友ヶ島(第3砲台・探照灯跡・第4砲台)
2016.02.28
友ヶ島へ戦争遺跡を見に行ってきました。友ヶ島とは、兵庫県淡路島と和歌山県加太港の間の紀淡海峡の
ほぼ中央に位置する沖ノ島、地ノ島、虎島、神島の4島の総称で、古くから修験道の行場として知られていま
したが、明治~太平洋戦争にかけては大阪湾を防衛する為の由良要塞の重要地点として、主に沖ノ島内各
所に数多くの砲台が築かれた島であります。
幸い終戦まで一度も戦闘が行われることなくその役割を終えましたが、火砲の類こそ戦後米軍によって撤去
されたものの、弾薬庫や砲座といった遺構の多くが、戦後70年経った今もほぼそのままの状態で残っている
tの事。以前から非常に気になっていたこの友ヶ島、今年に入ってようやく探索する機会に恵まれました。
当日は早朝に自宅を出発し、0925には海沿いに民宿や釣り宿が立ち並ぶ和歌山県の加太港に到着です。
少し道に迷いましたが、赤い橋の真下にある友ヶ島汽船の船着き場を発見。それにしても、予想外に人が多
いのが驚き。まだ出港30分前ですが、桟橋前には既に40人程の上船客がたむろしています。今日は天気が
いいものの、まだ寒さの残るこの時期にしては賑わってるなあ。
券売所にて2000円の船賃(往復)を払うと、ここで帰りの船便が1時間早まる事を告げられました。友ヶ島
島着が1030で、帰りの便が1430発という事は、たった4時間しか島にいられないのか。無理して急ぎ足で
見て回るより、見逃しはあってもじっくり時間をかけて回った方がよさそうだなあ。どうせ全ての遺構を今日一
日でコンプリート出来る訳もありません。残った分は次回のお楽しみ・・・でいいでしょう。
乗船待ちの人達を見渡したところ、山歩きっぽいのは半分ぐらい。しかも予想以上に若い女性が多いです。
全員が荒れた場所まで行く訳ではなさそうですが、それにしても戦争遺跡が待つ友ヶ島に渡る船着き場が黄
色い声で賑わっているとか、ちょっと戸惑ってしまいますね(笑)。
そんな事を考えているうちに、桟橋が開放されました。100人以上は乗り込んでいる連絡船は大賑わいで、
とてもシーズンオフの無人島に戦争遺跡を見に行く雰囲気ではありません(笑)。先程から異様なほどテンショ
ンを上げまくった女の子達が、
「イェイイェイ!と・も・が・し・ま☆」
とか叫んでるし、なんか思ってたのと違う・・・。
晴れて凪いだ海を、連絡船は結構な速度で進んで行きます。映画『獄門島』で、金田一耕介が乗った様なボ
ロ船を想像していたので、これもなんか違う気がしますが、今時あんな船はないよなあ。
沖合に沢山浮かんだ釣り船を眺めているうちに、あっという間に友ヶ島の野奈浦桟橋に到着。友ヶ島への第
一歩を記します。さて、この後はどうするか。予定では、まず見学し易い第3砲台で複雑な砲台の構造を頭に
入れてから、荒れ果てた第4砲台へ向かうつもりでしたが、この大人数で砲台探索とか、ちょっとなあ・・・。
下調べ不足は承知の上で、先に第4砲台へ言ってしまうのもアリですが、それだと見落としがありそうだし・・・
とその場で思案していると、他の人達は一斉に第1・2・5砲台のある島の西側へと歩いて行きました。あれ?
みんなそっち?第3・4砲台がある島の中心部へ向かう人はごく僅かで、これは予想外の展開です。
よく分かりませんが、静かに砲台を探索できるなら有難い展開でしょう。第3砲台への登り坂に向かう数名の
人達と適度に距離をとりながら私も出発。滞在時間はわずか4時間、砲台での見学時間を確保する為に、移
動はなるべく短時間で済ませたいところ。ここから第3砲台まで、約600mの登り道です。
最初は登りやすい道でしたが、徐々に子供の頭程もある石がゴロゴロし始め、歩きづらくなってきました。靴
底がヤワいスニーカーだとちょっとキツいかも。しっかりしたトレッキングシューズ推奨です。
坂道を登り切ったあたりで、四叉路に差しかかります。第3砲台、探照灯跡、南垂水広場への分岐点ですね。
ここから第3砲台までは約100mと、鼻の先です。
お、左手に山肌を開いた切り通しがあり、その奥には赤レンガ造りの建物が。野奈浦桟橋から10分ほどで、
第3砲台に到着です。いやー、とうとう来たぞ。
石垣で組んだ切り通しの途中にはレンガ造りの柱がありますが、これは鉄製の扉を取り付けた門柱でしょう。
戦時中は民間人の立ち入りが禁止されていた友ヶ島ですが、島内の警備も厳重だった模様。
まず見えてきたのは、将校宿舎。木造瓦屋根の和風建築で外壁が部分的に赤レンガという、なんだか不思
議な見た目です。文字通り将校たちが寝起きしていた場所で、一般の兵卒達は別の場所に住んでいた模様。
外壁や屋根はしっかりしていますが内部は荒れていて、床板の殆どは腐り落ち基礎が剥き出し。床の間と
床脇があり、往時は違い棚なんかもあった小ざっぱりした和室だったと思われますが、土壁は崩れ落ち内部
の竹が見えていて、今はもう見る影もなし。
純和風の内装という事は、ベッドではなく畳に布団を敷いて寝ていたんでしょうか。この小さな建物だと、4~
5人も泊れば随分手狭になりそう。建物裏手には外に突き出した形のレンガ土台が離れて2つありますが、こ
れはお風呂の焚き口とトイレの跡かな。
建物の老朽化が激しく内部への立ち入りは禁止ですが、建物自体が小さいので、むしろ中に入らず外から
の方が撮影し易いですね。
将校宿舎の斜め前には、生い茂る樹木に飲み込まれそうになった発電所跡が。こちらは見るからに頑丈そ
うな赤レンガ造りですが、屋根は完全に抜け落ち、内部がジャングルの様。外壁のかなり高い所に丸窓があ
り、そこまでのステップもついていますが、これは内部の発電機の点検窓でしょうか。
発電所跡の向かいにはレンガ造りのトンネルがあり、その先にはL字型に並んだ5つの弾薬支庫が。友ヶ島
の代表的な風景として、しばしばラピュタのイメージで紹介されている場所です。
地面には枯れ葉が多いものの、壁面の苔やカビは少なく、保存状態はかなり良好。戦後の鉄不足の時期に
扉を盗まれた跡の補修も自然な感じで、違和感が少ないのが素晴らしいなあ。弾薬支庫の内部は天井まで赤
レンガで埋め尽くされ、その表面を薄く漆喰で覆っていた様ですが、その殆どは剥がれ落ちている様。
トンネルを出たところの左手に1つ、正面に4つ並んだ弾薬支庫ですが、正面の4つをぐるっと囲むようにし
て人一人が通れる程度の通路があり、そこから庫内に面して、幾つかの窓がありました。へー、こんな構造は
初めて見ました。珍しいなあ。支庫内の見回り用にしては随分と大げさなので、これは湿気対策で換気を考慮
した設計なのでしょうか。
狭い通路にはまり込むようにして実際に歩いてみますが、通路内はほぼ乾燥状態が保たれています。頭上
には余裕があるものの、通路の幅は大人の肩幅ギリギリしかないので、こうして歩いているだけでシリンダー
内を通過するピストンの様に、通路内の空気を押し出して換気が出来ている感じ。手間のかかる設計ですが、
湿気対策としては有効なのかなあ。
ただその分、通路や支庫内に溜まっている異質な空気感というか、違う時代の異様な雰囲気は薄いですね。
山中に放棄された遺跡でしばしば感じる、まるでタイムスリップした様な感覚がないのはちょっと残念かなあ。
しかしこの複雑な通路の構造と古びた赤レンガがよく似合っていて、まるで中世の教会の地下にある隠し通
路を歩いている様な気分にさせられます。黄色いパーカーに識別帽、ヘッドライト装備といういつもの遺跡探索
スタイルな私ですが、この場所はネズミ男みたいな怪しい僧衣を被り、蝋燭ランプの明かりで歩きたいかも。
弾薬支庫の先にある緩やかな坂道を上ると、左手に地下へと降りて行く階段を発見。おお、これが地下弾薬
庫と砲座へ向かう通路ですね。ちょっとドキドキしながら降りて行くと、真っ暗なトンネルの先に小さな明るい出
口が見えました。
とは言え、少し中に入ると自分の手のひらすら見えない真っ暗闇で、慌ててヘッドライトを点灯。しばらく進む
と左手に見えてきたのは地下弾薬庫の入口。
庫内は通路に沿った細長い形状で、かなりの広さがありますね。入口が直接外に面していないお陰で落ち
葉の吹き込みもなく、保存状態は非常に良好です。
細長い室内の短辺にはそれぞれ3つずつの窓があり、その外側にある短い通路とイケイケになっています。
こんなところから室内を見張る意味はなさそうなので、これも先程の弾薬支庫と同様に湿気対策の通路でしょ
うか。
天井中央部には大きな丸い穴がありますが、これは直上の砲座に通じる揚弾口かな。滑車か何かが使わ
れていたと思われます。
ふと思いついて、ヘッドライトのスイッチをオフにしてみます。途端に物音ひとつしない漆黒の闇に閉ざされ、
ざわざわざわざわとした恐怖感が足元から這い上がってきました(泣)。うあああああああ、慌てて再点灯。な
んというか、全身の神経を氷の紙ヤスリで擦られた様な感覚。もともと私は灯りがあると寝つけないタチで、真
っ暗闇にはある程度の耐性がある筈ですが、ここが普通の部屋ではなく完全な地下空間というのが、想像し
ていた以上に精神的にキツい・・・。
背中をサブイボだらけにしながら、地下弾薬庫を出ます。今度は右手に階段が見えましたが、これは上の階
層にある砲座に通じる通路ですね。こちらは後回しにして、先に地下通路を突き当たりまで進みます。
突き当たりにある階段から外に出ると、すごい開放感にホッとされられます。気の所為か、呼吸までもが楽
になった感じ。目の前には木々が生い茂るちょっとした広場があり、地面から大きな土管が突き出ていました。
これは井戸かな?山頂近くのこんな場所でも、ちょっと掘れば水がでるのか。
意識して何度か深呼吸を繰り返してから、再び先程の地下通路へ。今度は弾薬庫の反対側にあった、砲座
へ上がる階段に向かいます。
真っ暗な通路内でフラッシュ撮影を試みると、階段も壁面も割ときれいな状態なのが分かりますが、ヘッドラ
イトだけだと見える範囲は僅かなので、想像力が悪い方へ悪い方へと膨らんでいくのが堪りません。これでも
結構光量のあるヘッドライトなんだけどなあ。情報が途絶した環境下で想像力だけが暴走する事の恐ろしさを
痛感です。うあああああ、れ、冷静になれ、俺。
真っ暗な階段を上がって行くと、左右に伸びた天井の低い通路に出ました。ははあ、ここが4つある砲座を
横方向に連結している地下通路か。右に向かって歩いて行くと、東から2番目の砲座に出ました。
周囲を赤レンガで囲まれた楕円形のプールの様な砲座には、直径4m程の丸い砲床が2つ、メガネ状に配
置されていました。砲座の内部は湿った腐葉土が堆積していて、踏み込むとずぶずぶと埋まってしまいそう。
砲座の外周は鬱蒼たる樹木に囲まれていますが、昔からこんな感じだったのかなあ。ここに海上の艦艇から
見えない様に巨大な28㎝榴弾砲を設置して、観測所から報告される情報をもとに照準を定め、木々を飛び越
える山なりの弾道で榴弾を発射していたのか・・・。
隣の方座に移動してみます。地下通路中央には大きな丸いコンクリのフタがあり、これが地下の弾薬庫に通
じる揚弾口か。
東側から3つ目の砲座ですが、一方の砲床には植物が生い茂り、もう片方はキレイな状態。腐葉土の堆積
も僅かで、同じ砲座にありながら随分と状態が違います。
東側から4つ目、一番西側にあたる砲座の砲床は二つとも雨水が溜まり、池みたいになっています。なんで
こんなにもそれぞれの砲床で状態が変わるのか、不思議だなあ。
砲座の外周には、尾根筋へと通じる階段が。少し歩くと、崩れかけた石垣の向うにコンクリ造りの円形の土
台が見えてきました。中央部には赤レンガ製の丸い円柱があり、ここが第4砲台の西側にある観測所か。こ
の場所から東側の観測所と連携をとりながら目標までの距離と方位、風向、風速等を測定し、その情報を各
砲座に伝達して、大阪湾に進入しようとする敵艦隊に向けて砲撃を浴びせるつもりだったんですね。
円形の構造物の内壁には地面の下に潜り込む穴ぼこが幾つもありますが、これは敵からの反撃が始まった
時に観測員が潜り込む退避口かな。尾根筋と樹木で隠された砲座とは違い、敵から丸見えにならざるを得な
い観測所です。戦闘時には真っ先に反撃を食らいやすい、最も危険な部署だったんでしょう。
再び各砲座を繋ぐ地下通路へもぐり込みます。途中、脇へと入って行く狭い通路を発見。何だろうと進んで
行くと、赤レンガで囲まれた狭い竪穴の底に出ました。地面までの高さは3m程か。まるで涸れ井戸の底にい
るみたい。
換気装置の通風口かと思いましたが、通路の風通しは悪くなく、その必要性は薄そう。観測所が攻撃を受け
た時の緊急退避口かな?だとすれば、階段位は造りそうなものですが・・・わからん。
以上で、第3砲台の見学は終了です。それにしても、途中第3砲台で見かけた人は2~3人だけ。あれだけ
船に乗っていた人達は、いったい何所へ向かったのやら。
時刻は12時前。このペースだと、あとは探照灯跡と第4砲台を見るのが精一杯かな。ここよりも遥かに荒れ
果てているらしい第4砲台が恐ろしげではありますが、その前に途中にある探照灯跡に立ち寄る事に。ここか
ら500m位なので、大して時間はかからないでしょう。
先程の四叉路から、探照灯跡に通じる道に入ります。道端のあちこちに黒く塗られた四角柱がありますが、
第3砲台発電所からの送電線か、通信用の電話線でも通してあったのかな?なんかモノリスみたいで、ちょっ
と不気味。
すぐに左手への分岐に差しかかりますが、ここは直進。さらに10分ほど歩いたところで、再び左手への分岐
が見えてきました。さてどちらへ行けば・・・あ、左の方に掩蔽が見えました。探照灯跡に到着です。
山肌に掘り込まれた掩蔽の脇には階段があり、掩蔽内部は2畳あるかないかという狭さ。よく見ると、手前
の地面には割れた瓦が散乱し、四畳半程度の広さの建物の基礎跡が僅かに残っています。ここは兵舎跡か
な?先程の第3砲台から十分に通える範囲なので、住居ではなく詰所的な建物だったのかもしれません。
狭い掩蔽の奥には頭上に開けた空間があり、横から見ると土中をL字型に掘り込んだ様。今は上部から入
り込んだ腐葉土やコンクリ片が堆積していますが、当時この竪穴内には昇降式の大きな探照灯があり、夜闇
を突いて大阪湾に侵入しようとする敵艦を、この場所から照らし出して砲撃を支援するつもりだった様です。
竪穴内の壁面には、昇降装置のレールを取り付けたと思われる形跡が残っていました。となると、この狭い
掩蔽部は探照灯の整備スペースとして使われていたのかも。
外に出て脇にある階段を上ると、掩蔽直上にある竪穴の出口を見下ろせます。周囲を細いロープで囲って
あるだけなので、中に滑り落ちない様に気をつけないと。
夜間の砲撃戦では、砲台や観測所よりも真っ先に狙われたのがこの探照灯でしょう。艦砲射撃に耐えうる強
度を保つためにも、半地下状の掩蔽は小さければ小さいほどよかったんだろうなあ。よく見ると、階段からの
通路の途中に退避口らしき穴ぼこがありましたが、素人目に見ても気休めにもならない程度のシロモノでした。
探照灯が照らしていたであろう海の方角ですが、今は生い茂る木々に遮られて水平線は見えず。ひたすら
静かな、山の中。ペットボトルの水を飲み、しばし小休止。
さてこの後は、第4砲台まで移動です。ここから第4砲台までは島の中心の山間部を抜けるルートと一旦山
を降りて海岸線沿いに向かうルートがありますが、今回は山間部ルートに入ります。最初は緩やかだった下り
道は徐々に勾配を増し、いつの間にか随分高度を下げていた模様。そして1220、坂道を下りきった場所に
到着しました。南側の海に向けて広がっているのは、南垂水のキャンプ場です。
高台にはコンクリ造りのテーブルがあり、きらきら光る海を見下ろせる絶好のロケーション。南北方向に風が
通るので少し冷えますが、陽射しは暖かなのでここで昼食にしましょう。
石造りのテーブルの上に落ちていたレンガを乗せ、固形燃料コンロをセット。風が強く着火に手間がかかり
ましたが、こうして晴れた海を眺めながらお湯が沸くのを待つというのも、なかなか味わい深いものがあるなあ。
湧いたお湯をカップヌードルに注ぎ、3分待って頂きます。おお、美味い!カップヌードルってこんなに美味か
ったっけ?寒い屋外で晴れた空と光る海を眺めながら食べるカップヌードルは驚きの美味で、ちょっと感動し
てしまいました(笑)。一緒に持ってきた自衛隊戦闘糧食のパック白飯は冷たいままですが、熱々のスープが
有り難いなあ。
いやー、大満足の昼食でした。1300、意気揚々と南垂水広場を出発。こっから第4砲台までは約600m、
帰りの船便は1430出港なので、現地滞在は1時間が限度でしょうか。10分ほど坂道を上って第4砲台に到
着です。
右へと折れる道を進んで行くと、山肌を掘り込んで石垣で固めた塀が見えました。今は樹木が生い茂ってい
ますが、昔は何らかの目的で開かれた広場だったんだろうか。考えられるのは兵舎か輸送車両の駐車場で
すが、それらしき形跡は見当たらず。
そこから坂道を登り切ったところにレンガ造りの門柱があり、将校宿舎が見えてきました。第3砲台のものと
は少し雰囲気が違い、こちらは木造瓦屋根ながらも外壁は総レンガ造り。どちらも陸軍管理下にあった建物
ですが、デザインが違うのは建てられた年代が違うせいかな。屋根は完全に腐り落ち、室内は植物でジャング
ル状態で足の踏み場もありません。
将校宿舎の脇には下り道があり、その先には左側に3つ並んだ弾薬支庫がありました。支庫の内部は第3
砲台と同様に通路で連結されていましたが、支庫全体をコの字状に取り囲む細い通路は無く、入口上部の換
気口の形状も違っています。
非常に風通しの悪そうな地形なので、むしろこちらの方が換気用通路の必要性が高いと思いますが、何で
作らなかったんだろう。第3→第4と、数字の順番に建設されたと仮定するなら、第3砲台で試験的に運用して
みたものの、大した効果はなかった為に第4砲台では採用されなかったのか、もしくは単純に予算や工期の
問題だったのか。
その3つ並んだ弾薬支庫の前には、砲座へ通じると思われる地下通路が。しかし第3砲台のそれとは違い、
トンネルの向こうは真っ暗で何も見えません。ちょっと怯みますが、ここまで来て入らない手はないぞ。
という訳で、ヘッドライトを点灯して恐る恐る通路内に入り込みます。ううう、足元がぐじゅぐじゅの泥濘になっ
ているのが気持ち悪い。履いているトレッキングシューズは一応防水仕様ですが、これは生理的に来るものが
あるな・・・。
この暗闇の奥は果たしてどうなって・・・あれ?すぐに正面に登りの階段が見えてきました。脇道から砲座に
通じていた第3砲台とは違い、こちらは通路の奥が直接階段になっている模様。
その階段の手前左側には地下弾薬庫と、換気用と思われる行き止まりの短い通路がありました。弾薬庫内
の構造も先程の第3砲台のものとほぼ同じですが、足元がドロドロな分だけ不気味度は格段に上。
そして弾薬庫内の壁に大量にへばりついているクモ、でかいカマドウマ・・・。これは・・・正直キツイ・・・。私は
クモもカマドウマもそれほど苦手ではありませんが、一匹二匹ならともかく、地下の湿った暗黒閉鎖空間でこれ
だけの数に囲まれるというのは、正直あまり楽しくありません。
よく見ると、弾薬庫内だけでなく地下通路のいたるところに無数にいますよ、クモ&カマドウマ。気がつかな
かっただけで、さっきの第3砲台にも沢山いたんだろうか。それにしても、これだけの数のクモだのカマドウマ
だのが、どうやって生活していけるんでしょう。彼らの生命活動を支える事が出来る食料が、この暗黒地下空
間にあるとは思えないのですが・・・あ、俺か?彼らが一斉に襲い掛かってきたら・・・と思うと、お金玉を冷たい
手で鷲掴みにされている様な気分でございます。
通路行き止まりの階段を上がると、第3砲台と同様の砲座間を連結させた地下通路に出ました。左右の砲
座から差し込む太陽光に、思わずホッとさせられます。自分でも気がつかないうちに、背中の筋肉がぎゅっと
収縮していた様。
地下通路内部も吹き込んだ落ち葉が腐ってグズグズですが、どうにか歩いて砲座へ出ます。うわあ、確かに
第3砲台とは桁違いの荒れ果て方。砲座全域に溜まった腐葉土が湿地状になり、もはや砲床が確認できない
状態。周囲から木の枝が覆いかぶさるようになだれ込み、足元がぐちゃぐちゃなのも相まって歩きづらい事こ
の上なしです。雨の少ない冬場だからこの程度で済んでいますが、春から夏にかけては酷い状態なんだろう
なあ。虫も多いだろうし。
慎重に足元を探りつつ、砲座の内壁に沿ってカニの様に歩いて行きます。3つある砲座のうち中央の砲座
に向かいますが、連結された地下トンネルは完全に水たまり状態。壁面は乾燥しているので、これは地下水
ではなく砲座から流れ込んだ雨水でしょう。
この通路の途中にも更に地下へと降りて行く階段がありますが、やはりクモだのカマドウマだのがうじゃうじ
ゃいて、足元も訳の分からないものでどろんどろん。ううう、帰りもここを通らないといけないのか・・・。そのま
ま一番端の砲座まで行きますが、荒れ果て方は3つとも似たり寄ったり。
ふと見ると3つ目の砲座の奥にも、地下へもぐって行く通路がありますね。あれ?この砲座が行き止まりじゃ
なくて、まだ外側に何かあるのか?通路の内部は水が溜まっていて奥の方は真っ暗で何も見えません。いや、
よく見るとなにかあるぞ。壁?段差?
怖々内部に入って行くと水溜まりは真ん中あたりまでで、そこから先は吹き込んだ土が湿ってはいるものの、
足元は思ったよりもいい状態。そしてその真っ暗な通路の突き当たりには、なんとも不思議な空間がありまし
た。中心部に太い赤れんがの円柱があり、その周囲を天井の低い通路がぐるりとドーナッツ状に回り込んで
います。まるで巨大な巻き貝かターボチャージャーの内部にいる様な感じ。これは一体何の為の区画なんだ?
そしてこの壁面にもクモとカマドウマがいっぱいいて、心の底から辟易します。
不思議に思いながらぐるっと一周してみると、中心にある太い柱の内部に、上へと延びて行く狭いらせん階
段を発見。普通に階段を作ればいいのに、なんでまたこんな手の込んだ構造にしたんだろう。
肩幅程度しかない真っ暗な螺旋階段をそろりそろりと上がって行きますが、ふと横を向くと鼻先20㎝ぐらい
の壁面にクモが何匹もべったりとへばりついています。うおおおおお。キツイ。これはキツイ。なんで逃げてくれ
ないんだよこいつらは・・・。ともすれば発狂しそうになる自分の正気を保つ為に、急遽彼らは全員メスだと思う
事にします。うん、ちょっとだけ楽になったぞ!
口から泡を吹きそうになりながら螺旋階段を登り切ると、急に明るい外に出ました。出口の周囲は赤レンガ
で固められた狭い塹壕の様な場所で、枯れ木をかき分けつつ進むと一段高い所にある円形の土台に辿り着
きました。ああなんだ、観測所に通じる階段だったのか。砲台そのものの構造は第3も第4もほぼ同じですが、
観測所までのルートは全然違うんですね。
地面に深く掘り込まれた観測所は、降り積もった落ち葉で半ば埋もれていますが、周囲を囲んだコンクリは
殆ど傷んでいませんね。内壁の一部には一段下へと降りて行ける小さな出口があり、これは緊急時の退避口
か。身をかがめれば、大人2~3人は入れそう。
その後は上がってきた螺旋階段を下りて、先程の地下通路の途中にあった枝道へ。真っ暗な通路をヒタヒタ
と進み、階段を上がるとそこは先程の将校宿舎前でした。ああ、この場所に通じていたのか。ふと見ると目の
前には黄色と黒のロープが張られていて、どうやら立ち入り禁止の場所から外に出て来てしまった模様です。
うーん、これじゃ立ち入り止の意味が無いな。まあ、これ位いい加減な規制にしてくれた方が、色々見る事が
出来て有難いのですが。それにしてもこうして外に出て来ると、大げさではなく生き返った様な気がしました。
まだ少し時間があったので、将校宿舎と掩蔽部とは反対方向の、観測所があった山肌に沿って歩いてみま
す。お、古い遺構が見えてきました。側溝に囲まれた地面には丸い穴と四角い穴が2つありますが、丸い方は
井戸、四角い方は沈殿式の濾過槽でしょうか。
さらに奥へと進んで行くと、地面から突き出た井戸を発見。先程のものよりも随分大きく、覗きこんでみると4
~5m下に暗い水面が見えました。
周囲は鬱蒼とした木々が茂っていますが、よく見るとその周囲を大きく囲むように低い石垣が。今は見る影
もありませんが、この砲台が機能していた当時は結構な広場だった模様。兵舎もあったのかもしれませんが、
今はその痕跡はまるでなし。
最後はもう一度地下通路をくぐって砲座に入り、写真撮影。連絡通路の水たまりに反射した外の風景がキレ
イだなあ。上手く撮れているといいのですが。
以上で第4砲台の探索は終了。時刻は14時前。一休みしてから、野奈浦桟橋へ戻ります。それにしても、
第4砲台はもうちょっと時間をかけてじっくり見たかったなあ。船便が早まったのが恨めしいですが、まあ仕方
ないか。結局第1・2・5砲台や海軍聴音所には行けませんでしたが、これはまた次回のお楽しみですね。
1415、野奈浦桟橋に到着。朝来た時は気が逸って桟橋の周囲をよく見ていませんでしたが、広場には松
の木が生い茂り、暖かい陽射しと穏やかに凪いだ海を眺めていると、なんだか琵琶湖湖畔にいる様な気分。
その後やってきた連絡船に乗り込み、1450に加太港着。僅か4時間ほどの滞在とは言え、凄いものを見る
事が出来ましたね、友ヶ島。第3・4砲台も改めてじっくりと見たいですし、これから何度か来る事になるんだろ
うなあ・・・と思いつつ、加太港を後にしました。
トップページに戻る
自衛隊イベント以外のおでかけ目次に戻る
|