2010.10.16
大阪府堺泉北港にて行われた、護衛艦ひえいの一般公開に行ってきました。護衛艦ひえいはもう関西ではお馴染みの艦です
が、せっかく大阪に来てくれたので、まあ何かネタ拾いのつもりでの参加です。土曜日なので午前の仕事をさっさと終わらせ、自
転車で堺泉北港へ出発。国道26号線をひたすら南下し、40分後には堺泉北港大浜埠頭に到着。
舷門脇のテントには既に3〜40人ほどの行列が出来ていますが、一般公開が行われる1300まではまだ20分程あります。ま
ずは埠頭からひえいの全景を眺めるとしましょう。
艦首に二つ並んだ127o速射砲、艦橋直下のアスロック発射機…今年の夏に見た護衛艦しらねとほぼ同じような艦ですが、
今どきのスッキリした護衛艦に比べると、どこかしら重くて野暮ったい風貌がいい感じですね。
埠頭にあった白テントでは、来年のポスター型カレンダーを配布していました。大阪地本HPでは先着1500名限定との事だっ
たので、どうせ午前中のうちに無くなるだろうと期待していなかったのですが、まだ残っている模様です。
「陸海空の三種類がありますけど、どれがいいですか〜?」
何だかんだ言っても私も艦艇ファンの端くれですからね。それじゃあぜひ海自のをお願いします、と言うと、陽気そうなお姉さん
はニコニコ笑いながら、
「やっぱり海が一番人気ですねぇ」
ホクホク顔で丸めたカレンダーを頂きました。いやー、今日はのっけからついているなあ。天気はいいし暑くも寒くもなく、いい
秋の一般公開になりそうです。
その後は乗艦待ちの列に並び、富山の艦長さんとSAA水兵さんに現着のメールを送信。
舷門ではサイドパイプが鳴り響き、一等海佐の階級章をつけた艦長さんが軽やかに舷梯を降りて行きました。
そして1300、乗艦開始。受付テントで金属探知機と手荷物検査をクリアして、舷梯を上がります。舷門では、乗組員の方達が
敬礼で迎えてくれました。
アスロック発射機の脇でパンフレットとクリアファイルを貰い、52番砲塔の横まで来た時にぶら下がり健康器みたいな妙なモノ
を発見しました。あれ?しらねにもこんなのあったっけ?と思いながら近づくと、どうやら甲板掃除用のモップやスクイジーを掛け
ておくための物みたいです。裏側には、これまた鉄パイプで組んだ巨大なカンジキみたいなものも括り付けてありましたが、これ
は何なんだろう。
傍に居た隊員さんに質問してみると、どうやら海に落ちた溺者を艦に収容する際に使用する担架との事でした。へー、他の艦
でもよく見かけますが、概ね笹の葉型のスリムな担架ばかりなのに、ひえいのはやけにゴツイなあ。この辺りも、古い艦ならでは
なんでしょうか。
手前の51番砲塔では沢山の人が集まり、長大な砲身に見入っています。ここで以前から気になっていた、発射後にはじき出さ
れた薬莢の始末について隊員さんに質問してみました。
「ああ、バスケットに入った薬莢は、後にある甲板のハッチから艦内に収容します。乗組員がずらりと並んで、バケツリレー方式
でホイ、ホイ、ホイ、って具合にですね」
薬莢は持ち帰って再利用するんですか?
「はい、呉に持って帰りますよ。ただ、発射の衝撃で薬莢自体はかなり変形してしまいますので、そのまま使うのではなく一旦溶
かして、また新しいのを作り直すんですよ」
その後は左舷に回って艦橋へ向かいますが、ここで既に大渋滞。どうやら艦橋での押し合いへし合いを避けるため、艦内入口
で交通規制をかけているみたい。少々時間はかかりそうですが、こっちの方がゆっくりしっかり見学出来るので有り難い配慮です。
お、富山県の艦長さんから返信が。メールボックスを開けてみると、なんと護衛艦ひえいは来年春で除籍になるとの事!えええ、
知らなかった…。まあかなり艦齢の高いフネですし、ひゅうがに続いて2番艦の護衛艦いせも竣工、さらに後続の22DDH計画も
進んでいる中、そう遠くないうちにお役御免となる艦だとは思っていましたが、まさかあと半年とは…。何度も見た馴染みの深い
艦だけに、ちょっとショック…。
艦内への行列はなかなか消化せず。たまりかねて艦橋の見学を諦め、飛行甲板へスキップする人達もいましたが、ひえいに
会えるのは多分今日が最後でしょう。少々時間はかかっても、ちゃんと艦橋まで見ておこう。
その後ようやく艦内に入る事が出来ました。夜間に灯りが漏れないよう、通路に入ってすぐの区画は真っ黒に塗られています。
その壁面に『ライター入れ』と書かれた小さなカゴがぶら下がっていたのを発見。何なんでしょうこれは。普段はこの区画が喫煙
スペースになっているのかな?
艦内のあちこちにある応急灯は、よく見ると豆球を使った非常に古いタイプ。新造艦では白色LEDを大量に使ったタイプにな
っているので、ここも時代の流れを感じるなあ。もっとも、ひえいが就役したのは時代が昭和だった頃ですからね。
艦内のラッタル前で、再び交通規制。ここで傍に居た隊員さんに先程の『ライター入れ』について尋ねると、どうやらあの区画の
隣はアスロックの弾庫になっていて、ライター類はあのカゴに入れてから入室するルールになっているそうです。
また、ひえいはやっぱり来年春で除籍との事。はあー、何だか現実を突きつけられた様な気分です。
しばらくして、艦橋に上がる事が出来ました。ああ、少々待たされても、やっぱり空いている艦橋を見学できる方がいいですね。
質問だってしやすいし。艦橋内は護衛艦しらねと殆ど変らず。やっぱり古臭さは否めませんが、新しい艦には無い雰囲気と言う
か味わいがいいですね。しっかりと目に焼き付けておきます。
左ウイングに居た隊員さんに、ひえいの除籍について伺ってみました。
「はい、来年3月で除籍になります。実任務としては年内いっぱいで、年明けからは除籍の作業になりますね。現在は日常の
任務をこなしながら、乗組員全員で艦内を少しでもキレイにする為にあちこち磨いています」
ああ、30年以上にわたって働き続けたひえいへの、乗組員からの最後のお礼と言う事ですね。いかん、マジで泣きそう…。
除籍の式典は母港の呉で行われ、参加できるのはこれまでひえいに関わってきた関係者のみ。一般の公開はされないとの事。
うーん、残念だなあ。
右ウイングに出ると、ピカピカに磨かれた号鐘がぶら下がっていて、そこには『1974.11』と刻印されていました。ひえいが就
役した年月の事ですね。ああ、今まで何隻もの艦の号鐘を見ましたが、号鐘を見てグッときたのは初めてだ…。
再び艦橋内。海図台の上に取り付けられていた扇風機が、もう今ではちょっと見られない位に古いタイプだったのに気付いて
再びグッときました。この古臭い扇風機も、艦と一緒にずーっと働き続けてきたんですね。
最後にもう一度だけ艦橋を目に焼き付けて、ラッタルを降りました。
格納庫に出ると、ロッカーの扉に『この自衛官は、本艦に実在してます』というキャプションをつけた顔写真が貼ってあり、口髭
をたくわえた顔には黒の目線が入っています。いかにもコワモテな風貌なので、こんな事を言っては失礼ですが、何だか広域暴
力団風の雰囲気がプンプン。どうやらこの方は海曹長さんらしく、貼り出されていたその経歴も錚々たるもの。これまでに勤務し
た艦は6隻を数え、勤続30年間にこなした海外派遣は何と16回!まさに、潮風に磨き抜かれた海の男です。
『見かけたら声をかけてくださいね』と書いてありますが、何だか圧倒されそうだなあ。
飛行甲板に出るとSH‐60Jが展示されていて、秋の穏やかな陽差しを機体いっぱいに浴びていました。
するとここで件の海曹長さんを発見!写真の見た目よりも遥かに穏やかそうな人で、乗艦者と話している物腰も柔らか。何と言
うか、胸に光る先任伍長バッジの責任と誇りを体現している様な感じの人ですね。それでも一旦海に出れば、若手の海曹さん達
から見たら恐怖の先任伍長さんなんだろうなあ。話しかけると、笑顔で乗艦証明書を一枚頂けました。
後甲板から埠頭を見ると、乗艦待ちの行列は途切れることなく続いています。さて、私もこの辺で失礼するとしましょう。
最初は気軽に見学に来たつもりでしたが、たぶんひえいを見るのは今日が最後なのでしょう。ああ、本当に来て良かったなあ。
最後に、三十余年の長きにわたって日本の防衛の最前線を守り続けた護衛艦ひえいに、心の中で敬礼。本当に、今日の今日ま
で御苦労様でした。名残は尽きねど、これでお別れです。次にひえいの名を受け継ぐ艦が生まれたら、きっと真っ先に見に行きま
すね。
自宅に帰り、撮影した画像を眺めながら貰ったカレンダーを広げてみると…あれ?なんで海自のカレンダーにF−15が飛んで
るんだ?あのお姉さん…海自が一番人気って言ってたクセに!!
いやまあ、15も好きなので別にいいんですけどね…(泣)。
ひえいにこれまでの感謝とお別れを告げた、いつになくしんみりとしたイベント参加でしたが、最後の最後に悲惨なオチで締めく
くられてしまいました。恐るべし大阪地方協力本部…orz。
何じゃこりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
トップページに戻る
イベントレポート目次に戻る
|