牛川遊歩公園は、牛川小学校、鷹丘小学校の2校区にわたっています。 もともとここには、牛川小学校1校しかありませんでしたが、昭和40年代の急激な地域の発展により児童が増加したため、昭和53年鷹丘小学校を新設し、2つに別れました。このため今でもこの2校区は密接なつながりをもっています。牛川校区と鷹丘校区を合わせて牛川と呼ぶ人もまだいます。 牛川遊歩公園は、牛川小学校と鷹丘小学校の両校区にまたがっており、むしろ鷹丘校区の方に多く位置しています。それにもかかわらず『牛川遊歩公園』となっているのは、牛川遊歩公園が鷹丘小学校のできる前の昭和50年にできたからですが、牛川と鷹丘のつながりをよく表していると思います。 両校区および校区周辺の主な施設や風物をお知らせします。 |
豊川(とよがわ)
![]() |
東三河を流れる一級河川で、北設楽郡段戸山から流れ出て、三河湾に流れ込む。 全国でも水質のきれいな川の上位にいる。このため三河の水はおいしい。また、上流での取水が少ないため、常に満々とした水を流している。 昔はよく洪水にみまわれたため、堤防に切れ目をつけ、つまり一部だけ堤防を造らないで、あふれた水を田畑に流すようにした霞堤(かすみてい)がつくられた。現在は少なくなったが、牛川の沖野地区には現在もある。 豊川は、昔は穂の国の川という意味で、「ほの川」と呼ばれていたがこれがなまって、「ほの川」→「ほうの川」→「豊(ほう)の川」→「豊川」となったという。 |
牛川の渡し
![]() |
豊川で分断された両岸を渡し船で結ぶ。愛知県下の川渡しはここだけということで、名物になっている。 この渡しは市道の扱いになっていて、船を竹竿で操る船頭さんも市の職員。木の板をたたくと船頭さんが出てきて渡してくれる。 まもなくこの近くに橋がかかり、渡し船がなくなるといううわさがある。 |
石巻山
![]() |
隣の石巻校区に位置する。標高356mで、豊橋中心部方面から見るとピラミッドのようにきれいな形をしているため、奇峰とか霊峰と呼ばれ、豊橋のシンボルにもなっている。 山のふもとと中腹に神社があり、山上社のすぐ近くには豊橋市石巻自然科学資料館があり、石巻山付近の自然の紹介をしている。(無料) 頂上付近は石灰岩の岩塊になっていて、石灰岩に特徴的な植物や動物が見られ、「石巻山石灰岩地植物群落」として国の天然記念物になっている。 登山道は豊橋自然歩道の一部となっていて、山頂に至る道にはダイダラボッチの足あとと呼ばれるくぼみや蛇穴と呼ばれる石灰洞窟などがある。 |
青陵街道
![]() |
県道東三河環状線の別名。もともと、昭和20年代に東田坂上から青陵中学校まで新しく道ができ、これを名付けたと思われる。この街道はその後延伸されたので、どこまでを青陵街道というかは定かではない。通称なのでしかたがないともいえる。豊橋市では、石巻までを柿の木街道と名付けているが、実際に使う人は少ない。 東田坂上から青陵中学校までの間には夏ミカン並木があり、青陵中学校生徒が世話をしている。 |
別所街道
![]() |
豊橋から東栄町まで通じる道で、豊橋から牟呂用水沿いに北上し、牛川を通り抜けて、石巻、新城へ抜けていく。別所というのは今の東栄町のことだそうだ。 昔は、「おうかん通り」と言っていたが、これは「往還通り」の意味だろう。多くの人々が往来したことを物語っている。 青陵街道が伸びてからは、「旧道」と呼ばれるようになった。写真は牛川小学校南の交差点で、北東に延びている。向こうに見えるのは石巻山。 |
牟呂用水
![]() |
豊橋市の神野新田に農業用水を通す目的でつくられた用水で、明治21年(1888)に完成した。 新城市一鍬田の松原で豊川から取水したのち、豊川の左岸段丘の縁を蛇行しながら流れており、場所によっては盛り土の土手上を通ったり、掘り割りを通ったりしている。 昔はこの用水で洗濯物をしたり、水浴びをしたりした。ところどころに階段が残っていて、降りられるようになっている。 牛川のあたりは土地区画整理のため、やがて流路を変えて地下を通るようになるはずである。 朝倉川を渡るところは、境橋という橋が架けられ、その橋の上を用水が流れるようになっている。 |
出雲殿
![]() |
結婚式場。正式な名前は「ロイヤルヒルズ豊橋出雲殿」。 大聖堂やチャペルもあり、多くの幸せなカップルを送り出している。 ときどき、オープンカーに乗った新婚カップルが近くの道路を一回りする。見かけたら、ぜひ手を振ってあげよう。 もともとヲイホテ川沿いの田を埋め立ててつくられた。今でも敷地の中をヲイホテ下水路が流れている。 |
豊橋創造大学・豊橋創造大学短大
![]() |
学校法人学校法人藤ノ花学園の運営する大学と短期大学である。学生数は大学と短期大学を合わせて1000人。 大学には、情報ビジネス学部、保健医療学部がある。 短期大学には、幼児教育・保育科、専攻科福祉専攻、キャリアプランニング科がある。 |
私立桜丘中学校・桜丘高等学校
![]() |
学校法人桜丘学園が運営する中学校と高等学校。中高あわせて生徒数は2000人を越えるマンモス校。 高校には音楽科がある。 卓球の松下浩二、柔道の谷本歩実、水泳の加藤ゆかが卒業している。 |
豊橋市立青陵中学校
![]() |
生徒数約600人。旧制中学の校地を引き継ぎ、校地がたいへん広い。また、戦前から引き継がれている校門(清明門)や国旗掲揚塔は重厚で立派である。 ![]() かつては全国有数の生徒数を誇ったが東陵中学校の分離で、今は普通の規模になっている。 この学校出身の有名人としては、太田昭宏(公明党代表)、松平健(俳優)などがいる。 |
豊橋市立東陵中学校
![]() |
平成9年(1997)青陵中学校から分離して開校された。生徒数約450人。 もともと石灰山と呼ばれた牛川鉱山のあとに建てられた。このため校舎と運動場との段差が激しい。カラフルな校舎で、校門や校舎の配置も斬新である。 鷹丘小学校を卒業した児童が進学する。 |
豊橋市立牛川小学校
![]() |
1873(明治6)年開校の小学校。児童数約 600人。卒業生は青陵中学校に進学する。現在牛川土地区画整理事業により、校舎の東側にあった運動場を北側に付け替えて、狭くなった旧運動場跡地にプールを建設中。
|
||||
豊橋市立鷹丘小学校
昭和53年牛川小学校から分かれて創立。児童数約900人。校区は東小鷹野、西小鷹野、忠興、緑ヶ丘である。卒業生は東陵中学校に進学する。 |
|
牛川原人碑
![]() |
昭和まで鷹丘の東にそびえる山では牛川鉱山があり、石灰が採掘され、石灰山(いしばいやま)と呼ばれていた。 この石灰山からの採掘のおりに見つかった骨が、旧石器時代の人骨とされ、「牛川人」または「牛川原人」と名づけられた。 これを記念して鉱山跡の公園に碑が設けられた。
|
||
特別養護老人ホームさわらび荘
社会福祉法人さわらび会が運営する特別養護老人ホーム。 昭和52年に開かれた。 |
|
牛川地区体育館
![]() |
豊橋市にある地区体育館の1つ。 |
三菱レイヨン豊橋事業所
![]() |
アクリルフィルム、PBT樹脂などを生産している。 昭和38年(1963)に誘致された約45haの敷地を持つ広い工場である。この工場ができたころは、社宅がたくさんでき、従業員家族が多く転居してきた。 |
豊橋市小鷹野浄水場、愛知県豊橋浄水場
市と県の浄水場が隣接して設置されている。 豊橋市小鷹野浄水場は、昭和5年につくられ、下条町で取水した豊川の伏流水を使っている。 一方、愛知県豊橋浄水場は牟呂用水と豊川用水からの水を浄水している。 牛川小学校横から桜丘高等学校を経て浄水場につながる道の下を導水路が通っている。 |
|
朝倉川
![]() |
豊橋東部の湖西連峰から流れ出る1級河川。多米を通り牛川の南を流れ、やがて吉田城の城下で豊川に合流する。かつて八名郡と渥美郡の境となっていた。 朝倉川上流ではホタルのすめる環境を取り戻そうと、朝倉川浄化活動が行われ、成果をあげている。鷹丘から牛川にかけてには、川遊びができる親水広場ができていて、夏には子どもたちでにぎわう。 写真で向こうに見えるとがった山が石巻山。 |
神田川
![]() |
嵩山に流れを発し、石巻を流れ、牛川の北辺を通って、牛川地内の暮川で豊川に合流する。 今から4,50年前には、台風がやって来ると神田川があふれて家に帰れなくなってしまうおそれがあり、牛川小学校の子どもは早めに帰っていった。 |
ヲイホテ都市下水路
![]() |
ヲイホテ排水路ともいう。牛川遊歩公園に沿って流れる下水路。もとは、ヲイホテ川と言う小川でくねくねと流れていたが、コンクリートで固めた排水路となってしまった。やがて地下を流れ、朝倉川に流れ込む。ヲイホテという一風変わった名称には何か理由がありそうだ。 途中にライブカメラが設置してあり、大雨の時など川の様子がわかる。 左の写真は、新しい住宅の間を流れるヲイホテ下水路。向こうに出雲殿が見える。 |
眼鏡川
東の弓張山系を水源とし、細かく蛇行しながら流れ、途中牛川小学校北で牟呂用水と交差し、やがて豊川に注ぎ込んでいる。 途中で別所街道と交差するところの道の両側に2つの池があり、ここに流れ込んでいた。配置が眼鏡のようだったため、眼鏡池と呼ばれた。(現在は埋め立てられた。)このため眼鏡川と呼ばれることになったと思われる。眼鏡池ができる前は別の名だったはず。 牛川西部土地区画整理事業のため、やがてはほとんどが地中の暗渠を流すようになるもよう。 |
|
東陵地区市民館
東陵中学校の開校と時を同じにして、平成10年に開館した新しい地区市民館。 和室、大集会室、集会室、実習室、図書談話室などがあり、多くの講座や習いごとが行われ、地域文化の拠点になっている。 |
|