Uta-Pri

Eyes On Me【トキ春】



 十月も半ばを過ぎ、学園祭という言葉があちこちで飛び交い始めている。
 そんな日の午後の教室。本日の授業も残すところ一教科と迫った休み時間のことだった。
「七海さん、いますか」
 ざわつく教室の入口で、七海さん、と私のパートナーである彼女の名を呼ぶ声。
 私は、それまでボイストレーニングの教本へと向けていた視線を、その声の主である男子生徒に向けた。
 名前を呼ばれた七海君はというと、人づてに彼の存在を聞かされ、一瞬きょとんとした顔をしていたが、ややあって嬉しそうな笑顔を浮かべ、そそくさと入口へと向かう。
「わ、こんにちは。あの、どうされたんですか?」
 私の席は、幸いにして入口からそう離れてはおらず、自然と二人の会話が耳に届く。
「前に少し話していた例のCDを手に入れることが出来てね。放課後でもいいかなと思ったんだけど、卒業オーディションの練習があるから今来てみたんだ。時間、大丈夫?」
 ――例のCD?
 なんです、それは。
 いえ、別に盗み聞きしているわけではなくて、勝手に聞こえてくるのだから仕方がない。そして、聞こえてしまえば気になってしまうのも、これもまた……仕方のない事かと。
 別に耳をそばだてているのとは違う。
 事実、私は教本へと視線を戻しているし、二人の姿は視界に入れていない。
 ――それにしてもです。人見知りをする彼女がこんなふうに打ち解けて話すこの男、いったい何者。
 確かAクラスの男子生徒で、彼女と同じ作曲家コースだった気がするけれど、それにしても……随分と嬉しそうだ。私と話していても、ここまでの笑顔はなかなか見られない。
 重要箇所にマーカーを引くべく持っていたペン先を小さく揺らしながら、今度は本格的に意識を集中し始めた。勿論、二人の会話に。
 コースは同じでも、どうしてこのSクラスに?
「ひ、ひょっとすると……あのCDですかっ!?」
「うん。欲しいって言ってたでしょ? 俺もあちこちに聞いてみたんだけど、周りの友達はみんな持ってないって言って。少し諦めかけてたんだけど、そのとき丁度ネットで知り合った友人が持ってるって声をかけてくれて、速攻で送ってくれたんだよ。はい、これ。返却しなくていいって言ってたから、それは七海さんにプレゼントするよ」
「い、いいんですか?」
「勿論! ファンの人に持っていてもらうのが一番だって友達も言っていたし、ボクも同意見だ」
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございますっ! なんとお礼を申し上げたらいいのか……っ! 絶対に手に入らないと諦めていたので、凄く凄く嬉しいですっ」
 ――ほぅ、CD……ですか。HAYATO以外に君がそんなに喜ぶなんて、少々面白くありませんね。
 胸の奥がチクリと痛み、何故か胃がちりちりとする。
 別にHAYATO以外を好きになってはいけないというわけではなく、どんなアイドル、どんなアーティストを好きになろうと彼女の自由だけど、頬を紅潮させるほど喜ぶとなると、相当入れ込んでいるということであり、あれほどHAYATO、HAYATOと目を輝かせていたのはなんだったのだろうと思ってしまう。
 自分でもどうしてこんな小さいことでいちいち苛立つのかわからないが、とにかく面白くないのだから仕方がない。
 彼女をあんな風に笑わせる方法。それをパートナーの私でなく、他クラスの彼が知っているというのが更に心に波風を立てる。
 その時、ついペンを揺らす指先に力が入りすぎて弾いてしまい、カツンと音を立てて床に落ちてしまう。
 まったく何をしているのやら。
 落ち着かない自分にも呆れ、息を吐きながら床へと手を伸ばすのだけど、後ろから誰かの手が私のペンを掴んだ。
「あ、すみません」
 差し出されたものを受け取ろうとしたその瞬間、ぐいっと肩を引き寄せられ、耳元で囁かれた。
「へぇ……イッチー以外でもあんな顔するんだね、レディは。あの二人、随分と仲良さそうじゃないか。……妬けるね」
 声の主はレン。妬ける、と言いながらその表情は随分と楽しそうだ。
 まるで私の気持ちなど見透かしているようなその目、その笑顔。
「何のことですか」
「さあ、何だろう。けど、イッチーは知ってる?」
「知りませんよ」
 そっけなく言ってもレンはまるで気にしていないと言ったように続ける。
「まあ聞けって。トンビに油揚げをさらわれるという言葉があるだろう?」
 ――まったく、嫌なところを突いてくる。
「……それが、何か?」
 じろりと睨むと、レンはにっこりと目を細めて言う。
「彼がトンビじゃなければいいけどね」
「すみませんが、私には何の事だかさっぱりわかりません。それにここは校舎の中ですよ。トンビなどどこにもいませんが」
 冷やかにレンを見つめると、彼はその目を待っていましたとばかりに輝かせ、クッと肩を揺らす。
「なんか微妙な返しをしてくるあたりが、かえって面白いというか……イッチーは分かりやすくていいね。うん、とてもわかりやすい天邪鬼だ」
「なんですかそれは。そんなことより、読書の邪魔です」
 睨むのも馬鹿馬鹿しくなり、眉間に皺を寄せて教本へと目を移す。もう何を言われても返事を返さない方が得策だ。
 私はどうもレンに遊ばれることが多すぎる。
 彼が言うには、私は「素直に、そしてクソ真面目に反応しすぎる」のだそうだ。
 そもそも私とて、いちいち相手をしたくはないのだけれど、無反応というのも少し心苦しいものがあり、それなりに返事をしないと、と思い言葉を選んでいるのだけど、それこそがレンを楽しませてしまっているのだろうか。
「読書、ね。その割にはページが進んでいないようだ」
「ですから……っ! 余計なお世話ですよ!」
 無視しようと決めたのに、思わずレンを見上げてしまった。それがいけなかった。
 彼はますます気をよくしてしまったようで、楽しそうな笑顔を向けられた。
「うん、良い反応だ。よし、お兄さんがひと肌脱いであげようか」
 結構ですよと言うよりも早く、レンは私の肩をポンポン、と軽く叩いて入口へと足を進めた。
 勿論、その先にいるのは七海君と例の彼だ。
 何をする気なのか。
 嫌な予感を感じながらなりゆきを見守っていると、レンはいつものように七海君に挨拶をし、「ごめんね、少し通してもらってもいいかな」と一言だけ言って教室を出て行ってしまった。勿論戻ってくる気配などない。
 ひと肌脱ぐと言いながら、何もしていないのでは。
 あまりの素っ気なさに私は面食らった。
 というよりも、やはりいつものようにからかわれただけなのかもしれない。
 更にもやもやとする気持ちを抱え、すっかり読む気など無くしてしまった教本のページを形ばかりぱらぱらとめくるのだけど、当然何の言葉も入ってこないし、気分は読書どころではない。
 ――何をやっているのだか。
 と、自分の馬鹿馬鹿しさにため息を吐いた時だった。
 不意に制服のポケットにある携帯が着信を告げた。といっても、勿論マナーモードにしてあるため、振動だけが伝わってくる。
 表示をみればメールの着信で、さらにフォルダを開いていくと、メールはレンからのものだった。
 『レディはやっぱりレディだったよ。オレから言えるのはこれだけかな。気になるなら本人に聞いてみると良い』
 これだけだった。
 ――レン……! これだけでは何が何だかさっぱりわかりませんよ!
 額に手を当てて深くため息を吐くと、あまりに大きな吐息だったのか、不意に七海君の視線を感じた。
 顔を上げれば、彼女は気遣わしげな様子で私を見つめていて、その彼女を『彼』が見つめていた。そして、その彼の視線が七海君から私へと移される。僅かに険を含んだその目を見て私は悟った。
 ああ、この彼も彼女が好きなのだ、と。
 だから彼女が視線を逸らした先にある私が気に入らないのだろう。なにより、パートナーだというのが癪に障るのかもしれない。
 私はというと、二人の視線を受け、どのような顔をしていいのかわからずに戸惑った。……そう、確かに戸惑ってはいるけれど、七海君の視線が嬉しくもあり、胸中は複雑だ。
「……と、ま、まあそういうことだからさ、七海さん!」
「あ、は、はい!」
 彼の声で、七海君の視線は再びその彼へと戻されたのだけど、一度視線もあったことなので、私は堂々と彼と七海君のやり取りを見つめることに決めた。
 ここまで来たらもう開き直るより他ない。
 どうせ、教本に目を通したところで、満足に頭に入ってこないでしょうから。
 見つめるとはいっても、さりげなく話を聞いているというオーラをそれとなく放つと、七海君は手にあるCDと私とを頻繁に見比べるようになった。
 ――ん……。そのCD、私と何か関係が?
 それともそんなにやましいものなのでしょうか。
 はっきり言わなくてもわかりすぎる七海君の戸惑った様子に、私はとうとう腰を上げた。
「先ほどから視線を感じていましたが、私に何か用ですか?」
「い、一ノ瀬さん」
 彼女に声をかけると、困惑と動揺を顕わにし、手にあるCDを後ろへと隠した。
 ――しっかり見えてますから。無駄な抵抗です。
 私は一つ息を吐いて、彼女を見つめる。
「今、何を隠したんですか」
「かっ、隠してなんかいませんよ?」
「隠しましたよ。CDらしきケースをね」
「い、一ノ瀬、別にいいじゃないか」
 ここでこの彼が口を挟んできたわけだが、私は一瞥くれただけで更に言葉を続ける。
「隠されたら見たくなるのが心理だと思いませんか」
「それは、そうですけど……」
「それとも、パートナーである私に隠し事ですか。私はそんなに信用するに足らぬ相手だと? ……そうですか、それは残念ですね」
 大げさにため息を吐いて席に戻ろうとすると、七海君の手が私のシャツの袖を掴んだ。
「一ノ瀬さんのことは信用しています! あの、こっ、このCDはHAYATO様の音源なんです」
「な、七海さん!」
 まさか暴露されるとは思わなかったのか、彼は慌てた様子を見せている。
 残念ですが、私と七海君の間に割り込もうなんて百年早い。四月から今まで共にここまでやってきたのだから、昨日今日割り込んで来た人に私以上の絆はありえない。
 ……などと、私も少々図に乗りつつも、HAYATOの音源と聞いて少々驚いた。
 彼女をあそこまで笑顔にさせていたのがやはりHAYATOだったなんて、嬉しいような、少々悔しいような。
 この彼よりも、私よりも、HAYATOの方が彼女により近いような気さえしてくる。
「あ、あの。以前、とある商品の購入者を対象に、抽選でHAYATO様のCD当たるという、企画があったんです。わたしはくじ運がなくて外れてしまいましたけど、こちらのかたがその話を覚えていてくださって、お友達にまで声をかけてくれて……」
「抽選、ですか」
 かつてCMキャラクターとして出演していたものを思い出す。歌まで担当していたのは限られていたので大体どの曲を指しているのか見当がついた。
「はいっ! あ、これです、このCDです」
 そっと差し出されたCDの盤面には、やはり思っていた曲のタイトルがあり、少しだけ懐かしい気持ちになった。
「これは、デビューして間もない頃のですね」
 それこそ、レコーディングなど一、二度しかしたことのない初期の頃だ。
「そうなんですよ! さすがご兄弟ですねっ。CMも素敵だったのですが、やっぱり歌も大好きで……。抽選に外れてしまった時は本当に悔しかったなぁ」
 心底惜しげな表情を浮かべる彼女に、私は思ったことを素直に口にした。
「これなら私も持っていますよ」
「えっ?」
「えっ!」
 Aクラスの彼と七海君の声が被る。
 そんなに驚かれても……。
 なにせ、私が歌っている張本人ですし、勿論CDだって送られてくる。その枚数、一枚や二枚どころではなくてもっとだ。
「そ、その……勿論、兄から貰ったのですが、彼の部屋に行けば、確か、他にも色々とあると思います」
「ほっ、本当ですか!?」
 企画物のDVDやらグッズやら。
 貰っても使い道などは勿論なく、けれど捨てるに捨てられないといった扱いに困るものが多かったけれど、彼女が喜ぶのであれば悪くはないかもしれない。
 自分の顔が入っているものを渡すのもなんだか複雑だけれど。
「ええ。なので、今度無理やり貰ってきてあげましょうか。彼も、物の置き場がなくて困っているようでしたし」
「でも、そんな……ご迷惑では」
「迷惑どころか彼も喜びますよ」
 自分でもわからなかった。
 どうしてこんなことを言っているのか。
 なるべくHAYATOの話題を避けたかったくせに、自らこんな話を振るなんてどうにかしている。
 それに、クラスの他の女子には「私に取り入ろうとしても無駄です」と公言していたのはほかならぬ私自身だというのに。
 ――どうかしていますね。原因は何となくわかりますが。間違いなく、こちらの彼のせいでしょうね。
 そう、私は嫉妬をしたのです。この彼に。
 軽く視線を向けると、悔しさを僅かににじませた表情を浮かべていた。そして、私の視線に気づいたのか、軽く眉を寄せて口を開く。
「え……っと、よかったね、七海さん。い、一ノ瀬から貰えるなら、たいていのものが揃うんじゃないかな。……うん、そうだと思う」
「あの」
「でも、そのCDは貰ってくれないかな。俺が持っていてもしょうがないしね。っていうことで、ま、またね!」
「えっ!? あのっ、待ってください!」
「ごめん、授業もあるし」
 強張ってはいるものの、七海君に笑みを向けてこの教室を去っていく。
 残ったのは私と七海君の二人。
 ――勝った、なんて浅ましい感情が全くないとは言い切れないが、何となく苦い気持ちが胸に広がる。やはり嫉妬というものは厄介な感情ですね……。
「やはり、頂いてはいけなかったのでしょうか」
 ぽつりと七海君が呟いたのを耳にした。
「どうしてですか」
「だって、急に行ってしまったし……」
「……彼が言うとおり、授業が迫っているからでしょう」
 しれっと答える私も少々卑怯ですね。
 追い返したのは他ならない私なのに。
「なにか機嫌を損ねるようなことをしてしまったのでしょうか」
 君は何もしていませんよ。むしろ私がしてしまったのです。
 HAYATOと双子だという、偽りを盾にした牽制を少々振りかざして。
「あぁ、それならば、おそらく私のせいでしょうね。君と彼の会話に割って入ってしまったから。……お邪魔でしたか?」
 本当にどこまでも馬鹿ですね。わざわざ確認せずにはいられないなんて。
「邪魔だなんて、そんなっ!」
 ぶんぶんと音がしそうなくらい横に首をふる彼女。
 否定の仕草。
 そして否定の言葉。
 それが聞きたいがために、あえて言葉にする私は卑怯でしょうか。
「本当に? 随分と楽しそうでしたから、声をかけるのを躊躇ったくらいですよ」
「楽しそうって……それは、やっぱり、どうしてもHAYATO様のことになると……舞い上がってしまって」
「わかっていますよ。春から彼の……HAYATOの話を何度聞かされたかわかりませんからね。そこまで好きになってもらえたなら、彼も本望でしょうね」
「そうでしょうか?」
 ぱっと表情を明るくさせるのを見て、何故か少しだけ胸が痛んだ。
 さっきまではこのCDの彼に嫉妬をし、今度はHAYATOに嫉妬をするなど、本当にどうしたものなのか。
「……ええ。とはいえ、HAYATOに一番近い私に何も言わず、クラスの違う彼に話を振られるのは流石に複雑な気持ちになります。今度から遠慮をせず私に言ってください。出来る範囲でなら、なんとかしますので」
 周囲の手前、最後は少し声を潜めて言うと、彼女は驚いたように目を丸くする。
「そっ、そそそんな滅相もない! 一ノ瀬さんをそんなことに使うなんてできませんからっ!」
「何故です?」
「何故って……何故かは分かりませんけど、そういうことにあなたを巻き込みたくないというか……じ、自分でもよくわかりませんけど、駄目なものはやっぱり駄目です! さっきは嬉しさのあまり舞い上がりましたけど、ちゃんとわきまえます」
 急に凛々しい顔をして七海君は私を見上げた。
 大切そうにHAYATOのCDを胸に抱えるその姿。
 そして私に向ける真っ直ぐな瞳。
 嬉しいような、切ないような。
 もっと頼って欲しいような。そうでないような。
 そんな矛盾を抱えながらも、私は少しだけ笑った。
「では、君の気が向いた時にでも。……いつでも頼ってください」
「はいっ! ありがとうございます。そのお気持ちだけで十分です」
 言葉の通り、きっと彼女は自分を頼ろうとはしないだろう。
 HAYATOのことだけでなく、おそらく……他のことも。
 迷惑にならないよう、重荷にならないようにと精一杯頑張るに違いない。
 ――でも、最近私は思うのです。
 もっと頼りにしてくれてもいいのだと。
 誰よりも君の傍にいるのは私なのだと、確認したい時があるのです。
 君が私のことをどう思ってくれているのかはわかりませんが、少なくとも私は……私は、嫉妬という気持ちが芽生えるくらいには、君のことが好きなのです。
 認めたくはありませんでしたけど……でも、仕方がない。
 視線はいつも、君ばかりを折ってしまうのだから。
 ――気が付けば、君を見てしまうのですから。



End.
⇒ Back to Text Menu