立野原演習場監的壕

2015.07.11



       富山県南砺市に現存する、立野原監的壕(たてのがはらかんてきごう)を見ててきました。富山県中部に広
      がる砺波(となみ)平野南部に位置する立野原は、日清戦争終了後の1898年(明治29年)に設置された
      軍金沢第九連隊
射撃演習場として用地の買収が進められ、当時は富士山麓に次ぐ日本屈指の大型演習
      場
だったそうです。広大な平野部を生かして、ここでは主に砲兵(陸自で言う特科)の実弾射撃訓練が行われ
      ました。
       その際の着弾効果命中精度を、標的に近い場所から観測する為に作られたのが監的壕で、非常に頑丈
      なコンクリ造りのトーチカの遺構が2箇所現存しています。また、本来は『かんてきごう』と読むのが正しいので
      すが、地元では『かんてっこう』と呼ばれているとの事。
       実はこの立野原監的壕、昨年の冬に一度訪れているのですが、その時は前夜の急な積雪で車が坂道を登
      れず、二つある監的壕の片方のみを遠くから眺めるだけ・・・という残念な結果に終わっていたのでした。
       と言う訳で、前回の借りを返すべく気合いを入れて、深夜0130に大阪を出発。北陸自動車道を北上し、朝6
      時に福光ICから一般道へ。いやー、前回来た時はこの辺りは一面の雪景色で、横っとびの吹雪で視界が灰
      一色だったんだよなあ。季節の移り変わりを感じます。
       少し走って桜ヶ池公園に到着。敷地内の坂道を登って行くと、程なく一つ目の監的壕が見えて来ました。車
      を停めてドアを開けると、おおう、途端に襲い掛かってくる、緑と湿った土の匂い、そしてセミの声。前回探訪
      時とはあまりに違う、夏の溢れる生命感に圧倒されます。


       半年前はすっかり雪に埋もれていた監的壕とその周囲ですが、今は勢いのある緑に取り囲まれています。
      この時間から既に陽差しは強く気温も上がっていますが、ぶ厚いコンクリートで固められた監的壕は、周囲に
      ひんやりとした冷気
を纏っている様。
       説明板の裏手から、監的壕に接近します。道路に面した部分より裏側の方がコンクリの痛みが激しいのは、
      風通しの悪さ湿気の所為でしょうか。黒カビもあちこちに散見され、建造当時は高台の頂上付近にぽつん
      と立っていたであろう監的壕、今は周囲を鬱蒼とした樹木に囲まれてしまい、当時の様相とはまるで違ってい
      るんでしょうね。

       表面はそれなりに傷んでいますが、監的壕そのものは相当頑丈そうで、横長に作られた観測窓のあたりは
      80cmぐらいの厚みがあります。恐らく着弾地域を横方向から観測していたと思われますが、当時の野砲の
      命中精度や着弾時の破片の飛散等
を考えると、やはりこれ位頑丈に作る必要があったんですね。
       監的壕裏手には出入り口と思われる小さな金属扉があり、厳重に施錠されています。錆まみれになった扉
      は15cm程の厚みがあり、私がちょっと引っ張った程度ではびくともしません。強度的に扉の開口部が小さい
      方が理想的
ですが、士官も兵卒も内部に入る際は頭を下げないといけないところは、利休の茶の精神に通じ
      るものがありそうですが多分関係ないでしょう。

       日当たりが悪く湿度が高いせいか、触れてみた監的壕はとても冷たい感触。夏でもこれなんですから、冬場
      の冷え込みは半端ではなさそう
。とは言え、日清戦争が終結し、ごく近い将来大陸でロシア軍と対峙する可能
      性が日に日に増して行った当時の状況を思うと、この寒さも最低限乗り越えなければならない程度のものだっ
      たんだろうなあ。
       残念ながら内部に入る事は出来ないので、周囲をぐるっと回って撮影。さて次は、前回見る事が出来なかっ
      たもう一つの監的壕を見に行きましょう。

       カーナビの誘導に従って車を進めますが、うーん、見えて来るのは田んぼばかり。監的壕という建物の性格
      上、周囲が見渡せる高台にあるのが当然なのですが・・・あ、右手に小さな丘を発見。一見してただの木立ち
      ですが、あるとすればここに違いないでしょう。邪魔にならない所に車を停め、周囲をぐるっと歩いてみると・・・
      あ、あれだ!木々の切れ目から、不自然に丸っこい構造物が見えました!

       登り坂を上がった所には、監的壕の説明板が。そしてその奥に監的壕がありました。丘の勾配は大したこと
      はありませんが、朝露に濡れた雑草が滑りやすくてちょっと危険。しまった、遺跡探訪時に履いている山靴
      来るべきだったか。

       ちなみにこちらの監的壕ですが、先程のものとは形状が異なるせいか、『メダマかんてっこう』という妙にカワ
      イイ通称
があるそうです。もっとも、作られた当時は丘の内部に掘り込まれた土坑状の構造だったそうで、現
      在の様な丸っこいコンクリ造りになったのは、昭和3年になってからだとか。

       先程の監的壕とは周囲の環境が異なるせいか、こちらの方が傷み具合が酷いです。観測窓の縁はボロボ
      ロ
に欠けていますし、表面のコンクリも剥離して内部に詰め込まれた石が丸見えで、まるで殻を割ったバロッ
      ト(ホビロン)
の様。こんな造りで強度的に問題はなかったのかと疑問に思いますが、造られた当時はコンクリ
      ートによる施工技術が確立しておらず、手探り状態だったみたいですね。

       それにしても、こうしてみると実に異様な光景です。地面に埋まった巨人の死体の頭蓋骨部分だけが露出し
      ている様
に見えますし、落下してきた宇宙船の緊急脱出ポッドが地面にめり込んだ風にも見えます。
       コンクリの裂け目からは植物が生え、地面からはツタも這い上がっています。このふたつの監的壕、2014
      年に南砺市の指定文化財に登録されて保存処理が行われている様ですが、そう遠くないうちに、このまま土
      に帰っていくんだろうなあ。

       地面から露出しているのは監的壕のごく一部であり、観測室自体は丘の内部に掘り込まれた形になってい
      る
ので、観測窓は地面すれすれの位置にあって薄暗い内部は覗きこみづらいです。辛うじて、壕の内部に突
      き出ている鉄筋の一部と思われるものを確認する事が出来ました。

       監的壕の後ろ側には掩体の様になった出入り口があり、立ち入り禁止の柵が置いてありました。経年劣化
      化で監的壕自体も相当傷んでいるでしょうし、今はだのヘビだのが一番元気な季節です。これ以上は近寄
      らない方がよさそう。

       監的壕の後部、掩体の上に立ってみると、目の前の平野部が一望できました。一面に広がった田んぼのあ
      ちこちにこんもりとした木々が点在する、実に長閑な風景。なるほど昔の陸軍さんは、ここから火砲の発射試
      験や演習の内容
を評価していたんですね。今日は朝から風もなく、耳が痛くなる様な静寂が支配するこの場
      所に、兵隊さん達の号令怒号駆け足の音火砲の轟音着弾時の衝撃波が響き渡っていた時代があっ
      たのか・・・と、しばし物思いにふけってしまいました。

       その後は0730に立野原を出発。同県伏木港に移動して、補給艦おうみの一般公開に向かいました。




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