2011.08.02
富山県伏木港で行われた護衛艦はまゆきの体験航海に行ってまいりました。深夜の北陸道をひた走り、前日のうちに富山入
りしたのですが、本当に北陸は涼しくて快適ですね。前夜は80オーバーのバアサマと飲みに行って泥酔して帰ったのですが、
夜中に寒くて目が覚めた位でした。
当日、早朝0750には伏木港万葉埠頭に到着。さて昨年見逃した自衛隊旗掲揚と君が代吹奏を見ようと思ったのですが、残
念ながら埠頭への立ち入りは0800からとの事…。うーん、仕方が無いので、まずは金網のフェンス越しに護衛艦はまゆきの
雄姿を撮影です。
その後時間通りに埠頭に入る事が出来たのですが、いやー、やっぱりいいですね、はつゆき型。76o速射砲、アスロック発
射機、艦橋、マスト、煙突、格納庫がキレイに富士山の形に納まっていて、実にキレイなフォルムです。次々と次世代汎用護衛
艦が誕生する中、その設計思想の古さとキャパの小ささは否めませんが、現行の護衛艦の中では見ていて一番好きだなあ。
埠頭には沢山の業務用白テントが並んでいて、ふと見ると『舞鶴海軍カレー』の看板が。もしかして、カレーの屋台も出るのか
な?
一通り外観の撮影を済ませてのんびりしていると、駐車場の方からは沢山の子供連れ家族がやって来ます。ああ、そう言えば
もう夏休みなんですね。入れ替わり立ち替わり艦首部で記念撮影をしているのが微笑ましいなあ。すると背後から、
「おおお、でっけー!」
と大きな声が。どうやら護衛艦を初めて見る子供らしく、いきなりテンションが上がりきっている模様。はつゆき型ででっけーっ
て、ひゅうがを見たら腰を抜かすぞ坊主!と、自慢げに言ってやりたかったのですが、まあ別にひゅうがは私の持ちモノでも何
でもないですし(笑)。
ふと見ると、既に始まっている乗艦受け付けの列に、『最後尾』と書かれた看板とメガホンを持った陸自の隊員さんがいます。
なんか違和感あるなあと思ってよく見ると、階級章が一等陸尉でした。一尉って、確か中隊長クラスでしたっけ?もっと下の人が
やればいい仕事の様な気がしますが、人出が足りないのかなあ。
ここで富山市から参加の艦長さんと合流。今回の乗艦券も、昨年に引き続き艦長さんに確保して頂いたのでした。一枠取るの
も大変な中、本当に助かります。
という訳で、護衛艦はまゆきに乗艦。まず最初に気付いたのが、エンジン音の大きさです。やっぱりはつゆき型は排水量が少
ないので、艦の重量で振動やエンジン音を押さえるには限度があるのかなあ。先週舞鶴で乗艦した護衛艦ちょうかいは、7000
dオーバーという堂々たる大きさだったので、殆ど気にならなかったのですが。
ふと見ると、洋上給油時に使用するスライディングパッドアイに取り付けられている物品番号タグの名義が、防衛庁のままなん
ですね。まあ、直接任務にかかわる部分ではないので、こういう所は限りなく後回しにされるんでしょうか。
あとこのはまゆき、他の自衛艦のご多分にもれず、どこもかしこもピカピカです。艦内への防水隔壁のひっ掛りの部分が真鍮
製なのですが、もう輝かんばかりに磨き上げられています。グリスもうっすらと塗られていて、手入れは万全だなあ。
それにしても、今日は乗艦者…というか、子供が凄く多いなあ。はつゆき型にここまで乗せるか?と聞きたくなる位に、甲板が
人で溢れかえっています。舷門からはまだ続々と乗り込んでいるし、今日はちょっと大変そう。
左舷からは出港支援のタグボートが近づいて来て、艦首と艦尾のクローズが始まりました。艦内に上がろうにも長蛇の列が出
来ているし、飛行甲板へ回るとしましょう。
全幅の狭いはつゆき型だけあって、格納庫は妙に腰高というか縦長に見えます。飛行甲板に展示されたSH−60Jには沢山
の子供が群がり、飛行科の隊員さんは笑顔で説明しています。コックピットに座った子供の目がキラキラしていて、その高揚感
が伝わって来ますね。
カーゴドアからキャビンを覗くと、あれ?やけに広いなあ。機長席の後がスカスカに空いていて、本来ここにあるべき機器類が
まとめて取っ払われた様な形です。
傍にいた隊員さんに尋ねてみると、どうやらこれは対潜ソナー関連の機器を搭載していない、B型のSH−60Jだそうです。へ
−、そんなのがあったのか。
あと、副操縦席にはお守りがぶら下がっていましたが、見てみると交通安全祈願のお守りでした。うーん、神様の業務内容的
には、やっぱり交通安全にカテゴライズされるのか。合ってる様な、微妙にずれてる様な…。
格納庫内では、ロープ結索体験コーナーや特殊防火衣の展示が行われていて、ここもちびっ子で大賑わいです。しかしこの
展示してある防火衣、何でこんなに苦悩に満ちたポーズなんでしょう。借金か色恋沙汰の悩みでも抱えているみたいで、いち海
自ファンとしてはなんだか気になるなあ…。
そしてその足元には、特殊防火衣のズボン部分が、脱ぎ捨てられたままの様な状態で置いてありました。まるで一人暮らしの
だらしないOLが疲れて帰ってきて風呂に入った後みたいですが、どうやらこれはいざという時に足を突っ込んですぐ着る事が出
来るよう、あらかじめこの状態にして保管してあるそうです。
そして出港ラッパが響き渡り、いよいよ護衛艦はまゆきは舫綱を放たれます。徐々に離れていく万葉埠頭では、大きな横断幕
を掲げた地元の自衛隊支援団体の人達が、国旗と自衛隊旗を振って出港を見送っていました。
その後は再び艦橋へ上がろうと試みますが、右舷の入口で既に渋滞が始まっていました。うーん、今から最後尾にならんでも、
この様子では入港するまで無理っぽいなあ。
という訳で艦橋を早々にあきらめて前甲板に移動すると、ちょうど武器操法展示が始まる所でした。けたたましい警報ベルが
鳴った後、76o速射砲の小柄な丸い砲塔がぐいんぐいんと回転し始め、細身の砲身を軽快に動かしています。砲口がこちらを
ぴたりと向くと、さすがにドキッとしますね。初めて見る人が多いのか、おおおおお、とどよめきが上がっていました。
続いてアスロック発射機も動き始めます。巨大な筐体をくるくると回転させた後、正面の扉をプシューと開放させ、中からガイド
レールをにゅっと伸ばしていました。
その後は前甲板のハッチから艦内へ。冷房が効いていて実に快適だなあ。通路わきにあるOBA格納箱には、合戦準備チェ
ック表が貼り出してありました。恐らく普段から何度も何度も手順のチェックを重ねていて、いざという時にはごく淡々と準備が
整えられるんでしょう。
パイプやダクトが毛細血管のように張り巡らされた艦内通路を艦尾に向かって歩いて行くと、戦闘時の服装の見本イラストが
掲示されていました。ズボンの尻ポケットの右には手袋、左には白タオルをベルトに挟むようにして入れておくとの事。このタオ
ルは、いざという時の止血にも使用され、タオルににじんだ血液の色や染みの速さで、出血場所の特定(動脈か静脈)や傷の深
さを判断する事が出来る様、かならず白のものを使用しているそうです。
ふと見ると、機関室兼操縦室前に妙な萌えキャラ扇子が置いてありました。これ、隊員さんのお手製なのかなあ。まさか海自
が作ったとは思えませんが、よく出来てますね。
科員食堂で冷えたお茶を一杯頂きます。食堂内のあちこちにある扇風機はフル回転していて、冷気が回って快適です。しかし
この扇風機、今どきちょっと見ない位に古い型ですね。それでもホコリ一つなくピカピカに手入れされていて、その古さと頑丈さ、
そしてメンテナンスの行きとどき具合が、なんだかこのはまゆきと色々重なって見えます。
先任海曹室ははまゆきグッズの売店になっていて、いかつい隊員さんが売り子を務めていました。
再び前甲板に移動したところで、はまゆきは洋上で機関停止。どうやらこの後0スピード状態から、はまゆきの第一戦速であ
る18ノット(約30q/h)まで増速をかけるとの事。言わば、護衛艦版のゼロヨン競技ですね。へー、もうかれこれ何度も護衛艦
に乗艦させて貰ってますが、こんな企画は初めてです。
先程まで凪いだ海面を快調に進んでいたはまゆきが、ぴたりと行き足を止めます。とたんに風が無くなり、蒸し暑くなって来ま
した。
そしてガスタービンが唸りを上げ、はまゆきは再び前進開始。徐々に速度を上げていきますが、なんというか、海面に比較対
象になるものが無いので、今ひとつその加速具合が分かり難いなあ。先程に比べると涼しい風が吹いて来たので、ああ、動い
てるな、というのは分かりますが。
しかし足元の海面を見ると、かなりのスピードで進んでいるのが実感できます。艦尾の引き波も大きくなってますし、やはりガ
スタービンエンジンらしい力強い加速っぷりですね。せっかくの面白い試みなんですから、もうちょっとそれらしいBGMを使って
スピード感を演出するとか、見せ方にもう一工夫があってもよかったかもしれません。それでも、乗艦者のために色々やってみ
よう!というはまゆきの心意気みたいなものは伝わって来ましたね。
そうこうしているうちにも時間は過ぎて、伏木港が目の前に近づいてきました。ああ、色々見て歩いていると本当にあっという
間なんですよね、体験航海って。シースパロー甲板では、入港準備の作業がテキパキと進められ、埠頭では高岡市自衛隊父
兄会の人達が、自衛隊旗を振って迎えてくれています。
富山地本職員の人達が手なれた様子で舫い作業を行っていますが、よく見ると3人それぞれが陸海空の制服を着てるんです
ね。陸はともかく、空自で舫作業をした事のある人って、かなり珍しいんじゃないかなあ。
という訳で、護衛艦はまゆき体験航海はこれにて終了。いやー、天気予報はやや怪しかったですが、心配していた程空模様
は崩れず、実にいい体験航海でした。
夕方前に富山を出発したのですが、平日という事もあって帰りの高速道路では殆ど渋滞せず、スムーズに大阪に戻る事が出
来ました。
お疲れさまでした
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