金沢駐屯地創立60周年記念行事

2010.10.24




    石川県で行われた金沢駐屯地創立記念行事に参加して来ました。金沢駐屯地は旧陸軍野戦砲兵第九連隊が駐屯してい
   たという歴史ある土地で、現在は第14普通科連隊を中心とし、駐屯地業務隊第10後方支援連隊第2整備大隊第一普通
   科直接支援中隊、会計隊、通信中隊、警務隊
が所在する北陸の守りの要であります。
    前日のうちに自宅を出発し、その夜は北陸自動車道の安宅PAで車中泊。翌日早朝に金沢西ICで降りた後は金沢駐屯地
   駐屯地を目指します。途中のコンビニでは、現地で落ち合う予定だった富山県から参加の艦長さんSAA水兵さんと偶然遭
   遇し、0830の開門を待って金沢駐屯地に入ります。既に沢山の車が駐車場に並んでいて、やっぱり初参加の駐屯地は気
   分が高揚してきます。

    それにしても、金沢駐屯地は随分高台にあるんですね。北陸自動車道を降りてからは山側に向かってゆるゆるとした坂道
   を上って来たのですが、駐屯地の裏手はちょっとした断崖になっていました。
    「旧軍時代は、この崖を転がり落ちるようにして新兵が脱柵していたそうですよ」
    と、艦長さん。うーん、こんな崖を体ひとつで降りる位なら、まだ営内でシゴかれてる方が遥かにマシな気がしますが…。
    それにしても、駐屯地内の木々が既に秋の色になっているのが驚きです。先週参加した伊丹駐屯地では、まだ緑が青々と
   していた(ヘンな表現ですね)のに、金沢まで来るともう紅葉が始まっているんだなあ。こういうのは、いかにも遠征にやってき
   た
、という気分でいいものですね。
    隊舎から少し離れた人気のない一角には、なにやら風格のある古い建物が。尚古館という、駐屯地資料館だそうです。


    さて、例によって朝食をしっかり抜いてきたので、既にお腹グーであります。まずは屋台から見て歩きましょう。
    重迫撃砲中隊からは大砲饅頭といういかつい名前の屋台が出ています。第14普通科連隊第2中隊からはネギマの屋台
   レンガとコンクリの側溝を組み合わせて炭火を熾していて、早くも美味しそうな香りを漂わせています。吸い寄せられる様に
   近づきますが、まだ準備中との事。


    あ、ありました!焼きそばの屋台!鉄板の上でジュージュ―言っている焼きそばが堪りません。金沢駐屯地焼きそばはやけ
   に具沢山で、豚肉もキャベツも実に気前よく入っています。ソースもジューシーで、なんだか久居駐屯地の焼きそばによく似てる
   なあ。これって、第10師団の伝統なんでしょうか?紅ショウガや鰹節などのトッピングが無いのはちょっと寂しいですが、味はよ
   くまとまっていて美味しいなあ。ちなみにこの屋台を出している第14普通科連隊対戦車中隊は、炊事優秀中隊として表彰され
   ているとの事。なるほど、納得の出来栄えです。


    屋台裏のテーブルで美味しい焼きそばを平らげていると、プラスチックトレーにフランクフルトをのせた隊員さんが、匍匐前進
   でにじり寄ってきました
(ウソです、普通に歩いてきました)。どうやら訪問販売も行っているようで、ここはそのためのテーブル席
   だったのか?何だかアリ地獄に落ちたマヌケなアリみたいな心境です。うーん、金沢駐屯地、屋台は大人しく慎ましげに見えま
   すが、なかなかしっかりしていると言うか図々しいと言うか(笑)。ここで艦長さんに、一本ずつ御馳走になってしまいました。
    それにしても、金沢駐屯地名物の『白山そば』の屋台が見当たりません。おかしいなあ…と思ったら、艦長さんが
    「HPで見ましたけど、あんなの金沢駐屯地では見ませんよ。変だなーって思ったんですけど」
    どうやら遠征専門の、特殊部隊みたいな屋台だった模様です。まあこの時期の北陸で、冷たいそばというのもアレなのかも
   知れません。伊丹で食べて感動したので楽しみにしていたのですが、ちょっと残念。
    その後は腹ごなしがてら、駐屯地内をネリネリと歩き回ります。先程見つけた尚古館に辿り着きましたが、静かで落ち着いた
   広場には、日露戦争や太平洋戦争当時の沢山の記念碑がありました。艦長さんによると、この地に駐屯していた野戦砲兵第
   九連隊は終戦直前に沖縄から台湾に移転となり、おかげで殆ど戦死者を出す事なく終戦を迎えたそうです。
その為、金沢では
   旧軍に対する感情は余所と比べても穏やかで、悲惨なイメージはあまりないとの事。
    尚古館の内部はなかなか立派な造りで、歴史を感じさせる雰囲気です。できればゆっくりと時間をかけて見たかったのですが、
   さすがに人が多いですね。ちなみに館内は撮影禁止でした。
    隊舎の裏手では、式典に参加する隊員さん達が集合し、身支度を整えています。


    幹部食堂も開放されていて、中では広報のビデオ上映が行われていました。ちらりと中を覗きましたが意外と狭く、幹部ならで
   はという雰囲気は特に見られず。単に曹士と場所を区切ってあるだけ、という感じでした。
    ちなみに2日前の金曜日のメニューが貼り出されてあったのですが、夕食は海鮮丼とコールスロー、豚汁でした。うーん、見事
   なまでの栄養バランス。
それにしても美味しそうだなあ、北陸の海鮮丼って。
    その後は厚生センターPXを覗いて回ります。PXの前は食堂になっていて、写真付きのメニューが貼り出されてありました。
   どれも美味しそうなのですが、何なんでしょうこの『カツ丼U型』ってやつは(笑)。どうやら普通の卵とじのカツ丼に対して、ソー
   スカツ丼をU型と表記してあるみたいですが、それならそれでソースカツ丼と書けばいいのに。わざわざU型と銘打っている所
   が、変に陸自らしくて面白いです(笑)。


    さて、そろそろ記念式典が始まる時間です。金沢駐屯地は、式典会場後方の隊舎屋上が開放されるのでそちらに向かいます
   が、既に目ざとい人達で最前列は満員。予想を上回る盛況ぶりです。とりあえず後方について隙間から式典会場を眺めますが、
   うーん、こんな角度で記念式典を見るのは初めて。この辺も金沢ならではですね。余所の駐屯地でも開放してくれればいいのに。


    よく見ると、左手の隊舎3階の一部屋だけがカーテンを外しています。なるほど、あそこが金沢名物のレンジャーによる窓から
   の急襲
の舞台になるんですね。面白いなあ。
    ここでSAA水兵さんが、式典会場周囲の穴場ポイントの偵察に出発。しばらくして携帯に着信が入り、どうやら良さそうな場所
   を見つけたとの事。誘導にしたがって会場左端にある休憩所の前へ移動します。おお、ここもなかなか面白いポジションですね。
    ここで式典の最中に、音楽隊の隊員さんが倒れると言う珍事が。入隊したばかりでまだ体が慣れてない新入りが倒れるのは
   たまに見かけますが、肺活量維持のために普段から普通科並に走らされている音楽隊が倒れるというのは、よほどの事です。
    どうやら倒れたのは小柄な女性自衛官の模様で、衛生隊の隊員に体を支えられながら退場。よく見ると泣いてますね。きっと
   自分への情けなさと同僚への申し訳なさで一杯だったんだろうなあ。たまたま当日の体調が悪かっただけだと思いますが、ちょ
   っと気の毒な光景でした。


    その後部隊は一旦退場し、車輛行進の準備にかかります。すぐ目の前を、続々と車輛が整列して行くのが面白い。ある意味
   観閲壇周辺からのアングルは見慣れているので、こういういつもとは違った場所から式典を見るのも新鮮です。
    お?軽装甲機動車の車体にペイントされているのは牛のマークなんでしょうか。


    「ああ、お互いが牛の角に松明を掲げて戦ったと言う、源氏と平家の倶利伽羅峠の合戦に由来してるんです。」
    と、艦長さん。なるほど、土地柄ですねえ。そう言えば兵庫県伊丹駐屯地の36普連は、虎のマークだったなあ…。
    普通科中心の駐屯地らしく、沢山の高機動車軽装甲機動車がやってきます。FH−70榴弾砲を牽引したトラックも混じり、
   おお、73式トラックの荷台には79式対戦車誘導弾が。こういうのはパジェロよりもジープに乗っている方が雰囲気あるなあ。


    目の前を通過する車両は見慣れたものが多いですが、バックに紅葉がはじまった木々が入る、というのは新鮮です。
    さらに重レッカ、81式自走架柱橋、96式装輪装甲車、と続いた所で今度は航空展示。今回は海上自衛隊の協力もあり、UH
   −1J多用途ヘリ、OH−6D観測ヘリ、SH−60J哨戒ヘリ
によるエッチ三兄弟(我ながらこれは無いなあ…)が揃い踏み!それ
   にしても、駐屯地の記念行事に海自のヘリが来るのは珍しいなあ。
    すぐ近くには96式装輪装甲車がやってきて、この後の訓練展示の準備なのか12.7o重機関銃に空包用のブランクアダプター
   を取りつけています。その後は機関銃上部のフタを開け、機関部にこれでもかと言わんばかりに潤滑スプレーを吹き付けていま
   した。
あの様子では、機関部はもうビタビタですね。その後は空包の弾帯にも念入りにスプレーし、コッキングハンドルを握って
   ガシャガシャと作動を確認。いかにも固くて重そうな音が、重機関銃っぽいなあ。


    会場正面では、第10音楽隊による演奏が始まりました。最初の曲目は、意外にも『軍艦行進曲』。陸自の駐屯地でこれを聴く
   とは思いませんでしたが、先程の海自のSH−60Jの参加に対する、陸自なりの敬意の表し方だったのかも。
    続いて銃剣道及び徒手格闘の展示です。銃剣道はかなりのガチンコで、遠くから見ていても迫力が伝わってきます。昨年岡山
   県日本原駐屯地で見た時は、五段六段といった高段者同士による静かな試合だったのですが、こちらは随分派手で勢いがあり
   ますね。
徒手格闘も双方が防具をつけた試合形式で、ボコボコと景気よく殴り合っていました。


    その間にも式典会場では訓練展示の準備が進められ、鉄条網ジャンプ台が運び込まれています。そして先程の96式装輪
   装甲車が配置につき、対抗部隊陣地では小銃を構えた敵役の隊員さんがスタンバイ。いよいよ展示訓練の開始です。
    場内放送でひとしきり訓練内容の説明があり、上空からはUH−1J多用途ヘリが進入。てっきり上空からのリペリングによる
   降下かと思いきや、地上すれすれまで高度を下げて、開け放したカーゴドアから4名の普通科隊員が飛び降りて来ました。砂煙
   がもうもうと立ち上がり、絵的にはロープ降下よりもこっちの方が凄味がありますね。


    着地した4名の隊員は素早く周囲を警戒しながら会場の外へ走り去り、対抗部隊の後方に回り込みます。入れ替わるように上
   空にはOH−6D観測ヘリが現われ、対抗部隊の情報を収集。地上では2台の偵察オートが突入を開始し、敵陣深くまで切り込
   みます。


    対抗部隊の96式装輪装甲車も12.7o重機関銃をバリバリと発射。機関部からはじき出された20o銃弾のベルトリンクが、音
   を立てて地面に撒き散らされています。
    「昔は終わったあと、あのベルトリンクを拾えたんですけどねー」
    と艦長さん。へー、そんなのどかな時代もあったんですねえ。羨ましいなあ。
    偵察オートは素早く撤退し、後方からは軽装甲機動車87式偵察警戒車が。陣地に隠れた対抗部隊の兵士も小銃を派手に
   撃ちまくり、なかなか派手な訓練展示です。さらにFH−70榴弾砲120o迫撃砲RTが運び込まれ、素早く射撃準備が整った
   ところで空包発射!


    トラックからは対戦車誘導弾が降ろされ、74式戦車も突入開始。砲塔をぐりぐりと旋回させながら会場中央まで突進し、空包
   発射。モロにこちらを向いて撃っているので、流石にちょっと怯みます。
    たちこめる砲煙を蹴破る様にして突貫してきた高機動車からは、小銃を抱えた普通科部隊が飛び出してきました。後方からの
   FH−70と74式戦車による支援射撃を受けつつ鉄条網手前まで肉薄した部隊は、今度は地雷原処理作業にかかります。長い
   鉄パイプに仕掛けられた火薬を爆発させ、地雷原と鉄条網の無力化に成功。ここで普通科部隊は、一気に対抗部隊の陣地に
   突入開始。


    普通ならここで訓練展示は終了ですが、陣地を追われた対抗部隊は背後の隊舎に逃げ込みます。ここからは金沢名物、屋上
   からのロープ降下による窓からの急襲作戦
が始まりです。
    まずは2名の隊員が屋上からスルスルと降りて来て、対抗部隊の残党が立て籠もる室内の真上に取りつきます。壁面伝いに
   まっさかさまになった隊員は、室内に煙幕弾を投入。直後に室内からは爆発音とともに白煙が噴き出し、2名の突入部隊が壁を
   蹴って反動を利用し、ガラスを蹴破りながら一気に室内に突入!
うわあ、本当にこんなことやるんですね!流石に迫力あるなあ。
   地元では見ない珍しい趣向なので、ちょっと感動です。


    結局突入した隊員により、室内に立て籠っていた敵勢力は一掃され、これにて訓練展示は無事終了。いやはや、金沢ならでは
   のものを見る事が出来、実に面白かったなあ。
    ふと後方を振り向くと、ギリースーツ姿の隊員さんが普通に歩いていてびっくり。その背後から、子供達が怖々と近づいている
   が面白いなあ。お願いして一枚撮影させて頂きましたが、なんだか青カビにまみれたムックと言うか、海洋汚染が進んだ中国近
   海で生まれた謎の生物
みたいです。


    その後は子供広場のロープ渡り等を眺めた後、式典会場で行われた装備品展示を見学。96式装輪装甲車の後部ハッチが
   小さな南京錠で施錠されていたのには、何だか失笑してしまいました。まあ今日だけなんでしょうけど、いかつい装甲車に全然
   似合いませんね。南京錠。
    79式と87式対戦車誘導弾野外炊具1号(改)87式偵察警戒車FH−70榴弾砲等がずらりと並ぶその脇では、隊員さ
   ん達が地面に這いつくばってしきりに何かを探しています。空包の薬莢でも見つからないのかな。


    指揮通信車の窓の部分は、カバーが降りていて車内が見えません。そんなに特別隠さないといけない様なものは無いと思うの
   ですが、何なんだろう。しかしよく考えたら、カバーがかかっている状態で見るのは初めてなので、これはこれでおいしいなあ。


    駐屯地の外れの方には、妙に薄暗い古い木造の醤油蔵みたいな建物がありました。看板を見ると、どうやら第二外来宿舎
   
との事。うーん、見るからに何か出そうな雰囲気がプンプンです。恐らく第一の方は鉄筋コンクリの立派な宿舎なんだと思いま
   すが、ここを割り当てられる外来ってどんな人なんだろう…。悪趣味スピリッツを常に胸に秘める私なら、いつでも喜んで泊ま
   りに来るのですが。


    駐屯地の端の方まで来た時、SAA水兵さんが
    「あそこに電話ボックスがあるんですけど、中には野戦電話が入ってるんですよ」
    どれどれと見に行くと、うわ、本当だ。まるでうち捨てられた様な電話ボックスの中に、古臭い野戦電話がちょこんと置いてあり
   ました。
まさかこれが外部と繋がってるのか?駐屯地内の内線電話だと思うのですが、こんな所に内線端末を置く意味がよくわ
   かりません。うーん、ヘンなものを見てしまったなあ。すると向こうの方から隊員さんがやってきて、
    「あのー、申し訳ありません、ここは一般の方は立入禁止になっておりまして・・・」
    ああ、済みません。ウロウロしている間にいつの間にか不法侵入者になってしまいました。急いで退散です。


    お、雪上車を発見。これも北国ならではの装備品ですね。それにしてもこの雪上車、キャタピラを動かしている転輪が普通の
   ゴムタイヤ
なんですね。と言う事は、キャタピラを外せばそのまま舗装路を走れるのでしょうか。こんなの初めて見ました。


    隣の隊舎前には、不要決定予定車輛という紙が貼られた高機動車が並んでいました。えーと、不要だという決定を予定してい
   る車輛
と言う事でしょうか?それって、決定じゃない様な気がしますが…。この辺りの微妙な言い回しも、自衛隊らしいなあ。どれ
   もそれなりに痛んではいますが、見たところ十分に走れそうです。これが不要品と言うのは勿体ないなあ。売ってくれないかなあ。
   お金はありませんが(笑)。
    すぐそばの道路では、体験試乗の74式戦車が一般見学者を山盛りにして爆走していました。


    さて、このあたりで金沢駐屯地を後にします。私はこの後所用のため一旦富山県まで寄り道しないといけないので、ここで艦
   長さんとSAA水兵さんとお別れです。次にお会いするのは来年かな?何だか年内に舞鶴辺りで再会しそうな気がしますが、とり
   あえずよいお年を。

    その後は金沢市内の渋滞に捕まりながらもどうにか北陸道に辿り着き、富山県で折り返して大阪に戻ります。帰りは名神高速
   道路で30qもの渋滞に巻き込まれ、
大阪市内の自宅には22時過ぎに到着。すっかりヘトヘトになってしまいましたが、わざわざ
   私に合わせて早めに駐屯地に来て頂いた艦長さんとSAA水兵さんのお陰もあって、初めての金沢駐屯地記念行事を存分に楽
   しむ事が出来ました。
前夜の車中泊も含めて、実に楽しい北陸遠征でした。


「中隊長!中隊長!こちら攻撃小隊!フランクフルトが売れません!」
「バカモン!訪問販売でも何でもして、無理矢理売ってこい!」
「そ、そんなぁ〜(泣)」

…というやり取りではないと思います。多分。




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