Starry☆Sky

confidential【水嶋×月子】



 課題の締め切りが明後日と近付いた今日、月子は今までなかなか気が進まなかった図書館へと足を向けた。部活や生徒会で忙しかったこともあるが、なんとかなるかと後回しにしていたら、気がつけば締め切りは目の前だった。
 星についてのスペシャリストを育てる学校なだけあり、この図書館には一般の書店や他の図書館などでは見られない書物がある。月子はそれを使って調べ物をしようとしたのだが、お目当ての書物とやらは棚の一番高いところにある。背伸びをすれば背表紙の下側に指先が軽く引っかかるのだが、しっかりと掴むことは難しい。先ほどから何度も背伸びをしているが、軽く背が浮くぐらいにしかならない。
 脚立を使えばいいのだが、横着をして懸命に背伸びをしていると不意に肩へと触れる手があり、さらには月子の背後からお目当ての本を軽々と掴む手があった。
 学生服ではないジャケットの色と長い指を持つ手。
「はい、これでしょ」
 声の主は見なくてもわかる。親切にも本を取ってくれたのは教育実習生の水嶋郁だ。目当ての本を目の前に差し出された月子は「ありがとうございます」と後ろに立つ彼を振り返るのだが、月子を囲むようにして背後に水嶋がいたため、振り返った月子の目の前には鼻先が付きそうなほどの距離に彼の胸があった。その思いもかけない近さに驚き、どこに焦点を置いていいのかわからなくなる。
「み、水嶋先生」
「なに?」
 なぜか耳元近くで囁かれ、思わず肩を上げる。
「あの、ち、近いです。これじゃ動けません」
「ああ、ごめんね? でも近づかないと届かなかったんだ。許してね」
 そう言って身体をずらして道を開けてくれるのだが、さらりと告げられた言葉はどこか月子をからかっている含みがあり、わざとこうして近付いているのだと気がつく。
 こういうふうに、ちょっとしたことで月子をからかうことが彼の日常生活に含まれているのだとしたら、いささか……いや、大いに困ることだと月子は思う。何せ彼の言葉や行動は、顔を赤くしたり焦ったりと忙しい反応をする自分を試すようなものばかりだからだ。こんなふうに自分をからかう男性は、この学園で水嶋をおいて他はいない。
 彼が星月学園に赴任してから一カ月も経つのだから、そういった行動に月子自身が慣れればいいのだが、頭ではわかっていてもこればかりはどうしようもない。
 男子校同然の学園生活を二年も過ごしていれば「年が近い男の子」に慣れてはいても「男の人」には不慣れだ。ましてやあからさまに女の子扱いしてからかってくる。なんて返したらいいのか、高校二年生の月子にはその術がない。
「あの、本をありがとうございました。届かなかったから助かりました」
 改めて礼を言うと、彼は「これぐらい、どういたしまして」にっこりと笑みを浮かべる。笑っているのにどこかよそよそしく感じるのは気のせいだろうかと思いつつも、それでもきれいな笑顔に目を奪われる。
 彼は昔月子が好きだったバンドのボーカルにとても似ていて――というより、水嶋はそのことについて否定も肯定もしないが、間違いなくその本人のはずなのだが、どうしてそれをあいまいにするのか――なにより、親しげな雰囲気を持つ彼が時々遠く感じるのかわからなかった。
「それ、課題に使うの?」
 本を指さしながら聞く水嶋に、月子ははっと我に帰る。
「あ、そうです。課題の提出期限が近いので、なんとか手をつけないとと思って。水嶋先生も調べ物ですか?」
 いつも保健室のベッドやソファーで昼寝をしていたり、中庭をふらっと歩いている姿を多く見かけるが、今日に限ってはこの場所で見かけた。
 彼はなんでもそつなくこなすタイプだとは思うが、真面目でお堅い印象とは微妙にかけ離れているので、まさか図書館にいるとは思いもしなかったし、その分少しだけ驚いた。
「僕? ああ……ここなら静かに昼寝ができそうかなって思って来てみたんだ。でも、それなりに人がいるから昼寝は難しそうだね」
 昼寝。やっぱりというか、やはり真面目な理由ではなかったようだ。「水嶋先生らしいな」と思いつつ、あたりを見回す。
 静かなのはいつもと同じ。けれど、確かに今日は人の数が多いような気がする。いつもなら簡単に席を探せるのに、今日は空席が少ない。
「さすがに昼寝は難しそうですね」
「でしょ? だから君の姿が見えてよかった」
「私、ですか?」
 なにがどうよかったのか、彼の言っている意味がわからずに首を傾げると水嶋は目を細めて笑みを見せる。
「そう。……と、いつまでもここで立ち話もなんだから、座らない?」
 返事を返す間もなく、月子の両肩を押して二つ分の空席へと促す。
 誰もが真面目に書物へと視線を落としているせいか、月子たちを気にする者はいない。
 椅子を引いて月子を座らせたあと、そのすぐ隣に水嶋が座る。
 あたりがしんと静まり返っていることもあり、互いに近づかないと話をするのを躊躇われるところだが、近づき過ぎではないかと思うほど水嶋は顔を寄せてくる。会話をするには声を潜める必要もあるが、こんなに近いとどんな誤解をされるかわからないし、月子自身もドキドキして落ち着かない。
 月子がわずかに身体を引くと、水嶋は面白そうに口元に薄い笑みを浮かべる。
「なんで逃げるの」
「ち、近すぎるからです」
「近くないと話せないでしょ」
「それでも、ダメです」
「……はいはい。でも、こうやって声を潜めていると内緒話みたいでドキドキしない?」
 口ではそう言うがちっともそんな素振りを見せることない水嶋に、月子は軽く口を結んでから答える。
「ドキドキっていうより、水嶋先生は私をからかって楽しんでいるみたいに見えますけど」
「そう? これでも結構緊張してるんだけど、わからないかな」
 笑顔のままの言葉をさらりと無視して月子は先を続ける。
「ところで、私に何か用ですか?」
「用っていうか、昼寝はできないけれどせっかく図書室に来たんだし、偶然君にも会えた。だから一緒の時間を過ごせないかなって思ってさ」
「でも、私は課題があるんですけど……」
 提出期限が迫っているのでさすがに水嶋を構っている暇はない。できたら集中して早めに課題を済ませたいくらいだ。
「大丈夫。こんな場所で君を口説こうとは思っていないし、課題の邪魔もしない。ただ君の隣で僕も本を読んで過ごしたいって思ってるだけだよ」
 そう言って、いつの間に手にしたのか天体力学論とある本の表紙を見せた後、月子の返事を待たずにページをめくり始める。
「僕のことなら気にしなくて良いから、課題をどうぞ」
 ちょっかいをだされるのかと思いきや、彼は真剣に本を読み始めたので、多少呆気にとられつつも月子もノートと水嶋にとってもらった本を開く。
 ――本当に、なにもしないのかな……?
 ちらっと横目で見ても、涼しそうな横顔は月子を気にする様子などこれっぽっちも見せない。
 ――気にしすぎかな、私。
 小さく安堵の息を吐いて本のページをめくる。水嶋が隣にいると思うとなぜか気持ちが落ち着かなかったのだが、それも最初だけだった。
 まるで、たまたま隣に座っただけとでもいうような水嶋の態度は勿論だが、彼が真正面にいない分、いちいち様子を気にしなくても済む。
 何より思いのほか課題が簡単に進んだため、ペンを走らせるのが楽しかったことが色んな雑念を飛ばしてくれた。
 何人かが図書館を出ていく姿が視界に映ったけれど、さして気にとめることもなく時は過ぎ、課題もあと少しで終わるというところで、それまで静かに本を読んでいた水嶋が、その指先でトントンと机を軽く叩く。
 月子が集中している間にでもメモ用紙をカウンターから貰ってきたのか、見ると折りたたまれたメモ用紙があり、それを指で抑えたまますっと差し出してくる。
 ――なんだろう?
 メモを開いてみると、そこにはこう書かれてあった。
『課題が終わったら、お茶でもどう?』
 顔を上げて水嶋を見つめるが、彼は月子を見る様子もなくその視線を本へと落としている。
 からかっているのかと返事を躊躇っていると、水嶋は小さく一つ咳払いをする。どうやら返事が欲しいらしい。
 ――え、えっと……私もメモ用紙を用意しないと!
 ノートの一番最後のページを半分だけ丁寧に切り取り、ペンを取ってそこに返事をし、戸惑いながらも水嶋と同じようにしてそれを差し出す。
『あとちょっとかかりますよ?』
 するとサラサラと短く文字を書いてまた寄こしてきた。
『待ってる。君とお茶を飲みたいんだ』
 どうしよう、と月子は思った。この後特に用事もないし、確かに喉が渇いている。けれど、水嶋と二人でと思うと気恥かしさと妙な緊張感とが混ざり、すぐに返事をするのが躊躇われるが、けして嫌なわけではない。
 ――けど断る理由もないし……別に、いいよね。
 自分にそう言い聞かせるも、なぜか妙に胸が騒ぐ。それが文字に現れないよう、なんとか心を落ち着かせようと息を吸い込み、ペンを握る。
『じゃあ……頑張って早く終わらせるようにします』
 それを読んだ彼は、このやり取りの中で初めて小さく笑った。そしてもう一度メモが寄こされた。
『良かった。でも、急ぐ必要ないから君のペースで頑張って』
 急がないと置いていくよ、とでも返されるのかとばかり思っていた分、思いもしない優しい言葉に幾分ほっとしたけれど、その間にもう一通差し出された。
『僕の初めてのナンパの相手は君。おふざけのこの前とは違って、やっぱりちょっとだけ緊張したかな。この僕をこんな気持ちにさせるなんて、君も罪作りな女の子だね』
 これを読んだ瞬間弾かれたように水嶋を見ると、それまで知らんふりをしていたくせに、頬杖をついて月子を見つめている。やけに甘い微笑み付きだから余計に厄介だ。
 ――全然緊張しているようには見えません! う、嘘つき!
 騒いでいた胸がひときわ大きくドクン、と高鳴る。収まるどころか次第に頬が熱くなってくるからどうしていいのか分からない。
 この前にも一度、屋上庭園で同じようにからかわれたことがあったが、まさか今日仕切りなおされるとは思いもしなかった。
『顔、真っ赤だよ』
 今度はメモじゃなくその唇が動いた。声にはせず、口の動きがそう告げた。
 顔だけじゃなく、耳まで熱くなる。
 空調の音だけが静かに聞こえる部屋なのに、なぜか彼の声まで聞こえたような気がして、ぎこちなく視線を逸らした。
 隣では水嶋がくすくすと声を殺して笑うのがかすかに聞こえ、少しだけ悔しい気持ちになったが、女性の扱いに慣れているような――いや、実際慣れているであろう彼の初めてのナンパ相手が自分だと思うと、なぜか嬉しい気持になるのだった。どうしてそう思うのかはわからない。
 少しだけこの胸をくすぐる感情がなんなのか掴みきれないままだが、月子は改めて課題に取り組んだ。
 ――もういい! からかわれてるってわかっていても、急いで課題を終わらせてやるんだから! そして……そして、水嶋先生に何を言われても真っ赤にならないよう、真剣にお茶を飲んじゃうんだから!
 妙に急ぐ心と共に、ペンを走らせる。
 頬や耳はまだ熱いままで。



End.
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