていた記憶があります。
『楽天少女通ります』だったような。手元にないのですが、図書館で確認してきますね♪>サガンの写真
同じものを私も見ていると思います<スウさん。
老け方はやはりショックでした・・・。
でも、いまにも ほうきに跨って空を飛んでいきそうな感じが素敵でした<失礼。2004/02/27(Fri) : スウ
●テハヌーさんこんにちは!
思いがけずサガン話が続いていてうれしいです。ある意味 恋愛=人生 っていうのはそんな雰囲気はありますね。
生き方にも通じる・・。自由な雰囲気かと思いきや、たまにすごく古風な考え方が出てきて「お」と思ったりする事もあります。何かルールというか、基本ラインを守っている感じはします。(うーんアバウトな言い方だ;)
恋愛に終始しながらも、べたついた感じではない所が私は好きです。
田辺さんは足が少し不自由なんですか。即つなげるものナンですけど、やっぱりそういう部分が投影されている事は確実なんでしょうね。
私もみなさんの感想を読んでいて、すごく似た雰囲気を醸し出してるんだなあと思いました。テハヌーさんも読んでみてなるほどなあと思ったんですね。>サガンの写真
最初見た時はけっこうショックでした
若いころの写真しか見ていなかったので「うお年とった」というのが。
でもやっぱり昔美人だった面影はしっかりのこっていて、屈託のない表情・・
デュラスなんかと比べるとお嬢様がそのまま年取った、という感じがありありとするんです
(比べるのもなんですが、デュラスは昔からこんな苦労人な老けぎみの人、という感じがしまして・・)●きなさん
>こういうのを私は大阪弁で書く!と決意した
そうだったんですか!それでオリジナリティがちゃんしてる作品を発表してるなんてすごいです。
それにしても、大阪弁ってとこがまた味がでて成功の要因でしょうね。>ほうきに跨って空を飛んでいきそうな感じが
あ(笑)そそそそうかも〜わはは。魔法使いのコスプレがはまりそう(笑)ところできなさんもあの本ご覧になったんですか?タイトル忘れましたが「世界の名作」云々。
粗筋をイメージマンガ1ページで表現するという大胆な試み、すごいですよね^^;
実際に読む気はないけどどんなのか知りたい、というヒトにはいいと思うんですが、
最後のシメまであまさず描いているので分かった気になって
読む気を無くしてしまいそうな気がしました。
私は「レ・ミゼラブル」の所を読んで正月に撮っておいた海外ドラマ見る気が半減しました。とほほ。2004/02/27(Fri) : きな
title: ごめんなさい。ものすごく長いです^^;>タイトル忘れましたが「世界の名作」云々。
たぶん同じかと。←私もタイトル忘れているあたりがなんですが^^;
なかなかにトホホな本でしたよね(笑)ところで田辺さんとサガンですが、『楽天少女通ります』に、こんなフレーズがありました。
(以下引用)
「ただ文学作品で表現するときは大阪弁の表記に細心の注意を要する。
字や音(おん)にセンスのない人が、耳で聞いたまま表記したのではアカンのである。
一にかかって会話表記はセンスだ。字づらが美しくなければ方言の面白さは出てこない。
(中略)さてそういう大阪弁をひっさげて、私は<フランソワーズ・サガン>しよう、と思ったのである。
(中略)フランソワーズ・サガンの向こうを張って大阪弁で綺麗な恋愛小説を書いたろ、と思ったのだ。」
(第四章 夢の場所 神戸・奄美より)この『楽天少女〜』は、日経新聞の「私の履歴書」に連載されたものに加筆して一冊にしたものです。
(98年刊行・ちなみに第三章は「大阪弁でサガンを」←そのまま^^;)
これを読むと、田辺さんはサガンがお好きだっただけでなく、ライバル心を持っているようにも思えます。
一方またサガン作品が置かれている立場と、ご自身のそれとを重ね合わせて、
ひそやかに静かな怒りというようなものを抱いているようにも思えます。(再び引用)
「私は究極のところ、恋愛小説を書いている。(中略)地方弁は最強の香辛料だ。
おいしく味をととのえつつ、恋愛を通して人生を考え、発見をさせる、そういうものでありたいと思っている。
フランソワーズ・サガンが好きなのは、彼女の小説が美しい文体、やさしい風情の恋の中で、
人生の箴言を語るからである。(中略)日本でもサガンは愛されているが、
しかしほんとにサガンの小説に関心と愛をもつ人はどれだけいるだろう。
かつてサガンが来日したとき、ジャーナリズムの殆どが彼女の年齢や容貌ばかり書き立て、
その文学を語れるインタビュアーはいなかった。日本の男はサガンなんか愛しはしない。
日本男に多いのは、たけだけしい純文学愛好家で、救荒食のような、非常時用備蓄食品のような、
堅い、味に乏しい作品を好む。
手に取らば消えそうな、黄金色(きんいろ)のスープのひと匙のような、
サガンの味なんかわかってくれる男(ひと)は少ない。・・・いない、とはいわないが。」(第五章 楽天的人生)長々と引用しましたが、ここの「サガン」の代わりに「田辺聖子」と入れても通じるところがあるように思います。
田辺さんは、かつて芥川賞受賞後 大衆小説(中間小説)と言われるものを書き出した時に、新聞で次のように批評されたことがあるとか。
「田辺は純文学修業の辛さに堪えかねて大衆小説に走った」・・・時代ですねぇ<ため息。もっともサガンの場合は、他ならぬサガン自身が その若さと容貌とを売り物のひとつにしていたフシがあるのですが。
・・・というか、彼女には「サガンという作家」を演じている部分があると思います。サガンに限らず、田辺さんは アタマの硬い社会が「女子どもの弄びもの」としてきた様々なものや人を、大切に掬い上げていとおしむ文章や小説を いくつも書いていますね。
宝塚や、吉屋信子や、枕草子、源氏物語、杉田久女など。
『ジョゼと虎と魚たち』にサガンが使われているのも、そういう意味合いもあってのことではないかと・・・。2004/02/27(Fri) : バーバまま
おお! さすがきなお姉さま!
いや、実年齢はおいといて、やっぱりお姉さまです。きっぱり
ああ、やっぱり田辺聖子は並々ならぬ思いでジョゼという名前や「一年ののち」を使ったのですネ。田辺聖子の作品を、それほどまともに読んでないので、えらそー言えないのですが、うちで定期購読している文藝春秋に、戦前の家族の写真とともにエッセイを掲載しているのですが、それを読むと、ああ、この人の目というか切り口は、とても細やかで、やっぱり女性ならでは・・・
だけど、その女性ならではの細やかさも、たとえば向田邦子の抉り取るようなある種のいやらしさ、恐さとは一味違うセンスを持ってるなあ、と感じながら毎回楽しみに読んでいるのです。
サガンのことを
>手に取らば消えそうな、黄金色(きんいろ)のスープのひと匙のような、
と表現するそういうセンスなんだなあ。ふうむ。ジョゼ虎映画がなければ、ずーっと本棚の高いところにしまいっぱなしだったサガン、もう一回読み直してみようかしらん。
若いころわからなかった機微が、いまなら少しはわかるかしら。おほほ2004/02/28(Sat) : スウ
●きなさんこんにちは!
貴重な引用ありがとうございました。なるほど〜と思って読みましたよ^^大阪弁だから味が・・なんて何気なく書いてしまいましたが、田辺さん流の磨きあげがあったんですね。なるほどなあ〜
映画だったら耳に聞こえたまんまだけど、文章だと読むほうのセンスを問われるのか・・そこを何とかする訳だから、やっぱり売れっ子作家の技量ってすごいんですね。
関西弁というとなんとなく谷崎潤一郎を思い出してしまいます。かれの小説を読むとあとしばらく頭に残って、思考するときの言葉が関西弁になります。影響をうけるというより向こうを張って・・という言い方が大胆ですね(笑)
傑物だなあ。
> 一方またサガン作品が置かれている立場と、ご自身のそれとを重ね合わせて、
ほほう、その辺は田辺作品に全然精通していない私には初耳なニュアンスですが・・これはいよいよちゃんと読んでみなくてはなりませんね〜> ・・・というか、彼女には「サガンという作家」を演じている部分があると思います。
なるほど〜。まあ本人がどう思っていたにせよ(出版社とかが売り出すときの)
ウリとして「若くて美人」は利用しない手はない・・というのは全世界共通なような気がします(^^;
なにかとスキャンダルが多い人だったみたいですが、それも・・なんですかね。田辺さんはどうなんだろう。
関係ないけどサガンというと女優かと思われてた時期もあったみたいですね。> アタマの硬い社会が「女子どもの弄びもの」としてきた様々なものや人を、
> 大切に掬い上げていとおしむ文章や小説を
そうなんですか。だからサガンのような・・なんですね。うまく言えませんが、そういうものの味がわかる人でありたいです。●バーバまま様
> ああ、やっぱり田辺聖子は並々ならぬ思いでジョゼという名前や「一年ののち」を使ったのですネ。
そうですね。私もこんなに意識していたものとは思いませんでした。
女性ならではの細やかな切り口なんですか。なるほど・・
私もいつかいろいろ読んでみたいです。> サガンのことを
> 手に取らば消えそうな、黄金色(きんいろ)のスープのひと匙のような、
は、すごいセンスですよね。ほんと。> 若いころわからなかった機微が、いまなら少しはわかるかしら。おほほ
おほほ。私も(笑)
でも、たぶん若いころもそれなりに何か感じていたと思うんですけどね
忘れ果てた自分が悲しいというかなんというか。
でもこないだ「1年ののち」を再読したときには、思っていたより
面白かったです。<散々つまらないとか言っといていまさらですが(^^;
ストーリー的にはなんてこと無いのですが、一人ひとりの思いや織り成す関係性の味わいなどが、
恋愛経験のほとんど無かった十代のころ、年取ることについてなんの不安もなかった若い頃
には感じなかったものが分かるようになった気がしました。2004/02/28(Sat) : テハヌー
しかしなんだかものすごく長いスレに(笑)。 きなさま、貴重な情報ありがとうございます。
田辺さんは自分が感じた以上にサガンを意識していたんですね〜。
今『乱れたベッド』を読んでいる最中なのですが 劇作家になったエドワール君のことを少し覚めた視線で描写している中に創作者としての自分のことも少し入っているのではないかな、なんて感じました。
スウさまのおっしゃった「古風な、ルールを守った〜」というのもとてもよくわかる気がします。 たゆたっていても1本筋は通ってる感じといいますか。
確かにストーリーで読ませるわけではないんだけど 読みはじめると結構するすると読ませられてしまうのは やっぱり文章の上手さやセンスの良さということもあるのでしょうか。
ところで関西弁ってうつりますよね(笑)。
わたしは『ジョゼ〜』の映画の後 ジョゼの喋り方がうつってしまって中々抜けず、でした^^'。
2004/03/01(Mon) : スウ>創作者としての自分のことも少し入っているのではないかな
あ、それは私も「一年ののち」でベルナールが苦悩する所で思いました。プルーストを意識してるんですけど、サガンのインタビュー集(「愛と同じくらい孤独」)に一番すぐれていると思うのはプルーストの『失われた時を求めて』だと言ってました。(未確認ウロ覚えですが)
私は読んだ事はないですが、これもストーリー展開が無く読みづらい玄人ウケするものらしいですね。>たゆたっていても1本筋は通ってる感じといいますか。
そうなんですよね〜。上手い言い方ですねえ。ストーリー自体より文章の上手さやセンスで読ませるというのはすごい事ですよね。フランス語がわかるともっと素敵なんだろうなあと思いますけど(^^;テハヌーさんも関西弁うつりますか〜(笑)
私は方言全般うつりますよ^^
そんなのもなかなか楽しーですよね。