2013.03.20
徳島県阿南市に所在する徳島駐屯地の開設1周年記念行事に参加して来ました。徳島駐屯地には第14
施設隊を中心とした各部隊が配置され、前線での陣地構築や地雷原の処理及び構成、道路や橋梁の構築
等を行って戦闘部隊を支援する、さながら戦うゼネコンであります。
また、他の部隊では見られない様々な建設重機やボート等の装備品を多数運用し、先の東日本大震災に
おいてもその特性をフルに発揮して、被災地での救援活動を強固に下支えした事でも知られています。
昨年3月に高知から部隊が移動して丁度1周年・・・という節目のイベントが、私の2013シーズン一発目の
遠征となったのも何かの縁でしょう。朝の天気予報は降水確率50%と微妙なものでしたが、神戸淡路鳴門
道路をひた走り、臨時駐車場となる小松島港赤石埠頭には0800に到着。ちょっと早く来すぎたかな?
乗り込んだシャトルバスのシートカバーには、『舎内のカーテンを使用 製作:片山二曹』との掲示物が。へ
−、古くなったレースカーテンを再利用している模様です。本当に物を大切に使ってるんだなあ。必要な訓練
すらおぼつかない位に防衛予算を削ろうとしている人達や、装備品調達の間に入って甘い汁を吸っている人
達は、こういう現場の涙ぐましい努力をきちんと直視して貰いたいものです。
その後しばらくして、シャトルバスは満車になる前に駐屯地に向けて出発。すぐに真新しい白い建物が目立
つ徳島駐屯地に到着ですが、あれ?既に開門されているのに、意外な位に人がいません。式典が行われる
グラウンドも周囲はがらんとしていて、ほとんど私が一番乗り状態なんですけど・・・。
とりあえず本部席で式典の内容を確認。パイプ椅子の席は全て招待者用で、一般見学席はその左右にあ
る石段スペースになるとの事。また、訓練展示は会場右手から左手に向かって進行するそうです。
となると、訓練展示の山場を見るには会場左手にいた方が良さそうですが、よく見ると会場右手奥には、こ
の駐屯地の大きな特色と言うべき07式機動支援橋が展開していて、すぐ隣には74式戦車が待機していま
す。あの74は、機動支援橋をガーっと渡って観閲行進や訓練展示に参加するのかな?
さて、ポジショニングに迷います。施設科の訓練展示を見るなら左側ですが、会場奥にある車輛が邪魔で
機動支援橋が見えません。全国では旭川とここ徳島にしか配備されていない機動支援橋を見るなら右側で
すが、そうなると訓練展示のクライマックスを遠く後方から眺める事に・・・。うーん、一長一短だなあ。
しかしよく考えると、あの車輛群は観閲行進を行ったあとは下がってしまうんですよね。じゃあ左側から望
遠で何とかなるかな・・・よし、今日は会場左手に拠点を構えましょう。
さて、この後はパンフレットを一枚もらい、駐屯地内を見て歩きます。やはり生まれたばかりの新しい駐屯
地という事で、何もかもが過剰にスッキリしています。これは昨年見た高知駐屯地もそうでしたが、どうにも
ここで隊員さん達が寝起きしているという生活感に欠けますね。長い年月の間に積み重なった無駄や不要
なものが一つもないので、変な意味で物足りないというか。
ちなみにこの徳島駐屯地、今どきの新設駐屯地らしく電化が進んでいて、従来の駐屯地に当たり前にあっ
た長大なボイラーのギラギラ配管が見当たりません。万が一の大災害発生時には、供給が不安定になりが
ちなガスに頼るよりも駐屯地内の発電機で賄える電力の方が確実なんだろうなあ。
隊舎の入口には、第14施設隊の部隊章が掲げられています。太平洋を思わせるマリンブルーを基調に、
徳島県をかたどったマークと阿波踊りのシルエットがあしらわれています。特科と並んで伝統的に気性が荒
いと恐れられている施設科らしくないデザインですが、これは積極的に地元に溶け込もうという姿勢の表れ
なのでしょう。
隊員食堂も新設駐屯地らしくキレイでこざっぱりしていますが、満席でも54人しか入らないんですね。他
に幹部用や上級陸曹用があるんでしょうけど、小さな駐屯地だからこれでも十分回転するのかな?
とは言え、この手の食堂はあまり大きいとモロに学食風になってしまうので、これ位の規模の方が一番美
味しく作れるのかもしれません。
徳島地本の募集テントには沢山のパンフレットが並び、風で飛ばされない様に戦闘糧食T型の缶飯で重
石してありました(笑)。陸自らしいなあと眺めていると、係の隊員さんが
「あ、よかったら幾らでも持って行って下さいね」
と言ってくれたので、思わず缶飯の方を持ちかえりそうになりました(笑)。
募集テントの前では、徳島地本のマスコットであるさきちゃんが愛嬌を振りまいています。HPのイラストを
見た時はちょっとキモイと思ったのですが(スミマセン)、立体になると結構かわいいなあ。徳島名産の阿波
尾鶏に阿波踊り風の戦闘服を着せてありますが、カワイイと言うよりもむしろ美味しそうに見えるのは、これ
でよかったのかなあ・・・。
さて、そろそろ確保した拠点に戻りますが、最前列以外はまだスカスカに空いています。見学スペースは
ひな壇状なので、ゆっくり来てもどこからでも撮影はし易そう。上空はどんよりと雲が覆っていますが、今日
は降らなければ恩の字ですね。
そしていよいよ式典が開始。まずは第14音楽隊を先頭に部隊が入場を開始し、その後は式典参加各部
隊の紹介が行われます。向かって左側より、第14音楽隊(善通寺)、第14施設隊、第14後方支援隊第1
整備中隊(善通寺)、徳島駐屯地業務隊、第440会計隊、第323基地通信中隊徳島派遣隊。それぞれの
名前が呼ばれる度に隊旗がきりっと掲げられ、会場からは拍手が贈られます。
続いて観閲部隊指揮官を務める第14施設隊副隊長原藤3佐が徒歩で入場し、部隊は観閲部隊指揮官
に敬礼。
しばしの沈黙の後、観閲官の入場・・・の筈が、ここで急遽祝賀飛行が挟まれることに。通常は式典の後
の観閲飛行として行われる事が多いのですが、恐らくこの後の天候の崩れを見越して、急遽予定を早めて
前倒しにしたようです。うーん、やっぱり降るのか・・・。
上空から式典に華を添えるのは、北徳島分屯地の第14飛行隊からやってきたOH−6D観測ヘリとUH
−1J多用途ヘリ、あと海上自衛隊小松島航空隊から参加のSH−60J哨戒ヘリ、同じく海上自衛隊徳島
教育飛行群から参加したTC−90型練習機。晴れた青空なら白と朱のカラーが鮮やかに映えるTC−90
ですが、今日はどんよりと暗い空なのが残念。
そして本式典の観閲官を務める、第14施設隊長兼ねて徳島駐屯地司令である津田2佐が登壇。部隊は
はびしっと敬礼を決めています。
ちなみに津田2佐は徳島県鳴門市出身で、文字通り一国一城の主として凱旋帰国を果たした訳ですね。
今後徳島駐屯地が地域に溶け込み、防衛防災という点で地元自治体や警察、消防などと緊密な連携を取
る上で、この上無い人材だと言えます。
さらに津田司令は、私と同じ年の生まれ。そうかー、同年代に駐屯地司令はいるわ護衛艦艦長はいるわ
・・・俺って何やってんだろう・・・orz。
その後部隊はつけ剣。見学者一同も起立して、国旗の入場を迎えます。
続いて観閲官による部隊観閲が行われますが、司令は副隊長と共に徒歩で観閲を実施。前の旧高知駐
屯地時代からの伝統なのか津田司令のポリシーなのかはわかりませんが、こういう時は車両に乗って観閲
を行った方が威厳が、あっていいと思うんですけどねえ。
観閲官による式辞、来賓祝辞、来賓紹介、祝電披露と、式典は滞りなく行われます。それにしても、来賓
紹介がやけに長かったなあ。正直見ている方は退屈なのですが、記念すべき開設1周年ですし、今後とも
各方面と連携を取る意味では、一番大事な事かもしれません。以上で記念式典は終了です。
「観閲行進のー、体勢をとれー!」
の号令で部隊は続々と退場。各車両に取りついて車輪止めを外し、エンジン始動。一斉に照明が点灯し、
物々しい雰囲気になって来ました。お、上手い具合に車輛の列が移動して、その奥にあった07式機動支
援橋が見えて来ましたよ。
準備が整った所で、第14音楽隊が行進曲『大空』を演奏しながら先頭を切って入場。よく見ると戦闘服
姿だけでなく鉄帽も着用していて、これは結構珍しい様な。
観閲部隊指揮官が座乗するパジェロがやってきて、第14施設隊第1小隊からの偵察オート、救急車、
トラック、特大型ダンプが続きます。
第2小隊からは、資材運搬車を搭載したトラック、83式地雷敷設装置、道路障害作業車が。交通小隊
からは、バケットローダ、トラッククレーン。
渡河機材小隊からは、07式機動支援橋の架設車、渡河ボート。善通寺から参加の第14後方支援隊か
らは、大きなシェルターを搭載したトラック、重レッカ。
そして07式機動支援橋の手前で待機していた74式戦車ですが・・・動かず。あれ?
うーん、あの橋をゴゴゴゴゴと渡って行くところを見たかったのですが・・・まあそれは訓練展示のお楽しみ
かな。この位置からでもバッチリ見れるので、美味しいところは後の方がいいですね。
ここで観閲官は降壇し、国旗も退場。続いて第14音楽隊による音楽演奏です。曲目は『第14施設隊歌』
『君が代行進曲』『桜』『一番近くに』の4曲。それにしても、戦闘服に鉄帽まで被っていると音楽隊に見えな
いというか、別の職種の隊員さんが楽器を持たされている様な不思議な違和感がありますね。なのに演奏
はそこらの音楽団顔負けのレベルなのですから、なんとも奇妙な光景です。
その間にも訓練展示の準備は着々と進められ、グラウンドでは隊員さん達が鉄条網や雑草の遮蔽物を
運び込んでいます。何故かリールの付いた釣竿を操っている隊員さんがいますが、戦闘服姿の隊員さんが
グラウンドでリールをカリカリ巻いているというのも、これまたシュールな姿だなあ。
見事な演奏を披露して、音楽隊は拍手を浴びながら退場。続いては格闘訓練展示の始まりです。緊迫感
のあるBGMが雰囲気を盛り上げる中、第14施設隊上級格闘指導官の資格を持つ田村2曹が指揮する格
闘展示部隊が、駆け足で入場して来ました。
先ずはラバー製の89式小銃を持った隊員さんが、小銃やナイフ、素手で襲いかかって来る敵を制圧する
様子を披露。安全のための鉄帽もヘッドギアもないので、かなり迫力があります。
続いては、ナイフを持った隊員さんが襲いかかって来る敵を次々と制圧。上にのしかかられた状態から巧
みにポジションを入れ替えて関節を極めたり、背後から突き付けられた小銃をすり抜ける様に躱して奪った
り。最後は一人で複数の敵を相手にする際の要領を展示して、大迫力の格闘展示は終了。
そしていよいよ模擬戦闘訓練展示です。先ずは開始に先立って状況の説明が行われ、会場左手の96式
装輪装甲車がいるところが、敵対抗部隊が占拠した『青の台』との事。装甲車の前には鉄条網と地雷原が
設置され、あちこちに散らばっている黒い丸いものが地雷という設定だそうです。
陸自部隊は会場右方向から展開し、ここ徳島駐屯地のご当地部隊である第14施設隊が敵陣地手前の
障害物を爆破処理し、啓開した突撃経路を通って第15普通科連隊(善通寺)と第14戦車中隊(日本原)
が敵陣地に突撃をかけ、青の台を奪還するシナリオです。
ちなみに施設科隊員の鉄帽には青テープが、普通科隊員の鉄帽には赤テープが巻かれているとの事。
なるほど、職種ごとの違いが分かりやすい、なかなか気の効いた工夫であります。
ここでどんよりとした低い空から、しびれを切らしたかのようにパラパラと雨粒が。うわあああ、あと20分
でいいからもってくれよ!
会場には状況開始のラッパが鳴り響き、OH−6D観測ヘリが爆音を上げながらやってきました。ヘリは上
空から敵陣地の偵察を実施し、情報を本隊に報告。中隊長は青の台手前に敷設された地雷原と鉄条網を
無力化すべく、施設科部隊の前進を命令します。
「こちら中隊長、これより障害物の処理を実施せよ!」
「こちら施設小隊長!了解!」
あわせて施設小隊の前進を容易にするために、特科部隊と迫撃砲部隊による敵陣地に向けての攻撃準
備射撃が行われます(本日は効果音のみ)。立ち込める着弾煙に紛れて、70式地雷原爆破装置を抱えた2
個分隊が忍者の如く進入してまいりました。
施設科2個分隊は素早く遮蔽物に身を隠し、左右から援護射撃を行いながら発射装置の準備を整えてい
きます。
「発射5秒前!4、3、2、1、発射!」
その瞬間、周囲の土砂を吹き飛ばしながらロケット弾が発射され、一気に敵装甲車を飛び越えて行きまし
た。うわあ、びっくりしたなあ。てっきり展示するのは発射手順だけかと思っていたので、会場からも大きな驚
きの声が上がります。
今回はペットボトルロケットを利用した模擬弾でしたが、本物は桁外れの推進力を持つロケット弾を発射し、
牽引するケーブルに仕掛けられた爆薬が地雷原を帯状に吹き飛ばして安全な突撃経路を確保する・・・とい
う、かなり男の子な装備品です。
「爆破成功!これより通路に標識を設置する!施設小隊、前へ!」
ここで確保した人員用通路の安全を、施設科の隊員さんが実際に歩いて身を挺して確認します。さらに突
撃を行う小銃小隊の安全を確かなものにするために、標識を設置すべく前進開始。背後からの援護射撃は
ありますが、基本的に銃弾が雨あられと飛び交う最前線を走り抜けるため、もうこれは自分の仕事に完璧な
自信がある上に人並み外れて腹が据わっていないと到底勤まらない、まさに男の中の男の仕事であります。
うーん、やっぱり施設科はすごいなあ・・・。
「こちら中隊長!了解!小銃小隊はこれより前進し、青の台を奪取せよ!」
後方から74式戦車の機関銃が火を吹く中、普通科の軽装甲機動車群が猛然と進入開始。ルーフ上から
はMINIMIが援護射撃を浴びせ、飛び出して来た小銃小隊が一気に前進します。飛びこむように地面に伏
せた後は二手に分かれて援護射撃を行いつつ交互に前進し、敵陣地に向けて徐々に距離を詰めていきま
す。
敵からの反撃がいよいよ激しくなる中、小銃小隊は地面に伏せた状態で大声で相互確認、さらに弾倉を入
れ替えて小銃に着剣し、最後の突撃準備を整えます。
ここで後方に展開していた74式戦車が猛然と前進開始。・・・って、あれ?機動支援橋を使わず、ぐるりと
迂回して突入して来ました。なんだ、橋を使わないのか。
そして74式戦車は、敵陣地に向けて立て続けに砲撃開始。ズドオンと轟音が鳴り響くたびに、会場か
らは驚きの声が湧き起こります。ここでびっくりして泣きだす子供がいるのがお約束ですが、今回は泣き声
が聞こえません。徳島のちびっ子は猛者ぞろいなんでしょうか(笑)。いい所に駐屯地を作ったもんだなあ。
「中隊長、こちら小銃小隊長!突撃準備完了!」
最後の突撃準備射撃の着弾を合図に、小銃小隊は一気に突撃開始。軽装甲機動車や74式戦車も猛ス
ピードで突っ込んで来て、一気呵成に敵陣地を制圧。見事に青の台を奪還しました。
状況終了ラッパと大きな拍手が鳴り響く中、施設科大活躍の訓練展示は無事終了。いやあ、大型施設科
車輛が大暴れする大久保や、不発弾処理作業に重点を置いた桂とはまた一味違った、施設科のもう一つ
のお家芸とでもいうべき地雷原処理を実に分かりやすく見せた、大成功の訓練展示でした。
74式戦車が機動支援橋を通らなかったのがちょっと残念でしたが、結局雨が降ったのは直前の一瞬だ
けで、第一回目としては文句なしの内容でしたね。
さて、この後は屋台のテントに向かいます。まずは目をつけておいたハモ天の屋台へ。ここでハモ天丼と
ハモクリームコロッケを入手しましたが、ハモ天丼が素晴らしい出来でしたね。控えめに盛られた白ご飯の
上には刻み海苔があしらわれ、大ぶりのハモの天ぷら2つとししとうが並んでいます。ハモ天は表面はさっ
くり、中はふんわりの見事な揚げ具合で、甘味の強いタレとの相性もばっちり。大満足の美味しい美味しい
ご当地ハモ天丼でした。
もう一方のハモクリームコロッケは揚げ置きの冷めた状態。ちょっとガックリですがお味の方はなかなかで、
揚げたてだともっと美味しいだろうなあ。それにしてもこの屋台、どうも自衛隊の人達ではなさそうです。使用
しているフライヤーも装備品ではありませんし、外部の業者さんかな?尋ねてみたかったのですが、すごく忙
しそうだったので遠慮します。
他の屋台を見て行くと、カップラーメン、揚げたこ焼き、ジュース、フライドポテト、イカゲソ天等。やけに揚げ
ものが目立ちますが、先程のハモ天の様な徳島らしさはありません。カップラーメンも普通に市販されている
もので、SDFヌードルの新バージョンを期待したのですが。
うーん、もうちょっと食べたい気がするなあ。よし、イカゲソ天行っときましょう。屋台を切り盛りしているのは
那賀川FireCorps第三班。ファイアーコープス?なんじゃそりゃ。部隊名とは思えませんが、駐屯地内の運動
クラブか何かなのかな?
テントにいた人に尋ねてみると、どうやら地元那賀川町の消防団との事。ああなるほど、納得です。
こちらのイカ天は揚げたて熱々で美味しいなあ。天ぷらに中濃ソースという組み合わせも、意外なほどよく
合っていましたし。
ちなみに他の屋台を運営しているのは、地元那賀川町商工会青年部の人達でした。どうやら隊員さんの自
前の屋台は一軒もないみたいです。んん〜、駐屯地グルメ的にはちょっと残念だなあ。とは言え、生まれて間
もない徳島駐屯地。地域の人達との連携を深めるという意味では、ここは地元の人達に参加して貰う方が本
式典の意義に沿っているんでしょう。
会場の片隅では高機動車やパジェロ、トラックによる体験試乗が行われ、その隣には74式戦車と96式装
輪装甲車、OH−6D観測ヘリが展示してありました。OH−6D観測ヘリの後部座席にはちゃんと爪先を突っ
込むためのフットレストがついていて、意外なところで気を使った設計なんですね。
また、よく見ると灰皿らしいものがついていましたが、要るのか灰皿が(笑)。ってか、ヘリの中でタバコを吸っ
ていいの?しかしよく見ると、その上にはちゃんと『機内禁煙』の貼り紙がありました。
その後は会場奥に展開していた07式機動支援橋へ。へー、実際に上を歩けるとは。近づくと驚くほど巨大
な橋げたで、なるほどこれなら90式でも問題なく通れそうですが、歩いてみるとビヨンビヨンとかなり揺れるの
が意外。もちろん構造材自体がしなって重量物による負担を軽減する仕組みなんでしょうが、これ、戦車に乗
っている人は怖いだろうなあ。
橋の上から式典会場を眺めていると、係の隊員さんが
「すみません、一応手すりはついていますが、端の方ではなくなるべく真ん中を歩く様にお願いします」
との事。まるで一休さんみたいな隊員さんでありました。
その後はシャトルバスで臨時駐車場に移動し、私の趣味の一つである遠征先の地元スーパー巡りを楽しん
で帰投しました。スーパーではボラのフライを見つけたのですが、ボラがこんなに美味しかったとは!臭みの
ないあっさりした白身とウスターソースの相性が抜群でありました。徳島のすだちは私も大好きですし、7年前
に来た時はホラ貝も美味しかったなあ。食べ物は素晴らしく気候は温暖。徳島はいいところですねえ。
ちなみにこの式典が行われた前日、東南海トラフ大震災が発生した際の最大被害想定が発表されました。
発生地域での死者は最大32万人、被害額は実に220兆円を超す、東日本大震災の10倍超という途方もな
い数字だった事に衝撃を受けた人は多かったと思います。
徳島県だけでも3万人強の死者が予想され、まさに言葉を失うとしか表現しようがない数字。ただこの数字
については、考えられる限りの準備を整える事で、被害を1割ほどにまで抑える事が出来るそうです。
もちろんそれでもとんでもない数字である事には変わりませんが、万が一の際には高知駐屯地と並んで四
国太平洋側の災害救助の要となる徳島駐屯地。これからも地域、および日本全国からの大きな期待に応え
る事が出来るよう、頑張って貰いたいですね。
また、朝のシャトルバス内で見たリサイクルシートカバーにも繋がる話ですが、国防にしても災害救助にして
も、人とモノを準備して動かせばどうしても予算的な問題がつきまといます。しかし、5年後10年後のために、
今惜しんではいけない予算は何かという事も、国民一人一人がしっかりと考えたいものです。
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