『父の詫び状』向田邦子/文春文庫

スウ (2012.2.24)

主に著者の子供時代の思い出、特に父親に対する心情が印象的なエッセイ集。

向田邦子さん、当時48歳という年齢のわりにひとの死に突然行き当たる事が多いような気がした。
小学生の頃弟の友人の母親、学生の頃の先生や、自分の父親は60代の若さで、先輩の脚本家や行きつけの店の若くて可愛いウェイトレスまで。
著者自身、子供の頃肺結核で、東京大空襲も、後年乳がんすら生き抜いたというのに突然の飛行機事故で急死してしまった。不思議な運命を思わずにはいられない。しかし生前はひとの何十倍も濃い生き方をしていたのではないかとも思える仕事ぶりも伺える。平凡な言葉で申し訳ないけれど、太く短く生きたのねえ。

この本のタイトルになっている「父の詫び状」とは、保険会社の支店長として夜自宅で接待することが多かった父の客が、玄関で粗相をした吐瀉物の片付けを長女である著者が怒り心頭で行ったことに対する父親からの(下宿先への)手紙である。
その時には何も言わず、というより何も言えずだろう、寒い玄関でわが娘が掃除しているのを後ろから裸足で見続けているのみだった父親が、手紙の終わりのほうに「此の度は格別の御働き」という一行にそこだけ朱筆で傍線が引かれていたという。
いつも怒鳴っていばり散らしている父親の、滑稽な不器用さに思わずくすっと笑ってしまう。
わるい人ではないのだ。
子供の頃には憎らしいさえと思っていた父親の傍若無人な振る舞いも、大人になって考えれば懐かしい思い出、それもある程度成熟した年齢になっているからこそ分かるものだ、というのが端々に伺えてたのしい。

こういう我儘な夫を支えて、時には子供を守り、朗らかに家庭運営を行っていたお母様はすごい。
私だったら、というか今どきの奥さんでこんな強さを持ちえる人はなかなかいないと思う。しかし自分の思い通りにならないと怒鳴り散らすという男は多分たくさんいるのだから困ったものだ。

東京大空襲直後に一家でやけくそのように天ぷらを食べまくった話も印象的だった。
さほど昔というわけじゃないけれど、今とは違う日本人の暮らしぶりや考え方がわかるところ、時代は違えど家庭生活には普遍的な所もあり、自分の子供の頃の思い出もどんどん湧き上がってくるのも魅力で、見どころの多いエッセイだと思う。
これを最高傑作のように文庫本のうしろに書いてあったけれど、そんな言い回しは著者が気恥ずかしがりそうだしそぐわない気がするのでやめておいてあげて欲しい。


ここは蛇足・・・日本語の豊かさに楽しい気持ち

―つい先だっての夜更けに伊勢海老一匹の到来物があった。

という書き出しから気持ちをつかまれてしまった。
簡潔に、するっと抜けるようでいてはっきり何があったかが頭に浮かぶ。
これからどういう展開になるのかついつい読みたくなってしまう。
大げさにわざとらしく引き込もうとするのでない自然さもいい。

それに、「到来物」という言葉も自分は日常あまり聞かないけれどもなんだかいい日本語だなあと感じた。何故だろうと考えたら、「もらいもの」「いただきもの」という言い方は何処かにへりくだった意味が混じるけれど、「とうらいもの」という言葉には「物がやってきた」というさっぱりした響きしか無い。

という風に、ふだんあまり意識しない日本語がちゃんと漢字で書いてあった幾つかが目をひいた。
玄関の「たたき」は「三和土」って書くんだ。
ああートイレは「ご不浄」ね。
「おやつ」は「お八つ」って書くんだ。語源はなんだろう。とか、
「掏り」(スリ)という字は「り」も漢字であったんだ。パソコンで出てこないよ。
などなど自分の無学を思い知りつつも、ちょっと前の世代のかたは子供の頃から難しい漢字を普通に書いていたんだろうなあと。

 


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