2009.03.19
0600起床。自宅の枕を持ってきたので、ぐっすりと眠る事が出来ました。車中泊地のそばにあった墓地のトイレで洗顔を
済ませ、早速呉のアレイからすこじまへ移動です。昨日来た道を取って返し、0730にはアレイからすこじまに到着。目の前
のコンビニでおにぎりを買い、潜水艦群を眺めながらの朝食です。
0800、自衛隊旗掲揚の時刻。水上艦では後甲板に整列して自衛隊旗掲揚を行いますが、潜水艦の甲板は狭いので乗
組員は桟橋に整列しています。五隻の潜水艦から一斉に君が代ラッパが響き渡りますが、一つだけワンテンポ遅れて吹
奏している艦がありました。駄目じゃんと思いながら聴いていましたが、よく見てみると、離れた所に停泊してた音響観測
艦のラッパでした。成程、150m位離れているので、音も遅れて聞こえてくるんだなあ。
その後分隊整列が解かれると、乗組員達はそれぞれの持ち場に散っていきます。物慣れた雰囲気で舷梯を渡り、甲板
の小さなハッチに次々と消えて行く様子がプロっぽくてカッコイイ。
桟橋からは、潜水艦に向けて放水が行われています。ああ、潜水艦の甲板掃除ってこんな感じなんですね。流石に護衛
艦とは随分違います。大きな箱や重ねたバケツを持った乗組員が行き来し、あちこちでリヤカーが大活躍していました。
先ほどの音響観測船を見に行くと、AOS5201ひびきでした。後方に回ると、双胴船の特殊な形状がよく分かりますね。
あれでちゃんと浮いているんだから、何だか不思議だなあ。潜水艦のバックには、掃海艇と護衛艦が見えます。
潜水艦の出港が見れるならこのまま粘ろうかと思いましたが、桟橋ののんびりした雰囲気を見ると、今日はこのままの模
様。支援船が行き来していますが、水舟か油舟でしょうか。
時刻は0830。てつのくじら館は0900からだから、この辺りで切り上げます。アレイからすこじまにあるゴミ収集ボックスには
潜水艦から出たゴミがどんどん運ばれていて、パッカー車が収集に来るまで隊員さんがちゃんと見張っていました。
という訳でてつのくじら館に移動。目の前には、潜水艦あきしおが堂々たる存在感を見せつけています。ああ、もう見てい
るだけで涙が出そうになります(理由は後述)。しかしこれは凄い光景だなあ。潜水艦はやっぱり凄いボリュームです。これ
で基排2450dだっけ?何だかもっとあるような気がします。
開館時間まであと15分。あきしおの周囲を見て歩きます。館内への入口はあきしおの真下をくぐる形になっていて、嫌でも
この途方も無い存在を感じる事が出来るので、面白い設計ですね。艦を下から見上げると、魚の肛門の様な小さな穴があ
ります。あれがフラッドバルブかな?近くにいた職員の方に尋ねると、水中速力を計測する為のセンサーだそうです。
飛行機で言えばピトー管みたいなものでしょうか。その周囲に沢山ある大きな楕円形の切り込みがフラッドバルブでした。
そうこうするうちに0900になり、高齢者の団体さんと一緒に入館です。すると、どこかで見覚えのある職員の方がいました。
あ!三年前の呉地方隊展示訓練で、護衛艦こんごうの左ウイングで一緒になった二等海佐さんでした!思わず声をかけて
しまいましたが、どうやらあちらも私の事をよく覚えておられたらしく、
「いやあ、お懐かしいですねえ!」
と、会話が弾みました。こちらの責任者として立ち上げに走り回っておられると言う事は聞いていましたが、まさか今日お
会い出来るとは!これは嬉しい再会です。
元艦長の現館長さんに、潜水艦内の撮影は出来るのですかと尋ねると、今までは禁止でしたが、先月から解禁になった
ばかりとの事。おおお、これはラッキーです。小松島で乗ったふゆしおは、流石に撮影できませんでしたし。これも何かの縁
なのでしょう。遠慮なく撮影させて頂く事に。
「それでは、ごゆっくり見学して行って下さい」
と館長さんに見送られ、先ずは順路通りに二階へ向かいます。いや、02甲板と言うのかな?館内は意識して照明を落とし
ていて、潜水艦内を思わせる赤色灯が雰囲気を出しています。エスカレーターの幅も不自然なほど狭く、これも艦内独特の
圧迫感をイメージしているのでしょうか。
二階フロアは掃海コーナーらしく、薄暗い部屋のあちこちに水中機雷が展示してあります。天井からはふた抱えはありそ
うな巨大な機雷が吊るしてあり、何だか水中にいるかのような気分にさせられます。面白いなあ。
爆破処理の際に水圧でべこべこに凹んだ鋼鉄製のフロートも吊るしてあり、機雷の威力が一目で分かります。
平日の朝一番のせいか見学者は少なく、おかげで実にスムーズに撮影できるのが嬉しいなあ。
おお、機雷処分具S−4。水中機雷処分用のものらしいですが、意外に小さいなあ。最初にデザインありきで作ったのか
と思える程カッコイイのですが、これ、プラモデルで欲しいですね。
実際の掃海艇の甲板も展示されていて、これがなかなか興味深い。木製の掃海艇は、四種類の木材をその個性に応じ
て組み合わせて作られており、物凄く精密な設計と施工がなされているとの事。他にも機雷処分用の機関銃や掃海用具が
沢山展示してあり、色んな物が分かりやすく興味を引くように工夫されています。
お話を伺った職員の方も元サブマリナーで、やはり浮上して吸った大気の美味さは格別だったとの事。ちなみにこの方は
亀ヶ首射撃試験場にも行った事があるそうで、変な話題で盛り上がってしまいました。昨日山の中でガサガサ動き回ってい
たのは、たぶん野生のイノシシでしょうとの事。うーん、襲われたらひとたまりも無かっただろうなあ(汗)。
三階の潜水艦フロアに上がります。先ずは歴代潜水艦のカットモデルや装備品の実物が展示されています。本物の潜望
鏡の先端が床からにょっきりと生えていたのは、何だか変な感じでした。
科員食堂のイスやテーブル、トイレや洗面所の実物展示もありましたが、天井が高いままなのであの独特の息苦しい狭さ
はイマイチ伝わらず。まあ、この後実際の潜水艦を見る事ができるのですから、問題ありません。イスの下のタマネギ&ジ
ャガイモの展示もお約束ですね。
非常に興味深かったのが、食品サンプルで出来た朝昼夕夜食の展示です。それだけならどうという事はないのですが、
サンプルを並べた部屋の照明を白色灯と赤色灯に切り替える事が出来るのがとてもユニーク。白色灯のもとではとても美
味しそうに見える食事も、赤色灯に切り替えた途端に印象が一変してしまうのは、聞いていた以上に驚きでした。本当に、
一気に美味しくなさそうに見えてしまいます。視覚って、繊細と言うかイイ加減と言うか…。
係の人に聞いてみましたが、やはり平日の午前は空いているとの事。土日祝はどうしても混みあうので、ゆっくり展示を見
たり触ったりと言うのは難しいそうです。
おおお、天井からは実物の魚雷が何本も吊り下がっています。もちろん中身は抜いてあるのでしょうが、ちょっと下を通る
のが怖い感じです。
そして最後は、あの悪評高いDASHが、短魚雷を抱えて展示してありました。何もよりによって、こんな大失敗のお買い物
を最後に持って来る事はないでしょうに(笑)。
さて、この後はいよいよ潜水艦あきしおの艦内に入ります。幸い空いているので、ゆっくりじっくりと中を見せて貰いましょ
う。
しかしこの、潜水艦の横っ腹から入ると言うのも変な感じですね。そして艦内に入って先ず気付いたのが、昔のJR(いや、
国鉄時代か)の特急のニオイ。そうそう、小松島で乗ったふゆしおもこんな感じだったんだよなあ。消臭剤か何かのニオイで
しょうか。
艦内に入ってすぐの所には、トイレと洗身室が。あれ?確かもう一つ下の甲板じゃなかったっけ?多分これは見学し易い
様に、後から場所を変更したのでしょう。トイレの使用方法の注意書きがありましたが、確かにちょっと慣れが必要な仕組
みになっていました。
その手前には庶務室。恐らく第4分隊が使用するのでしょう。気の毒な位狭いスペースに、古びたスチールデスクとキャビ
ネットがあります。これが一般の会社ならイジメに近い扱いなのでしょうが、潜水艦内でひとりでこの個室を使えると言うのは、
かなり贅沢な話と言えます。
天井と壁面には、水上艦では考えられない位の高密度なパイプやバルブ類が、まさに毛細血管の如く走り回っています。
とにかく、目をつぶって手を伸ばせば、必ず何かのパイプやバルブ、スイッチ類に手が当たるのですから、これはただ艦内
を歩くだけでも慣れないうちは相当気を使いそうです。
おお、天井にはごついハッチが。これは艦橋後方に出るのでしょうか。
通路と言うよりも、隔壁の隙間としか言いようがない狭い艦内通路を艦首方向に向かって歩いて行くと、左側に士官寝室
が。といっても古い3段ベッドです。これも殆ど隙間ですね。ビデオデッキにビデオテープを差し込むようなイメージです。
ベッド以外はほぼ収納スペースになっていて、ライティングビューロー式の机を引き出すと、もう着替え一つ出来そうにあり
ません。まあこの部屋に幹部が2人も3人もいると言う事は無いでしょうが、それにしてもキツい環境だなあ。
隣の区画には、全く同じ部屋が赤色灯に照らされていました。海上が日没中はこんな感じになるのですが、これも慣れな
いうちは頭がおかしくなりそう。
その部屋もとにかく限界まで狭いのですが、それに加えて壁面が上に行くほど手前の方にのしかかるように迫ってくるの
が、何よりも潜水艦の艦内にいる事を感じさせます。
士官室。ここも実際とはレイアウトが90度変更になっていて、東西が南北になっていました。でも、内装の雰囲気は全くそ
のまんま。その隣には科員居住区のモデルがありましたが、実際はもっとひしめき合って狭苦しいであろうことは想像に難く
ありません。
その先は艦長室。仕方が無いとは言え、気の毒な位狭くて質素です。同じ二等海佐でも、大型の水上艦の艦長室とは比
べモノになりません。まあ、最初から比べる方が間違っているのですが。
おお、よく見ると、通路の床には細長いハッチがあります。これは下の魚雷発射管室に魚雷を滑り込ませる場所ですね。
そして海図台の脇を回り込むと、とうとう発令所に出ました。そうそう、懐かしいなあ。しかしここを撮影できるとは思いませ
んでした。左側にはバラストコントロールパネルが、正面左には操舵席が、右側には攻撃管制システムが。各所に備え付け
られた手すりが、水中の三次元運動を思い起こさせます。そして中央部には、床と天井を貫通している潜望鏡が。
一緒に入った団体さんはさっさと帰って行った模様で、係の職員の方以外はほぼ無人の発令所を撮影です。職員の方は
慣れたもので、巧みにフレームの外に回ってくれました。
うーん、やっぱり凄い展示だなあ。もう一層下の発射管室や機械室、科員食堂が見れないのは残念ですが、よく見ると発
令所の床の一部が透明アクリル板になっていて、下にある魚雷発射管室を上から覗く事が出来ました。
潜望鏡からは、目の前の瀬戸内海を航行する船が見えました。海面からはかなり高い位置にあるので、実際の見え方と
は全然違うはずですが、それでも本物の潜望鏡を通して見る外の風景は、ちょっとした感動であります。
職員の方が教えてくれましたが、艦内の時計が全て13時45分17秒で止まっているのは、この艦が死んだ時刻、つまり
潜水艦としての役割を終え、お役御免となった瞬間の時刻だそうです。
いやあ、大満足の見学でした。何より、撮影解禁と言うのが嬉しかったなあ。他の見学者が殆どいなかったのも大きいで
す。
最後は売店で締めます。おお、小さいながらもかなり品ぞろえが充実した売店。ここでてつのくじら館の識別帽を入手でき
ました。職員の方が被っていて、デザインがよかったので欲しかったのでした。
改めて地上展示のあきしおを道路から撮影。うーん、やっぱりシュールな光景ですね。艦首の下を車がびゅんびゅん走っ
て行くというのは。艦首の真下には、巨大なマッシュルームアンカーがありました。
ちょっと早いですが、午後からの大久野島の見学時間に余裕を持たせるためにここで昼食にします。呉駅ビル内のお
好み焼き屋さんで、肉ソバ玉を注文。定食なので、おにぎりとサラダもついています。まずは一口。
おお、美味い!キャベツがメインなので、ボリュームがあるのにとても軽やかな味わいです。大阪風のみっしりどっしりの
お好み焼きもいいですが、広島風のお好み焼きも美味いですねえ。広島は何回来ても食べ物にハズレが無いので、実に
印象のいい所です。
1145。ぽかぽか陽気の中、呉を出発。大久野島に渡る船が出る、忠海(ただのうみ)に向かいます。上手くいけば、1320
の便に間に合うかも。途中、一車線の道路をトレーラーがノロノロ運転(いや、法定速度遵守運転です)していて焦りました
が、どうにか1307に忠海に到着。小さな川の河口に単線の小さな駅があり、踏切を越えてすぐが船着き場でした。いかに
も春の瀬戸内といった、絵になる風景です。
手早く荷物を纏めて船に乗ります。結局私の他に三人を乗せただけで、小さな連絡船は大久野島に向けて出港。あっと
言う間に第二桟橋に到着です。帰りの便の時刻を確認して、さあ出発です。
この大久野島(おおくのしま)ですが、第二次大戦中は島内の工場でルイサイトやイペリット等の毒ガスを精製していた
といういわくつきの島で、当時は軍事機密の関係上、地図からは消されていた島だったそうです。終戦後、工場と残された
毒ガスは米軍の手によって焼却処分されましたが、その時の工場や沿岸の砲台跡が今も放置されたままで、廃墟の島に
なっているのでした。もっともそれ以外については風光明媚で魚も美味く、おまけに温泉まで湧き出ているので、現在は国
民宿舎が出来、シーズン中は宿泊客やキャンプの人たちで賑わう島になっています。
大久野島に上陸して先ず迎えてくれたのは、大量の野生の野ウサギでした。ひとたび目が合うと、わらわらと大群を成し
て追跡してきます。カワイイと言えばカワイイのですが、不気味と言えば不気味です。
野生とは言えこれだけの数のウサギが自給自足出来る訳も無く、島内のあちこちで人間に貰ったキャベツをばりばりと齧
っている姿を見る事が出来ます。しかしこのウサギたち、カワイイことはカワイイのですが、猛烈に臭い。
海岸沿いの道はウッドデッキになっていて、なかなかおしゃれな雰囲気です。傍にはバーベキューやテントを張れる区画が
整備され、トイレや水回りも完備です。目の前の穏やかな瀬戸内海には小島が浮かび、とてものどかな風景。
この様子からは、“毒ガスの島”という禍々しいイメージが湧きにくいのですが、表玄関を小奇麗に飾り立てているだけに、
逆のその内奥に隠された何かが、怪しい光を放つような気がします。
国民宿舎の前は、南国コロニアル調の芝生広場になっていて、実に開放的な気分です。天気も良いのでちょっと寝ころん
でみたいなあと思いましたが、よくみると芝生一面にパチンコ玉みたいなウサギの糞が散らばっていて、一気にその気が失
せました。匂いらしい匂いが無かったので気付きませんでしたが、これでは芝生と言うよりもウサギのトイレです。ウンコを避
けて歩くのはまず不可能なので、もう気にせずにばんばん踏みながら歩く事にしました。
島の西海岸を北上して行くと、長浦貯蔵庫に出ました。まるで神殿の様な荘厳な雰囲気で、見上げるようにそびえ立つ入
口には枯れたツタが絡まっています。奥行きのある内部は真っ黒に焼けただれていましたが、貯蔵された毒ガスを分解焼却
する為に、米軍が火炎放射機で焼き払ったとの事。空爆されたボスニアみたいな風景です。
島の最北端を曲がった所には、今度は廃墟と言うよりも遺跡の様な北部砲台跡広場が。山の斜面を利用して作られた
半地下状の室内はひんやりと冷たく、くすんだ色合いの崩れかけたレンガが怪しい雰囲気を漂わせています。
しかしこの、広場全体の雰囲気はどこかで見たような…ああ、映画『ドグラ・マグラ』に出て来た、狂人の解放治療の病
院にそっくりでした。うーん、怪しすぎる…。
北部砲台広場は結構広く、地下に掘られたトンネルをくぐるともうひとつの広場に出ました。こちらの半地下室は完全に
水没していて、これも怪しさ満点です。水底に沈んだ瓦礫や落ち葉、木の枝がまるで人骨の様。
さらに海岸沿いを回って北部砲台跡へ。ここも人気が全くなく、実にいい雰囲気です。
北部斜面を登って鉄塔に行き当たり、そこから中部砲台跡へ向かいます。ここも広場状になっていて、地下室がずらりと
並んでいます。こういう所はきれいに整備するよりも、もっと荒れ放題に荒れさせた方が雰囲気が出ますね。
だらだらとした下り坂をおりていくと、南部砲台跡。北部中部と大して変わらないので、流石に珍しさは無いなあ。連絡船の
時間が迫っているので早めに切り上げます。
最後は桟橋を越えた所にある旧軍発電所跡。ここも強烈だなあ。ボロボロの真四角の建物が枯れたツタに覆われ、窓ガ
ラスは全て割れていて錆びた窓枠が外れてぶら下がっています。うーん、強烈に怪しい。今はまだ明るいからマシですが、こ
れが夕暮れ時や真夜中だとどんな風景になるんでしょう。
興奮するような落ち着くような、不思議な気分でシャッターを切ります。何処をどう撮っても絵になるなあ。
あっという間に帰りの船の時間が近づき、慌てて桟橋に戻ります。
そして忠海に到着。夕暮れ少し前の、小さな漁港の風景。空は少しずつ茜色になり、海鳥が防波堤のあちこちで羽を休
めています。
徐々に夕暮れが近づいてくる忠海を出発。大阪に戻るのは20時位でしょうか。今回の遠征はいつもとはちょっと毛色の
違ったお出かけでしたが、天候も良く実に内容の濃い遠征になりました。亀ヶ首は、またいつか訪れてみたいものです。
この写真は、2005年の終わりに呉を訪れた際、自衛隊桟橋のEバースの端っこで撮影したものです。用廃処分にされた
潜水艦が、全身を赤錆に覆われたまま、真冬の冷たい雨に打たれて放置されていました。ここに来るまでには幾多の危機
を乗り越え、多くの乗員を育て、日本の防衛の為に誰にも知られず海の底で孤独な戦いに打ち勝ってきた艦が…です。
まさに言葉を失うとしかいいようのない、壮絶な光景でした。この後はただ、鉄くずとして処分される運命を待つだけでしょう。
しかし、最後の最後まで己が職務を全うし、全力を尽くしたものだけが持つ、何とも言えない不思議な充実感も漂わせてい
ました。私は自衛官ではありませんが、心の中で、この潜水艦に向かって敬礼していました。
後日知ったのですが、このボロボロになった潜水艦こそが、後のてつのくじら艦の看板潜水艦となる潜水艦あきしおだった
のです!
2009年3月19日早朝、てつのくじら館の前でピカピカに生まれ変わったあきしおと再会した私は、ちょっと恥ずかしいです
が思わず涙ぐんでしまいました。海上自衛隊に対する国民の理解を深め、その存在する意義を知ってもらうという大きな任務
を得たあきしおは、心なしか胸を張っているように見えました。
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