花を踏んでは 謡曲の「俊成忠度」を習っていて「花を踏んでは」という一節が出てきた。これにはほろ苦い思い出がある。若い頃に仕舞を習っていてこれが出てきた。「踏んで」に合わせて床を踏む所作があるのだが、少し強すぎてしまい師匠に「そんなに強く踏んだら花がぐちゃぐちゃになってしまう」と言われてしまった。一緒に習っていたお姉さま方に大笑いされたのが恥ずかしかった。曲名を中々思い出せなかったが、偶然後ろの謡いが繋がって「二人静」の一節と分かった。
それは白楽天の詩「春中與盧四周諒華陽觀同居(春、私と魯四州良は華陽寺で一緒に暮らした)」で「背燭共憐深夜月、蹋花同惜少年春。」という一節だ。和漢朗詠集にもあって「燭(ともしび)を背(そむ)けては 共に憐れむ深夜の月 花を踏んでは 同じく惜しむ少年の春」、意味は「燭台を壁の方に向けて、友人と一緒に深夜の月を賞でようではないか。また、庭に散った花を踏んで、青春の時が過ぎゆくのを惜しもう。」といい、謡曲に引用されたわけだ。
先日、法隆寺をガイドしてもらっていたら、兎の屋根瓦の話から突然謡曲「竹生島」が出て来た。「月海上に浮かんでは 兎も浪を奔るか 面白の島の景色や」で、月の兎を海上に反射させて舟で眺めるというものだ。
前半の「燈火を背けては 共に憐れむ深夜の月を」が引用されているのが「経正」だ。これは修羅道の苦しみを表すのに、まあうまく嵌ったかなと感じる。 閉じる Home |