Uta-Pri

ダークアイズ(前編)【W1+春歌】



 音也、春歌そしてトキヤの三人。時間が合うときは三人の部屋の真ん中にあるトキヤの部屋で落ち合う――それが定着し始めたこの頃のことだった。
「す、凄いですねっ! 凄いですっ! お二人主演のドラマですかっ」
 春歌は胸元でぎゅっと手を握り締め、その目をキラキラさせてトキヤと音也を交互に見つめる。
 そんな視線を受け、音也は満面の笑みを浮かべてソファーの上で胡坐をかいて喜ぶ。
「だよね! 俺も驚いたよ。W1主演でドラマのオファーがきたって聞いたときは夢かと思ったくらい」
 主演ドラマとはいっても深夜枠、それもシーズン切り替え、番組編成時期の単発ものだ。この時間帯だと自分たちのターゲット層となる十代後半の支持はほとんど見込めない。かろうじて二十代前半の女性が支持してくれるだろうけど、もともと視聴率など期待されていない枠なので、この番組で一気に注目を集めたり、話題性になるというのは薄いだろう。
「そうはいっても深夜枠ですからね。数字を取るには難しい時間帯でしょう」
 トキヤはいつものように淡々と言い、それから僅かに眉を顰めて台本をめくる。
「それに、思いっきりコメディーです」
「え、コメディーいいじゃん。俺好きだよ」
「わたしも好きですよ〜。楽しくてよくテレビ見てます」
 音也と春歌は互いに笑顔で「ねーっ」と言わんばかりで喜びを分かち合っている。
 あなた方は呑気でいいですね。
 と、皮肉の一言でも漏らしたくなるが、ぐっとこらえて台本を見つめる。
 トキヤとてコメディーは嫌いじゃない。むしろ自分の出発点はそこだったのだ。HAYATOを演じるよりも前、それこそデビューのきっかけはコメディーの舞台。その後も、今に至るまでHAYATOとして何本コメディー番組に出演したかわからないし、現場の空気にも馴染んでいるので「とても入りやすい」ジャンルではある。
 けれど今回は設定が少し勿体ない……というより低予算かつ穴が埋まれば良いという、特に山もなければ大した落ちもないという中途半端感が否めない台本となっているのだ。
 旬で予算のかからない見た目良しの男性タレントを使えばそれでいい、というのが透けて見える……というよりむしろそれが狙いなのだろう。確かに、深夜枠は年齢が少々高めの層に認知してもらうにはいい機会かもしれないが。
「別にコメディーは構わないのです。が、設定が殺し屋っていうのがまったくもって謎です」
「そうそれ! そこがなんか面白そうなんだよな! こっちに帰ってくる途中も台本に目を通してたけど、ラストシーンは捕まって留置場でジエンドってどういう展開って思っちゃうよ。殺し屋が捕まっちゃったらダメじゃん! アハハ、カッコ悪っ!」
 と、楽しそうな音也に、トキヤはため息を吐く。
「私には、それを楽しそうに話すあなたの方がわかりかねますね」
 そんなやり取りを見ていた春歌が小首を傾げて尋ねる。
「一ノ瀬さんは何にひっかかるんですか?」
「折角ならコメディーにせず、スタイリッシュな路線の方がまとまりやすいんじゃないかと思っただけです」
「はぁ、なるほどそういう考え方もありですねぇ」
 スタイリッシュな殺し屋ってなんだかカッコよさそうですねと、春歌はどんな絵を想像しているのかわからないが、頬をふにゃっと緩ませて楽しそうに頷いている。
「って、トキヤずるくない!? 新人のくせにシナリオに難癖付けるなんて十年早いってこの前俺に言ってたくせに!」
「それはそれ、これはこれです」
「えー、なんだそれ〜。ずっりぃ〜」
 唇を尖らせる音也をまあまあ、と笑顔でなだめつつ春歌は興味ありげにトキヤを見つめる。
「じゃあ、一ノ瀬さんならどういうストーリーがいいなって思いますか?」
「私、ですか」
「はい。興味あります! 演じる方の感性も大事だなって思うし、色々お話を聞いて何かの参考にしたいなって思います」
 純粋な好奇心。大きな瞳はトキヤの答えを待っている。
 言い出した手前、教えません黙秘ですで終わらせるのも何の面白味もないだろうし、拒否をすれば音也までしつこく絡んでくることは間違いないだろう。
 では……そうですね、こんな話はどうでしょう。
 開いていた台本を閉じ、トキヤは思いつくままに言葉を紡ぎ始めた。



 雨が降ったわけでもないのに路地には浅い水溜りがあちこちにある。これは酒に酔った者の吐瀉物やら散らばった生ゴミを洗い流したあとであるが、簡単に流しただけではこの臭いが払いきれず、とりあえずスファルトを引いただけという歪みのある路地は、いつでも饐えた臭いしかしない。
 あと数時間で朝日が昇る時間帯の歓楽街の裏手にある雑居ビルの周辺では、鴉がけたたましく鳴き声を上げている。不透明の袋を食い破り、空腹を満たしてもなおもまだ物足りないといったその鳴き声に悪感を抱くのは、自分も同じように黒のスーツ、ダークグレーのシャツ、黒の靴といった具合に暗色の衣装を身に纏っているからだろうか。トキヤは微かに眉を寄せ、黒いコートの裾をたなびかせながら足早にそこを通り抜けた。
 とある古ぼけたビルの横にある細い通路を少し行き、ビルの裏手にある階段を上れば、四階から最上階の八階までは居住区だ。その五階にある一室がトキヤと仲間である音也の住処となっている。
「戻りました」
 閉まりの悪いドアをぐっと内側に引き寄せるとギギギ、と嫌な音を立ててドアが閉まる。
 視線を上げると、部屋の隅にそれぞれ置いてあるベッドに同居人の姿がある。うるさく音を立ててドアの開け閉めをしたはずなのに、ピクリとも反応せず悠長に寝ている姿が腹立たしい。危機感がまるでない。
「起きなさい。何一人で寝てるんですか」
 勢いよく布団をめくりあげると、目をこすりながら音也が体を起こす。
「あれ……おはよ、トキヤ。って、まだ明け方じゃんか……」
「呼び出しがあったので早乙女さ……ボスのところに行ってきたんですよ。新しい依頼です」
 その一言で、それまで寝ぼけ顔だった音也の表情がさっと変わる。好もうと好まざろうと、ボスの元で働くこととなれば命令は絶対だ。
 音也はこの道に入って僅か半年ということもあり、トキヤがお目付け役兼相棒を担うことになった。厄介だと思いつつも、これまた命令とあれば仕方がない。
「……また、仕事か」
 明らかに乗り気じゃない声で低く呟く音也に、トキヤは頷いて返す。音也が乗り気でないのも尤もだろう。彼はこの職種に不向きな性格だ。明るく気さくで、誰とでもすぐに打ち解けられる性格は裏の世界に住む人間には必要ではない。なのになぜこの男が早乙女――ボスの下に就くことになったかと言えば、詳しい経緯はトキヤも知らないが、とにかく彼はボスに「借りがある」らしい。表の世界で人と触れ合う職業にでも就くのがぴったりであろう彼がこの世界に落ちたのだから、余程の事なのだろう。何にせよ詮索するつもりは毛頭ない。そんなことは時間の無駄であり興味もない。
「そうです。今度はこの方です」
 封筒の中にあった写真をベッドの上に落とすと、今回のターゲットの写真が何枚か広がり落ちる。
 それを拾い見た音也は目を見開く。
「こ、これっ! 女の子じゃないかっ! それも俺たちと年が変わんなくない!?」
 写真には二十歳そこそこの女性が写っている。肩につくかつかないかの髪、目は大き目だが写真から受ける全体的な印象は控えめで、ぱっと目立つ顔立ちではなくどこにでもいそうな日本人女性だ。
 身元調査書を見ても、男性関係で問題を起こすタイプではないし、周囲ともいざこざを起こすような気性の荒いタイプではなく内向的だと記されている。
 道で通りすがってもさして気にも留める必要がないくらいの外見を持つ、ごく一般的な女性。
 ただ一つ一般的でないところを挙げるとするならば、彼女の職業だろうか。それゆえ、今回のクライアントの意図するものが何なのか大体読み取れる。業界ならではのやっかみであることは明確。それも憎悪に変わるほどの過剰なまでの負の感情。
「七海春歌、日向プロ所属、作曲家……って、この子作曲家? それも、有名どころに曲提供してんじゃん! うわ、わ、スゲッ! 俺も知ってる歌があるよ! っていうか好きな歌なんだよこれ!」
 今まで提供した曲名リストを見て、わずかに頬を紅潮させながら本当に凄いな! と音也は感動している。そのベッドの端に腰を下ろし、トキヤはいつものように冷やかに言葉を紡ぐ。
「どんな人物であろうと、私たちには関係のないことです。ただ任務をこなすだけですよ。どんなに有名な曲を作っていようとも、私情を挟むつもりはありません」
「そんな……女の子じゃないか!」
「女性だろうが子供だろうが、それがなんなのですか? やらなければ私たちが危ないんですよ。半年もこの世界にいれば同業者がどうなっていったか、あなたももうご存じのはずでしょう」
 饐えた臭いのする汚い路地裏で銃弾に倒れていても、新聞にすら載らない。
 それこそ、その存在すらなかったものとして処分されてしまう。あまりにも不自然且つ不可解な死にもかかわらず警察やマスコミさえも取り上げない。となると、何らかの力……勿論、ボスである早乙女の影響力が大きく幅を利かせていることになる。
 裏切り者や任務を遂行できなかった者の行く末は粛清。たとえどんな理由があろうとも例外はない。
 音也は指先が白くなるほど拳を握りしめ、うめくように呟く。
「知ってるよ。いやってほど知ってるよ。けど、こんなのって……残酷だ。人に命を狙われるまでのこと、この子がしたって言うのかよ。とてもそんな風には見えない」
 音也が辛そうに写真から目を背けたところで、トキヤは散らばった写真を拾い集め、ジャケットの内ポケットへとしまう。
「あなたの主観などどうでもいいことですし、依頼主の理由にしたって然りです。いかなる理由があろうとも知ったことではない。私たちは私たちのすべきことをする。期日は三日以内と言われています。今日はデータを収集するとして決行は明日の夜にしましょう。いいですね、私についてきなさい。さもなくば――」
 先に死んでもらうのはあなたです。
 内ポケットから胸元にあるホルダーに手をかけ、すっと抜き出した銃口をただまっすぐに目の前の男に向けると、彼はじっとトキヤを見つめた後、微かに悲しげな笑みを湛え、ため息を吐くように呟く。
「……わかってる。だからそれ下ろせって」



 ヒット曲を飛ばす作曲家。どれほど豪奢な邸宅に住んでいるのかと思いきや、目の前に建つマンションは新しさを感じず、ましてやこの一帯は閑静な住宅街とは無縁。学生を見かける率が非常に高く、飲み屋やカラオケ店など並ぶ店は雑多で賑やかな地区だ。
 そんな学生街から歩くこと十分。壁のあちこちに薄い亀裂が入った外観から、家賃は安価であることが容易に想像つくマンションには、でかでかと有名セキュリティー会社のステッカーが貼られており、形ばかりであろう監視カメラは、入口ではなくまったく見当違いの方向を向いている。蔦の絡まった電柱など映して何になるのか。これで管理費をちゃっかり吸い上げているのなら図々しいことこの上ない。
 人ごとながらもこの管理体制にはトキヤも眉を顰めた。女性の一人暮らしはただでさえあちこち警戒して当たり前だろうが、明後日に向く動かない監視カメラといい、他の住人に交じってすんなりと中に入れる半端なオートロック……いや、このセキュリティー全体の甘さといい、さらには「変質者多数目撃あり。注意!」などとべたべた張り紙があるあたり、お世辞にも治安がいいとは言えない。
 七海春歌、といっただろうか。彼女はあまり身辺を警戒するような人物ではないのだろうか。写真の中のターゲットは幾分気の弱そうに見えたのだが。
「女性にしては、随分なところに住んでいるんですね」
 年頃の女性ならもう少し場所を選ぶだろうに。何故このような場所を選んだのか。
「俺もびっくり。もっと高級住宅街に住んでるものかと思った」
 目を丸くして音也はドアの表札を見る。ちかちかと点滅する蛍光灯が辺りをかろうじて明るくしている。ご丁寧に『七海』と書かれてあるので部屋に間違いはない。
「いいですか、情けは無用ですよ。……あなたのためにも」
 音也に釘をさしてトキヤは呼び鈴を鳴らす。ピンポーン、というやわらかい音がこちら側にも聞こえる。が、しばらく待っても足音が一向に聞こえない。
 念のためもう一度鳴らすと、少し時間があいたもののぱたぱたとせわしない足音がする。トキヤは胸のホルダーへと手をかけた。ドアの開いた隙を狙って押し入ろうと構えたとき、きゃあっという叫び声と共に、ガンッと激しい音を立ててドアが大きく振動した。
「うわっ! え、ちょっと!? な、七海さーん?」
 音也が驚いてドアをノックする。
 自分たちは隠し持っている銃に手をかけたままでまだ引き抜いてはいない。
 中がどういう風になっているかトキヤには大体想像がついていたが、とりあえずドアを開けてもらわない限りはどうしようもない。
「七海さん、どうかされましたか」
 騒いで他の住人が出てきても面倒なので静かに問うと、「だ、大丈夫です……。こ、転んでしまいました」打ったおでこが痛いだけです、と弱々しい声。
 ――案の定だ。
 どうにも出鼻をくじかれた気分で音也と顔を見合す。
 やがてかちゃり、と鍵を開け顔を覗かせたのもつ一瞬。彼女はトキヤの顔を見てハッと息をのみ、ドアを大きく開けては深々と頭を下げる。
「すっ、すすすすみません、すみません! 大変お待たせしましたっ。あの、日向社長から既にお話があったことと存じますが、殆ど曲は出来ていまして……! 微調整はあるにしても、昼間の打合せに同席できなかったのは急に入った別件がありまして……っ。本当にすみません、ご多忙のところHAYATO様にはご足労頂き誠に恐縮なのですが、部屋の中でお待ちいただいてもよろしいでしょうか。十分程お待ちいただければお話できる状態になりますのでっ!」
 申し訳ございません、と九十度ほど腰を折り曲げられ、音也と顔を見合った。誰かと――HAYATOと名前を出していたので、おそらくその彼と勘違いしたのだろうが、突然頭を下げられても何が何だかさっぱりだ。玄関口で音也と揃って戸惑っている間にも彼女はスリッパを二人分揃えた後、そそくさと部屋の中へと戻っていく。とにかく入ってこいということだ。
 ――HAYATO様って……や、やっぱりトキヤの事だよな? なあ、どうする? 彼女、俺たちの事正式なクライアントと勘違いしてるっぽくない?
 ――どうするもこうするも、任務でしょう。幸いなことに、彼女は私たちを警戒していない。それどころか私をHAYATOだと思い込んでいる。チャンスですよ。……とはいえ、出だしからこれではさすがに毒気を抜かれますがね。
 ――じゃあ、止めるのか?
 ――いえ、任務遂行の文字しかありません。とりあえず、中に入りましょう。様子を見るのです。
 ――と、トキヤ!? え、ちょっと、入っちゃうのかよ!
 ――当然です。
 ――ええっ、ヤバくない?
 ――いいから来なさい!
 音也のスーツのジャケットを強引に掴み、靴を脱ぐことに決めた。
 こんなに隙だらけのターゲットならばいつだって簡単に手を下せる。頃合いを見計らって手早く片づければそれでいいだろう。そう思ったのだった。
 それに気になったことが一つ。彼女は自分を人気アイドルのHAYATOと思いこんでいる。無理もない、トキヤはそのHAYATOに瓜二つなのだから。
 世の中には似た顔が三人いるというが、あそこまで自分に似ている人物が――それも自分とは正反対のきらびやかな業界、芸能界という世界で華やかに活動しているのであれば、少なからずとも気を惹かれる存在であることは確か。当然のことながら血縁関係などは無く、全くの赤の他人だ。
 ――しかし、そんなに似ていますか。疑いもせず部屋に入れてしまうほどに。



【後編に続く】
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