Uta-Pri

Debut発売5日前!カウントダウンSS
五線紙【トキ春】



 今日は天気が良かったし、仕事は昨夜きっちりと仕上げてクライアントに提出をした後だったので、午後はゆっくりと買い物に出かけた。
 いいなと思ったワンピースも買い、ヘアアクセサリーも気に入ったものを見つけたので一つ選び、それはそのまま髪に飾った。
 満たされた気持ちで寮に戻ってきたのは、空が少しずつ茜色に染まり始めた頃で、買ったワンピースを鏡の前であてては、買って正解だったよね! と笑顔で一人頷いた。
 Aクラスを受け持っていた月宮林檎からは、「女の子に生まれたからにはいっぱいおしゃれしちゃいなさい」と在学中にも良く言われていたし、春歌もまったく興味がないわけではなかった。
 おしゃれをする時間がないくらいに忙しかった、というのは言い訳なのかもしれないが、最近は仕事が立て続けに入り、出かけることがあっても早乙女学園のレコーディングルームか近所のコンビニぐらいしかなく、「おしゃれ」からは随分縁遠い生活をしていた。
「けれど、今日は違います!」
 思わず声に出して言い、鏡の前でくるりとターンをすると、ふんわりと裾が広がる。グリーンともブルーともつかないパステル系の色合いが何とも綺麗で、何度も……それこそ何度も鏡を見つめては笑みを浮かべていた。
「このワンピースを着て、トキヤくんと一緒に出掛けられたら嬉しいなぁ。今日みたいに天気が良い日に街を歩いて、お昼ごはんを食べて、面白そうな映画があればふらっとと映画館に立ち寄ってみるのもいいよね」
 手を繋ぎ、お互いに笑顔を浮かべているシーンを想像しては幸せな笑みが零れる。叶わない空想だとしても、思い描くことは自由だ。
 こういう時は明るい音楽が頭の中で広がることが多く、既に様々な音色が頭の中だけでなく心の中でも賑やかに、そして楽しく弾けて止まらない。
「……っと、忘れないように五線紙に書いておかないと」
 慌てて部屋から五線紙を持ってきてリビングでひたすら音符を書き連ねていたのだが、あと少しで全部書き起こせるという所になって最後の一枚を使い切ってしまった。
「えっと、確かまだあったはずだよね。これかな? ……あれ、違う。これかも……あ、あれ?」
 重なる五線紙の中から白のものを探し出そうとするのだけど、どれにも音符が書き込まれていて、真新しいものは一枚も見当たらない。
「う……。ま、まさかもう無いのかな。どうしよう、あと少しでまとまった形になりそうなのに」
 時計を仰ぎ見れば、午後八時を指している。
 今から急いで街中にある店に向かえば閉店時間前に十分間に合う。
 日が延びたとはいえ八時では流石に真っ暗だ。夜道を一人で行くのは流石に躊躇う所だけど、今は手段を選んではいられない。
「迷ってる暇なんてない。よし、行こう!」
 春歌はソファーに置かれたままのバッグを手にし、玄関へと向かうのだが、その途中で携帯が着信のメロディーを奏でる。
 この着信音はハートリングのCM用に作ったトキヤの歌で、彼からの着信はこの曲に設定をしていた。
「えっ、トキヤくん? ――もしもし、春歌です」
 カバンから取り出して通話ボタンを押すと、それはやはりトキヤからの電話で、すこしばかり嬉しそうな声が耳をくすぐる。
「トキヤです。今、大丈夫ですか」
「はい、大丈夫ですよ」
「実は、丁度今、寮に戻ってきたばかりなのです。思っていた以上に撮影が早く終わってね」
 確か撮影は夜遅くまでかかると聞いていたのだけど、随分早くに切り上がったようだ。
「本当ですか? わあっ、じゃあ……ひょっとしなくても、今から」
 全部を言わなくても、トキヤが電話の向こうでクスッと笑った。
「ええ。一緒にいられますよ。会いたいです……春歌」
 会いたいと素直に、それもやけに弾んだ声で言われ、思い切り胸の鼓動が跳ねたのをトキヤは知らないだろう。
「わたしも……わたしも会いたいですっ、トキヤくん! ――あ。……で、でも」
 飛び跳ねんばかりに喜び、そのあとすぐに思い出したのは、買いに出かけようとしていた五線紙のことだ。
「どうかしましたか? 仕事が忙しいようなら、少しでも手が空いた時に顔を見せてもらえれば嬉しいのですが」
「いえ、お仕事は昨夜終わったので今日は一日オフだったんですけど、その……今から五線紙を買いに行かないといけなくて」
「五線紙ですか? ……こんな時間に、一人で?」
 声に少しばかり険が含まれているのを感じとり、春歌は慌てた。
「あっ、あの、少し前から良いメロディーが頭の中で鳴り響いていて、それを譜面に書き起こしていたんですけど、ラストのところで五線紙が無くなっちゃって……ノートに書けばいいんでしょうけど、やっぱり五線紙じゃないと」
 荒くてもノートに五線を引けば何とか凌げるといえばそうなのだけど、書き足りなくなってしまったら、五線を引く作業が増えるだけになる。そうなると手間ばかりかかってはかどらない。
「だからトキヤくん、少しだけ時間をくれませんか、そしたら――」
 そしたら、必ず会いに行きます。トキヤくんのところに、飛んでいきます! だって、わたしも凄く会いたいから。
 そう言おうとしたところをトキヤのため息に遮られた。
「……まったく、こんな時間に一人で出かけようとするなんて、君は危機感が無さ過ぎる」
「うっ。は、はい……」
 尤もの言葉に少しだけ項垂れる。
「こう言うこともあろうかと、五線紙なら私もちゃんと用意しています。それも、君が愛用しているものですから、安心してください。少しでも時間が惜しいのなら、時間をかけて買いに出かけるより、今すぐ私の部屋をノックしなさい」
「トキヤ、くん?」
 前もトキヤの部屋で音が浮かんだ時には五線紙を貸してもらったことがあったけれど、まさか常備しているとは思わなかった。
「呆けていないで、さあ、すぐにいらっしゃい」
 どこかにカメラでもあるんだろうかと思わず天井の辺りをきょろきょろと見回してしまったけれど、当然のことながらカメラなどどこにもついていない。
 ――トキヤくん、なんでもお見通しなのかな? それはさておき……っ!
「わ、わかりました! 今玄関なので、すぐに行きます!」
 急いで靴を履いてドアを開けると、同じタイミングでトキヤの部屋のドアが開いた。
 見えるのは、ドアノブを掴んでいる、すっと伸びた腕と手。
 そして――。
「五日ぶりですね、春歌」
 言うとおり、五日ぶりに会う恋人の笑顔。
 とても嬉しそうに笑い、自分を優しく見つめる瞳を見て、春歌は握ったままの携帯を思わず落としそうになった。
 ――反則。ずるいです。そんな風な笑顔を見せられちゃったら、ドキドキして……止まらなくなっちゃいます。うぅ、耳も頬も、とにかく顔が熱いです!
「ごっ、ご無沙汰しております、一ノ瀬さんっ! お仕事お疲れ様でしたっ。そ、それと、お疲れのところお手数をおかけしてしまい申し訳ありません」
 思わず深々と頭を下げると、トキヤはプッと声にして吹き出した。
「どうしてそこで一ノ瀬さんに戻るのですか。まったく可笑しな人ですね。……と、それよりも、五線紙がすぐに必要だったのでしょう? 一応これだけ持ってきましたが、足りなくなったら携帯に電話をください。いつでもお持ちしますよ」
「あ……はい」
 渡された枚数はちょっとやそっとではなくならない程だった。
「それでは、キリの良い所まで進んだら必ず会いに来てくださいね。それまでちょっと寂しいですが、我慢をして待ってますよ。頑張ってください、私の可愛い作曲家さん」
 引き止められるのかと思った。
 五線紙よりも自分を見つめて欲しい、とか。
 少しだけでもいいから傍にいて、とか。
 ――待って。待ってください。確かにすぐにでも五線紙は必要です。でも……でも。
 幸せな曲が浮かんだのは、トキヤと二人で過ごせる時間を思い描いたからだ。
 本当は毎日会いたいくらいに大好きな人で、それも五日ぶりに会えたというのに、あっさりと返されてしまうなんて予想外。
「……あの!」
 思わず伸ばした手は、ドアノブを掴んだままのトキヤの手の上に重ねられる。
「あ、あの。……今、書いている曲は、トキヤくんのことを思いながら書いてるんです」
「私を?」
「実は今日、このワンピースとアクセを買ったんです。それで、部屋でウキウキしながら着ていて……その、この服を着てトキヤくんとデートできたら嬉しいなあ、とか。一緒に映画を観られたらいいな、とかって考えていて……。そんな風に楽しいことをいっぱい考えてたら、音が溢れてきて止まらなくなっちゃって」
 頭の中でたくさん浮かぶ音符たちを一つの曲にしたら、もっと幸せになれそうな気がした。
 幸せな歌がいつでも響くのであれば、会えない日も乗り越えられそうなするからだ。
「でも、今ここでトキヤくんとの時間を選ばなかったら、最後のフレーズさえも消えてしまいそうです。楽しくて幸せな曲だからこそ、今、トキヤくんと一緒にいたいです。だから……だから、このまま追い返さな――」
 追い返さないでください。
 の言葉は、それ以上言わなくてもいいですとでも言うように、軽く押し当てられた唇に奪われた。
 驚いてトキヤを見上げると、彼は眩しそうに目を細めて春歌を見つめた。
「私と一緒にいたら、すぐには曲の続きを書き起こせませんよ? 君が五線紙に向かうたび、その手を止めざるを得なくなります。間違いなく五線紙に嫉妬しますからね」
「……トキヤくんと一緒にいられるなら、きっと、音符たちも逃げません。だから、嫉妬もしなくて大丈夫です」
「それと……」
 春歌を玄関の内側まで引き入れると、一歩、二歩と下がってトキヤはこちらを見つめる。
 ――な、なんでしょう?
 どぎまぎしながら、とりあえず五線紙を胸に抱きしめると、トキヤはとても嬉しそうに笑った。
「そのワンピース、君にとても良く似合っています。次のオフの日には、もう一度その服を着て私とデートしてください」
「えっ!? デッ、デート……してくれるんですか?」
 だって、駄目かと思っていたから。
 明るい太陽の下。人でにぎわう街の中。手を繋いで歩いて一緒に映画を観るなんて、頭の中で描いた幸せな空想なのだとばかり思ってた。
 そう簡単には叶うはずがないと思っていたのに。
「当然でしょう。君と私のデートは実現させるものですよ。それとも、君は幸せなデートを頭の中で思い描くだけで満足なのですか? 私は足りませんよ。こんなに可愛い姿を目の当たりにしたら、なにがなんでも実現させたくなる」
「でも、人がたくさんいるし。人目もあるし……」
 ――わたしは今まで通り、夜でも平気です。
 と、どうして続けられなかったんだろう、と春歌は途切れた言葉を再び紡ごうと唇を開くのだけど、トキヤの長い指がそれを止めた。
「映画、観に行きましょう。二人で楽しそうなのを探して、一緒に行こう」
 一緒に。
 その言葉がとても嬉しい。それこそ涙が出そうなほどに嬉しくて――思わず目の前にいるトキヤの胸に額を押し当てた。
「はいっ。……一緒に、行きたいです。トキヤくんと、映画デートしたいです……っ」
 瞬間、するりと腕をすり抜けて落ちた五線紙が、幾つも白く足元を埋めた。
 まだ最後のフレーズを書き起こしてはいなかったけれど、落ちた五線紙の上に目には見えない幸せな音符たちが幾つも並んで見えたような気がした。
 楽しく幸せな恋の曲。
 終わることのなく続く、恋のメロディーはこの五線紙の上に。
 その曲を奏でるのは、目の前にいるトキヤと「わたし」でありたいと、春歌は心から思った。



End.
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