友ヶ島(虎島堡塁跡)

2017.02.26


       友ヶ島虎島堡塁跡を見てきました。友ヶ島は兵庫県淡路島和歌山県加太の間の紀淡海峡のど真ん中
      に浮かぶ無人島で、大阪湾防衛を目的とした砲台が明治期に多数築かれた、いわゆる要塞島であります。
       その友ヶ島に渡るのは、昨年に続いてこれが2回目。前回見損ねた第1・2・5砲台跡海軍聴音所跡を見
      て歩く予定でしたが、当日の潮位表を見ると丁度お昼時が干潮になっています。おお、これはもう干潮時しか
      渡る事が出来ない虎島の堡塁跡
を見に行くチャンス!という訳で、直前で急遽目的地変更となりました。
       加太港発の友ヶ島汽船の第一便に乗り込み、0940に友ヶ島の野奈浦桟橋に到着。船に乗っていた多く
      の人達は島の西側に流れていき、虎島堡塁跡のある東側に向かう人はごく僅か。そのほぼ全員が途中から
      第3砲台跡に向かったようで、虎島堡塁跡へ向かう私は実に静かな山歩きとなりました。ここから虎島までは
      約2.7km。コースの高低を考慮しても、小一時間といったところでしょう。

       木々が鬱蒼と茂る静かな朝の尾根道。足元は平坦だし、落ち葉も堆積して歩きやすいなあ。深蛇池(しん
      じゃいけ)
を過ぎてしばらく進むと、徐々に左右の見晴らしが利くようになりました。光線の加減か左手の海は
      明るい緑色に、右手の海は深い紺色に輝いています。

       そして頭上を覆った木々が切れたところで、沖ノ島先端部の向こうに浮かんだ虎島が見えてきました!お
      おおお、とうとう来たか。
       下り坂の途中には、虎島の説明板が。古くから修験道の行場であり、明治期に堡塁が築かれた事が日本
      語と英語で書かれてありましたが、堡塁ではなく砲台って書いてありますね。厳密には違うはずですが、まあ
      砲台のほうが分かりやすいか。

       坂道を海岸近くまで降りて行くと、すぐ左手に頑丈そうな防波堤が見えてきました。これが友ヶ島の本島で
      ある沖ノ島と、虎島を繋いでいた陸軍が作った連絡用の防波堤ですが、事前の下調べの通り、確かに防波
      堤が見事に崩壊しています。

       見たところ崩れているのは10mほどですが、左右からよほど強い波に叩かれたのか、まるでぺしゃんこに
      押しつぶされた様な状態。台風のものすごいパワーにちょっと寒気を憶えます。これでは満潮時は渡れない
      のも納得だなあ。
       干潮まであと2時間ほどありますが、崩壊した防波堤伝いに渡る事は出来そう。という訳で、虎島に向けて
      の上陸作戦
を開始です。

       慎重に進んで行きますが、うーん、滑らかな岩が斜めになっていて、思ったよりも歩きづらいなあ。ちょっと
      低いところには安定のよさそうな岩がありますが、どれも苔に覆われて滑りやすいので危ないですし。
       苦労しつつ岩と岩の継ぎ目に足を掛けて、どうにか虎島に上陸。虎島側の防波堤はしっかりしてるものの、
      通路部はボコボコに荒れていますね。まるで陸側から岩石の津波が流れ込んだ様な状態ですが、なんでこ
      んな事になっているんだろう。

       どうにか無事に渡り終えたので、ここでちょっと一休み。ペットボトルの水を飲みながら、釣り船が浮かぶ海
      を眺めます。穏やかな紀淡海峡を通過する大きなタンカーが見えますが、まもなく入港&上陸かな?船内の
      ウキウキ気分
がここまで伝わって来ますね。

       ふと見ると、防波堤沿いに進んだ先がちょっとした広場になっていました。紀淡海峡を塞ぐ形になっている
      所為か、海流に打ち上げられた漁具ゴミの類が散乱していますが、崩れ落ちた石造りの桟橋の基部が確
      認できました。なるほど、先程の防波堤伝いの陸路とは別に、ここで船からの荷揚げも出来たみたいです。

       となると、ここからそう離れていないところに堡塁へと通じる軍道の入口があるはずですが・・・あ、あったあ
      った。ちょっと分かりづらいですが、下草に踏み跡を発見です。
       という訳で細い山道を上っていきます。人一人ぎりぎりの幅しかない軍道は、すぐに崖沿いに出ました。路
      肩と斜面は石で補強されていますが、頼りなさそうな砂岩層なので慎重に慎重に。昔はもっと幅の広い道だ
      ったと思われますが、山肌から樹木が迫ってこんな狭い崖道になったんでしょう。となると、あともう2~30年
      もすれば、このルートも緑に飲み込まれてしまうのか。こうして遺跡の多くが自然に還ってしまう事を考えると、
      やはり見たいものは見れるうちに見ておくべきなんだろうなあ。

       か細く頼りない崖道を抜けると、急に道幅が広くなりました。すぐに山肌に沿ったつづら折れの上り坂に入
      りますが、斜面がなんだか不自然な感じ。大きさが妙に整った岩もゴロゴロしていますし、まるで石壁を組ん
      で補強しようと整地したものの、計画が中断してそのまま放置された様な感じです。
       首を捻りつつ進んでいった先に見えてきたのが、斜めコンクリ壁に作られたレンガ造りの門柱。あ、ここで
      間違いないですね。虎島堡塁跡の入口に到着です。しかし意外と小さい入口で、車一台が通れるかどうか。
      もっとも、当時は馬車台車で物資を運び込んでいたんだろうなあ。

       赤レンガ造りの門柱は意外ときれいなもので、とても明治期に作られてそのまま山中に放置されたものと
      は思えません。いや、よく見ると右側の門柱はそれなりに傷んでいます。まるで左側の門柱だけが、途中で
      一度洗いをかけられたみたいですが、うーん、よく分からない・・・。
       当時は頑丈な鉄扉があったであろう門をくぐり、堡塁内部に足を踏み入れます。殆ど木々に埋もれかけて
      いますが、どうやら縦長に湾曲した通路状の広場に沿って、堡塁の遺構が点在している模様。

       左手の足元に側溝が確認できましたが、落ち葉と雑草に埋もれかけて危うく見落とすところ。その側溝の
      脇にあったのが、赤レンガ製の建物の基礎部分。残っているのはごく僅かで、その赤レンガもコケに覆われ
      ていますが、5m×3m程の小さな建物だった様ですね。正門近くにあるので、警衛詰所かな?

       そしてその奥に、屋根の抜けた赤レンガ造りの建物がありました。足元には屋根瓦の欠片が散乱し、内部
      には朽ち果てたが落ち込んでいます。

       室内の右手足元は4つの小さな区画に仕切られ、壁から外に抜けています。これはなんなんだろう。煮炊
      き場
にしては形が不自然ですが、トイレかな?レンガ壁面にはいくつも隙間が作ってあり、通り抜け出来る2
      ヶ所の入口には扉の跡は見られません。入口わきには手洗い台の様な水槽もあるので、やっぱりトイレでし
      ょうか。
       あまりに開けっぴろげなので匂いが気になりそうですが、もしかしたら湧き水を常に流していた、自然水洗
      式
とでも呼ぶべき構造だったのかも。

       そこから少し離れた地面に、3つのコンクリ水槽がありました。井戸らしき穴もあり、恐らく沈殿式の濾過槽
      
と思われます。小さな虎島ですが、水源には比較的恵まれていたのかも。
       水槽内部を覗くと、トンビらしき鳥の骸が浮いていました。この鳥も虎島の生命循環の中で、最後の役割
      果たしつつあるのか・・・。なんとなく合掌してしまいました。

       敷地内をさらに奥へと進んでいくと、お、木立の奥に掩体の上半分が見えて来ました。地面を半地下状に
      掘り込んであり、先月探索した深山第一砲台の掩体ほど深くはなさそう。見に行ってみましょう。

       掩体前の通路に続く坂道を降りて行くと、3つ並んだ掩体の前に出ました。通路の掘り込みが浅い所為か、
      狭い割に開放感がありますね。まず1つ目の掩体に向かいますが、ん?なんか違和感があるなと思ったら、
      入口の左右によくある縦長の窓が無く、そのぶん入口を広く作ってありました。扉は最初から無かったらしく
      蝶番の跡も見当たらず。何か大きなもの、それこそ砲座に設置する火砲の整備工場的な区画だったのでし
      ょうか。

       内部の壁面は漆喰塗りの赤レンガ造りで、天井部はむき出しのコンクリ。苔やカビも見当たらず、非常に
      キレイな状態
を保っています。ちょっと掃除すれば、普通に倉庫として使えそうだなあ。

       続いては2つ目の掩体へ。こちらは左右に窓がある、普通の入口です。戦後の鉄不足の時期に持ち去ら
      れた扉の蝶番跡を、きちんと補修してあるのが意外でしたが、こんなところまで観光地化する為に整備され
      た
のか。となると、その頃までは陸続きの堤防は無事だったんだなあ。
       こちらも内部はキレイなもので、気持ち悪いカマドウマやクモ、ゲジの類は見当たりません。また、3つある
      掩体はそれぞれ完全に独立していて、横方向に連絡する通路は無し。

       そして3つ目、一番奥にある掩体ですが、こちらは入口をトラロープでぐるぐる巻きに閉鎖してありました。
      恐る恐る内部を覗いてみると、うわっ、床部がそっくりくり抜かれ、大きな縦穴になっています。暗いのでよく
      分かりませんが、結構深いなあ。3mぐらいありますね。
       穴の底には鉄製の扉らしきものが落ちていて、さらに左方向に掘り進まれているように見えます。なんだこ
      りゃ、どう見ても自然陥没ではなく、人の手による掘削ですが・・・。

       この謎の縦穴については諸説ある様で、中でも最も面白そうだったのが、旧日本軍の隠し財宝が埋まって
      いるという噂を信じた人が、お宝を目当てに掘り返してしまったという説。うーん、これはすごいな、どう見ても
      個人で出来る作業ではありませんが、どうやって掘り返したんだ。重機を使えば難しくはなさそうですが、
      い入口は全く壊れていない
んですよね。削岩機で掘り込んだのか?
       また掘り出した岩石は、一体どう処分したんでしょう。これだけ掘り込んだなら相当な量になった筈ですが、
      周囲にそれらしいものは見当たりませんでしたし・・・。

       そして、どうやって誰にも知られる事なくこんな作業が出来たのか。毎日ではないにせよ、週に何便かは
      絡船
がすぐ近くを通るので、こんな大規模な作業を行えば人目につくでしょう。それとも、何かの理由でこの
      島が閉鎖された時期があり、その間にひっそりと進められたとか?
       何よりも気になるのは、ここまで掘り返した結果はどうだったのか。本当に何かが出たのか、それとも何も
      出てこず諦めたのか。仮に出てきたとしたら、それは本当に隠し財宝だったのか?それとも、全く別の何か
      だったとか・・・?
       うーん、すごく気になりますが、さすがにソロ探索で縦穴内部に降りていく気はしないなあ・・・。貴重な遺跡
      がこんな形で損なわれてしまうのは腹立たしいと言えば腹立たしい話ですが、正直ちょっと面白い気もします
      ね。真相をご存じの方がいたら、詳しい顛末を伺ってみたいものです。

       地上に上がり、さらに敷地の奥へと進んでいくと、お、今度は完全に地面の下に掘り込まれた地下の掩体
      が見えて来ました。階段幅はかなり狭く、掩体上部の左右を挟む形で砲座がありました。どうやら砲座の弾
      薬庫
として使われていた様ですね。
       まずは砲座から見ていきます。地面は腐葉土で完全に埋もれ、砲床は全く確認できませんが、海に面した
      壁面に半円状の切りかきが2か所あるところから察するに、よくあるメガネ状の砲座だった模様。

       2つの砲床の中央とその左右を挟むようにして3ヶ所の砲側庫が壁面に作られていましたが、他の砲台に
      比べてかなり小さいなあ。紀淡海峡を通過する艦艇に砲撃を行っていた砲台ではなく、小型舟艇による部隊
      の上陸を阻止する目的で作られた陸戦用の堡塁
なので、発射速度で有利な小口径砲があったのでしょう。
       砲座の脇から防御壁に上がってみると、繁茂した木々の隙間から僅かに海が見えるだけ。往時のここは、
      さぞかし見晴らしのいい高台だったんだろうなあ。

       地下弾薬庫を挟んだ反対側の砲座に向かいます。構造や荒れ果て方は似た様なものですが、こちらは周
      囲の木々が少なく、防御壁に上がると真っ青な海に浮かぶ地ノ島、そしてその背後に横たわる紀伊半島
      一望のもとに見渡せました。おお、いつの間にかけっこうな高さまで来ていた様です。

       ん?何だあれは。防御壁になっている山肌の一部が、城の石垣みたいになってます。ここからではよく見
      えないので、少し斜面を下ってみましょう。さほど勾配はきつくないので、もう少し見やすい位置まで降りて行
      く事はできますが、崩れやすい砂岩層の上にぱらぱらの小石が乗った斜面なので、一度滑ったら最後、まっ
      さかさまに滑落
しそう。無理はしない方がよさそうです。

       そこから振り返って見ると、ああ、やっぱり石垣状に山肌を補強してありますね。まるでダムみたいですが、
      一体何の目的であんな場所を補強したのやら。場所的に先程の3つ連なった掩体の裏っぽいですが、いくら
      防御の為とは言え、海上から丸見えの防御壁を作ってしまったら、この奥が重要区画ですよとわざわざ教え
      ている様なものですが・・・。
       もしかして、誤認させる事を目的としたダミーの防御壁かな?とも思いましたが、冷静に考えるととてもその
      労力に見合うものとは思えません
。それにダミーなら、もっと離れた場所に作るだろうなあ。一体何の為の石
      垣だったんでしょう。

       あともう一つ不思議だったのが、砲座の防御壁上に3つ並んでいた円筒形の構造物。こんなものがある砲
      座は初めて見ましたが、何なんだろう。花壇みたいに見えますが、いくらなんでもそれは無いなあ。
       攻撃目標までの距離を測定する観測所にしては位置が変ですし、何より小さすぎます。夜間戦闘を想定し
      た探照灯の基部かと思いましたが、砲座に近すぎる上にこんなに沢山いらないでしょう。それこそこの灯りを
      狙って反撃してね!
と相手に教えてるようなものですし。
       もしかしたら、防御壁の直線部分を偽装する為の木々を差し込んでいた、巨大な植木鉢みたいなものだっ
      たのかなあ。うーん、謎だらけです。虎島堡塁跡。

       その後は、砲座の中央にある地下の掩体へ。階段や掩体前の通路はドロドロの腐葉土に覆われていまし
      たが、掩体内部は意外ときれい。赤レンガ壁を塗り固めた漆喰も結構残っています。

       先程の3つ連なった半地下状の掩体の傍に、上の方へ続く小道を発見。をかき分けつつ進んでいくと、
      膝よりちょい高いぐらいの石垣に囲まれた小さな広場に出ました。木々が乱立して分かりづらいですが、は
      はあ、これが陸戦用の射撃陣地ですね。この石垣に隠れながら、機関銃で応戦するつもりだったんでしょう。
      壁面には小さな砲側庫が沢山ありますが、ここには機関銃の予備弾倉や、手榴弾なんかが置いてあったん
      だろうなあ。

       そしてその広場の端から尾根伝いに、浅い塹壕が伸びていました。いや、当時はもっと深く掘り込まれてい
      た
と思われますが、今はすっかり落ち葉に埋もれてしまい、途中までしか確認出来ず。恐らくさっきの砲座の
      防御壁の辺りまで続いていたと思われます。長い長い時間をかけて、この堡塁も当時のいろんな記憶ととも
      に自然に飲み込まれていくのか・・・

       と、ここで入口の方から一人の男が入って来ました。さて、私はもう十分見たので、そろそろ撤収しますか。
      折角ひとりで見に来た虎島堡塁、邪魔しちゃ悪いですからね。

       山道を下って、防波堤に戻ります。ああ、ここはいい海だなあ。予定では南垂水広場まで戻って昼食にす
      るつもりでしたが、折角だからここで食べましょう。とは言え、例によってカップめんなんですけどね(笑)。い
      や、晴れた寒い屋外で食べるとほんとめちゃくちゃ美味しいんですよ、カップめん
       今が一番潮が引いた時間な所為か、沖ノ島からはぽつぽつと人が渡ってきます。丁度いいタイミングの撤
      収でした。その後は増え始めた人達と入れ替わる様にして、虎島を後にします。

       最終の船便までに、残る第1・2・5砲台跡海軍聴音所跡を見て回る事は出来そうですが、野奈浦桟橋ま
      で戻る小一時間を差し引くと、かなり駆け足になりそうだなあ。私は一か所でじっくり時間をかけて見たい方
      なので、今からだと中途半端な見学で終わってしまいそう。うーん、残る島西側の遺構群に関しては、また次
      回のお楽しみ
に取っておく方がよさそうですね。

       という訳で野奈浦桟橋まで戻り、1つ早い船便を待ちます。あともう一回で、友ヶ島の戦争遺跡は全て見る
      事が出来ますね。さて、次の来訪はいつにするか・・・。暖かくなると人も増えるので、いっそ次の冬まで寝か
      せておくのもまた一興・・・
と考えつつ、帰路の船に乗り込みました。




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