瞼の裏が明るい。
そう思った時には、昨夜からカーテンが開け放たれたままの窓から朝日が差していて、随分と部屋を明るくしていた。
「ん……」
額に手を当て、まだ眠い目を開けばすぐ目の前には春歌の寝顔があり、自分の胸元にぴったりと寄り添うようにして心地よさそうに寝息を立てていた。
ちょっと窮屈そうに丸まっているその姿は猫のよう。
思わず手を伸ばして春歌の頬へと指の背を当てると、その頬はやはり柔らかくて暖かい。ふわふわとしたその感触に、トキヤは癖になりそうだとふっと目を細める。
――ふわふわといえば、春歌が着ているのは私のニットですね。
素肌の上にニットを着てくるんと丸まっている。本当に小さな黒猫みたいだ。
それはさておき、ニットを着こむということは部屋が寒かったのだろうか。
「ん……、エアコンは切れていないようですが……」
エアコンの静かな動作音が小鳥のさえずりと共に耳に届く。
それならば設定温度が低かったのだろうかとリモコンを見てみるが、室温表示はそれほど低くはない。
なら、途中で起きたのかもしれない。
そう思い、彼女を起こさないようにしてそっと身体を起こすと、床には脱ぎ散らかしたままの互いの服が朝日に照らされている。この光景にトキヤは小さく息を詰まらせ、身を固まらせた。
散らかっているこの現状が悪いというわけではなくて、散らかっている『そのもの』に対して今更ながらどきりとしたのだ。
服を脱ぎ散らかすことなど滅多にない。その滅多にないことを昨夜はしたのだ。
床の上には自分の服だけじゃなく春歌の服も折り重なるようにして落ちていた。そこにはレース飾りの二つ山があるものや、小さく丸まっている下着などが見えたりしたので、思わず「あっ」と声を漏らし、慌てて口元を覆った。
脱がしたのは自分なのに、なぜだか見てはいけないものを見てしまった気がする。
とはいえどうしても目がそれを追ってしまう。昨夜は暗がりの中での行為だったので、下着の色などまるで分らなかった。
――見てしまうのは、仕方のないことです。そう、仕方のないこと。
言い訳してみるものの、やはり直視はできない。どうにも恥ずかしいのだ。
――脱がしたのは私じゃないですか。いや、だからと言ってじっと見るのは流石に躊躇うものがありますね……。
下着よりも何よりも、彼女の裸を見たでしょうに、と自ら突っ込みをしては頬にも耳にもかっと熱が集まらせる。途中、はっとして春歌の方を振り返って見るのだけど、彼女は相変わらず夢の中の住人のようだ。
「……そうですよね、これらの服を脱がしたのは私で――」
この腕で確かに彼女を抱いた。
多少の知識はあれど(いわゆる耳年増というやつだ)、することなすこと初めてで、それどころか触れるものすべてが初めてだった。
柔らかな胸も、身体のラインも、身体の中も。
痛がる春歌の中に、同意とはいえ強引に自分のものを挿れては突き上げ――。
「って! 朝から私は何を……っ!」
と言った後で再びハッとして春歌を見るが、やはり彼女は瞼を閉じ、静かなまま寝息を立てている。
熱い頬はそのままに、コホン、と咳払いを一つして、ベッドの縁へと腰かけて考える。意識は淫らなほうへではなく、これからのことへ。
まず服を着る。そして散らかったままの彼女の服は……触るべきか否か。
「……いえ、触るべきではないでしょう」
下着がある。こればかりはどうしようもない。中身には手出しをしてしまったけれど、流石にこれは無理だ。……気にはなるけれど、といったら変態扱いされそうだ。
とりあえず着替えたあとは朝食でもつくろうか。
時計を見れば、普段の起床時間とさほど変わりはない。今日は朝も昼も春歌と共に食事をとると約束をした。
春歌はまだしばらく起きそうにないし、特に差し迫ったこともないので無理に起こす必要もない。昨夜は大分無理をさせてしまったので、もう少しこのまま寝かせてあげたいのが本音。もっと言うなら、別に朝食だって無理をさせてまでとる必要はないのでブランチでもいいだろう。
ドラマの撮影で、この部屋には寝に帰るだけの毎日だったけれど、かろうじて自炊だけはしていたので食材だけはなんとかある。卵、ベーコン、ソーセージは勿論、野菜もそこそこあったはず。ないものと言えば、パン、またはマフィンぐらいだ。
「パンはもう少ししたら買に行くことにしましょうか……」
ひとりごちて、頭の中で大体のメニューを考えたあと、ふと思いつく。
――ブランチはいいとして、シャワーはどうなんでしょう。
自由に使ってもいいと春歌には伝えたはずなのだが、様子からすると使ったようには見えない。あとで自分の部屋に戻ってから浴びるのだろうか。
もう一度ベッドへと寝そべり、頬杖をつきながら春歌の頬を指の背で撫でる。
何度触れても柔らかくて、暖かくて――幸せな温もりがここにある。
「幸せすぎて……帰したくない、なんて我が儘を言いたくなる……」
――いっそ閉じ込めてしまいましょうか。
などと物騒なことを思いついては、一人で「馬鹿ですね」と苦笑する。
傍に春歌がいるのにこれ以上何を望むのか。
贅沢だというのはわかっている。けれど、一度この腕で春歌を抱いたら愛しさは増すばかりで胸が苦しい。
ゆっくりとではあるが猛ったものを春歌の中へと挿入したとき、彼女は痛い、とその目じりからほろっと涙を零して言い、それでも懸命にトキヤの背中へと腕を回して受け入れてくれた。
鼻にかかった甘い声も、切なげな吐息も、トキヤと名前を呼ぶのも、この腕で春歌を抱いている時だけ聞ける特別なもの。他の誰もそんな彼女を知らない。
上気した頬。とろんと潤んだ瞳で見上げる視線。シーツへと広がる柔らかな髪。日頃はあどけなく愛らしい春歌だが、あの時はぞくりとするほど色気を感じた。
その色気に理性も思考もすべて奪われ、手加減など殆どできないまま自分の欲望をぶつけてしまったけれど、これから身体を重ねるたびにあの色気を見せつけられるのかと思うと、理性だの感情のセーブだのと言っていられない気がしてならない。
ただでさえ愛しくて仕方がないのに、春歌のすべてで自分を求められたら理性なんてショートするに決まっている。
トキヤは頬杖を解き、ぼふっと音を立ててシーツへと頬を押し当てた。
――無理だ。
絶対に、無理だ。
自分を……気持ちを抑えられるわけがない。
だからと言って欲望のままにめちゃくちゃになどできるはずもなく――。
「どうしたらいいものか……」
深く、深く吐くため息一つ。
あの艶っぽい春歌を思い出したら再び耳が熱くなった。少しばかり下肢が反応しなくもないけれど、それに捕らわれないよう意識を別のことに集中させ……ようとしたのだけど。
「ん……」
身じろぎをした春歌の胸元が、彼女自身の腕によりきゅっと寄せられたものだから思わず目を見開く。ニットを着ているとはいえ、身体の大きさが違う分襟ぐりがどうしても開く。そこから見えるくっきりと出来た谷間はとても……それはとても魅惑的で、どうしたって視線を奪われる。
「っ……!」
――馬鹿ですか馬鹿ですか、私は! 春歌が寝てるのを良い事に、じっと見つめている場合ではありませんよ……!
とはいえ、なにも飛び起きずにその谷間を眺めていればいいものを、と思う気持ちもなにきにしもあらず。自分は男なのだから、こればかりは仕方がない。けれど、眺めの良いものを見つめ続けていたらいたで、間違いなく身体は反応をする。そうなったら熱を収める方法など一つしかなく、けれど彼女が傍にいては自慰などできるはずもない。とんでもない。
ならもう一度身体を合わせれば、などという邪な考えは眉間をぎゅっと寄せて自ら却下する。
――良くない。いえ、見える景色はとても良いのですが、同時に非常に良くないのですよ!
自分を慰めることもできない。かといって昨夜あれだけ痛がっていた彼女を想い出せば、これから再び抱くなどとんでもない。
「私にどうしろと……っ」
再びベッドの縁へと腰かけ、嬉しいやら切ないやら、複雑なため息を吐きながら朝の陽ざしに目を細める。
――とりあえず。……とりあえず!
二度ほど心の中で繰り返しても続く言葉は見つからず、もう一度深いため息を零しては、あちこち跳ねた髪の中に指をくぐらせ、ゆっくりと立ち上がった。
「これはもう、シャワーでも浴びて頭でも冷やしてきましょう」
なにがなんでも頭を冷やさないとまずい。そして、少しだけ上がった体温も下げなければ。
とりあえず、脱ぎ散らかした服の中からズボンだけを履き、名残り惜しい気持ちでもう一度眠っている春歌を振り返る。
次にこの部屋に戻ってきたときには起きているかもしれない。
愛らしい寝顔はまた次回までお預けになってしまうけれど、次回があると思うと馬鹿みたいに心が弾む。
――そうですね。また次がありますから。これからも、ずっと。
一生大切にすると言った言葉は嘘じゃない。
『初めて』を貰ったからそう言ったのでもない。
――私には、君が必要なんです。
酸素がないと生きていけないのと同じで、彼女がいないと自分という小さな世界は回っていかない。
理由とか理屈とかどうでもよくて、『春歌じゃないと駄目だ』というそれがすべて。
ベッドに片膝をつき、身を屈めて彼女の頬にキスをする。
愛しくて、愛しくて――どうしようもないくらい愛してる。
いつまでもその寝顔を見つめていたいのだけれど、でも、その反面こうも思う。
「……早く笑顔を見せてください。私は、君の笑顔を見るととても幸せな気持ちになれるのです」
朝日よりも眩しく、けれど柔らかく暖かい笑顔。
――その笑顔を見られるまで、あとどれぐらい?
起きたら、おはようよりも早くその唇に、キスを。
End.