Starry☆Sky

たとえばこんな恋の始まりに(3)【水嶋×月子】



 右手に温もりを感じながら目的の神社へと向かった。
 なかなか人が前に進まない参道は背伸びをしても一番前が見えないくらい人、人、人で続いている。こんなに凄い行列なら、待つ時間がとても長く感じられるはずなのに今日は違った。驚くほど短い時間に感じられたのは、繋いでいるこの手や水嶋先生……郁のことが気になって仕方がなかったから。初めてのデート。初めての恋人。勿論今日一日だけの限定付きだけど、初めてのことばかりで気持ちが落ち着かない。
 それでも郁とは時折『凄い人だね』とか『寒いね』『あとどれぐらいかな』なんて他愛もない言葉を交わしていたけれど、ドキドキとそわそわする気持ちが時の流れまで変えてしまったかのように、あっという間に目的の場所まで私たちを導いた。
 ここまで来たらさすがに私の気持ちも一変し、両手を合わせ、瞼を閉じて静かに祈る。
 賽銭箱を前にしてあまりに真剣な表情で手を合わせていたのか、お参りが済んで来た時とは逆の順路を歩いている途中、郁にからかわれてしまった。
「随分真剣だったね。あんなに真剣に祈られたら、神様も無視できないだろうね。鬼気迫ってたっていうか……眉間がぎゅっと寄ってた」
 思い出して苦笑する郁に、私は少し恥ずかしくなった。
「ええっ、私そんなに鬼気迫ってましたか?」
「妙なオーラが出てたね」
「う……」
 ――本当に恥ずかしい……!
 確かに色々お願いをしたような気がする。今年は三年生になるから受験も控えてるし、冬休みが明けたらまた忙しい毎日が始まる。部活もあるし、生徒会の仕事も忙しくなる。保健係の仕事だって数こそ多くないけれど、星月先生の机が散らかる頻度が日増しに増えているからちゃんと通わないと大変なことになりそう。
 頑張らなくちゃという気合も含め、良い一年になるようにとお祈りをしていたんだけど……思いつくことを全部願っていたらつい、時間が長くなってしまったような気もしなくはない……かも。
「わ、私の事はおいといて、そういう郁はどんなお願い事をしたんですか?」
 郁は私に視線を向けたあと、僅かに目を細めた。
「僕は、願いごとっていうのはないよ。願掛けの類って好きじゃないし、信じてないから。神様とかも信じてない」
 そう言われそうな気がしていた分納得できるけど、前を向いてしまった横顔がなんとなく切なげに見えた。何より、どうしてそう思うのかを知りたくて口を開くと、それを遮るようなタイミングで郁が私を見た。
「何にしても、月子の願い事叶うといいね。そうだな、それが僕の願いっていうことにしておいてよ」
「郁……」
「それはそうと、ねえ次はどこに行きたい? お茶を飲むにはまだ時間も経ってないしな……。月子はどこか行きたいところってある?」
 さりげなく話題を変えられてしまった。これ以上深く掘り下げられたくない話なのか、それとも私の気にしすぎなのかはわからないけど、新たに問い掛けられた内容に対して僅かな戸惑いが生まれる。どこに行きたいって聞かれても、私は全然考えてきていなかったからだ。
「私は特にこれといって……。そういえば、郁は普段どういうお店に行ったりしてるんですか?」
 教育実習で星月学園に来ていたとき、スーツやネクタイなど身に着けるものは勿論だけど、小物なんかもセンスが良い物をさりげなく持っていた気がする。いかにも高いブランド物ですというのではなくて、実用的なんだけど無難すぎず地味すぎず、だけど派手すぎずという持つ人の「らしさ」が小物一つにも見えていた。そんな郁のことだから、素敵なお店をたくさん知ってるんだろうな。
「あれ、僕に興味を持ってくれたの? 嬉しいな」
 不意に顔を覗き込まれて驚いた。
「たっ、ただなんとなく知りたいだけです。それだけです!」
「ふぅん、なんとなく……ね。その答えはちょっと残念だけど、まあいいか。僕も君と同じで特にこれっていうのはないけど、ふらっと出かけたときは適当に目についた店に入ってみたり、あとは美味しいコーヒーの店を探したりってところかな」
「……女の人と一緒に、ですか」
 女性の友達が多いという話は郁本人からも、星月先生からも耳にしている。それに、一日だけ恋人ごっこしようという言葉をすんなりと言えるほど女性慣れしているんだろうから、きっと郁の周りには女の人が多いんだろうな。
 今日は私が郁の隣を歩いているけれど、いつもは別の女の人が隣にいるのだろうと勝手に想像しては、なんとなく面白くない気持ちになる。
 ――なんでだろ。恋人っていっても今日一日だけだし、ただの『ごっこ』なのに、どうしてこんな風に思うんだろう。ごっこなのに。
「月子、それはやきもち?」
 私を試しているかのような笑みに、慌てて反論する。
「ち、違います! 郁の周りには女の人が多そうだから素直に思っただけです」
「そう? 途端にご機嫌が悪くなったように見えたから、ひょっとしたらやきもちかと思ったんだけど」
「やきもちなんて焼いてません。……も、もう! 先に行っちゃいますからね!」
 人が多く流れていく駅へと向かって歩き始める。どこに行くのかなんてまだ全然決めていないけれど、このまま立ち止まっていたら延々とこの話が続きそう。
 郁のからかいの言葉を上手に流せる術なんて私にはないし、ここはもう逃げるが勝ちだ。窮地に立たされたら逃げる、という選択しか今の私にないのが、ちょっと悔しいけれど……仕方ない。相手が郁となればなおのこと。
「待ってよ。ちょっと、どこに行くつもり」
 追いかけてきた郁が私の隣に立つ。
「き……決めてません。でも、歩かなくちゃ始まりませんから!」
 決まりが悪くちらりとも横を見ずに答えると、不意に視界から郁の姿が消える。
 どうしたんだろうと思って振り返ると、立ち止まった郁が拗ねたように私を見る。
「あの、どうしたんですか」
「どうしたのって、わからない?」
 何のことを言ってるんだろう。
 小首を傾げる私に、水嶋先生はひらりと胸元で片手を上げる。
「手。恋人なら手ぐらい繋いでくれたっていいと思うけど。君は不機嫌なままどんどん先に行くし、せっかくのデートなのに寂しいよ」
 そう言ってふて腐れている姿はまるで子どものよう。こんなに背の高い子どもは見たことがないけれど、それでも私が今まで知っていた郁とはちょっと違った印象で、可愛いとさえ思ってしまう。
 ――可笑しいよね。私より年上なのに、こういうところが可愛く感じるなんて。……しょうがないなぁ。
 不思議と心が緩むのを感じながら、動こうとしない郁の所まで戻り、私は自分からそっと彼の手を取った。
「これならいいですか?」
「勿論」
 指先に暖かさが戻り、その暖かさに何故か少しだけ落ち着く。
 とはいえまだ慣れていない分、恥ずかしい気持はどうしたって消えないけど、ぎゅっと握り返してきた手の力がやけに愛しく感じ、思わず笑みがこぼれた。
「郁の手、暖かいです」
「そう思うなら今日一日は忘れないで欲しいな。僕は月子の彼氏なんだし、君も僕の彼女でしょ。忘れたら君が思い出すまで同じことを繰り返すからそのつもりで」
「ふふっ、それじゃなかなかデートが進まないね」
 私からも握っている手に力を込めると、私の歩調に合わせて歩き始めた郁が楽しげな表情を見せる。
「いいんじゃない。そうすればずっと月子と一緒にいられる。君との時間は楽しいから、家に帰しちゃうのが勿体ないよ」
 和らげた表情は目を奪われるほど穏やかで、いつものようにからかわれているんだと頭ではわかっていても、胸の奥がうるさく騒いだ。
 それに、繋いでいる手からその鼓動が伝わってしまうような気がして、それをごまかすように急いで足を進めた。
「い、行きましょう! 日が暮れちゃう」
「はいはい」
 私に手を引かれる形で少し後ろを歩いていた郁のくすくす笑いが聞こえる。絶対に私が動揺しているのがばれてしまっているけど、それを敢えて口にせず郁はついてきている。いっそからかってくれた方がよっぽどいいのに、とこの時ばかりは思ったけど、それもそれでなんだか悔しい。
 ――もうっ、早く大人になりたい。そうすれば……そうすれば私だってもうちょっと余裕があるに違いないもん……!
 子どもっぽいジレンマ。そして、隠しきれてない動揺と少しの気恥ずかしさを振り払うように歩いた。
 途中、それほど気になる程じゃないのに、お店のディスプレイにある小物や服に反応しては足を止めた。そうじゃないと、恥ずかしくていられなかったからというのもあるし、初めてのデートというのに少しだけ気持ちが舞い上がっていたのもある。なににしてもじっとしていられなかったのは事実。
 そのせいで郁は何度か私のウィンドウショッピングに付き合わされることになったんだけど、迷惑じゃなかったかなとちょっとだけ心配。
 お茶を飲むのに入ったカフェでもそのことが気になってたんだけど、美味しいケーキを目の前にしたら思わず忘れてしまった。甘い物を目の前にして簡単且つ単純に思考が飛んじゃうなんて恥ずかしいけれど、美味しそうに食べるね、と笑う郁との話も色々弾んだし、夕食に連れて行ってくれるというお店の話をしていたらどんどん後回しになってしまった。
 そんな風にして一息ついたあと再び人ごみの中を歩き、駅まで辿り着いた。次の目的地は今の場所から少し離れた所になり、電車で移動することになったのだ。
 のんびりと電車に揺られる中、今更過ぎて言葉にすることに躊躇いもあったけれど、それでもさっきからずっと気になっていたことを思い切って口にした。
「あの……今更だけど、あちこち連れまわしちゃってごめんなさい」
「ん? どうしたの、改まって」
「あっちも、こっちもって色々お店を見て回ったけど、私が見たいところばかりでした。本当は郁も見たいお店があったんじゃないかなって。お茶を飲んでいるときもそのことが気になってたんですけど、つい言いそびれちゃって……」
「ああ、なんだそんなこと。いいよ、僕は。行こうと思えばいつでも行けるし、第一月子のほうこそいつもあんな奥まったところで生活してるんだから、たまには色んなお店を見てまわりたいでしょ。それに僕としては、目の前にいる彼女の表情がくるくる面白いように変わるのを見てて十分楽しんでたんだけど」
「えっ、そんなに可笑しな顔をしてました!?」
 慌てて頬を押える私に、郁はふっと目を細めた。
「女子高校生なんだなって改めて思ったよ。ストラップやピアス一つとっても目をきらきらさせてたし、ケーキにも『凄く可愛い!』って喜んでたよね。学校じゃそんなふうに喜ぶ月子を見る機会がなかったから新鮮だったよ。ほんと、君が可愛いって言った数をカウントしたら結構な数になるんじゃないかな。女の子ってある意味パワフルだ」
 思い出したように肩を揺らしている郁に、繋いでいる手を離して肩の辺りをグーで軽く叩いた。
「わ、笑いすぎだよ! だって……だって、ほんとに可愛かったんだもん」
「ならプレゼントした甲斐があるね」
 そう、とあるお店にふらっと立ち寄った時見つけたストラップ。
 それは小さな星や月のモチーフが幾つも付いていて、光に当たると小さく反射するところも気に入ってしまった。けして高くはないけど高校生の私からしたら安くもない値段。買おうかどうしようかと迷っていると、郁が私の手からそのストラップを拾い上げ「今日の記念にプレゼント」と言って買ってくれたのだった。
「あの、本当にありがとうございます。なんだか申し訳ないですけど……」
「いいよ、そんなの。それより、あのストラップを見るたび僕を思い出してくれたら嬉しいな」
「ふふっ、男の人から初めて貰ったプレゼントだから、絶対に郁のこと思い出しちゃいます」
 私がそう言うと、郁はなぜか驚いたような顔をした。それから慌てて私から目を逸らすけど、これは照れてるのかな?
 けれど、私が幾度か瞬きを繰り返したあとにはいつもの郁に戻っていて、「……そう」とだけ呟いていた。
「はい。だから大事にしますね。だって、私にとって初めての彼氏からのプレゼントだから」
「一日限定の、だけどね」
 淡く微笑む郁に私は笑って見せた。
「それでも、楽しかった一日の大切な記念です」
 まだ携帯には取り付けていないけれど、家に帰ったらちゃんとつけよう。だって本当にきらきらして可愛かったから。それにこのストラップを見るたび、今日私が見た郁のたくさんの表情が浮かんできそう。
 笑った顔やちょっと呆れた顔は勿論だけど、好きな食べ物や好きな場所なんかもたくさん話したな。オムライスやハンバーグが好きだったなんて意外で、「私も大好きですよ」と笑顔を見せると、照れたようにそっぽを向いたところが凄く可愛かった。
 デートって好きな人とじゃないと意味がないんじゃないかって思ってた。だけど、今日郁と一緒の時間を過ごしてみて少しだけ考えが変わった。相手の今まで知らなかったところをたくさん見つけられる特別な時間なんだっていうことを、改めて知ったような気がする。
 最初は二人きりっていうことに緊張していたし、恥ずかしいという気持ちが大きかったけれど、今ではそれもすっかり和らいだような気がするし、繋いでいる手だって自然に感じる。
 たった数時間しか過ごしてないのに、と思うと不思議な気持ちになる。
 もっと色んな郁を知りたい、とさえ思い始めてる。
 けれど、ふと窓の外を見て気がつく。眩しいくらいに日が差していた外の景色は、いつの間にか夜へと急ぐ支度をしていた。
 緩くカーブする線路の先にある空は、茜色から濃紺へと変わるグラデーション。その中で少しずつ輝きはじめるのは地上にある星、ビルの中の照明や道路を行きかう白と赤のランプ。
 まだ時間はあるのに時の流れまで変えてしまいそうなこの景色。窓の外にほんの少しの切なさを感じていると、手前を流れるビルとビルの合間からふと見えたものがある。それは――。
「あ、観覧車……!」
 段々近づいてくるのは大きな観覧車。ゴンドラだけではなく全体がきれいにライトアップされていて、遠くから見ても穏やかに回っているのがわかる。確かこの辺りには遊園地があったような気がするから、その施設の一つだろう。
「見て、郁。きれいだね」
 郁のコートの袖を軽く掴み、電車のドアの小窓から二人で徐々に近づいてくる観覧車を見つめる。
「遊園地なんてしばらく行ってないな。懐かしい〜」
 窓を息で白くしながら呟くと、同じように窓を見つめていた郁が小さく聞く。
「行ってみたい?」
「えっ」
 その声に思わず顔を上げると、何かを懐かしむような……だけど、少し寂しげな目をした横顔がそこにはあった。
「君が行きたいって言うなら、付き合うよ。暗くなってきたから全体的にライトアップされているし、ここから見るよりもきれいだろうね」
 『君が行きたいって言うなら』と言うものの、どちらかといったら郁の方が行きたそうな口ぶりをしている。だけど、場所が場所でもありそれを素直に言えないのかな。それに……私は郁のその表情が気になる。
 どうしてそんなに寂しげな顔をするのか。
 どこか遠くを見つめる瞳は何を見て、何を懐かしんでいるのか。
 繋いだままの手にぎゅっと力が込められたその理由があの場所にあるのだろうか。
「……なんて冗談。いくら月子でも、さすがに遊園地は子どもっぽいよね」
 返事をできないまま迷っている私に、郁は小さく笑う。冗談で済ませて諦めてしまおうとするその笑顔がやけに哀しく映り、胸が締め付けられるように痛んだ。
 スピードを緩め始めた電車は、日本語と英語のアナウンスを社内に響かせ停車駅を目指す。明るい駅のホームに列車が入ると、読めないほどに早く流れる駅名。看板。人が過ぎていく。
 ドアが開くと同時に冷たい外気が車内に流れ込み、それと同時に一斉にホームに向かう人たち。乗り降りする人のためにと私と郁は入り口に身を寄せていたけれど、発車を知らせる柔らかいメロディを耳にしたとき、私の手は郁の大きな手を掴んでいた。
 ――私ばかり付き合ってもらってたんじゃ悪いよ。それに……郁はあの場所が気になってるんだよね? 人々が笑い、喜び、明るい光が満ち溢れている場所なのに、哀しくなるほどの何かがあの場所にはあるのかもしれない。
 そう思ったら自然と身体が動いていたのだった。
「月子!? ちょっ――」
 背後ではドアが閉じる音。再びスピードを上げていく電車が徐々にホームから遠ざかっていく。レールを走る音まで遠くなり、私たちにできることといえばそれを見送るだけ。
 驚いている郁に、思わずひとこと。
「あの……えっと、降りちゃいました」
 へへ、と空笑い付け足すと、郁は深くため息を吐いた。
「……だね」
 その表情は苦笑へと変わるけれど、嫌がっているようには見えない。それが私を安堵させる。もし郁が本当に冗談で口にしたことならどうしようとも思っていたから、実のところ少しだけ心配をしていた。
「君ってほんとお子様だね。だけどそれも悪くないって思う僕がいる。……まったく調子が狂う。……お子様は対象外なのに」
「それってどういう意味ですか」
「なんでもないよ。こっちの話。それより……はい、お手をどうぞ。行くんでしょ、あそこに」
 駅からは観覧車は隠れてしまって見えないけれど、その方向を仰いだ郁は表情を優しくして私に手を差し出した。
「はい。郁が私のことを子どもだ、お子様だって言うから、子どもでいられるうちに思い切り満喫することに決めました。……今日は特に」
 郁の手を取り私も笑って見せた。手を繋ぐ二人の間を北風が吹きぬけていく。吐く息が白く濃く見える時間帯。
 もう少し色んな表情が見たい。
 もう少しこの人を知るきっかけが欲しい。
 それが今の私をつき動かしている。現に、こうしてホームに降り立っている私がいる。
 これから向かう場所はホームの屋根の向こう側にあるあの観覧車がある場所。郁と二人でまさか遊園地に行くことになるなんて思いもしなかったけど、あの高い場所で――いつもよりほんの少し星空に近づく場所で何が見えるんだろうか。
「……付き合ってくれて、ありがとう」
 郁が小さく呟いたのを聞いた瞬間、好奇心だけじゃない何かが、私の中で小さく揺れ始めた。



(4)に続く
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