尾小屋鉱山資料館
2016.08.07
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石川県小松市の山中に所在する、尾小屋鉱山資料館に行ってきました。尾小屋鉱山は江戸時代に金の採掘を
目的として開発された鉱山で、その後明治期に日本有数の銅山となりましたが、昭和47年に閉山。現在は残
された鉱山施設や貴重な当時の資料を集めたテーマパークとして保存・展示が行われている、実に私好みの資
料館であります。
当日は北陸自動車道小松ICから一般道に降り、久しぶりの空自小松基地をかすめる様にして山間部へ。劇
場版八つ墓村を思わせる長閑な風景の中、30分程走って目的地に到着。お目当ての尾小屋鉱山資料館は山の
窪地にひっそりとはまり込む様にして建っていました。
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それにしても、こんな山奥の資料館にしては妙に家族連れが多いな・・・と思ったら、どうやら手前にある
ポッポ汽車展示館目当ての人達だった模様。まあ小さい子供にとっては、不気味な鉱山跡よりも機関車ですよ
ねえ(笑)。
資料館前のさして広くもない駐車場は、日曜日の午後だというのにスカスカ。建物内も妙に薄暗いですが、
これは真夏の陽射しに目が慣れてしまっている所為かな。しんと静まり返った館内に人の気配はなく、入って
はいけない建物に入ろうとしているドキドキ感を覚えます。
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受付で入館料500円を支払うと、係の女性が見学コースについて丁寧に時間をかけて説明してくれました。
いかにこの施設を訪れる人が少ないかが伝わってきます。ちなみにこの女性、私がこの資料館目当てに大阪か
ら来たと告げるととても驚いていました。地元の人でさえめったに足を運ばないんだろうなあ。とは言え、こ
んな静かな資料館で一日仕事をして暮らしているのは、なんだか羨ましい気がしました。
さて、早速館内を見学です。受付横のガラスケースにはたくさんの鉱物標本が展示されていて、国内の殆ど
の鉱山が閉鎖を余儀なくされている今、これらの国産鉱物標本は非常に貴重との事。採掘中の様子を撮影した
大きなパネルもありますが、随分古めかしい雰囲気です。
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木枠で組まれた通路を通って行くと、まずはこの尾小屋鉱山が運営されていた当時実際に使用された採掘道
具が展示してありました。おお、ハンドルをぐるぐる回して通話するおっぱい電話!人造人間キカイダーに出
て来たビジンダーを思い出します。それにしても、よく考えたらすごい名前だなビジンダー。子供心にも変身
後はあまり美人ではなかった気がしますが、もしかして自分で名乗ってたのかビジンダー。ちょっと図々しい
ぞビジンダー。
まあそれはいいとして、ただ単にリンリン鳴る電話を作るのになんでこんなエロいデザインにしたんだろう。
着信を告げるだけのベルなら1つあれば十分でしょうに。
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昔の日本人には気骨があった、品性があった・・・と何かにつけて言われる事がありますが、こういうのを
見るとなんだかんだで今と同じぐらいバカも多かったのでは・・・と思ってしまいますね。
足元には採掘作業で使用されたノコギリ、カスガイ、斧、ハンマーの類が並んでいます。どれも傷だらけサ
ビまみれで時代の風雪を感じさせますが、このチンコタガネってのはなんなんだろう。先ほどのおっぱい電話
といい、この資料館が目指す方向性がなんとなく分かってきましたよ。
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それにしてもこのチンコタガネ、どう見てもごく普通のタガネですが、なんでこんな名前にしたのやら。や
はり昔の日本人にも結構な数のバカがいた説は正しいと言わざるを得ません。しかもこのタガネ、25cmぐ
らいあるし。バカな上に見栄っ張りとか、救いようのないシンパシーを覚えます。
その隣には、空気圧式の削岩機が展示されてありました。硬い岩盤に穴を穿つにしては随分と華奢な造りで、
まるで昔のSF映画の光線銃みたい。こんなハタキの柄みたいなもので本当に実用に耐えたんでしょうか。
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曲がりくねった暗い通路を抜けると、急に明るく開けた場所に出ました。たくさんの鉱物が整然と並べられ
写真や解説等の資料も展示されたこの部屋は、まぎれもなく資料館そのもの。主に銅や亜鉛の鉱石を産出して
いた尾小屋鉱山ですが、ここには世界各国から集められた膨大な数の鉱石標本が展示されていました。
それにしてもこの、グラフや分布図、古い写真を中心としたひたすら地味な展示内容は、なんだか高校の文
化祭の真面目な学習発表会を彷彿とさせていい感じだなあ。お堅い内容ながら説明文はどれも分かりやすく、
自然科学分野の博物館が好きな人はけっこうグッと来そう。
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お、これは尾小屋鉱山の地下構造を、色分けして再現した模型ですね。総延長160km、地下約700m
まで掘り抜かれた12層もの坑道は、さながら巨大な蟻の巣そのもの。すごいな、ちょっとした地下帝国です。
銅鉱、亜鉛鉱を主体とした尾小屋一帯の鉱床は、地中に対して斜め下方向4kmに渡って広がっていて、それ
を採掘するために途方もない時間と手間、予算がかけられた様です。
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ふと見ると、海苔の佃煮かなにかの瓶に、妙なものが水漬け状態で展示してありました。ナマコの断面みた
いに見えますが、なんだこりゃ。受付の女性に尋ねてみると、これはオパールの原石だそうです。オパールの
原石は意外と構造が不安定で、長期間大気に晒すと変質してしまう為、こうして水漬けで展示しているとの事。
へー、知りませんでした。
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その隣には、尾小屋鉱山の開発を行った北陸の鉱山王横山隆興氏についての説明が。明治維新によって大量
に発生した士族の失業問題を解決すべく立ち上がった横山氏は、困窮士族の生活基盤を支えると同時に国の一
大事業とすべく、極めてギャンブル性の高い鉱山運営に着手。山師に対する偏見や設備投資の為の莫大な借金
に苦しみながらも、ついには尾小屋一帯に一大鉱脈を発見。そこから日本指折りの大規模鉱山にまで育てあげ
たそうです。
その猛烈な事業活動の傍ら、地元の公共事業への多額な寄付や大学創設への援助、東京の学生寮の整備等の
社会貢献活動にも尽力したとの事。おそらく北陸以外ではほとんど無名と言っていい横山氏ですが、もしその
時代に彼がいなければ、今の日本は全く違う日本になっていたのかも・・・と、深く考えさせられるものがあ
りました。
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資産を投げうち莫大な借金まみれになっても鉱石一つ出なかった時は、彼の情熱は傍から見ると気が狂った
としか見えなかったでしょうけど、綿密な調査と冷静な判断、そして強固な意志に基づいた狂気の大爆発が、
この鉱山開発の全てだったんだろうなあ。
続いては、再び鉱石標本コーナー。無数の鉱石標本が並び、オパールや玉髄、瑪瑙、碧玉、水晶等が詳しく
説明されています。その中でも群を抜いてキモいのは、やっぱりオパールですね。なんというか、液状化した
腐乱死体の中に骨片や歯が混じっているみたいというか、とても鉱物には見えない臓物的な見た目が強烈です。
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ん?なんだこりゃ?斑銅鉱?金属の立方体をセメントで固めた様な物体ですが、自然界にこんな形の整った
金属体がある訳ないですし、どう見ても人工物です。とは言え悪戯に作ったこんなものを、この場所に展示す
るとも思えない・・・。
そこから少し離れたところにも、同じく立方体の金属塊を大量に含んだ硫化鉄鉱の鉱石標本が。えええええ、
これが本当に自然にできた鉱石なの?いくらなんでもあり得ない過ぎる。
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という訳で再び受付に取って返して受付の女性に尋ねてみると、これは紛れもなく自然の鉱石との事。地下
数千メートルの超高圧環境下では、地下水は沸騰しないまま数百度もの温度になり、時には地中に含まれた鉱
物すらも溶解してしまうとの事。その溶けた鉱物を含んだ地下水が岩盤の割れ目から上昇すると、急激に圧力
と温度が下がって結晶化し、結果的に自然界ではありえないこんな鉱石が出来上がるそうです。発生機序は異
なりますが、飽和食塩水を放置しておくと真四角の塩の結晶が出来上がる様なものなのか。
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それにしても、地中深くからこんなものが出て来た時の驚きや、そのメカニズムが解明された時の研究者の
感動は如何程のものだったのか。私が研究者なら、太古の地下文明の遺物だ!とか、オカルティックな方向に
突っ走ってしまいそう。過去にはそうして道を踏み外し、妄想の迷路から抜け出せなくなった学者も多かった
んでしょうね。
「ここに展示されてあるのは立方体ですが、2階の展示室には三角形の正八面体という世界でも非常に珍し
いものがありますから、是非ご覧になって行って下さいね(笑)」
と、受付の女性。それにしても、先程からこの女性の説明が簡潔でとても分かりやすいのが地味に驚き。よ
ほどきちんと展示内容を理解していないと、素人にこれだけ分かりやすく説明するのは難しいでしょう。一見
ごく普通の女性ですが、ただ者ではなさそう。
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冷房のない館内は蒸し暑く、人の気配は皆無。周囲の山々からのセミの鳴き声が響くのみ・・・ああ、いい
なあこの雰囲気。展示内容の興味深さもさることながら、この静かでアカデミックな雰囲気を味わえるだけで
もここまで来た甲斐があったというものです。
ここから先は、尾小屋鉱山そのものについての詳しい展示です。総延長160kmにも及ぶ坑道ですが、入
口付近は年中気温18℃、湿度60%だったのに対し、最深部は気温28~30℃、湿度は80%という過酷
極まる環境だったとの事。そんな中で粉塵、地下水、ガス爆発、落盤と隣り合わせの危険な採掘作業が行われ
ていたのか。
壁面には地下迷宮の如き尾小屋鉱山の概略図がありましたが、さながら毛細血管の様。その殆どは立ち入り
禁止となっていますが、一度でいいからヘッドライト一つで潜り込んでみたいなあ。
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他にも電池式のヘッドライトやアセチレンガス、灯油を使った古めかしいランプがずらりと並べられていま
す。鉱石の運搬や地下水の排水などの様々な作業の様子、発破のための導火線や爆破スイッチ。掘り出した鉱
石の選鉱や試料、精製までの流れ、精錬作業の様子等、実に分かりやすい展示内容です。なるほど、コークス
を使った溶鉱炉で鉱石をどろどろに溶かすと、銅を含んだ重い物質は下に、不要な軽い物質は上に分離するん
ですね。
また、ここ尾小屋鉱山で生産された精製銅や資材の類は、初期は馬車や人力車で小松市街まで輸送されたと
の事。現在の様に道路が整備されていなかった当時は、相当過酷な作業だったんだろうなあ。
その後鉱山の規模が拡大するにつれて周辺人口も増え、大正8年には尾小屋鉄道が完成。貨物列車による大
量高速輸送が始まったそうです。あ、資料館の手前に展示されていた蒸気機関車は、その時使用された車両だ
ったのか。なんでこんなところに機関車が・・・と思いましたが。
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ちなみに閉山後に残された坑道ですが、意外な事に金沢大学の環日本海環境研究センターが地下実験施設と
して利用しているとの事。宇宙線の影響で地上では測定できないごく微量の放射線を、地中深くで測定してい
るそうです。うーん、是非見てみたい!一般公開してくれないかなあ。
明治11年から昭和46年の閉山まで、実に120年にわたって運営された尾小屋鉱山ですが、鉱石を素銅
に精製する過程で発生した鉱煙により周囲の樹木は枯死し山肌の土は流され、往時は荒涼とした死の世界の如
き様相を呈していたとの事。産業開発にともなう環境破壊、当時としてはどうしようもない流れだったんだろ
うなあ。
しかしその後、荒廃しきった山間部に対して石川県は水源を整備し、大規模植林を実施。その結果現在では
見違える様な大木が生い茂り、野鳥や小動物が生息する緑化事業に成功したとの事。そうか、ここまで来る途
中見かけた緑の濃い山々は、全て人の手によるものだったんですね。やるじゃん石川県!ちょっと感動してし
まいました。
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その後は2階の展示室へ。階段を上がったところには箱樋(はこひ)と呼ばれる長細い木製人力ポンプが展
示されていて、これは坑内に湧き出た地下水を効率よく排水するために使われたそうです。明治以降は電気で
動く排水ポンプが導入されましたが、この箱樋が使われる以前はひたすら手桶で汲みだしていたというのです
から、気の遠くなる話です。
2階展示室は鉱山運営関連の文書や古地図等の資料がメインですが、その中で燦然と煌めいていたのが正八
面体結晶が含まれた黄鉄鉱。これが自然の造形なのか・・・つくづく驚きです。
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いやあ、ほんと面白かった!地味ながらも地底好きにはビンビン来る、非常に興味深い展示でした。その後
は建物の外に出て、ここ尾小屋鉱山資料館のもう一つの売りである尾小屋マインロードに向かいます。
緑で溢れかえる小道をしばらく歩くと、小さな橋の向こうに尾小屋マインロードの入り口が見えて来ました。
採掘に使われた本物の坑道を利用した地下展示施設で、言うまでもなく山中に掘り込まれたトンネルです。地
底好きとしてはこれにワクワクするなという方が無理でしょう(笑)。
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ドキドキしながら入り口をくぐると、おおお、鉄骨と丸太で補強された坑道内は至る所がべたべたに濡れて
いて、タールを塗った様に黒光りしています。そしてこの異様な寒さ。8月だというのに、半袖だと鳥肌が立
つ程です。これだけ坑道内の気温が低いと、あらゆる所が結露でびたびたになるのは当然ですね。
また、これまでいくつかの坑道跡を見学しましたが、どこも地中っぽさを演出しようとむき出しの岩盤を見
せていたのに対し、ここまできっちりと坑道らしい補強を施してあるのは逆に新鮮。もちろん地盤の強度にも
よりますが、そもそも地下深くの坑道なんて、これぐらいきちんと補強しないと危なっかしくて入れないんで
しょう。
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しんと静まり返った人気のない坑道内には、時折天井から滴り落ちる水音だけが響いています。そして先程
から私の脳内に鳴り響いている、実際には聞こえる筈のない『オオオオオオオオオオオオ』というホラー映画
じみた効果音・・・ああ、もうたまンないものがあります(笑)。
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意味もなく足音を立てない様に歩いて行くと、オレンジ色のライトに照らされた一角に出ました。尾小屋の
坑夫達が歌い継いだ、尾小屋鉱山歌を紹介するコーナーです。就業前に社歌を斉唱する会社なんか、今時は釣
りバカ日誌の鈴木建設ぐらいだと思いますが、
『見よ我が鉱山(やま)の男等が 流汗岩と取り組めば 発止とひびく槌の音 爆破に散るは
銅(かね)の華』
という時代がかった七五調の歌詞が、荒くれ男達の野太い歌声に乗って坑道内に響いていた当時の風景を想
像すると、汗と粉塵と火薬のにおいにまみれていたであろうその姿がとても高貴で尊いものに思えるというか、
深く胸を打たれた気分になります。
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そこから先は、地中を一直線に伸びる地下坑道。岩盤むき出しの場所と鉄骨と丸太で補強された場所が入り
混じり、立ち込めた霧で照明が煙って見えます。ああ、すごいなこれ。ドキドキしてきます(笑)。坑道内は
暗いながらも足元はしっかりしていますが、照明を全部消してヘッドライトの明かりだけを頼りに歩く様子を
想像すると、ちょっと足がすくむ気分。
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無人の坑道を恐る恐る進んで行くと、粗末な着物にちょんまげ姿の親父達が木材を加工している実物大ジオ
ラマが見えてきました。これは木造りという作業で、岩盤の崩れやすい箇所を支柱で補強している模様です。
使用された木材は丈夫で長持ちのするクリやナラ、マツ等で、地盤の強度や坑道の形状、作業内容に応じた様
々な技術を駆使した職人集団だったとの事。
また展示されたマネキンの作りは精巧そのもので、うつむいた鼻先からしたたる結露が噴き出した汗に見え
るのも凄いなあ。
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その先にあったのは、負夫(おいふ)の展示。手子(てこ)が三角形の鍬でかき集めた鉱石を、葛や竹で編
んだ籠で背負って運搬した人達です。重い鉱石を詰め込んだ籠を粗末な紐で体に括り付け、足元の悪い坑道を
ひたすら歩き続ける仕事。服装から見て江戸時代から明治初期の風景と思われますが、電気による照明や換気
装置などなかった当時、作業環境の劣悪さは今とは比べ物にならなかったでしょう。
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さらにその先には、水替えと呼ばれた作業の様子が展示してありました。地中から湧き出す地下水を、ひた
すら桶で汲み出す仕事です。
一切の思考を停止して、ただの部品になりさえすればいい気楽さはあるでしょうけど、朝から晩までただた
だ桶で水汲みか・・・。ふんどし一丁のマネキンの無表情が悲しみに満ちて見えます。のちの時代には先程見
た箱樋と呼ばれる手動ポンプが採用されましたが、初めてその手動ポンプを見た水替え坑夫は、
「すすすすすすげえ!これ考えた奴頭いいなあ!」
と、さぞかし驚いた事でしょう。
![](2016ogoyakouzan29.jpg)
曲がりくねった坑道内を歩いて行くと、手選と呼ばれる作業場に到着。掘り出された鉱石を手作業で選別す
る工程で、主に女性の仕事だったそうです。室内には大きな鉱石がゴロゴロしているものの、ちょっとおしゃ
れな山小屋風の作業場は明るい雰囲気で、先程までの過酷な労働環境とは雲泥の差。姉さん被りの手選婦達も、
鉱石を選別しながらSMAP解散問題についてのおしゃべりに花を咲かせている感じ。
![](2016ogoyakouzan31.jpg)
そこから先は再び真っすぐな行動が続き、見えてきたのが手掘りと呼ばれる作業風景。槌とタガネを使って
岩盤をカンカン掘り進む、文字通りの手掘り作業です。斜め上に広がる地下空間には木材による複雑な足場が
組まれ、作業には熟練の職人技を持った坑夫が選ばれたとの事。先程までの負子や水替えに比べれば割と楽そ
うですが、狭く不安定な足場に座りっぱなし、しかも頭上に向けて槌やタガネを振るうとなると、腰痛や肩凝
り、手の痺れ、眼精疲労がキツそう。これはこれで、決して楽な仕事ではなさそうです。
![](2016ogoyakouzan33.jpg)
その反対側には、頭上高く斜め方向に伸びた岩盤の裂け目に、無数の丸太を噛ませて補強した様子が。こん
な簡素な補強で岩盤の崩落を防げたとは思えず、ほとんど気休め程度だったんだろうなあ。これらの丸太がい
とも簡単にへし折れ、頭上の岩盤が一斉に崩落する様子を想像すると、ちょっとゾッとしますね。昔は作業中
の落盤事故なんてしょっちゅうあったんだろうなあ。
![](2016ogoyakouzan34.jpg)
そこから坑道は左へと折れて行きます。ん?なんだこりゃ?横穴から大量のシャボン玉がプワプワと流れて
来ました。説明書きには『幻想的でメルヘンチックな雰囲気が味わえる』とありますが、ここまで幻想やメル
ヘンに程遠い過酷極まる採掘現場のリアルを見て来ただけに、上滑り感が半端ではありません。
とは言えこの暗い坑道で弾けては消えていく無数のシャボン玉の一つ一つが、危険な採掘現場で使い捨てら
れる様に死んでいった名もなき坑夫達の魂だと思えば、なんとなく手を合わせざるを得ない気分。
![](2016ogoyakouzan36.jpg)
その先に待っていたのは、ブラックライトに照らされた坑道内の岩盤。ああ、以前和歌山県の小原洞窟恐竜
ランドで見た、蛍光鉱石ってやつですね。特定の鉱物を含んだ鉱石に紫外線を当てると、様々な色に発光する
というアレです。
赤、青、緑、黄色に光る鉱脈が幾筋も見えてなかなか幻想的な風景ですが、なぜか鮮やかに光る巻貝や翼竜
の骨の作り物が混ざっていて、ちょっと興ざめ。普通に光る岩盤だけでいい気がしますが、まあ子供はこうい
うのがあった方が喜ぶだろうなあ。
![](2016ogoyakouzan37.jpg)
坑道内のあちこちには真っ暗な脇道があり、立ち入り禁止の柵が置いてありました。流石に奥へと入る気は
しませんが、試しにフラッシュ撮影を試みると、寒気のする様な怪しい雰囲気に満ちていました。
![](2016ogoyakouzan38.jpg)
そこから先は特にこれと言った展示物はなく、暗く湿った坑道が延々と続きます。時折周囲を黒いビニール
シートで覆った区画が続きますが、ねっとりと丸い曲線で構成されたその内部は、まるで巨大な蛇か龍の消化
管内にいるみたいでちょっと不気味。
![](2016ogoyakouzan39.jpg)
また、木材による補強が施された坑道の一部に、別の支柱で二重に補強された部分がありました。この箇所
が特に弱いと判断されたのか、大丈夫だと分かってはいてもつい早足で通り過ぎてしまいます。
続いて現れたやけに明るいスペースは、ここ尾小屋鉱山の歴史年表を展示した一角。年表は10m以上にわ
たり、1971年の閉鎖をもって尾小屋鉱山の歴史は終了。そして1992年のマインロードのオープンで締
めくくられていました。300年を超える鉱山(やま)の歴史の最後が新たな施設の誕生で締めくくられてい
る事に、単純な感動を覚えてしまいます。
![](2016ogoyakouzan40.jpg)
地中深くをコの字型にくり抜かれた坑道を利用して作られたマインロードですが、いよいよ第2コーナーを
抜けて最後のストレートに差し掛かります。ここから先は近代鉱山ゾーン、同じ鉱山開発でも昭和以降の新し
い世代の展示であります。
![](2016ogoyakouzan42.jpg)
まずは発破作業。掘り込んだ畳一枚分ほどの壁面に約20本の細い穴を穿ち、内部に詰め込んだダイナマイ
トを爆発させて掘り進む作業です。穴を穿つ位置や角度、爆破させる順番の一つ一つににきちんとした理由が
あるそうで、これもやはり熟練坑夫による特殊な技術が必要なんですね。
![](2016ogoyakouzan43.jpg)
発破作業で砕かれた鉱石は、ワイヤーに巻き取られたバケットでかき集められて地面の穴から一層下の坑道
へと落とされて、そこに待っているトロッコによって地上へと運び出された模様。なるほどなあ、鉱脈のある
坑道の一層下に、もう一本運搬用の坑道を通してあるのか。
またこちらの坑道に施された補強方式は、三ツ留三方差切と呼ばれる特殊なもの。構造が極端に弱い岩盤や
落盤した坑道を修復しながら補強する場合に使われたそうです。工程が複雑な上にかなりの危険を伴う作業な
為、特に経験と技術のある坑夫だけが使えたテクニックとの事。
入り口付近に比べると、この辺りは天井が広く空間に余裕がありますね。立ち込める霧にぼやけた照明が幻
想的で、ゾクゾクする様な美しさに満ちています。人の気配が全くないのもたまりません。
続いて現れたのは、装薬と呼ばれた作業風景。岩盤にあけた孔に細長いダイナマイトを差し込み、アンコと
呼ばれた粘土で密閉する作業です。
![](2016ogoyakouzan44.jpg)
おお、これは採掘した鉱石の運搬に使用されたトロッコですね。錆と土埃まみれの牽引車は味も素っ気もな
い実用一点張りのデザインですが、虚飾を完全に排したその風貌が、一周回った美しさを醸し出しているのが
面白いなあ。ちなみに先頭部の牽引車両は機関車と呼ばれ、バッテリーで動いていた模様。
その運搬車両の後端では、さく孔作業が行われていました。岩盤にダイナマイトを埋め込むために、削岩機
で細長い孔を穿つ作業です。
![](2016ogoyakouzan46.jpg)
その向こうにあったのは、サバ合掌と呼ばれる坑道の補強方式。通常の補強よりも丸太の入り組み方が複雑
で、岩盤が柔らかく地圧が大きい場合に使われたとの事。複雑なロールケージで覆われたラリーカーのコック
ピットにいる気分です。
それにしても、先程から漂っている妙なニオイが気になります。一言で表現するのが難しいですが、有機物
が複雑に絡まりあった末に腐敗した様なこのニオイ・・・あ、これはきっと生命活動のニオイですね。
生命感の乏しい地下坑道を歩いてきた所為で、少し前まで当たり前に感じていた生命のニオイに対して私の
嗅覚が違和感を覚えているんでしょう。出口の方から聞こえてくる地下空間ではありえなかった蝉の声も、そ
れを裏付けている気がします。
![](2016ogoyakouzan48.jpg)
まばゆい光が差し込んでくる坑道の出口付近には、事務作業を行う見張り場がありました。見張り場とはま
た物々しいというか大仰な名称ですが、昔はこういった危険な作業を罪人にやらせていた経緯があり、命が幾
つあっても足りない現場から脱走する者が後を絶たなかった事からこんな名称がついた・・・のかも。
もちろん近代以降の発掘現場は専門の教育訓練を受けたプロの仕事場であり、素人の罪人に務まるものでは
ありません。ここで行われていたのは入出坑の確認や作業指示等で、名称だけが残ったのでしょう。
![](2016ogoyakouzan49.jpg)
テーブルの上には防毒マスクや酸素ボンベ、蓄電式のライトなどが整然と並べられ、ボードには3色に分け
られた名札が掲示されてありました。現在どの坑道に誰が入っているか、一目でわかる仕組みです。
出口の脇にあったのは、ささやかな神棚。入坑時はここで一日の安全を祈願し、出坑時は今日一日の作業の
無事を感謝したのでしょう。
![](2016ogoyakouzan50.jpg)
以上で尾小屋マインロードの見学は終了。いやあ、私の地底趣味を十分に満足させる、予想を上回る展示内
容でした。こんな素晴らしい博物館が閑散としているというのは非常にもったいない話ですが、大勢の見学者
で騒がしくなるよりはいいのかなあ。
真っ暗な坑道から出て来た途端、全身にぶつかってくる生命の息吹に圧倒されます。まばゆい太陽、土と緑
の湿ったニオイ、肌を刺す真夏の陽射し、鼓膜を震わせる蝉の鳴き声・・・どれも地底世界には全く縁のない
ものばかり。生い茂る樹木の葉の一枚一枚から生命感が迸り、なんだか眩暈がしそう。
![](2016ogoyakouzan51.jpg)
ある意味、この生命感と一体になってこその尾小屋マインロードなのかも。ここに来るなら夏が一番いいと
思いますね。とは言え、雪に閉ざされた冬場はそれはそれでまた別の感覚が味わえるのかもしれないなあ。う
ん、次は冬に見に来るか。山道の運転が大変そうですが・・・(笑)。
最後は資料館の受付の前を通り、先程の係の女性に挨拶。いやあ、素晴らしかったです!と素直に感動を伝
えると、ここまで食いついてくる見学者は珍しかったのか、仕事の手を止めて色々と教えて頂きました。以前
は福井県の鉱山跡にも同じような展示施設があったそうですが、随分前に閉めてしまったとの事。ああ、そこ
も見てみたかったなあ。
また、坑道跡を恐竜と地獄のテーマパークにしている和歌山県の小原洞窟恐竜ランドの話をすると、
「あっ、地獄関連に興味がおありでしたら、この近くにもう一つありますよ」
と言ったところで、
「「ハニベ巌窟院!!」」
と、二人揃って見事にハモってしまいました(笑)。そこ、昨年行ってきました(笑)。おそらくこの女性
は心の中で
「むむむ、この地底系大阪人、なかなかやるな・・・」
と思ったに違いない(笑)。
![](2016ogoyakouzan47.jpg)
いやあ、ほんと素晴らしかったです尾小屋鉱山資料館。真冬の時期は閉山していると思いますが、寒い時期
にもう一度見に来たいなあ。
炎天下の駐車場に停めてあった車の中は、殺人的な温度になっていました。冷房をMAXで効かせつつ、大
満足の尾小屋鉱山資料館を後にしました。
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