●ノリノリの大仰さがステキ
人の生死や運命をも左右する「謎の本」が出てくる話では、恩田陸『三月は深き紅の淵を』や、よしもとばなな『N.P』を思い出したけれど、これは国の存亡を左右する本、というのだから大きく出たもんだ!とワクワクした。(しかもターゲットはナポレオンだ)
豪華な装丁も、重くても上下巻に分けなかったのも、この「物語」の為のこだわりという感じがした。この物語の中に入り込んで、モノとしての一冊の本と向き合うことを迫っているような。
語り部ズームルットが甘い蜜の舌で言うこの場面が本当にゾクゾクした。
「聴きたい者のまえには いずれにせよ、私は姿を見せるのです」
「あなたが?」
「物語が」
それにしても!蛇のジンニーアはなんでこんな変なことば使いなのだろう?
邪神としての威厳もなにもありゃしない。爆笑したからいいけどさ。
「こりゃアーダム」とか、
「―とうとう、そのちんぽこに授けることができるわ。さあ寝ましょう!」って!
いよいよ契るというときなんて、爆笑悶絶した。
「ああ、もったいないことでござります!」
「いえ、どういたしまして」
・・・
それまでのシリアスで神秘的な話のイメージが一挙に崩れ去った。(でも後でこの口調で良かったのだ、と納得してしまったけれど。)
"分析不可能な美しさ"の青年アイユーブ、世にも醜く全てを呪うアーダム、銀色とも言える色素欠乏の美青年ファラー、出生の悲惨さにしては陽性の性格と美しさを持つ青年サフィアーン、そしてその誰もが類い稀無き容貌を利用し、謀(はかりごと)をめぐらす所が見物。言葉の限りをつくしたそれぞれの美醜の描写も驚嘆した。
アーダムよりファラー、ファラーよりサフィアーンの話の方が私には面白く、これは一級のエンターテイメント作品なのだなあと思った。
その語り口も、話が佳境になるにつれてどんどんノリノリの大仰になってゆくし、それがまた面白くて漫画的な感じもして楽しかった。ちょっと『王家の紋章』のノリにちかい、と思った。
掲示板「アラビアの夜の種族』談義〜 2003/01/27 ●スウ ●きな あの・・・古川さんの本、2冊読んだところで気がつきました。 ●スウ ●あるぷ ●スウ 2003/01/28 ●スウ ●八方美人男 意図的に難しい表現を用いているのも、「文字」による表現でその意味が固定されてしまうことへの叛逆、という意思があるのだろう、と思います。もっとも、その試みが必ずしも成功しているわけではない、というのは『アビシニアン』を読んで私も感じたところです。 『アラビアの夜の種族』は、あらかじめ「The Arabian Nightbreeds」の「日本語訳」であるとし、「翻訳がこの世界の雰囲気を壊していなければいいが」と前振りまでおこなっている。こうしたお膳立ての上に成立した物語だからこそ、違和感のある表現も逆に物語の雰囲気として昇華されている、と個人的に思っているのですが・・・。 『アラビア〜』以外の作品は、どれも現代が舞台なので、その分違和感が目立ってしまうのかもしれません。 2003/1/29 「日本語訳」とした件は、最後までそう思って読むのと、ギミックだと分っていて読むのでは面白さが違ってきたような気もして、知らなければ良かったという気がしないでもないです。その意味で著者の意図は当たっているし上手いなあと思います。 『アビシニアン』も読んでみたいですね。猫顔の表紙を見てしまったので…うずうず ●きな >「文字」によって固定されることのない「変容する物語」というテーマを根幹に持っているのだと感じました。 古川さんのテーマの中には、「私たちはどこから来てどこへ行くのだろう」というのもあるように思えます。 ●スウ |