テーマの小部屋 > ダークな話

けっこう黒々しい話というのは面白いです。単なる暗い話、という訳じゃなく・・。

  1. 「香水」パトリック・ジュースキント
  2. 「悪童日記」アゴタ・クリストフ
  3. 「ふたりの証拠」「第三の嘘」アゴタ・クリストフ
  4. 「雨」サマセット・モーム

『香水』パトリック・ジュースキント/池内紀 訳/文藝春秋

スウ(花日和vol.14)

●おそるべき匂いオタクの一生
「匂い」というものをこんなに意識したことが無かった。
並外れた嗅覚を持っているという事は、未来・過去が見える、壁の向こうに誰が、何があるか分かる、繁華街から離れた閑静な住宅街にいる美少女がわかる。ものすごい能力だ。そして、その能力の持ち主自身は全く体臭が無いという。それがどんな意味を持っていくのか、が見どころ。
翻訳もミステリアスな雰囲気を増長するシニカルな語り口で、ダークな雰囲気に拍車がかかって非常に面白かった。

この主人公(グルヌイユ)の、あらゆる匂いを嗅ぎ分ける才能、香りを抽出する技術を持ってすれば、何でも思うままになる。
その「思うまま」という部分が一般的な感覚とは全く違うだけに、「この人一体何がしたいのよ!?」という疑問で気になってしょうがなくてどんどん読んでしまう。

人を自分の思いのままにあやつる狡猾さを持っているのに、それを自分の基本的な生活、衣食住のためにすら使わない。望めば香水調合師として大金持ちにも、香水界の歴史に名を残す地位や名声も手に入れられる。香水界じゃ無くたって警察犬以上の働きで探偵なんかもできるかもしれない。でも彼の興味はそんな所にはない。ただ自分の望む「匂い」を追求し、熱心に段階的に技術を習得する・・と言えば聞こえはいいが、それに好感を持てることは決してない。

嫌な匂いの人は嫌われるけれど、「体臭が無い」者がそんなにも無意識の不安と嫌悪感を人に与えるものなのかと驚いた。もちろんこれは作り話と分かっていても、グルヌイユ以外は嗅ぎ分けられない匂いだと言われれば納得させられてしまう。

物語として一番すごいと思った所は、グルヌイユに関わり美味しい思いをした人間のほとんどすべてが、ことごとくグルヌイユの意思とは無関係のところで破滅的な死に至る、という部分。
手始めは生まれて来た瞬間自分の母を、次に乳母、次に親方。遅いけどやっとここでそのパターンに気づいてもの凄くびっくりした。
このグルヌイユが芯から悪の権化、と感じる恐ろしい場面だった。 


----以下ネタバレ蛇足です-----

●アントワーヌ・リシとの対決

 "この孤独なダニにして、稀代のひとでなし" に対抗できそうな唯一の人だと思ったのだけど、結局彼もグルヌイユの敵ではなかったことが残念だった。
こんなに、主人公がやろうとしていることが不首尾に終わって欲しいと思ったことはない。

●グルヌイユは何故死にたくなったのか

この人は「愛情」が無い変わりに唯一確かな感情として「憎悪」がある。そして刑執行の時・自分の望みが達成できた時に、初めて「憎み合いたい」と切に願うがその望みは叶わない。

―― まさに一度だけ、まさしく初めてのことだった、ありのままの自分を受けとってもらいたい。自分に唯一まことの感情である憎悪に対して、しかるべき返答をもらいたい。――


観衆の愛すら自分の作った匂いの為であり、自分自身を求められたわけでは無い。それは自分にしか分らない。憎み切ってももらえない。
その事が彼を絶望させ、疲れさせたのだろうか。
・・とまじめに考えてみるもやっぱり終わり方は「は?」という感じだった。


『悪童日記』アゴタ・クリストフ/堀 茂樹訳/早川書房

スウ(2004.2.6)
バーバままさんのMyTop3に入っていたので読みました。

●非情な誠実さ
タイトルだけ見ると「いたずら小僧日記」ともとれるけれどそんな生易しいものではなく非常に黒々しい。
第二次世界大戦で大都市から田舎の祖母の家に預けられた美しい双子の少年たち。
彼らは常に「ぼくら」として生きていて、決して分かれて行動しない。
暗闇に伸びる毒々しく美しい花のようなイメージのふたり。

まだ乳歯の残る彼らが、単なる悪意や子供のわがままによって行動しているのではなく、「ぼくら」の価値判断の基準、生きる為、非情な誠実さによって事にあたり成長してゆく所がすごい。
最初に舌を巻いたところは、作文を書き互いに評価を下す、内容は真実でなければならない、というルール。

―もしぼくらが「従卒は親切だ」と書けば、それは一個の真実ではない。というのは、もしかすると従卒に、ぼくらの知らない意地悪な面があるのかもしれないからだ。だから、ぼくらは単に、「従卒はぼくらに毛布をくれる」と書く。
ぼくらは、「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、「クルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は精確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。「クルミの実が好きだ」という場合と、「おかあさんが好きだ」という場合では、「好き」の意味が異なる。前者の句では、口の中にひろがる美味しさを「好き」と言っているのに対し、後者の句では、「好き」は、ひとつの感情を指している。
・・・つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

そして実際にこの物語(日記)は「ぼくら」が常に見聞きし手廻しした事のみを忠実に、記録映像でも見ているように描写する。彼らの口からは決して「つらい」だの「悲しい」だの、「ひどい」などの言葉は出てこない。そういうほうが、却って感情を揺さぶられる場合がある。

3部作らしいけれど続けて読めるかな?このほんの子供だった頃が確かに一番面白そうだし・・と思っていたら、それまでこの二人と読み手とでのみ積み上げて来たかにみえた絶対の真実をあっさり裏切って、絶対思いつかなかった終わり方でパツンと付き離されてしまった。続きを読まないわけには行かないじゃないの。


『ふたりの証拠』〜悪童日記・2作目

スウ(2004.2.6)

あんまり詳しいことを言ってしまうとネタバレになってしまうので珍しく抑えておきます。

最初に名前が出てきてびっくりしたほかは、あの驚異の「ぼくら語り」ではないため普通の小説という印象。
接する人々から、その時代の厳しい世相、困難な人生の数々が浮き彫りにされてどんよりと気が沈む。
というかあまり面白くはない。なぜ長々とこんなエピソードを聞かされなくてならないのだろうと思っていたら、小爆発のための伏線だった。しかし終幕にさらに衝撃爆弾が炸裂。おみそれしました。
確かに、周囲の人の態度がはおかしいなあと思っていたけれど。
これですっかり終わってしまってもそれ程文句はないけれど、まだ続くというなら必ずや読まねばなりません。


『第三の嘘』〜悪童日記・3作目

スウ(2004.2.25)

恐るべき三部作だった。
確かに救いが無い。一般の倫理常識に照らすとまったくの闇。
けれど彼にとってだけは、これが一抹の救いだったのだろう。
最終的に彼が望む方向へ事が運んだことになった訳だから。いつか家族4人いっしょになるという方向へ。

彼はほんの少しでも前向きに物ごとを捉えて、多少の楽しみを得つつ生きることだって出来たはずだ。
でもそうせず、一切の望みを持つ事無く固い負担のなかに自分を押し込めてしまった。
はたから見ればちょっと愚かしい事かもしれないが、そのほうがラクというか、そのことによって自分を保ち生存し続けるということはあると思えた。長い歳月を苦痛だけで生きた者にしか分らない感覚なのかもしれない。
『ふたりの証拠』も『悪童日記』も暗澹たるものではあったが、どこかにしたたかさがあり現実味が薄い部分があったのでそれほど辛くはなかった。でもこの現実は、なんだか一番つらい。
50年という長い時間を与えたことが、「取り返しのつかない人生」のどうしようもなさを見せつけられたような気がした。

『悪童日記』がすごく完成度が高かったので、続きはつけたしみたいなものかなと多少なめていたらとんでもなかった。
こういう手法にやられたとか結局事実はどうだったんだとか、さいごはそんな事はどうでもよくなっていた。書かずにはおれなかった、自分を絞りだすように書いたと思われる内容に気持ちを奪われていました。


『雨』サマセット・モーム/新潮文庫

スウ(2003.9.19)

●男のサガなの?

これは男性ならばどう思うのだろうか。
あまりに極端なので"同じ男"の話とは考えないのかもしれない。

放蕩な女を絶対許さない宣教師夫妻と、マクファイル博士夫妻は熱帯の「雨」に閉じ込められ立ち往生する。
一緒にいるのも許せない女とひとつ屋根の下で・・

降り続ける雨が人の心をおかしくさせるという雰囲気を出しているのだけど、それが宣教師の行動に直結しているという実感はあまりしなかった。でも、去年夏休みの出先でずっと雨だった時の感覚を思い出した。朝起きるたびに「まだ降っている」というどよんとした感じ。絶望というほどはっきりしたものではなく、ただ、うんざりする。
地味に地味に、しめあげられる感じ。
"原始的自然力のもつ敵意"とあったけれどまさにそんな感じだ。

このお話は宣教師だけでなく「男って・・」とあきれるような場面が多々見受けられる。マクファイル博士にしても、この女があわれというよりは、宣教師に対するむかっ腹によって談判に行っているし、宣教師の死を彼の夫人に告げる役目も「私が」といっておきながら自分の奥さんにさせている。あんまり関わりたくない、結局のところどうだっていいのだから。
でもマクファイル博士が女を守ろうという熱血の人だったらこれは全然違う小説になってしまうわな。

この冷静な目で呆れながら宣教師を見る視点が、雨がじとじと降り続ける雰囲気とよく合っていた。



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