Uta-Pri

小さな親切【トキ春】



 ここ何日間の耳の違和感。
 なんとなくすっきりしなくて、番組の収録が終わったあとも、プールから上がった後にそうするように、ちょっと頭を傾けて、片方の耳を塞ぐように叩いてみたんだけどやっぱりダメ。
 といっても、聞きづらいとか耳の中が痛いっていうんじゃなくて、こう、ザワザワ……じゃなくてゴソゴソするっていうのかな。要するに、耳の掃除をしなくちゃいけないっていう状況なんだけど、耳かきってさ、一人で完ぺきにこなすのって難しくない?
 鏡見ながらやってみても、しかめっ面してる自分の顔しか映らないし、耳の中が見えるわけでもなんでもない。
「うーん、さっきからなんにもひっかかんない……」
 小さなスプーン状になっているものの上には何にもナシ。さっきからずっとこんな調子。下手に深い所まで突っ込んだらなんかこう、傷つけちゃいそうで怖いんだよな。
 そんなふうにして耳かきを手に悪戦苦闘していると、不意に携帯の着信音が鳴る。テーブルの上に置いてた上に、バイブレーションにもしていたから振動の音がやけに大きく聞こえる。
「へっ!? うわっ! っ、いってぇー!」
 びくっと体を揺らした時、少しだけ強く耳を突いてしまい、耳を抑えた。
 うー、耳痛い。ていうかびっくりしたぁ……。
 鳴り続けている携帯の画面には「トキヤ」の文字。そうだ、これから七海の部屋で曲の打合せするんだった。
「もしもし! ごめん、今から行くよ」
 俺は慌てて携帯を掴んで部屋を出た。七海の部屋はトキヤの部屋の隣。そして俺の部屋はトキヤの隣。つまり一つ置いた向こう側だからすぐに着く。
「ごめん、遅れましたっ!」
 靴を脱いで勝手知ったる部屋の中に入ると、遅い! とトキヤにひとこと言われたけど、七海の笑顔に出迎えられて俺も自然と笑顔になる。
「ごめんね、七海」
「いえ、大丈夫ですよ」
「……私には何もないんですか」
「さっきごめんって言ったじゃん」
 こんなやり取りであっという間に笑顔になれる。
 うん、頑張ろう! 笑ったらなんかそう思えてきた。耳のことは気になるけど、あとあと!
 そうして、俺とトキヤはシンセに向かう七海を横にして並び、音合わせを始めた。
 いつも通り、HAYATOメインの曲はいかにも彼らしい明るいポップな曲だけど、カップリングとなるHAYATO&OTOYAの曲はアップテンポ、しかもロックテイストを感じられるものになっている。
 まあ、ロックといってもCDのコンセプトは一つの番組内の企画であるHAYATOとOTOYAがベースだから、イメージを崩さない範囲ということになるけれど、「カップリング曲なら、少しぐらいはみ出したって大いに結構! ファン層の幅も広がるってことで!」と、なんとプロデューサーからの許可でやらせてもらっている。
 まだまだ新人なのに、それでもこうして自由にやらせてもらえるのは、実は凄いことだって事務所から聞かされた。もちろんそこには事務所の力が大きく働いているんだろうけど、それでも、可能性の幅を広げてもらえるのって、やっぱりありがたい。
 だから、今回の曲も沢山の人に「いいな!」って思ってもらえるようにしたい。そのために、俺たちはこうして集まって意見を出し合ってるんだしさ。
「前回意見を頂いた箇所は、こんな感じになっているのですが」
 七海がキーボードに触れると、部屋いっぱいに軽快な音があふれる。
 メインは打ち込みになっているんだけど、ギターやベースの音をいつもより前面に出すだけでも大分雰囲気が変わり、全体的にカッコいい曲調になっている。こういうの、ライブの頭のあたりにやったら会場の空気をがっちり掴めそうだな。メロを歌ってるだけでも楽しいし、じっとしてるのが勿体ないくらい。ここに詞が付いたら、パワーアップするんだろうな。すっげーワクワクする!
「音也、走りすぎです」
 短くトキヤに指摘され、俺は肩を竦めた。うん、今のちょっとトキヤとのタイミングずれたよな。コンビなんだからやっぱり相手にもちゃんと合わせられないと曲の良さが引き出せなくなってしまう。気を付けないと!
 七海の曲に、俺とトキヤのボーカル。そして目の前にはたくさんのお客さんがすっげー盛り上がってるっていう絵。今からライブをやる夢見ちゃうけど、その前に、この曲ちゃんと仕上げてしっかり歌いこなさないとな。
 そんなこんなで、その後も意見を出し合いながら今日の打ち合わせはなんとか一段落。
 俺たちの意見を再度取り入れながら、あとは作曲家である七海がどう仕上げてくれるかだ。編曲も彼女がやるっていうから、全体的なものも早く掴めるだろうし、次の打合せが今から凄く楽しみ。きっと今より一層カッコいいサウンドになってるんだろうな。
 ソファーの上、クッションを抱きしめながらあれこれ思いを巡らせていると、七海の視線が俺の手元に向けられる。
「あの……一十木くん。ちょっと気になっていたんですけど、手に持っているのは耳かきですか?」
「あ。そうだった、部屋から持ってきたままずっと握ってたんだっけ」
 最初、しまった持ってきちゃった、と気づいたんだけど、そんなに邪魔にならないし、まあいっか! って手に持ってたままなのを忘れてた。
「なんとなく耳がゴワゴワする感じがしてさ、部屋に来る前まで自分でなんとかやってみようとしたんだけど、見当違いのとこばかり触ってるみたいで、ぜーんぜん。なんか気持ち悪いんだよね」
 思い出したらまた落ち着かなくなってきた。これ、やっぱ耳かき専門店とかって探さないとダメかな。てか、どこにあるんだそういう店。
 耳を押さえて苦笑したら、七海がニコッと笑って首を傾げた。
「よかったら、わたしがお手伝いしましょうか? 誰かにやってもらった方がいいと思いますし」
 それまで黙っていたトキヤが「なっ!?」と短く叫んだあと、目を丸くした。
 ……えーと。
 俺としては凄く助かるんだけど。いいの? ……いいの?
「あの、ホントに?」
「はいっ。困ったときはお互い様です。耳の調子が良くないと、気を取られてしまうんじゃないですか?」
 それは困っちゃいます。しっかり歌に専念してもらいたいです!
 と、七海はいたって真剣な顔で両手をぎゅっと握りしめている。
 女の子にやってもらうのってなんか恥ずかしい気がするけど、でも自分じゃできないし……。
「えっと、じゃあ……お願いしちゃおっかなっ!」
 へへへっ、と笑って七海の隣に場所移動をしようとしたら、その途中でトキヤにガシッと腕を掴まれた。
「……甘えるのもいい加減になさい。耳掃除ぐらい自分でやるべきです!」
 顔が、コワイデス。
「で、できなかったんだよ〜」
「努力が足りない! 最大限の努力をしなさい! どうしてもできないというのなら私がネットで調べてあげますから、そういう店に行って適当にやってもらってください」
「えー……」
 しょんぼりと、だけど口を尖らせてトキヤを見ると、「何ですその顔」と睨まれた。……キビシイ。
「あ、あの一ノ瀬さん、わたしも手が空いてますし、一十木くん……ひいてはお二人のためになるので、むしろやらせていただければと思うのですが」
「春歌、あなたまで……」
 トキヤの手からわずかに力が抜けたのを見計らって、俺は七海の隣に座る。
「ほーら、七海もこう言ってくれてるんだし、いいじゃん! ってことでありがとなっ、七海。すっごい助かる〜」
「ま、待ちなさい音也!」
 そんなこと言ったってもう七海の隣に座っちゃったし。
「じゃあ一十木くん、わたしの膝の上に頭を置いてもらってもいいですか」
「あっ……。う、うん」
 七海はポンポン、と膝の上を軽く叩いている。これってさ、要するに膝枕……。
 うわー、女の子に膝枕してもらうのなんて、俺、初めてでちょっと緊張。
「音也……ま、まさか、本当にしてもらうつもりですか……っ!」
 心なしかトキヤの声が震えている気がする。やっぱトキヤの「彼女」に頼むのって良くなかったかな。でも、自分じゃ上手く掃除できないから本当に助かるんだよな。
 ……てことで、ゴメンなトキヤ。心の中で合掌。
「それじゃ、失礼します!」
「はいはい、どうぞ」
 ごそごそと体の位置を調整させつつ、丁度良い所で頭を下ろすと、腿に付けてる側の耳があったかくなる。それに柔らかいしっ! いい匂いもするな。なんだろう、この匂い。香水かな。でも七海ってそういうのつけてる感じがしないよ。
 となると、やっぱりシャンプーとか? 男にはないよな、こういうふわっとやさしい香りってさ。
「やっぱり女の子だなぁ」
 小さくぽつりと呟いた言葉に、向かい側のソファーに座っていたトキヤが怖いくらいにシャッ! と眉を吊り上げて反応した。
「今、何か言いましたか」
 眼光鋭く睨まれ、俺は「なんでもなーいっ!」と答えた。
「……人の彼女の膝を。私の恋人の膝を! なぜこのバカに貸さなくてはならないのか……っ」
「いいじゃん、トキヤだってしてもらってるんでしょ」
 俺の言葉に、七海の手が止まった。なんか動きが『かちーん』と硬くなった感じ。それに、正面にいるトキヤに至ってはさらに不機嫌そうに顔を歪めては無言のまま。
 あれ? これって、もしかして……。
「七海、してあげてない、とか?」
「うっ! あ、ああああの、いっ、いいい一十木くん動かないでくださいね! じっと! じっとしていてくださいぃ!」
「へ? あ、はい」
 代わりにじいっとトキヤを見つめてもひたすら無言。
 うわぁ、触れてはいけないとこに触れちゃったみたいだ。
 それからというもの、ただひたすら目を閉じて時を過ごした。目を開けてると、トキヤの怖い顔がはっきりしっかり見えるし、目を閉じててもなんていうかこう、ただならぬオーラが漂ってきてひたすら恐怖だった。
 ――と、反対側も掃除をしてもらってしばらくすると、よし、いいかな? と七海の満足そうな声が聞こえた。
「うん、もう大丈夫そうですね。とはいっても、殆どお掃除必要ないくらいだったんですけど、一十木くん、耳の調子はいかがですか?」
 身体を起こして頭を振ってみたけど、ガサゴソする感じはもうないし、掃除してもらう前と比べるとすっきりした感じがする。
「うわ、バッチリ! ゴワゴワしないし、それにすっごくすっきりしたー!」
 嬉しくてもう一回ぶるぶると頭を振ると、トキヤが相変わらずの仏頂面で「あなたは犬か何かですか」と言う。
「へへー、わんわん! ありがとな七海! 今度お礼に美味しいケーキ御馳走するよ」
「えっ。い、いいんですか?」
「勿論だよっ。感謝の印しってことで!」
「わあ、じゃあ楽しみにしてますっ!」
 嬉しいなあと笑顔を浮かべる七海に、俺は最後に一つお願いをする。
「ケーキ、いろんな種類をたーっくさん買ってくるからさ、あと一つだけ頼みごとしてもいいかな」
「……オォ〜〜トォ〜〜ヤァ〜〜! あなたという人はどこまで……っ!」
 地獄のオペラ、とでもいうか、地の底から響くようなトキヤの恨めしそうな声に少しひるんだけど、とりあえずムシムシ。いいから黙って聞いててよ。
「あのさ、今度はトキヤのをやってあげてよ」
「えっ! 一ノ瀬さんですか!?」
 七海は俺とトキヤを交互に見ては、次第にその頬を真っ赤にしていく。
 トキヤとはパートナーとして組んでたわけだし、恋人として付き合い始めてからちょっと経ってるはずなんだから、慣れてもいい頃なんだろうけど、この反応。うんうん、純情で可愛いなあ。
 ていうかさ、俺には平気で、なんで恋人にしてあげるっていう話だけでこんな真っ赤になっちゃうんだろ。考えてみたらちょっと不思議。
「耳って大事だろ? 俺は今しっかり七海にやってもらったからいいけど、トキヤだって一人じゃできないだろうし、丁度いい機会だからさ。さっきは努力が足りないとか何とか言ってたけど、やきもち焼いてたと思うんだよね〜」
「やきもちなんて焼いてません。大体どうしてあなたごときに――」
 トキヤってさ、慌てたり不意に図星を突かれたりすると、ちょっと早口になるんだ。本人気付いてないかもだけど、寮で同室だった俺にはわかるよ。
「ほらね、こうやって素直じゃないし」
「余計なお世話です」
「なんだかんだ自分で頑張っちゃうから、たまには甘やかしてあげてよ。耳掃除してあげたらHAYATOに変身してくれるかもしれないよ〜? お〜はやっほー!」
「黙りなさい。第一今は夜です。全然おはようじゃありませんし変身もしません。何をバカな……。まったく、何を言い出すのかと思えば」
 はぁ、と深くため息を吐くトキヤに、七海は耳まで真っ赤にさせたまま俯く。
「わ、たしは……構いませんよ? あっ、あの、一ノ瀬さんが、お嫌でなければ……ですが」
 前髪をかき上げようとした手を止めて、トキヤが目を丸くする。
「……は? なに、を――」
「い、いつもの感謝の気持ちということで、そっ……そういうことですっ」
 どんどん声が小さくなり、さらにはどんどん俯いていく七海。このままじゃトキヤに「あなたまで何を言うんですか」って一蹴されて終わっちゃう。トキヤはちょーっとかっこつけだからな。俺がいると七海に甘えたりってことはまずないだろう。
 ――となったら、だ。
「よっし、七海がオーケーならいいよね! さあさあ、七海立って」
「えっ? は、はい!?」
 俺は七海の腕を取って立ち上がらせ、そのまま向かいに座っているトキヤの隣に腰を下ろさせる。
「七海の位置はここ。で、トキヤは横になれば完璧!」
「ちょっ――音也ッ!」
 俺は力任せにトキヤの肩を押した。ぐらりと倒れかかった肩を七海が慌てて支えたところで大体の形はできてる。ここから先は二人次第ってことで。流石にこれ以上は手を出せないしね。これだって十分お節介の部類だろうし、邪魔者は消えまーす!
「それじゃあ、お二人仲良くー!」
「い、いいいい一十木くんっ!?」
「音也、覚えていなさい!」
 二人の声を背中で受けながら玄関まで歩いてきたものの、俺はふと足を止めて考えた。
 互いをすっごく想い合ってるのに、どこかまだ硬さがあるんだよね。最近やっと付き合い始めたばかりみたいだから仕方ないのかな。
 まあ、七海は恥ずかしがり屋だから、時間が必要かもしれないけど。
 もう一つ、お節介しようかな、やっぱ。
「えっと、言い忘れたことがあるんだけど! あのさ、七海!」
 リビングまで戻るとトキヤのやつ、慌てて体を起してんの。それもすっごい眉吊り上げて俺のこと睨んでる。まあ、その頬が赤くなってたら怖さも半減ってとこだね。
「何しに戻ってきたんですか!」
「あー、ええと用があるのはトキヤじゃなくて。七海、ちょっと耳を貸して?」
「貸す必要などありませんよ、春歌」
「だからトキヤに言ってるんじゃないって」
 ソファーの後ろにさっと回り込み、七海の背後からトキヤに聞こえないように耳打ちする。
 俺の言葉を聞いた七海は「えっ? ……あ、はい。わかりまし、た?」と返事をしつつ、よくわからないような顔をして頷いた。
「いい? 今の絶対だよ」
「は、はい? えっと、試してみます」
 深く頷く七海に――それと、トキヤに手を振って俺は今度こそこの部屋を後にする。
「トキヤのやつ、もっと硬さをとればいいのにね」
 ――まあ、彼女の前だとどうだかわからないけどさ。
 俺はうーん、と伸びをして自分の部屋に戻った。そして、戻ってから気が付いたことが一つ。
「あ、耳かき……」
 七海に渡したままだったっけ。
 だけど、今はあの部屋には戻ろうとは思わない。そこまで俺も邪魔したくないし、それに――。
「最後の仕上げに、ふーって耳に息吹きかけてあげると完璧! なんて言っちゃったし。……それにしても七海、本当にやってくれるかな」
 ぎょっとするトキヤの顔を思い浮かべては思わず吹き出し、さっきまで歌っていた曲を調子よく鼻歌で歌った。




End.
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