花を踏んでは

 謡曲の「俊成忠度」を習っていて「花を踏んでは」という一節が出てきた。これにはほろ苦い思い出がある。若い頃に仕舞を習っていてこれが出てきた。「踏んで」に合わせて床を踏む所作があるのだが、少し強すぎてしまい師匠に「そんなに強く踏んだら花がぐちゃぐちゃになってしまう」と言われてしまった。一緒に習っていたお姉さま方に大笑いされたのが恥ずかしかった。曲名を中々思い出せなかったが、偶然後ろの謡いが繋がって「二人静」の一節と分かった。

 それは白楽天の詩「春中與盧四周諒華陽觀同居(春、私と魯四州良は華陽寺で一緒に暮らした)」で「背燭共憐深夜月、蹋花同惜少年春。」という一節だ。和漢朗詠集にもあって「燭(ともしび)を背(そむ)けては 共に憐れむ深夜の月 花を踏んでは 同じく惜しむ少年の春」、意味は「燭台を壁の方に向けて、友人と一緒に深夜の月を賞でようではないか。また、庭に散った花を踏んで、青春の時が過ぎゆくのを惜しもう。」といい、謡曲に引用されたわけだ。

 先日、法隆寺をガイドしてもらっていたら、兎の屋根瓦の話から突然謡曲「竹生島」が出て来た。「月海上に浮かんでは 兎も浪を奔るか 面白の島の景色や」で、月の兎を海上に反射させて舟で眺めるというものだ。
 作者金春善竹のオリジナルではなく、鎌倉建長寺の自休蔵主という僧侶が作った詩のようだ。「自休蔵主詣竹生嶋作詩(自休蔵主が竹生嶋に詣でて作った詩) 綠樹影沈魚上木 清波月落兎奔浪 霊灯霊地無今古 不断神風済度舟」で南北朝時代頃の人物(10頁)のようだ。こんな話もある。
 ガイドの兎の話だが、因幡の白兎にもある通り昔から身近な存在だったというたとえ話だった。

 前半の「燈火を背けては 共に憐れむ深夜の月を」が引用されているのが「経正」だ。これは修羅道の苦しみを表すのに、まあうまく嵌ったかなと感じる。
 一方で「燈火を~少年の春」を引用された「俊成忠度」は状況にピッタリ当てはまっていると感じる。
後半の「花を踏んでは 同じく惜しむ少年の春」のみが引用された「二人静」は逃避行の有様に嵌ってる。同様に引用の「西行桜」は、花と春がシャレで追加されているが、謡は老人の世界で少年が対比として効いている。
 謡曲と漢詩:謡曲引詩考によれば、他に「朝長」「芭蕉」「采女」にも引用されている。番外謡曲引詩考という本もあって、昔はこの種の研究が多くなされたようだ。 (2024/1/1)

百人一首と謡曲
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