他の地域のかりんとう
ここでは全国にある秦野の「かりんとう」に似ているものを調べました。
また煙草と菜種油の観点からの類似点に注目してみました。
姫路のかりんとう
蜜がかかったものが多いですが形は手綱型で堅こね製法と共通点があります。秦野カリントウのルーツの一つとして考えたいものです。
ただ、姫路の場合、各地の物産を集積させて菓子産業として発展してきたもので秦野のように各農家で代々作られてきた状況とは異なります。
姫路の常盤堂
姫路の道満
岡山県のかりんとう(備中)
岡山県井原市美星町の「そばカリント」や高梁市の「ねじり菓子」
「昔なつかしい」と書かれています。
星の郷青空市(井原市)
高梁市ねじり菓子
井原市史(2001.3発行)によりますと、
「井原市には明治31年府中葉煙草専売所井原葉煙草専売支所が開設され、明治36年岡山煙草製造所井原工場が設置」されていて、煙草とは関係が深い土地柄です。」(明治11年農産表では井原市が含まれる後月郡31村で葉煙草は128,030斤)
(秦野では明治30年に一等専売所と試験地が開設しています。明治11年農産表では秦野が含まれる大住郡109村で葉煙草は648,435斤))
食生活の項では、
「菜種油は年に1-2合もあれば十分で・・・少しずつ大切に使った。戦後はナタネを植えて、油と交換するようになり、次第に炒め物やてんぷらを普段でも食べるようになった。」
と書かれています。
もしかしたら、かりんとうなどの菓子に大量の油を使うようになったのは戦後になってからなのかもしれません。
もっとも、現地の聞き取り調査では、かりんとうが店で売られていたとの証言もありました。
現美星町は2005.3.1から井原市に合併し、旧井原市(後月郡)に隣接してはいますが、合併前は小田郡で、明治11年の農産表によると小田郡は岡山県で二番目に菜種の生産量が多い地域です。葉煙草の生産量は、明治11年に小田郡66ケ村で18,414斤とそれほど多くなく、さらに昭和15年発行の「小田郡誌」によれば煙草専売制の後は大正12年までは小田郡では堺村一村だけとなっています。また、美星町に含まれる村での菜種の生産は報告されていません。
高梁市は主に備中上房郡と川上郡からなるが、川上郡は明治11年には岡山県最大の葉煙草生産地であった(川上郡51村 418,038斤、上房郡85,265斤)。
広島県のかりんとう(備後)
[府中市のかりんとう]
備後府中市の「ひねりかりんとう」「ひっくりかりんと」も形状と製法が良く似ています。「昔なつかしい」と書かれています。
ひねりかりんとう
ひっくりかりんと
広島県(備後国、安藝国)も煙草の産地です。
府中市は井原市とは、広島県(備後国)神石郡をはさんで隣接しています。神石郡は、明治11年の農産表で広島県最大の煙草産地です(神石郡36ケ村 461,276斤)。
この神石郡には、明治39年に秦野から煙草栽培法の関野作次郎が講師に行き、54名の講習生に指導を行い神石郡農会町より感謝状と銀杯を受けています。
秦野との関係が有る地域です。
[世羅高原のかりんとう]
世羅町のかりんとうも形状と製法が良く似ています。
おばあちゃんが作ってくれたなつかしいと書かれています。
世羅町は岡山県井原市、神石町、府中市に隣接した地域です。
明治11年の農産表では葉煙草の生産量は少なく(備後国世羅郡50ケ村 2,945斤)、菜種は記載が有りません。
隣接した甲奴(こうぬ)郡は葉煙草の生産量はやや多く(備後国甲奴郡32ケ村 52,809斤 但し菜種の記載はありません)、甲奴郡は現在は府中市、三次市、神石高原町などになっています。
世羅西町の固焼きかりんとう
島根県のかりんとう
[太田市の手作りかりんとう]
石見銀山のかりんとうとして販売されているこのかりんとうの形状はそっくりです。硬さが特徴のようで製法も同じようだと思われます。
石見銀山の手作りかりんとう
やはり昔懐かしいと書かれています。
石見は備中、後備、安藝国とは中国山地を挟んだ反対側に位置しています。明治11年の全国農産表によれば、葉煙草の生産高では出雲国より石見国は少ないですが、煙草の産地です。石見国の中では邑智(おうち)郡と邇摩(にま)郡が主な産地です(それぞれ105ケ村 30,267斤、37ケ村 24,878斤)。 石見銀山は邇摩郡大森町に有ります。菜種の栽培は非常に少ないようです。島根県にも明治28年に草山門下生が煙草栽培教師として指導に行っています。
その他手綱型のかりんとう
秋田県角館 「落ち葉かりんとう」があります。
大きさは幅30mmx長さ150mmと大きく、また厚さ5mm程度と膨らんでいて、サクッとして製法が異なるようです。
落ち葉かりんとう
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2010.4.17