『生まれたときから「妖怪」だった』講談社 ほか
スウ(2004.8.27)●好きな事だけやりつづける― という事
私は最近水木サンに呼ばれているような気がする。
はじめは、雑誌のインタビューで若い取材者が「水木先生のように好きな事をムリせずやって生きたいです、見習いたい」というような事を言っていて、それに対して水木サンは「若いうちは必死で働かんといかん、若いうちに怠けていた人は年取ってからかわいそうなくらい貧乏になっている」と言った。
のほほんと生きているようで、水木サンは戦争から帰ってきてから猛烈に働き続けて今に至る。そのときは私は「会社をやめて少しのんびりしよう」と思っていた時期だったので水木サンの言葉に恐怖した。以来なにかフトした時にこの言葉が頭をよぎって焦燥感にさいなまれてしまう。
そして、忘れかけた時に某サイト掲示板で水木サンの話題が出て、水木サンのような方でも手塚治虫に嫉妬していたというようなことを知った。意外だった。という事でまたしても気になっていたところ、図書館で『ボクの一生はゲゲゲの楽園だ』という自分史マンガを発見したので読んでみた。アニメ以外で初めて水木サンの創作物に触れるのははじめてで、登場人物はデフォルメされているのに背景がやたら緻密で画面の濃度が濃い。変な言い方だけど絵がものすごく上手いのに驚いた。
普通の場面はマンガっぽいけれど戦争の残酷な場面などはすべてが劇画調ですごいインパクト。効果を狙ったというのもあると思うけど、経験者として簡単なマンガタッチでは描けなかったのじゃないだろうか。
という事で掲示板に書き込んだらきなさんにレスをいただいた。自分史マンガ、私は読んだことがないのですけど
>水木氏はどうも、妖怪とか霊的なものに守られて生命力が強い
これは本当にそうだと思います。荒俣宏に京極夏彦という、現世最強の助さん角さんもついていますしね(笑)
帰省中、その荒俣氏が書いた『水木しげると行く妖怪極楽探検隊』を読んでいました。
妖を祓うには妖をもって・・・っていやそのー^^;
それにしても、水木氏との旅行記って、これで5冊目。
足立倫行氏と、大泉実成氏の3部作と、この荒俣氏のと。
「○○さんと旅をしました」ってネタで5冊も書かれてしまう人って、やはり空前絶後かと(笑)
ほんと、いつまでもお元気でいてほしいです。なるほど〜これも面白そう、と思い図書館で探したけれど見当たらず、とりあえずスグにあった『生まれたときから「妖怪」だった』を借りてきた。
マンガを読んだときは「このままご自身妖怪になるまでお元気でいてほしいものです」
などと言っていたけれど、このお方は「生まれた時から妖怪」だったのだ。甘かった。確かに、これらの本を読むと、ものこごろついた時から「この世の不思議」に対して目を凝らし続け、目に見えないもの・ありえないと思われている事に敏感に感応し見逃すまいとし続けている人だというのが分かる。そういう視点を持ち続けていられる事自体がうらやましく思えるほどだ。
という事でこの本は自分史マンガとだいぶ重複するところもあったけれど、やっぱりかなり面白かった。
「人間、好きなことをやるために生まれてきた」といい、努力が報われるとか成功したいとか考えてもダメ、好きなことだけやったなら人生後悔しないよ、と言っている。それは、自分自身が好きなことしかしてこなかった性格で、収入と才能が必ずしも一致しない漫画家という職業を長年の生業としてきた水木さんだからこその説得力だ。睡眠と食事が第一で学校時代は遅刻ばかりしていたが、ハミダシっ子の覚悟と代償も知っている。真似しようとして出来るものではないと思う。
しかし「ひたすら好きなことだけしてなさいよ」という言葉はなんとなく元気が出る言葉でうれしくなった。さらに貸本屋時代、正義のヒーローものが一般的だったが、自分はそれをやる気にはなれなかったという。
― 正義というものは決してわるいものじゃない。燦然と輝く理念のひとつだ。だけど、キンキラキンに光っているものは、どこかウサンクサイとは思いませんか?私は、その気持ちが実感としてある。
このあと、"戦争とは国家・民族・宗教の名の下に相手をやっつけようとする事だと理解しているが、戦場で闘っている下級兵士にとって、食うのに・ガマンするのに・生きるのに精一杯で、「正義なんてクソ食らえ」だ"という様な言葉が続く。
これも、最下級の二等兵として従軍した人間が言うのだから実感がこもっているし、とても分かりやすく同感。この本を読んで翌々日くらい、ふとテレビをつけると水木サンのインタビューがやっていて驚いた。途中からだったけれどあら奇遇ね、と思いつつ。
「いま、全国で年間○万人の自殺者がいるそうです。どのようにお考えですか?」
「私にとったら、戦争で死んでいった仲間達の事を思うと「生きること」自体が重要で、生きるうえの苦労なんて何でもない」
何でもないどころでは無い苦労の連続だったとは思うけれど、結局「生きるか・死ぬか」本当の死線を目前にしながら生き延びた人の言葉は重い。本の中にも、
― 生きることに執念をもたねば、なんのために生まれてきたのだ、という思いが、私の心のなかにいまでもある。それを「生の肯定」などと表現する人がいるが、そんなコムズカシイことはどうでもええのです。うまいものを腹一杯食い、好きなことをやり、若いきれいなオネーチャンと毎日アレをやりたい。その気持ち、それが「生きる」ということだ。テレビで言っていた「怠けているふりして実は必死で働いている、だから水木サンはえらい」との自画自賛もかわいらしい。こういう発言をするのは、最初に書いた雑誌のインタビュアーみたいに「好きな事をのほほんとやって成功したい」と言われる事がすごく多いからかもしれない。
でも、水木サンは貧乏な貸本時代も主流だった正義ものを書かなかったし、雑誌漫画家になった初期のころ、得意分野ではない「宇宙もの」の依頼は断っている。貧乏で食えなくても断ったのだから、「好きな事だけやる」のが楽しいだけじゃないのも身をもって分かっているのだ。ひとの一生は雑務の繰り返しといってもいいが、そういう雑務・ツマラナイ人生の中でも、喜びを覚える瞬間があり、それが幸福への道なのかもしれない、というような言葉が、いま雑務が多くて好きなことばかりやっている訳にもいかない自分にはなんとなく慰めになった。
歳をとればとるほどボケて雑務から開放されていく、これからはもっと妖怪のことだけ考えて生きていけばいいとほくそ笑む水木サン。
私はまだまだ雑務から解放されるという訳にはいかないし、むしろこれからだ大変なのは、と思っている。最近では何をするにも腰が重いことおびただしいので、水木サンの事を思い出しては「立ち止まるな」と自分に活を入れている。それは、賃金をもらえる仕事といった事に限らず、いま自分の身の回りで出来ることを、あれこれ考えるより先に間断無くやっていこう、という気持ちだ。