Starry☆Sky

ハッピーバースデー【水嶋×月子】



 日付が変わる少し前に着信があった。ディスプレイには『月子』と名前があって、こんな夜遅くに珍しいなと通話ボタンを押す。
「どうしたの、こんな時間に」
 そう僕が問うと月子は「急に声が聞きたくなっちゃって」と照れくさそうに電話の向こうで笑う。そんな彼女の笑顔が簡単に浮かぶ分、僕は少しだけ意地悪をしたくなる。いや、意地悪……というより、正しくは『からかい』とか『ちょっかい』の類。そう、これは僕なりの愛情表現で、彼女が頬を丸く膨らませてもやめられそうにない。……というか、ちょっと拗ねたり膨れたりするのが可愛いから間違いなくやめられない。
「子供は寝てる時間でしょ。そんなに僕の声が聞きたかった? それとも、僕の声を聞かないと眠れないとか?」
「また子供って言う。違うよ! まだ起きていられるし、それにその……」
 急に彼女が口ごもる。何か他に理由でもあるんだろうか。
「なに?」
 聞き返してもどうも歯切れが悪い。照れてるとか恥ずかしがっているというよりも、時間を引きのばしているようなその妙な間の取り方が気になったけど、急かすことはせずに付き合うことにした。
「どうしたの? 何か隠し事?」
 ちょっとからかうようにして言ってみると、彼女は少し動揺しているようだった。
「そ、そんなんじゃないよ」
「ふーん、なんだか怪しいな。……あ、まさか浮気なんてしてないよね?」
 勿論口調を変えずに尋ねると、「そんなこと絶対にないよ!」なんて真剣な声で力いっぱい否定された。そんなこと僕だってわかってるけど、でも可笑しなことにちゃんと否定してもらえたことが嬉しいと思うんだから「どこまで彼女を好きなんだろう」と我ながら呆れる。
 さて、じゃあ次はなんて言葉をかけてからかおうかな――僕がそう思った時だった。よし、と小さな声をあげた彼女が、弾んだ声で僕の名前を呼ぶ。
「郁」
「なに? 嬉しそうな声出して」
「嬉しいよ。だって……お誕生日おめでとう!」
「……え?」
 その弾んだ声は勿論だけど、思いもしない突飛な言葉を言われて僕は面食らう。
「ふふっ、今日付が変わったばかりなんだよ。六月九日の今日は誰の誕生日でしょう?」
 さっきおめでとう、なんて僕に言っておきながら楽しげに問いかける彼女の言葉に、僕は小さく笑って返す。
「僕の誕生日だね」
「うん! だから誰よりも先におめでとうって言いたかったんだよ」
「……って、まさかそれでわざわざこんな時間にかけてきたの?」
 明るい声で「そうだよ」と言う彼女。そして、こう続けた。
「郁はモテるから誰かに先越されておめでとうされちゃったら悔しいもん。子供っぽいって笑われるかもしれないけど、私の小さなプライドです」
 照れたように言う彼女。きっとほんの少し頬を赤らめてるんだろうなと思うと愛しくてたまらなくなる。
 いつだって彼女の顔を見られたら嬉しいと思うし、会いたいと心から思ってる。でも、会いたいという気持ちの針が極限まで振り切るのはこういう時なんだと改めて思い知らされる。
 好きでたまらない。電話じゃ物足りない。近くでその声を聞きたい。
 ――触れたいと願わずにはいられない。
 でもどうしてだろう。こんな場面でも素直になりきれない僕は、その気持ちを正直に口にすることができない。
「ホント、お子様。大丈夫だよ、こういうことするの君ぐらいだから」
 こんなときに言わなくてもいいのに、とわかっていてもつい意地悪な言葉を言ってしまう。僕からすればこれは照れ隠しなんだけど、他の人には絶対にそうは伝わらないだろう。……それもわかってる。
「もうっ、郁にはそう言われるだろうなってわかってたよ。でも、誰よりも一番最初にお祝いしたかったから子供って言われても平気。だって、特別な日だから」
 意地悪なことを言いながらも、「ひょっとしたら今の言葉で月子を傷つけたかもしれない」なんて不安になったけど彼女は笑ってそう言った。それに、郁からそう言われるのわかってたし、と。
 ――なんだろう、彼女の気持ちがやっぱり嬉しい。
 誕生日を迎えたことよりも、今日というこの日を誰よりも一番に祝いたいというその気持ちが、僕の胸の奥にある何かにそっと優しい火を灯す。
「ありがとう」
「本当はちゃんと会って言いたかったんだけど……」
 僅かに沈む彼女。確かに直接会えたなら僕も嬉しかったんだけど、平日じゃ仕方がない。少し離れた場所に暮らす分、距離はどうしても避けられない問題だ。ふらっと出向いて簡単に帰ってこられるような距離だったらどんなに嬉しかったか。
「離れてるのは勿論だけど、お互いに忙しいんだから仕方ないよ。次に会えるときまで、少しの間我慢だね」
「ん……。そうだね。次に会えるとき……だね。……うん、次に会えたら思いっきりお祝いするね!」
 寂しさを押し隠して明るく笑う彼女に、僕の胸が小さく痛む。彼女の寂しさを拭えるような言葉がどこにあるんだろう。今まですらすらとうわべだけの言葉をたくさん紡いできたけれど、肝心な時に限って気の利いた言葉が出てこない。
 顔が見えない分、このもどかしい気持ちはどんどん大きくなっていくばかりで、どうすれば彼女を喜ばせることが出来るのか言葉を探すけど、やっぱり見当たらない。
 ――やっぱり、会いに行くっていうのが一番喜ぶかな。何より、僕が会いたい……。
 誕生日なんて迎えたところでたいして嬉しくもなく、ただその日を境に年が一つ変わるという程度の認識だ。そう、同じ日に生まれた姉さんを置いて『僕だけ』年を重ねていくという一日。そう考えると気鬱になるくらいだ。
 それに、女友達にはプレゼントを貰ったり祝ってもらったりとあったけど、「ありがとう」「嬉しいよ」と笑って見せるものの、心から祝ってくれている人がどれだけいるんだろうなんて冷めた考えをすると、嬉しいなんていう気持ちからは随分遠いところに自分の感情があった。
 だけど、月子に「おめでとう」と言われると嬉しくなる。自分のことのように喜んでくれる彼女を思うと、今日というこの日が、いつもと違う一日になる。また一つ年を重ねていくこの日に少しだけ違った意味をもつものに変わる。
 祝福の言葉。そして君の嬉しそうな声――。
「郁? ……あの、郁、聞いてる? ひょっとして、眠かったりするの?」
 返事がないのが気になったのか、月子が心配そうに確かめてくるけど、笑ってそれに答える。夜型の僕にとっては夜の十二時なんてまだまだ活動時間帯で、睡魔に襲われるようなこともない。
「聞いてるよ。っていうより、まだちっとも眠くなんてならないし、むしろそれは月子の方なんじゃないかって僕は思うんだけど?」
「わ、私は平気だよ?」
「でも明日……じゃない、今日はちゃんと授業があるんでしょ。君は学生なんだから早く寝ること。祝ってくれるのは嬉しいけど、子供はもう寝なよ」
「郁だって学生だよ?」
 少しおもしろくなさそうな口ぶりが可愛い。
「でも成人してますけど?」
「……その逃げ方はずるい」
「しょうがないでしょ、少なくとも君よりは年上なんだから。……ほーら、わかったらもう寝ること。僕も忙しいんだからさ」
 忙しいというのは本当。明後日までに仕上げればいいと思っていたレポートを明日の昼までに終わらせなくちゃいけなくなった。それに、これからすぐに連絡すべき人もいる。
「あ……そっか。ご、ごめんなさい、忙しいところ電話しちゃって」
 気遣う彼女に僕は「いいよ」と答える。もっと違う言葉があるはずなのに、随分そっけない言い方をしてしまった。「おやすみ」とどこか寂しげな彼女の声を聞いて僕は少し後悔をした。
 ――ごめん。でも、この言葉を君に直接伝えるつもりだから、もう少しだけ待ってて欲しい。そう『もう少しだけ』。
 僕は彼女との電話を切った後、携帯のメモリーの中からとある人の番号を探し出す。いつも眠い、疲れる、だるいと口にする人だけど、それは僕より遅くまで起きて驚くほどの仕事の量をこなしているからということを知っている。まあ、もともとそういう性質だろ? と言われたら否定できないんだけど。
 そう、電話をかける先は琥太にぃだ。
 呼び出し音が何回か繰り返されている間、僕は今回のことをどう伝えたらいいんだろうと少し考える。けれど、考えが一つにまとまる前に「……もしもし」と少し気だるげな声が届く。
「こんな時間にごめん、琥太にぃ起きてた?」
「ああ、起きてた。が、今すぐ寝るところだ。なんか嫌な予感がするからな」
 ――嫌な予感って……まったく。でも、当たりかもね。
 僕はわざと拗ねた口調で琥太にぃをからかう。
「どういう予感なの、それ。っていうか、本当に寝ないでよね。ちょっとお願いがあるんだ」
 すると電話の向こうがニ、三秒ほど静かになる。そして――。
「郁からのお願い? ……やっぱり切る。お休みな」
「ちょっ!? ま、待ってよ琥太にぃ、それはなくない!?」
 流石に僕も慌てる。だって今琥太にぃに電話を切られてしまっては頼みの綱がなくなってしまうからだ。そう、僕の誕生日の計画はあっち側――星月学園にいる数少ない知り合いの助けがなくちゃ成り立たない。
「冗談だよ。ったく、うるさい奴だな。それより、用事があるなら早くしろ。ただし、聞いてやれるかどうか保証はないぞ」
 そう言いながらも、なんだかんだ話を聞いてくれる面倒見のいい人だということを、古くからの付き合いの僕にはよくわかってる。
「明日……っていうかもう今日だね。夜、そっちに行くから泊めてよ」
 急に思いたった僕の計画。それは彼女――月子に会いに行くという計画。傍から見たら彼女が喜ぶものだと思われるかもしれないけど、会いたいと思ってるのは他でもない僕自身。次に会えたときにプレゼントを渡すね、と以前電話でも月子は言っていたけど、プレゼントなんて本当は構わないんだ。
 僕のそばに君がいてくれればいい。
 そして、声を聞かせて。
 近くで幸せそうに笑っていてくれれば、それだけでいい。
 こういう思いがあることに気付いた僕にとって、君に会えること――ただそれだけが一番のプレゼントだ。こんな素敵なプレゼントがあるなら、レポートぐらい早く仕上げなくちゃいけないという気持ちになる。
「おい、本気か郁」
 琥太にぃが驚いたように呟き、僕はそれに「本気だよ」と返す。
「たまには会いに行かないと、彼女のご機嫌が斜めになっちゃうからね。それに、顔を忘れられちゃったら困るじゃない」
 こんな言葉を並べたところで琥太にぃには僕の気持ちなんてお見通しなのかもしれないけど、だからこそ僕は僕らしく素直じゃない言葉をつらつらと述べる。
「素直に会いたいって言えばいいのになぁ」
 楽しげな琥太にぃに僕も笑って返す。
「別に? 僕はいつだって素直だよ」
「はいはい。じゃあいつでも来い……と言ってやりたいところなんだが、あいにく昼過ぎから出かけなくちゃならない用があってな。日帰りで戻るのは難しいし、マンションやアパートと違ってあそこは寮だから、本人不在の時は泊めてやることが出来ないしな。……だけど、他ならない幼馴染、天の邪鬼な郁の頼みだ。今回だけは特別に聞いてやる」
「琥太にぃ?」
「聞いてやらないと、夜久の淹れるお茶が美味い茶になってしまうからな」
「ははっ、なにそれ」
「笑う所じゃないぞ、大事なところだ。ま、それはさておきだな、そっちを出る頃に一度俺の携帯にメールをよこしなさい。折り返し連絡して、頼もしく明るく元気な宿主を紹介するよ」
 楽しげな声。なんとなくだけどその宿主とやらが簡単に想像できた分、僕は複雑な気持ちになる。
「頼もしく明るく、元気……ねぇ。背が低くてやたらうるさくて一人で熱血してる人のことでしょ。はぁ……物凄く嫌な予感」
「ん? ならやめとくかー?」
「いえいえ、しっかりご厄介になりますよ。そうじゃないと、彼女に会えないしね。……会えなかったら、意味がないんだよ。今日会いたいんだ、凄く」
 最後にぽつりと漏らすと、電話の向こうで琥太にぃが静かに言葉を紡ぐ。
「そうだな。折角の誕生日なんだ、あいつの顔でも見てしっかり喜びを噛みしめてこいよ」
 さらりと出てきた「誕生日」という言葉に僕は少しだけ驚いた。忙しい毎日というのもあるけれど、琥太にぃのことだからきっと僕たちの誕生日のことなんて忘れてしまっているんじゃないかと思ったからだ。
「覚えててくれたんだね」
「おまえはともかく、忘れたら有李に叱られる。昔からそうだったしな」
 苦笑する琥太にぃの声を聞きながら瞼を閉じ、「私たちの誕生日忘れないでよ、琥太にぃ」と笑っていた姉さんの顔を思い出す。今は簡単に思い出せる笑顔でも、月日と共に少しずつ遠い記憶になるのが怖くもあるけど、僕の近くには同じように泣いたり怒ったり笑ったりとくるくる忙しい表情を見せる女の子が一人いる。そう、月子だ。だからきっと忘れない。忘れられるはずがない。
 思い出の中の姉さんの笑顔と、心にある大切な彼女の笑顔がとてもよく似ているから。見れば僕まで嬉しくなるような笑顔がちゃんと僕のそばに――心の中にあるから。
「そうだったね。……琥太にぃ、ありがとう」
 素直に呟けば、小さくそっと笑った琥太にぃが穏やかな声で言う。
 ――あいつが……夜久がいるなら、誕生日も少しは悪くないだろう? と。
 そうだね。少なくとも僕を祝ってくれるのが彼女だから悪くない。例え離れて暮らしていても、同じ時を共に歩んでくれる人がいる。
 その人はちょっとドジで、天然で、自分のことになると鈍感な女の子。だけどこっちが少し恥ずかしくなるくらい素直で、真っ直ぐで頑張り屋さんなんだ。まあ、多少強がりなところもあるけど、そこは惚れた弱みということで愛しさに変わってしまう。
 月子――僕の大事な人。明るい気持ちを分けてくれる人。
 彼女が嬉しそうに笑うと、僕はそれだけで幸せになれるんだ。
 もし今日、無事に彼女に会うことができたら、きっとその笑顔を見せてくれるはず。おめでとうと笑い、自分のことのようにお祝いをしてくれるだろう。例え僕が素直になれずに「別に誕生日ぐらい」なんて斜めに構えても、あの真っ直ぐな目と真っ直ぐな心で僕まで簡単に素直してしまう不思議な女の子。
「夜久はこのこと知ってるのか?」
「いや、さっき電話してて急に思いついたから言ってないよ。だから秘密にしてほしいんだけど」
「そうか、なら今回だけはサプライズってことで黙っておくか。夜久の奴、喜ぶだろうな」
「そうかな」
「ああ。お前のことをいつも嬉しそうに話してるぞ。まあ、ここは男子校みたいなもんだし、第一、郁の話をできるのが直獅と俺だけになってるから、話せる相手がいるとさらに嬉しくなるんだろう。俺たちはいい恋バナ相手になってるぞ。まったく、俺は女子高生か?」
 楽しそうに笑う琥太にぃに僕は少しだけ気恥かしさを覚える。それと同時に、僕の話をしてる彼女を思い浮かべたら妙に嬉しくも思うのだから、何だか可笑しい。
「へえ。若返っていいんじゃないの? 潤いも必要だよ」
「ほっとけ。それより、気をつけて来いよ」
「うん。琥太にぃも仕事頑張って。それと、今回宿主になる陽日先生にもよろしく伝えておいて」
「ああ。あとで酒飲み付き合ってやれ。喜ぶぞ」
 飲むと毎度絡んでくるうるさい陽日先生の顔を浮かべては苦笑する。きっと次に飲むときに付き合っても変わりはしないだろう。
「はいはい、適当に付き合いますよ。それじゃまたね」
 通話を切ろうとした僕に、最後琥太にぃが最後に僕の名前を呼ぶ。
「郁」
「うん?」
「誕生日おめでとう。有李にも届いているかもしれないが、二人ともおめでとう」
 それを最後に通話が切れる。
 同じ日に生まれた二人のうち一人は時を止めてしまった。その人はもういない。
 もう一人の残された僕は、事の大小乗り越えながら過ぎゆく時の中、こうして生きている。
 ――不思議だね、姉さん。
 姉さんが時を止めてしまってから、僕はこの日が来るのを好ましく思わなかった。いいと思える日が来るなんてきっとないだろうと思っていた。僕も心の中の時を止めていたところがあったけれど、去年の秋から少しずつだけど時が流れ始めたんだ。
 ねえ、僕も前を向いて歩き始めているのかな。不安や孤独という影を紛らわせなくてもいいのかな。
 僕は少し蒸し暑く感じる夜の空を見上げた。ここからの空は星が少ない。けれど、この空のずっと向こうに僕を大切に思ってくれる人がちゃんといて、僕もその人のことを大切で愛しく思ってる。
「誕生日おめでとう、か。悪くないよね、姉さん。……僕からも、おめでとう」
 思いもしなかったよ。こんな風に思える日が来るなんて。こんな風に、穏やかな気持ちで誕生日を迎えられる日が来るなんてさ。一人の女の子との出会いでこんなに変わっていくなんて思いもしなかった。
 その彼女に僕は今日会いに行く。誕生日というこの日に。
 会って、祝福の言葉を耳に、その華奢な体をそっと抱きしめたい。月子を抱きしめることによって僕は幸せがそこにあることを実感するんだけど、同時に抱きしめ返してくれるその腕が欲しくてたまらないのかもしれない。
 僕よりもずっと小さな女の子が精いっぱい背伸びをして僕を包んでくれる。その温かさが今はただ、恋しい。
 だから僕は会いに行く。
 月子に会いたくて。
 声が聞きたくて。
 ただ、抱きしめたくて。

 君が特別な日だと嬉しそうに笑うこの夜に。



END.
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