Starry☆Sky

たとえばこんな恋の始まりに(1)【水嶋×月子】



 リモコンでチャンネルを切り替えても、どこもかしこも新年特別番組で、私は新年一日目にして早々とテレビに飽きてしまった。
 新年はできる限り家族みんなで迎えたいという両親の意向もあって私は実家へと戻ってきたんだけど、特にこれといってすることが見当たらなくて朝からごろごろし通し。せめて食事時ぐらい手伝おうと台所に向かっても、出来上がったおせち料理やお雑煮をリビングに運ぶぐらいで、切ったり煮たりの作業は一切やらせてもらえない。
 私が料理下手なのはここで「せっかくなんだから何か教えて」と強く切り出ない自分のせいでもあるし、料理上手な母に甘えてしまっているところもある。
 ――これじゃあ上達しないよね……。こんなんじゃよくないってわかってるんだけどなぁ。
 そう思いつつ頬張った昆布巻きはとても美味しいし、手作りの栗きんとんなんて最高。とろっとした芋餡と栗の甘さがたまらない。どうやったらこんなに美味しく作れるんだろう。そう思っていたときだった。
 携帯が賑やかに着信を知らせ、私は口にあるものを急いで飲み込んでディスプレイを見つめる。バックライトに光った文字は「水嶋先生」。
 去年の十一月いっぱいで教育実習を終えた水嶋先生とは、今でも何度か電話やメールのやり取りをしている。特に深く話し込むでもなく、お互いの近況を軽く話す程度なんだけど、電話でも水嶋先生は私をからかうようなことをよく口にする。
 私もいい加減慣れればいいんだけど、電話の声ってなんだか不思議な力を持っていて、笑みを含んだ艶やかな声でからかわれるとなんだか気持ちが落ち着かない。
「は、はい。夜久です」
 意識しないようになるべく普通に答えたつもりなんだけど、少しだけ声が上ずってしまった。
 ちらっと横目で母を見れば知らんふりをしているけれど、隠しきれていない好奇心が煮豆を掴んだままのその箸を止めている。
「どうしたの、声が上ずってるけど。まさか僕からの電話を待ってたとか」
 やはりからかうように笑われ、私の耳は瞬時に熱くなる。
「ちっ、違いますよ! 今は実家に戻っていて、その……そばに両親もいるからびっくりしただけです」
「なんだ残念。とそれはさておき、やっぱりこっちに戻って来てるんだね。琥太にぃからもそんな話を聞いてたから電話してみたんだけど、よかった。改めまして、あけましておめでとう。本年もよろしくお願いします」
 母が本格的に興味津々といった感じで聞き耳を立てている。どことなく口元がムズムズと笑っているような気がして、私はこれ以上聞かれてなるものかとそそくさと席を立ち、自分の部屋で話を続けた。
「あ、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。……あの、水嶋先生、もしかしてこのために電話を?」
 だとしたらとても律儀な人なのかなと思っていたんだけど、「半分当たり」と言う水嶋先生の言葉からすると間違いなくその『もう半分』とやらに何かがありそう。
「じゃあもう半分はなんですか?」
「知りたい?」
「気になりますよ、こういう風に言われたら」
「それもそうだね。じゃあ教えてあげる。月子ちゃん、明日僕とデートしない?」
 電話の向こうで水嶋先生はこともなげにさらりと言ったけど、これはいつもの冗談……だよね。そもそも聞き間違いかもしれないし。
「あの、今なんて……」
 聞き返す私に水嶋先生ははっきりと言う。
「デートしませんか、お姫様って言ったんだけど、聞こえなかった?」
「も……もう、水嶋先生っ! 新年早々そうやってからかうのはやめてください。びっくりするじゃないですか」
「からかってるんじゃないよ。僕は本気で君を誘ってるの」
 一瞬ドキッとしたけど、水嶋先生には女友達がたくさんいると言っていたことをふと思い出した。
「本気って……どうして私なんですか。水嶋先生だったら、たくさん女の友達がいるじゃないですか」
「いるけど、君じゃなくちゃダメなんだよ」
「だ、だからどうしてですか」
 不覚にもまたドキッとしてしまった。けれど、それを押し隠して尋ねると水嶋先生は少し間を置いたあと、深いため息を吐いた。
「あの、水嶋先生?」
「……つまらないんだよ」
 なにがですかと聞き返すよりも早く、子どもが駄々をこねるかのように水嶋先生は不満を漏らした。
「他の女友達とじゃ凄く退屈なんだよ。だけどどうでもいい女の子と遊ぶなんて新年早々面倒だし、だからといって一人でぼうっとしてるのもいい加減飽きちゃったの。そこで思いついたのが君。月子ちゃんとなら絶対に楽しい時間が過ごせると思って」
 あの、それって――どういう理屈なんだろう。
 それに、どうしてたくさんいる女のお友達がダメで私ならいいのか全然わからない。
「私、別に何か楽しいことできるわけじゃないですけど」
「そう? 僕にとっては君のちょっとした仕草とか言葉が凄く新鮮でたまらないんだけどな」
 本当に楽しそうに言われてしまい、私としてはちょっぴり複雑。
「う……ちっとも新鮮なんかじゃありませんよ」
「そんなことないよ。からかった時のリアクションも楽しいし、それに……」
「はい?」
「君は僕に恋してないでしょ」
 思いもしない言葉だった。どうしていきなりそんなことを言うんだろう。すぐに言葉を返せないでいる私に、今の言葉は特に深い意味などないかのように水嶋先生はさらっと話を続ける。
「なんてね。それに、月子ちゃんと一緒だと不思議と気持ちが楽になるんだ。三ヶ月の間、君には色んな面を見られちゃったからかな。……あ、言っておくけど他の女の子にはこうじゃないよ。というわけで返事はどう? デートしようよ、僕と。きっと楽しいよ」
 特に飾るわけでもなく、素直な思いを口にしている風の口調。まるでいつのまにか膝の上に乗っている猫のような甘え方をする。
「あの……」
「なーに」
「私が水嶋先生に恋をしていたら、デートはできないんですか?」
 私はさっきの言葉がまだ引っかかっている。仮にもデートをするなら、相手に好かれている方がいいと思うんだけど水嶋先生は違うみたい。まるで遠まわしに「自分に恋をしたらいけない」と釘を刺されたような感じがする。
「デートはするよ。でも、僕は可愛いお姫様の恋の相手には向いてないと思うよ。愛とか恋を信じちゃいけない魔法をかけられているからね」
 明るい口調だった。でも、その心には壁のようなものがあるような気がしてならなかった。先生の心のすぐそばまで近づけそうだし、触れられそうなのに、でも簡単にはそれが叶わない透明な壁。
「魔法、ですか」
「そう。その魔法を解くには、心から愛するお姫様のキスが必要なんだよ。だから絶対に溶けない魔法。なんていったって、お姫様は愛や恋を信じちゃいけない王子様の愛を得なくちゃいけないんだからね。こんなの矛盾してるよね」
「水嶋先生……」
 どことなく自嘲めいた口ぶりは冗談を言っているようには聞こえないんだけど、電話だからこそ感じられる透明な壁に、私は他に言葉を探せないでいた。
 それを察したのか、水嶋先生は「……なんて、本気にしちゃった?」といつものからかう口調で尋ね、私は素直に「本気にしちゃいました」と答えた。
「月子ちゃんは素直で可愛いね。からかい甲斐もあるし、いじめ甲斐もあるよ」
 くすくすと笑う声が耳に心地いい。ただ普通に話しているだけなのに、水嶋先生の声が耳だけじゃなく胸の奥まで変にくすぐるから落ち着かなくなる。
 変なの。ただ話しているだけなのに……。
「ほ、ほどほどにしてください」
「はいはい。……と、それより、気が変になりそうなほど暇をもてあましている僕をどうにかしてよ。君を退屈になんてさせないからさ。あと、夕飯もちゃんとご馳走するから。ね? お願いだよ」
 一変して少し甘えたような口調。このノーとは言えない縋るような水嶋先生がやけに可愛くて、思わずちょっとだけ笑ってしまった。
「ふふっ、なんだか水嶋先生、子どもみたいで可愛いです」
「え……ちょっと、月子ちゃん!? 笑うなんてひどいな。僕は真剣なんだよ」
 今度はふて腐れたように呟く。その表情まで浮かんできて私はとうとう堪えられず声を出して笑ってしまった。やっぱり可愛いかもしれない。私より年上で大人の人なのに、なんだか可笑しい。
「ごめんなさい。でも……ずるいです。水嶋先生にこういう風に甘えられたら、女の人はいやだなんて言えないです」
「じゃあ、答えは一つだよね」
 待ってましたと言わんばかりのその声に、私は携帯を耳に押し当てながら頷いた。
「はい。明日は一緒に遊びに出かけましょう。あ、はっきりと言わせてもらいますけどデートじゃなくてお出かけですから」
「えぇ? それをデートっていうんじゃないの?」
「ち、違いますよ。好きな人とするからデートなんじゃないですか」
 すると水嶋先生はふうん、と納得いかない感じだけどややあってまあいいか、と小さく息を吐く。
「じゃあ、改めまして。明日は貴女の時間を一日僕に預けてください、お嬢様。けして退屈などさせないことをお誓い申し上げます」
 恭しく言葉を紡ぐ水嶋先生に私は頷いた。
「はい。よろしくお願いします、執事さん」
 そのあと待ち合わせの時間と場所を相談した。以前私の実家と水嶋先生が住んでいる場所がわりと近いことを話していたので、互いの家からそう離れていない場所を待ち合わせに選んだ。約束の時間はランチタイムを過ぎたあとの二時。随分とゆっくりなその時間に、どうして午前中からじゃないんですかと尋ねたら「……起きられないんだ」だって。
 ここでも笑いを堪えられずに吹きだしたら「お仕置きしますよ、お嬢様」って返されてしまった。お仕置きは嫌です、執事さん。
 そんな風にして電話を切ったんだけど、やけに心が弾んでいることにふと気がつく。
「……デートじゃないもん。出かけるだけだし。うん、出かけるだけ!」
 一人ごちてみるものの、私は着て行く服を選ぶためにクロゼットに上半身を突っこむような形で選び始めた。
 あれじゃない、これでもない。部屋の真ん中に放り投げていった服は気がつけばこんもりと山になっていて、私は更に悩んだ。
 年上の男性と二人きりで出かけることなんて今まで一度もしたことがなかった。学校が殆ど男子校みたいなものだから、ちょっとした買出しとかはクラスメイトや部活仲間ともよく出かけたりするけれど、水嶋先生は同級生の男子とは違う。
 成人してる、年上の人。
 いつも私を子ども扱いするし、それがちょっと悔しかったりもする。だから少しぐらい背伸びをしないと、なんて考えたりもする。だけど――。
「そ、そういう服が、ない……!」
 携帯を押し当てていた耳がまだ痛い。それに少し熱を帯びているような気がする。
 まるで舞い上がっている今の私の温度みたいな気がして、耳に手を当てて深呼吸をした。
 ――落ち着かなくちゃ。
 そう自分に言い聞かせてもう一度深く息を吸い込んだ。
「とにかく、服を選ばないと!」
 デートじゃない。デートじゃないから。
 それを何度も繰り返しながら、部屋の真ん中の衣装の山を徐々に大きくしていくのだった。



(2)に続く
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