テーマの小部屋 > 結婚・夫婦 

メンバーは女性ばかりなのでやっぱりこれは、興味深いテーマです。

  1. 『いくつもの週末』江國香織
  2. 『台所のおと』幸田文
  3. 『話を聞かない男、地図が読めない女』 アラン・ピーズ+バーバラ・ピーズ
  4. 『停電の夜に』 ジュンパ・ラヒリ
  5. 『16週』向井亜紀
  6. いし『恋愛と結婚に関する本』
  7. 『白い犬とワルツを』テリー・ケイ
  8. 『残花亭日暦』 田辺聖子

『いくつもの週末』江國香織/集英社文庫

まる(花日和vol.10より)
●淡々としながら、深い感情
江國香織さんが、夫との結婚生活をつづったエッセイ。
「ごはん」が特に印象的。
私は、自分の存在の第一義がごはんであると言われたような気がしてかなしくなった。
(中略)
「ないの」
私はこたえた。
「どうして?」
「つくらなかったから」
人の生活を覗き見るようなドキドキ感。憧れの江國香織さんならばなおさらです。淡々としながら、深い感情がそこにあって、皆に驚かれながら7年続いている、こんな風に誰かと暮らせるなんて。
彼女の小説みたいだなあと思います。 

『台所のおと』幸田文/講談社文庫

スウ(2002.10.25)
●これは、ほんとに名文だなあ
特に好きなのは、あきがくわいの椀だねを作るとき、天ぷらにしている音を病床の佐吉が雨の音と間違えるところ。
―さわさわとおとなしく火がとおる― のを、「久しぶりの雨だねえ、しおしおと。」
語感がやさしく心地よいし、雰囲気もいい。

長年料理人として調理場に立ち続け、前二人の女房とうまくいかず、20も歳がはなれたあきと一緒になって初めて、佐吉はすがすがしい台所の音をさせる女と夫婦になることができた。
それぞれ嫌な音・縁の切れる音を残した二人の女房のことを、佐吉の優しさ・情から、あきに思い出し恨み言や悪口など言ったりしないところも、しみじみといい。
――その夜、ほんとうに雨が来た。
(中略)
ああ、いい雨だ、さわやかな音だね。油もいい音させてた。あれは、あき、おまえの音だ。女はそれぞれ音をもってるけど、いいか、角だつな。さわやかでおとなしいのがおまえの音だ。その音であきの台所は、先ず出来たというもんだ。―
あきの台所仕事の音ひとつで、あきの心の微妙な動揺が分かってしまう佐吉。好きだの愛してるだのという言葉は一切ないのに、あきへの愛情がひしひしと伝わってくる。

この本は、夫婦・親子などについて新聞の読者欄のようなリアルなエピソードが連なる作品集です。ほかに、離婚したかった夫に病みつかれて、性格から看病や金策に奮闘する妻―『食欲』も、わがままな夫に対する妻の皮肉な気持ちでの終わり方がすごい。光っているものの孤独、という文章も印象的だった。

結婚式でしらけてしまったくどい祝辞が、夫婦の一番の支えになってゆく『祝辞』は、母親の
「――夢みたいにふわふわ喜んでいないで、どんなことがどう嬉しかったか、覚えておくといいわ。(中略)夫婦は年とっても、何度も不愉快をぶつけあったり、我慢しあったりするもの、そんな淋しい時に楽しかった記憶が沢山あるほうが、しのぎいいわ。」
という言葉に果てしないリアル感を覚えた。そして最後の夫の祝辞に思わず涙ぐんでしまった。

思いがけず盲目になってしまった、文学に携わる仕事をしていた息子の話『呼ばれる』は、不器用な父親に対する息子の言葉が感動的。こんな事を言える息子というのは、なかなかいるものじゃないでしょう。

名文ときいて読んでみると、すごくよかった。全編をとおして感じる事は、きりっとした居ずまいの女性、幸田文そのひとでした。

『話を聞かない男、地図が読めない女』
アラン・ピーズ+バーバラ・ピーズ/藤井留美 訳/主婦の友社

スウ (2001/11/23)
●生物的違いを認識
「男と女は違う。それこそ馬と桶ほど違う。」といったのは太宰治。
どっちが馬か桶かはおいといて、優劣ではなく、この「とにかく違う」部分を科学的データと調査、身近な例を挙げて解説し、違いを認めて理解しあいましょうというのがこの本。

云々言っているデータよりも、いくつも出てくる「身近な例」のほうがおもしろい。

ドライブ中に地図を見るのでもめるのは私たち夫婦だけじゃないんだなーとか、一回怒りのスイッチが入ると手が付けられないくらい全身で我を忘れて怒る、そのときの男の脳は「獲物に食らいつくワニ並み」とか、一般的に男が、女が髪型を変えたことに気づかないのはナゼかとか、いくつになってもテレビゲームやおもちゃが好きなのは私の夫だけではなくて、狩猟する・空間能力を使うのが好きな「男だから」だとか、父や兄や夫が、なぜテレビをつけたままで寝られるのか、私がちょっとの音でもすぐ起きてしまうのは、「子育てするとき赤ん坊の夜鳴きが聞こえるようになっているから」とか。

ウチだけじゃないのね、(ウチは逆だけど、という所もあるけど)と思い当たるフシがいっぱいで、いままでイライラしていた場面も「生物的違いだから」と自分を納得させることが出来るようになり読んで良かった。
そういう目で夫を観察していると、着替えの途中で話に夢中になっていつまでも上半身裸でいる場面も、「一度にひとつのことしか出来ないのが男」という文章が頭に浮かんできてまた楽し。

『停電の夜に』/ジュンパ・ラヒリ/小川高義 訳/新潮社クレストブックス

スウ (2002/5/17)
●しっとりと、味わい深い物語たち
ひとつひとつ読み終わるたびに深いためいきがでるような、味わい深い短編集でとても気に入ってしまいました。
激しい盛り上がりや派手なエピソードがある訳ではないけれど、ほとんどの話に共通する、「異邦人の視点」が非常にこまやか。ある種の「異文化交流」である「結婚」についても考えさせられる話が多かったです。(ので、このテーマ中に入れてしまいました)
絵画的な雰囲気を醸し出す細密な文章で、登場人物(少女・少年・中年男性・老婆 等々)の微妙な心情を描きだしています。

『停電の夜に』
夫婦の間の機微。それは、小さな隠しごと。思いやりで言わないこと。
隠すほどでもないが、無用ないざこざを生活に起こしたくなくてあえて言わないこと。
それを、停電の夜に告白しあう。夫は小さく浮きだった気持ちになり、次は何を言おう、などと久しぶりにときめきをとり戻しかけたと思っていたが…。

『病気の通訳』
観光客をのせたタクシードライバーが夢と妄想をどんどんふくらませる所もすごく面白い。最後の、猿がおごそかに見下ろしている場面はくっきりと目に浮かぶよう。

『ピルザダさんが食事に来たころ』
アメリカに住むベンガル人の一家の所へ、パキスタンから単身で働きに来ている植物学者のピルザダさんは、故郷が紛争の真っ只中で、家族の無事を確かめるためテレビを観に通って来ていた。
ハロウィンのためにカボチャの顔をつくっていて、ピルザダさんがニュースにショックを受けてしくじり、おばけかぼちゃの口はレモンみたいに「冷静にびっくりした」ような顔になってしまう・・・。
いちいち印象的な場面があって、これも最後がとてもいい。

『セクシー』
不倫のロマンスは結局誰かを、自分を、不幸にしてる。そのことに気づくキーワードが「セクシー」。最後の1ページはすごくさわやかで切なくて、何度も読み返したくなる。

『セン婦人の家』
セン婦人のほんとう家は、今住んでいるアメリカの家ではなく、生まれ育ったインドで、近所じゅうが知り合いのあたたかい家。新鮮な魚が毎日まるごとで手に入る土地。
これを白人の少年の視点で描いていてなんとも言えず・・・最後はやはり果てしなく切ない気持ちが襲う。
車の運転が出来ずにおびえ、ヘンな英語になってしまうセン婦人の言葉が痛ましい。
「ここの人、みんな、自分だけ世界にいる」

『三度目で最後の大陸』
インド、イギリス、アメリカと、三大陸に住み渡って来た父は、宇宙飛行士よりも息子に自分を誇れることがある。自分でも驚いてしまうくらいの、それは偉業だ。
読み終わって胸が熱くなる、すばらしい短編。老婦人との交流の妙味と共に、夫婦が夫婦として親しくなる瞬間を描いてすがすがしい。

『神の恵みの家』
彼の気持ちは非常によく分かる。彼女がそれを好きなことがいやだ。でも、彼女のことを思うとなぜかせつなくなってしまう。
小説の中に書いていないが、彼女の気持ちもよーく分かる。彼の事を口うるさくて人目を気にする小さい人ね!と思ってしまう。うきうきするような発見がいっぱいあるというのに、何をそう気にしているの!と。
料理に関して、この二人とほとんど同じ会話を私もしたことがあるし…。

でも、私だったらこんなに彼が嫌がっているものを無理に置きたいとは思わないだろう。
結婚生活はある種の「異文化交流」であるので、どちらが正しい・悪いという事は無い(と思う)。そこをどう折り合いをつけていくかは、結局相手をどれだけ思っているか、思いやりが持てるか、ということのような気がした。
そういう妙味を小説にしているというのが、とても新鮮で上手くて面白かった。

その他 2編。

「ピルザダさんが食事に来たころ」の「冷静にびっくりした顔のカボチャ」 に挑戦


しかし描写に忠実にしようするとこんなことに。「満面の笑み」にしか見えません・・・
そしてミカン寸前。

『16週』向井亜紀

めろん(花日和 vol.10より)
●愛されていることが伝わってくる本
ガンであることを告白した記者会見が印象に残っていたので手にしてみました。
一気に最後まで読んでしまいました。
病気になり、つらい選択をせまられても、明るさを失わない彼女に感激。巻頭の写真も、胸にくるものがあります。
夫である高田氏をすごく愛し、そして愛されていることが伝わってくる本です。


●恋愛と結婚についての本 いろいろ

いし(花日和 vol.11より)

ちょっと恥ずかしいお話ですけど…男性との縁のなさは天下一品と謳われ(?)、誰も敵わないと自負してきた私に、このたび結婚話が進む事態になっています。結婚に至るまでにはまだいろいろありそうですが、こうなってくると読書もなんだか影響を受けている気がします。

例えば恋愛小説を読んでいると、自分にも相手が存在するので、どんなものであっても何となく自分に跳ね返ってくるものがあります。
『A2Z』山田詠美著(講談社)を読んで、こんなおしゃれな夫婦っていないなあと思いつつ、夫婦の機微とでもいうものを考えさせられたり、『ローマの休日』イアン・マクレラン・ハンター,ジョン・ダイトン著/池谷律代訳(ソニー・マガジンズ)を読んで、一日だけの、結ばれることのない二人でも、永遠の信頼が築けるのだなと考えさせられたり。あるいは、もっと普通の『無印結婚物語』群よう子著(角川文庫)も、一つ一つのお話に笑っておきながら、自分だったらどうするだろうとついつい考えてしまうのです。
私にとって、自分の手に届かないものを別次元のこととして味わうのが小説を読む大きな楽しみなので、ちょっぴり複雑です。

影響を受けた過去の本も思い出したりします。相手もなく、結婚することが現実的でなかった時分の方が、かえって深刻に考えて、結婚に関する本をいろいろ読みました。そして、なぜ考えすぎるほど考えてしまうのかを教えてくれる本も見つけました。『ウェディング・マニア』香山リカ著(筑摩書房)は、数少ないそんな本でした。

結婚が「目の前にそびえるエベレスト」みたいに難関に感じる心理。それは、仕事や学問の世界で成功した女性たちにもあるといいます。「世の中のすべてのことは、私にとっては簡単。でも、結婚や出産のハードルだけはどうしてもクリアできない」と思っている人が少なくないとか。

ほんの少し前の世代まで、結婚は誰でも当然のようにするものだと考えていたといいます。それは「学校を卒業したから就職する」のと同じような感覚で「エベレスト」とは程遠いものでした。しかし、今多くの女性が、自由で選択肢の多様な人生の中で結婚を「自分にとってどういうものであるか」「一人の人間として必要なのか」という抽象的な深いレベルまで立ち戻って考えることになっています。私がそんなに深く考えたかどうかは分からないけれど、このことは理解できると思いました。
結婚が難しい、分からない、と感じるのは、要するに自分自身のことに問題が潜んでいるとありました。さらに、自身の悩みや迷いは、抽象的であるより具体的であるほうがプラスになる、と。最後の一言は今になって、読み返してみて初めて分かりました。

結婚が気になっていたときより、結婚が具体的になったほうが、たくさん問題があるように感じます。でも、それはどれもエベレストではなく、どうにか登りきれそうな山に見えます。これからもきっと、現実的でないほど気になって仕方のない心配ごとも出てくるとは思うけれど、そのときはこの本に立ちかえってみたいと思います。

スウ (2002/02/18)
●エベレストか〜
いしさんのコレを読んで、うーんなるほどなーって。結婚する前は「難関」っていうか、やっぱり自分自身の考えすぎとかですごい大きく捉えていたけど、してみると思ったより大変でもなかったし、やっぱり案ずるよりなんとかってやつかしらね。
でもそう考えると、高校受験とかも受ける時はむちゃくちゃ不安だったけど過ぎてしまえば何てこと無かったし、やっぱり新しい世界に踏み込もうって時にはそれなりの気構えがあって、考えすぎると踏み込めなくてそこにあるはずの楽しいことや良い事も逃しちゃうんだよね。きっと。
でも何にせよ、お見合いすらせずあったその日が結婚、みたいな時代ではないことは幸せですよね。やっぱり。

『白い犬とワルツを』/テリー・ケイ/兼武 進 訳 /新潮文庫

スウ (2002/7/2)

●ファンタジーでも大人の童話でもない

「あなたにも、白い犬がみえますか?」などという宣伝文句はちょっと的外れのような。
「白い犬」が派手さの無いストーリーの牽引役として読者を惹きつける役割をしているけど、白い犬がどうのという話ではない。
私が良いなーとしみじみするのは 老人サム・ピークが若い頃の甘い・苦い 思い出を、追想したり夢に見たりする場面。

 こんなに美しい人がいるなんて、と思った妻との初夜。
 妻のコウラにひきあわせてくれた親友マーシャルは、第一次世界大戦で亡くなった。
 最初の息子はヒッチハイクで乗せてもらったトラックの交通事故で死んだ。だから彼はヒッチハイクの若者に車を止めてやる事が出来ない。
 お気に入りの川のほとりでプロポーズした時の、彼女の、褐色の宝石みたいな瞳。

人生で一番美しかった瞬間の夢から覚めたとき、自分の体は思うように動かず激痛が走る。ひとが歳をとるとはこういうことか、と思い知らされるようだし、甘い夢から現実に戻った瞬間の絶望感を知る人には実感として迫ってくるものがあるだろう。

いいことでも悪い事でも、思い出・体験といったものが無ければそのひとの人生はまったく薄っぺらいものになってしまう。
その意味でサム・ピークの人生は幸せで充実したものだったと思う。
このお話はファンタジーでも童話でもなく、最後まで妻の面影を忘れることなく生きた、ひとりの実直な男の「人生の物語」という気がする。
私もいつか、夫の美しい思い出のひとつになれるといいのだけれど・・・。今が過去になってゆくことを考えた。

『残花亭日暦』/田辺聖子/角川書店

きな (2004/花日和vol.16より)

「遠き人を北斗の杓(しゃく)で掬(すく)わんか」

この川柳は橘高薫風(きつたかくんぷう)の作。本の中にも出てきます。平成13年6月から平成14年3月までの、田辺さんの日記です。淡々と日々の暮らしを綴ったこの日記は、同時に最愛の夫を看取り、見送る記録になってしまいました。
96歳の母と、病に倒れた夫の介護、加えて仕事。その中を田辺さんは明るく朗らかに進んでいきます。いえ、「明るく」していなければ負けてしまうから。負けるわけにはいかないから、なのでしょう。

そんな田辺さんに〜かけがえの無い女である田辺さんに〜、先に逝く夫はある「ことば」を残していきます。やさしいやさしいことばを。共に人生を生き抜いてきた人に、最後に残した「ことば」とは。ぼろぼろ泣いてしまいました。
日記の初めの方では、ご主人を「パパ」と書いている田辺さん。それがご主人の病が重篤になったある日、表記が「彼」へと変わります。

そうなんだ。彼には(パパというより”彼”のほうが、もっと近しく感じられる)何より大事な人生信条がある。

田辺さんの気持ちが切なく、心に深く残る一冊でした。
私たち夫婦にも、いつか必ずやってくるその日。もしも選べるものならば、「見送られる」のではなく「見送る」方を選びたいです。ひとりになった夫の背中を想像したくないのです。


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