織物の原理と博多織の特長
織物は(一般的に)予め織機に整列された経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を織り込んでいくことで生地になります。
博多織は先染めの縦糸を密に配列して張力を強くし、緯糸は撚糸を数本合わせた太い糸を打込むため、
生地に厚みがあり、しゃきっとした風合を持つのが特長です。
①経糸(たていと): 織物のベースとなる
②綜絖(そうこう): 経糸を吊り、上下させる
③筬(おさ): 経糸を整列し、緯糸を打ち込む
④緯糸(よこいと): 経糸に織り込み、柄をつくる
博多織の歴史
博多織の歴史は今から約770年前、博多出身の満田弥三右衛門が中国(宋)からその技術を持ち帰ったのを起源とします。 その後、彼の子孫が再度宋に渡り当時の最新技術を持ち帰るなど品質改良を行い、博多独自の織物を実現しました。 江戸時代初期には当時の領主黒田長政が幕府への献上品として指定し、名実共に高級織物の地位を確立しました。 明治時代以降の産業の発達に伴う織物需要の急増や機械化を経て、現在の博多織の素地が出来上がりました。
1235
福岡の町人であった満田弥三右衛門、聖一国師と共に宋へ向け博多の津を出発。
1241
満田弥三右衛門、聖一国師と共に博多の津に帰る。博多織の原点は満田弥三右衛門が宋から持ち帰った唐織からはじまる。
1540
竹若藤兵衛、弥三右衛門の末流満田彦三郎に師事、織物組織を発明し覇家台織すなわち博多織と名付ける。
1600
江戸幕府成立。筑前藩主黒田長政は参勤交代の際の幕府献上品に博多織を指定。献上博多織とよばれるようになる。
【資料①②】
1885
紋紙式の機械織機、博多に導入される。
【資料③】
1902
博多織屋中西金作、電気紋織機を発明、写真や図柄を紋紙なしで織物にすることに成功。
1941
太平洋戦争が始まり、博多織は軍需産業として継続する。
【資料④】
現代
西洋文化の流入により博多帯の需要が減少する中、商品の多様化が進む。
【資料⑤】
博多織工芸館に展示している資料(一部)
【資料①】
江戸幕府に博多織を献上した例品として黒田藩より織元へ授けられた紋付の丹前。
町人である織元は恐縮し袖を通さず、仕付糸が付いたままになっている。
【資料②】
江戸時代の見本帳
現在も多く使われる献上柄もみられる(左から3番目)
【資料③】
初代総理大臣伊藤博文の肖像織
(大正時代)
織機の機械化により複雑な絵柄も織ることが可能になった。
【資料④】
高級な絹織物であった博多織は特攻隊の制服に用いられた(奥)
また、堅牢な生地は落下傘ベルトなどにも使われた(手前)
【資料⑤】
昭和30年頃の博多織ネクタイ