掃海殉職者追悼行事関連  掃海艦隊一般公開inサンポート高松

2012.05.26



    香川県のサンポート高松で行われた、掃海殉職者追悼行事関連の掃海艦隊一般公開に参加してきました。当日
   は瀬戸内海を隔てた対岸の岡山県玉野港でも護衛艦せんだいの一般公開が行われ、たまたま両会場のすぐ近く
   を行き来するフェリーが出ていたので、午前はサンポート高松で掃海艦隊を、午後からは玉野港で護衛艦せんだい
   を見学・・・
という、艦艇ファンとしては非常に美味しいプランを組む事が出来ました。
    サンポート高松での掃海艦隊一般公開は0900〜というスケジュールなので、移動に要する時間を逆算して0450に
   自宅のある大阪市内を出発。途中中国道と山陽道で濃霧に襲われましたが、霧中航行部署を発令しつつ一路岡山
   県を目指します。
    児島ICからは一般道を経由して、0745玉野港に到着。当日の玉野港はたまの港フェスタという大きなお祭りが開
   催されていて、屋台のテントがひしめき合う広場の向こうには護衛艦せんだいの艦橋が見えています。関西ではな
   かなかお目にかかる機会の少ないあぶくま型護衛艦、すぐにでも見に行きたかったのですが、それは午後からのお
   楽しみ・・・
と言う事で車をコインパーキングに預けます。
    高松行きフェリー乗り場には既に0820発の便が入っていて、車輛甲板にトラックや乗用車を飲み込んでいます。い
   やー、フェリーってのも久しぶりだなあ。


    待合所で往復乗船券を購入しますが、瀬戸内海を行って帰って700円、という値段に驚きです。まさに地元の足、
   バスみたいな感覚
なんですね。
    しばらく待って乗船開始。いやー、ワクワクしてきたなあ。海自艦艇に限らず、船での移動ってのは独特の味わい
   があります。
    船内は清潔感はあるものの、幾分くたびれた感じが漂っていてこれも素晴らしい。うろうろと見て歩いているうちに、
   いかにも瀬戸内の人達の下駄感覚の船らしく、何の感慨もなくフェリーは出港。まあそりゃそうでしょうねえ。海面で
   はミズクラゲとアカクラゲが、著しくやる気に欠けた態度で出港を見送ってくれました。
    フェリーは停泊中の護衛艦せんだいの真正面を横切る航路を取ってくれたので、後部デッキから撮影する事が出
   来ましたが、今日はやけに海上のモヤがきつく、くっきりとは見えないなあ・・・。


    フェリーはべた凪の瀬戸内海を順調に航行し、小一時間ほどで高松港に近づきます。甲板から眺めてみますが、
   相変わらずのモヤの上に逆光がきつく、視界はすりガラスの様にはっきりしません。防波堤の向こうに掃海母艦ぶ
   んごの艦橋らしきもの
が見えますが、うーん・・・。


    赤灯を回り込んで高松港内に入ると、ようやく視界がはっきりして来ました。おお、手前に見えるのはMSO303
   掃海艦はちじょう、MSC690掃海艇みやじま、
その向こうにはMST464掃海母艦ぶんご!


    そしてフェリーはこれまた何の感慨も無く高松港に接岸。目の前の導板がギギギと降りて、なんだかゆら型輸送
   艦から上陸する気分
になって私一人だけ盛り上がります。


    0928、高松上陸。目の前にはお城の様な公園がありますが、それには目もくれずに本日の一般公開会場である
   サンポート高松へ向かいます。この頃には空も幾分青みを増して、ぶんごも少しずついい色になって来ました。
    一般公開は既に始まっていますが、ぶんごの甲板にはそれほど人は乗っていません。埠頭には人影もまばらで、
   小さな子供を連れた家族連れ、一目でそれと分かるオーラ(ニオイ?)を放つマニア、あとはたまたま休日朝の散歩
   で訪れて、目の前の巨大なぶんごに目を丸くしている人達・・・が、ぱらぱらと散らばっています。


    それにしてもぶんごって、ぱっと見は結構シンプルで地味な見た目ですね。同型艦のうらがを2年前の四日市港
   で見たのですが、あまりの混雑で艦橋に上がれなかったという悔しい一般公開だったので、今日はうらがの分まで
   しっかりと見て回れそう。
    ちなみにこの掃海母艦ぶんごは、掃海艇による機雷の捜索、掃討、掃海作業を安全かつ効率的にサポートする
   ために建造された艦艇で、高度な医療設備を含む母艦機能、掃海作戦や掃海艇の運用を管理する司令部として
   の旗艦機能、水中機雷の投下を行う機雷敷設機能、磁気・音響掃海具とヘリコプターを合わせて運用するための
   航空掃海支援機能に特化した艦であります。


    埠頭には善通寺駐屯地の15普連から参加の高機動車が展示してあり、香川地方協力本部も張り切って沢山の
   テントを展開しています。
    さて、とにかくぶんごに行ってみましょう。手荷物検査をパスし、ぶんごへのラッタルを登ります。基排5700d
   いう立派な体格ですが、排水量以上に乾舷が高く感じるなあ。


    舷門のある右舷から艦首に回ると、まずは62口径76o速射砲がお出迎え。排水量に相応しく艦の幅はたっぷ
   りあり、背後の艦橋も堂々たる高さなので、その前に立ちはだかる小さな丸っこい速射砲が妙に可愛らしく感じま
   す。なんというか、ゴールを必死に守ろうとしている子供サッカーのGKを見ている様です。


    左舷を艦尾方向に歩いて行くと、艦橋構造物と煙突の間に広いスペースがありました。甲板には長方形の大き
   なハッチ
があり、頑丈そうなヒンジが突き出ています。どうやらエレベーターらしいのですが、ここから掃海用の装
   備品を収納するのかな?傍にいた隊員さんに尋ねてみると、
    「はい、ここは艦内に通じるエレベーターになってますが、主に掃海艇に補給する物資の出し入れに使います。
   なにぶん掃海艇は小さいので、食料や水、燃料を満載しても1週間ぐらいでカラになるんですよ。両舷にあるタワ
   ーみたいなのが伸縮式のクレーンでして、真下に接舷した掃海艇に物資を降ろすのに使ってます」


    へー、そうなんですか。人の移動にも使うんでしょうか。
    「乗組員の移動は、乾舷中央部に開いている出入り口から縄梯子を使って行いますよ。補給を受ける時は、艇
   長はぶんごの艦長に一言挨拶をする事になってますので。また、この艦は掃海隊の群司令も乗り込む事が多い
   ので、その際も艇長は挨拶しに乗艦されます」

    ただ、波が高くて艦が揺れたり風がある時は、パレットの上に艇長を乗せてクレーンで一気に甲板まで引き上げ
   る
事もあるとの事。ぶんごは乾舷が高いので、結構怖い様な気がするなあ。
    「でしょうねえ(笑)。まあ一応、落下防止のネットでくるむんですけど」
    ははあ、サンマの水揚げみたいな光景なのかなあ(笑)。


    ケーブルをまとめた巨大なドラムが並ぶ左舷を通り、後甲板へ向かいます。おお、広い!大型ヘリ以外にも、掃
   海作業に使用する多種多様な装備品を運用する艦だけあって、かなり広大な飛行甲板です。2年前のうらが一般
   公開と比べると人も少ないので、なおさら広く感じるなあ。


    甲板の中央には3つの水中機雷が展示してあり、甲板のあちこちにエレベーターのハッチが見えます。
    格納庫内では、掃海部隊の資料展示が行われていました。太平洋戦争終戦当時、日本各地の航路に残された
   数万もの機雷の処分が行われましたが、十分な知識も技術も装備もない中、昭和29年に掃海作業が海上自衛
   隊に引き継がれるまでに、実に79柱もの殉職者を出したという危険極まりない作業だったそうです。
    日本が海外から買い入れる資源はその99%を海上輸送によって輸入している反面、戦後の復興を成しえた陰
   にこのような尊い犠牲があったことは、残念ながら広く知られている所ではありません。


    その後は右舷に回り、ぶんご艦内へ。ラッタル前には掲示物があり、なんでも第3回西太平洋掃海訓練で行われ
   た参加8ヶ国によるスポーツ交歓会にて、海自掃海部隊は総合優勝を勝ち取ったとの事。種目はサッカー、綱引き、
   セパタクロウ、ペタンク、バイアスロン、ビターナッツリーブリングの6種目。何やら訳の分からないものも混じってい
   いるのが面白いなあ。
    興味深いのが各種目ごとのリザルトで、ぶんご・あいしま・はちじょうによる海自チームは6種目全てにおいて3位
   以内に入賞
していて、そのうち4種目で2位を獲得。部門優勝はペタンクのみですが、全ての種目でそつなくお立ち
   台に食い込み、最終的には総合優勝をかっさらう・・・
というのが、実に日本人らしいと言うか海自らしいと言うか。


    ぶんごの艦内通路は明るく広く、このあたりは護衛艦とは随分違った雰囲気ですね。普通の建物なら3階に相当
   する02甲板からは外のラッタルを使い、艦橋後部の旗甲板に到着。旗甲板からウイングにかけては非常に広々
   と開放的ですが、これは掃海艇への補給作業や掃海作業を見守る為の見張りスペースになるんでしょう。


    その巨体に相応しく、艦橋内も実に広々。各種機器がずらりと並んでいますが、ゆったりとしたスペースがあって
   居心地は良さそうです。


    掃海隊群司令が座乗しているらしく、副長席には黄色いシートカバーが。その後方にはぶんごのシンボルマーク
   が描かれた大きなフロアマットが敷かれてありましたが、浮上させた水中機雷に銛を突き立てるイルカがデザイン
   されていて、なかなかカワイイなあ。しかし、機雷を串刺しにするのは止めといた方がいい様な・・・。


    左舷のウイングに出ると、一人のオジサンが険しい表情で双眼鏡に目を当てています。恐らくこのオジサンの
   内世界
では、掃海作業を厳しく見守る艦長になった自分が大活躍しているのでしょう。やはり大和男子たるもの、
   幾つになってもこういう子供っぽいスピリッツを忘れてはいけませんね・・・と思っていたら、そのオジサンが
    「・・・イチャついとるがな(怒)!」
    と、吐き捨てるように呟いたのには笑ってしまいました。ただのデバガメだった模様であります。


    最後にもう一度艦橋の空気を味わってから、ぶんごを後にしました。
    さて、お次は掃海艦はちじょうへ向かいます。ラッタルを渡ると、いかにも掃海作業にあたる艦らしく沢山の装備
   品で足の踏み場もない甲板
です。あちこちからにょきにょき生えているクレーンケーブル巻き上げ機、ドラム、
   巨大なフロート類
が押し合いへし合いする中、僅かな隙間を埋める様に水中処分員が着用するウェットスーツ
   火災消火時に使用する耐火服などが展示してありました。


    はちじょうは艦内も開放されていて、中央部のラッタルを上がって艦首方向に進むと士官室がありました。ベー
   ジュ色の室内
にはマリンブルーのテーブルクロスとシートがあり、キャビネット類は掃海艦ならではの木製。実に
   落ち着いた雰囲気です。


    当直士官が座る末席にはオーバルプレートとお茶椀類、コーヒーカップ、そしてふりかけの瓶が展示してあり、
   艦内生活の一端を垣間見せてくれています。
    係の隊員さんは気さくな人で、
    「うちのカレーは美味しいですよ〜、かなり辛いですけど(笑)」
    と、色々とお話を聞かせて頂きました。うーん、食べてみたい・・・。


    艦橋に上がると、やはり掃海“艦”だけあって、掃海“艇”よりも随分と広々としていますね。艦長席は右側にあり、
   赤青のシートカバーが掛けられてありました。
    そして最後は、隣に横づけされていた掃海艇みやじまに乗艦。かの宮嶋茂樹カメラマン名誉乗組員に選ばれ
   たという逸話のある掃海艇ですが、残念ながら甲板のみの一般公開。
    艦首で仁王立ちしている20o機関砲の後がみやじまグッズ販売所になっていましたが、安芸の宮島から名前を
   頂いたらしく、識別帽にはあざやかな楓の葉がデザインされていて実に美しい。


    艦尾には自走機雷処分具PAP104Mk2が置いてありましたが、真っ黄色なボディにさりげなく小さな楓の葉の
   ステッカーが貼られているのが、慎ましげでいい感じですね。同じ掃海艇でも、阪神基地隊を母港とするくめじま
   大胆不敵さとは、また一味違った魅力がありました。


    最後は再び掃海艦はちじょうに移動して、上陸。みやじま艦内を見る事が出来なかったのは残念ですが、2週間
   前に阪神基地隊でも掃海艇を見ているので、まあいいか。今日はぶんごをゆっくり見て回れたのが大収穫でした。


    さてこの後は、再び岡山県玉野港に戻って護衛艦せんだいを・・・ですが、その前にサンポート高松に隣接してい
   る高松シンボルタワーに向かい、8階の展望デッキからぶんごを撮影。30階のレストランからの眺め程ではありま
   せんが、まるでヘリコプターから撮影している様な気分が味わえますね。まだちょっとモヤが残っていたのが残念で
   はありましたが。
    四国フェリー乗り場に移動し、1150の便に乗船。玉野港着が1250、せんだい一般公開が1300からなので、丁度
   いいタイミングです。


    お昼は船内の軽食コーナーにてきつねうどんを。やや小ぶりのうどんではありますが、玉野港の屋台でも何か食
   べたいので、この控えめな量はむしろ有り難いですね。
    うどんはいかにも讃岐らしい角ばった太いうどんで、出汁もちゃんといりこのワイルドで強い味わいなのが嬉しい
   なあ。
    玉野港までは約1時間。窓の外からは初夏の瀬戸内の陽射しが燦々と降り注ぎ、お腹が落ち着いた事もあって
   いつの間にかうとうととしてしまいました。




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