謡いとお経

 隣町の謡の会に出掛けて行った。そこには昔の勤務先の顔見知りもいて、居心地は悪くない。亡くなった会員の謡曲本を分けてもらった。近隣の町から集まってきているようで、特定の師匠に習った人が集まっているわけではなさそうだ。喉に自信がある人達ばかりで、あちこちの謡の会を掛け持ちしてしている。
 全員の地頭を聴いたわけではないが、大ノリでヤヲの間を無視するのが皆さん共通している事に驚いた。ノリ切れないブツ切れのリズムで謡うのが身に付いている。少なくともこの辺りでは私は少数派だ。大ノリをキチンと教えない能楽師がどのくらいの割合でいるのだろうか。

 もし素人がプロの謡いに近づくとしたら、大ノリが最も近づき易いのではと思う。平ノリや修羅ノリ、サシなどの拍不合謡いでは難しいだろう。これらは後述の通り、習えば習うほど奥深さを感じる。一方大ノリはわずかな努力でプロに近づけるのだからもったいない事だ。
 謡曲原論というある名誉師範が書いた主張には、素人でも大ノリと修羅ノリくらいはリズムに合わせて謡えるようになって欲しいとある。同感だが、最低でも大ノリはと言いたい。
 だからといって他人の謡いに直接口出しする事はない。ここは互いが楽しむ場所なのだ。

 謡曲を知らない人は直ぐにお経みたいというが、昔「お前の謡いはお経のようだ」と言われることは最大の侮辱だと聞いた事がある。謡曲の中にはお経や祝詞もあって、それらしく謡わねばならないところもあるが、そこ以外はメリハリのあるリズムで能に近づくように謡うのが理想と思っている。
 つまりはお経と能の謡との間のどの辺で謡えるかという事だ。後者の方に近づきたいから、習っているわけだ。師匠もそのように能の場面と謡いをリンクさせて教えてくれるのが幸いだ。 (2024/8/1)


閉じる  Home