●まじで、コーフンした
私はふだん、想像力が乏しいためかこまかい自然描写を読むと退屈してしまう。
だから、自然描写がすばらしいというこの本の前評判を聞いて、淡々とした地味な話かと思っていた。
そうしたら まあとんでもない。
なんて激しい心の葛藤、熱くてめまいのしそうな、文字通り嵐のような、官能。
ある過疎地の小さな集落で、3人だけの子供。秋(しゅう)とれい、そしてたったひとりの女の子であるなな。
幼年期から思春期にかけての奇妙な三角関係--- と聞けば、なんとなくよくある話のような気がしてしまうのだが、平凡さは感じないし、良い意味で読み手を裏切り続ける流れになっていて、中盤から目が離せなくなり、最後まで一気に読んでしまった。
むせるような自然の、山の中、氷の上、湖の底、漆黒の夜 に閉じ込められた世界が、感覚的な痛みや冷たさ、残酷さを際立たせ、脆いこころを生々しく浮かび上がらせる。読んでいて、息がつまるような感じさえする。
しかしなんだかんだ言っても一番面白いところは、物語の語り手である僕、「れい」が愛情に目覚めてからの滑稽なまでの葛藤の日々。
この話を自分が思春期の時に読んだらまた違う感じがしたのだろうと思う。
「はじめての官能」というものが、どれほど甘くせつないものか、それを夕刻の嵐のなかにこれほど衝撃的なカタチで描ききるとは。
まじで、コーフンした。
(といってべつにエロ小説ではないのよー。念のため)
その後の『首飾り』談義 〜掲示板から〜 ●くら (2002/6/3)●スウ (2002/6/3) 『月の裏まで走っていけた』ほんと、いいタイトルですね。 この雨森さんってひとは これと2冊だけなんでしたっけ?興味深いですね〜また読みたくなってしまう。 ところで『首飾り』の装丁の絵を書いているのが おおた慶文さんというのも驚きでした。 少女画で有名なひとが、あえて、でしょうか、赤い葉の絵。 少女の絵だとどうしても「なな」をそのイメージで読んでしまいそうな気がするので、そういうのを避けたかったのかなーとか勝手に思いましたが。 だとしたらすごくこの本をつくる事に対する誠意を感じます。ほんと勝手な空想ですけど(^^ゞ ●八方美人男 (2002/6/4) 大人になる、ということ、自分も、相手も永遠ではけっしていられないことが、こんなに哀しく、そして美しいものなのか、ということを感じさせる作品ですよね。 れいの葛藤はたしかに滑稽ではありますが、それでもなお、しめつけられるようなものを感じさせるのは、著者の力量でしょうね。 雨森零さんには、もっと作品を書いてほしいと思わずにはいられません。 >装丁の絵を書いているのが おおた慶文さん そうなんですよ。私もそれを知ったとき、意外に感じましたが、逆に子供とかを書かれてもそぐわないような気もします。 あの落ち葉は、何かが終わる瞬間(とき)、というイメージでしょうか。 |
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