『文章作法』 本多顕彰/社会思想社
スウ (2011.9.13)吉祥寺の古本屋でちょっと立ち読みして店内で思わずプッと笑ってしまった。
笑ったといっても面白エッセイ等ではなくれっきとした、当時法政大学名誉教授の文学博士がマジメに一般的な教養としての文章の書きかたを指南している本。現代教養文庫とある。昭和34年初版で、この本自体は51年発行45刷。よく売れた本なのか、それともその時代はこういう本も普通に売れていたのかなと思う。
冒頭「へたな文章」というタイトルで学生の手紙のダメさ加減をバッサバッサと切りまくり、挙句の果てにはこんな学生がラブレターを書いたら、もらった女学生はおそらく
「こんな退屈なおしゃべりをするロバと一生をつれそうことを断念するであろう」とまで言う。
非常にこの先生の本音とか人間性が炸裂していて、単なる指南書とは全然違う面白さを感じさせてくれる。そんな本多先生曰く、「いい文章を書くためには、いい人でなくてはならない」
「小説家でも手紙を書く人でも、心情を吐露しないでいいものを書くことはできない。書く人にとって真実であるところのものをおしだすときにのみ、いい文章となるのである。」とのこと。真剣にものを書いていれば、いやでも自分が出るもので、それを隠したり出し惜しみしていたらそれはそれなりのものというのはすごく分かる気がした。
で、この本もけっこう著者自身が出ているからこそ、読み応えがあって面白いんだと思う。
他に大事なこととして「書くからには他人にわかるように書かなくてはならない」。
当たり前なのだけど、これブログやツイッターに慣れちゃうと疎かになってしまうものではないだろうか。
自分の感情を重視するあまり、説明を欠くと結局他人には伝わらない。読む人のいない文章は無意味である。と言われると、とても耳が痛い。
自分のHPの感想文を読み返すと、説明は要らなくて感想だけ書けばいいや、と思っていたものが多くて、数年後読み返すと自分にすら分からないといった有様で恥ずかしく反省もするし、なんだかせっかく書いたのに勿体無い気もしてしまった。
感想だけ書けばいいや、と思ったのはこんな弱小サイトそんなに見る人もいないし自分のナマの気持ちをそのままストレートに記録しておけばいいのだという考えからだったけれど、読み返して自分にも伝わらないんじゃしょうがない。これから、そういう事を踏まえてまた感想文を書いて行きたいなと思わせてくれた。ところでこの本、技法に関することだけじゃなくて、例文の引用がふつうに読み物として面白い。
トルストイ、夏目漱石や寺田寅彦、芥川龍之介、森鴎外の妻への手紙など、様々な文豪のエッセイや手紙、小説の書き出しなどが出てきて、その前後関係の説明もきちんとされている。特に著者が中学生の頃、夏目漱石の弟子だった野村伝四に習った頃のエピソード等も興味深く、そういう点でもとても面白く良い本だった。