Starry☆Sky

センチメンタル・ラバーズ -僕の小さな魔女-【水嶋×月子】



 三角帽子の華奢な後姿を見かけた僕は、彼女が言うところの「抜き足、差し足、忍び足」で背後に回りこむ。きょろきょろしていて気が散漫になっている彼女は僕の存在に気付いてはいないみたいだ。
 隙だらけ、と心内で小さく笑い、僕は腕を伸ばす。
 そして、彼女の目を後ろから両手で隠し、耳元で囁いてみる。
 トリック・オア・トリート。学園内のどこでもこんな台詞が聞こえてくる今日は、ハロウィンだ。何かとお祭り好きなこの学園では生徒会が主体となって、十月三十一日はハロウィンパティーが行われる。ちょっとした定番行事になっているようだ。
 おのおの好きな仮装をして楽しむことになっていて、お菓子も飲み物も振舞われる。もちろん星空の下で星見と称してのパーティーだ。
 お菓子をくれなきゃいたずらするぞ……なんて、強制行事とはいえいい年して参加しちゃう僕も僕だけど、まあ、やるならそこそこ楽しまないとね。
 僕のターゲットは勿論月子だ。僕なりの可愛い意地悪をして、どんな反応をしてくれるのかがいつもの楽しみなんだ。琥太にぃは「悪趣味」と眉を顰めるけど、頬を赤らめたり慌てたりする彼女って凄く可愛いくて、ついつい構いたくなるんだ。
 それはハロウィンという今日でも同じ。お菓子をくれてもくれなくても僕の気持ちに変わりはない。
 実際、こうして目隠しをしているだけでも凄く楽しい。だって彼女、「うう〜」と困ったような声で固まっている。ヴァンパイアに目隠しされて固まる魔女なんて、なんだか可笑しい。振りほどく事だってできるのにそれをしないんだから、君もお人よしだ。なによりその困った声がやっぱり可愛い。
「だーれだ」
「こんなことするのは水嶋先生ぐらいです。もう、離してくださいよ〜」
 情けない声で月子は僕の手をぴたぴた叩く。
「あれ、わかっちゃった? っていうことで可愛い魔女さん、お菓子をくれなきゃいたずらするよ?」
 手を離して彼女の顔を覗き込むと、驚いたように目を丸くして彼女は僕を見る。まあ、結構近いよね、顔。
 にっこりと笑ってみせる僕から慌てて一歩離れ、それから彼女は頬を真っ赤にしながら大きめのバスケットから一つ、小さな包みを僕に突きつけんばかりに差し出す。
「おっ、お菓子あげますから、いたずらしないでくださいね!」
「強制……ね。仕方ない、いたずらは我慢してあげる」
 小さな包みを手に小さく笑うと、彼女は「意地悪もです」と付け加える。まったく抜け目がなくなったね。でも意地悪は外せないからそれは聞いてあげられない。
「僕の意地悪を止めたければ、こんな小さなお菓子一つじゃ無理かな」
「な、何でですか」
「君こそ何で逃げるのかな」
 離れた分一歩近づいて彼女の手を取ろうとすると、遠くから「待てぇえええ〜!」という甲高い声が聞こえてくる。
 やな予感。
 声の主なんて見なくてもわかるけど、とりあえず声がする方向を見て、それから僕は驚いた。
「うわ……」
 ずんぐりむっくりという言葉がぴったりの物体が凄いスピードで近づいてくる。
「……あ、あれって着ぐるみ、ですか?」
「だね」
 彼女は僕の袖を掴んで迫り来る物体を見つめ、僅かに僕の方へと身を寄せる。
 陽日先生……背の高さは相変わらずだけど、その着ぐるみは一体何なんだ。
「そこの吸血鬼ー! 俺の生徒に変な真似をするなぁあああ!」
 どすどす、という足音より、小鳥の鳴き声みたいな音でも当てた方がぴったりなそのやけに可愛らしいフォルムに僕は苦笑する。……この人似合いすぎ。
「ヴァンパイアは美女の血を吸うのが仕事なんです。小さいお化けさんはあっちに行っててくれませんか。仕事の邪魔です」
「小さい言うな! っていうか、今日はいつもよりもうちょっと大きいぞ! ……横にな」
「確かに。押したら倒れそうですね」
「ば、ばか、水嶋押すんじゃな――っ、うおあっ!?」
 叫び声をあげて陽日先生はよろける。ちなみに押したのは僕じゃない。そもそも僕の手は押そうとしたところで止まってる。……となると残るは一人しかいない。
「ち、ちょっと、月子ちゃん?」
 目の前にある着ぐるみの頭を手で軽く押し返してやろうとするよりも早く、隣に立っていた月子がいきなりおばけ――もとい、陽日先生を抱きしめた。
「あははっ、かわいい! ふわふわしてるし、近くで見ると凄くかわいいです!」
 ああ、やっぱり着ぐるみね。
 大胆にも抱きついた彼女は、今まで見たことないようなとても嬉しそうな顔をしている。……しかし、そんなに可愛いかな。どう見ても不恰好だと思うんだけど。喜ぶ基準が男にはちょっとわからない。だから彼女の唐突な行動には余計に驚いた。陽日先生なんて絶句してるし、遠巻きに見ていた男子生徒なんかは「直獅……許すまじ!」「ずっりー、マドンナの抱擁かよ!」なんて言ってる。無意識にやっていることとはいえ、彼女も罪な人だ。
 それに、愛しの生徒達に睨まれるとはお気の毒に、陽日先生。……っていうか、陽日先生に抱きついて喜ぶ彼女の顔を見ていたら、なんだかイライラしてきた。陽日先生、早く離れてくださいね。なんかこの光景はちょっと面白くないんで。
 『でも、なんで面白くないんだろうね?』
 僕はばかばかしいけど自問自答をする。
 『そんなの、形はどうであれ彼女は僕の小さな恋人さんだから。それだけだよ』
 そう、それだけのこと。他意はない。……多分ね。
「やっ、やややや夜久っ!? いいいきなりどうしたっ!」
 どもる陽日先生が大きな頭を取り外し、赤らめている頬を露にする。月子は抱きしめている手を解き、照れくさそうに肩を竦めている。
「着ぐるみが凄く可愛かったから、じっとできなくてつい。……すみません」
「き、着ぐるみか……。って、ちがっ! そそそそうじゃない! いや、い、いいんだ、全然! 全然!」
 あちこち髪が跳ねている頭をぶるぶると振る陽日先生に、僕はさらっと呟く。
「残念ですね、可愛いのが陽日先生じゃなくて」
「み〜ず〜し〜ま〜。なに涼しい顔してんだよ! そもそもお前が夜久にちょっかい出したのがいけないんだろうが!」
「それはすみません」
「お前な〜……」
 僕に襲い掛からんばかりのポーズをする陽日先生をなだめるがごとく、月子は慌ててバスケットからお菓子を取り出して、この着ぐるみの人に差し出す。
「あ、あのっ、陽日先生! これお菓子ですっ! お菓子をあげますからその辺にしてあげてください」
「お、オレにもお菓子!? お菓子でなだめられてる、オレ!?」
 素っ頓狂な声を上げる陽日先生に僕はちょっとだけ同情したけれど、それは心の中だけにしておく。
「ぷっ。いいじゃないですか、子供みたいで」
「水嶋……今絶対オレを見下しただろ。背が低いからって見下しただろ!」
「気のせいですよ。それに、見下したんじゃなくて、目線を下にさげただけです」
「似たようなもんだろがっ」
「ふ、二人とも」
 月子が困惑しながら僕達のやり取りを見ていると、急に彼女を呼ぶ声が大きく聞こえる。どうやら生徒会の面々が彼女を探しているらしい。僕のことを「もじゃめがね」って呼ぶあの小憎らしい天羽君がこっちを指さしている。口の動きからするとまた僕のことをもじゃめがねって呼んでるようだ。まったく、あとでたっぷり叱ってあげないとね。……まあ、それはさておき、このあとイベントもあるから彼女を返してあげないといけない。執行部としてはやはり忙しいのだろう。
「ほら、呼んでるよお姫様」
「あ……翼君だ。じ、じゃあ、私は行きますけど、陽日先生、水嶋先生、ケンカしないで仲良くしてくださいね!」
「仲良くねぇ……。努力はしますよ一応」
「なんだそらっ! 一応じゃないだろっ」
「言ってるそばからもう……。ケンカはだめですよ。それじゃあ、また!」
 頭を下げて月子は慌しく去って行ってしまった。その後ろ姿を見送った僕は、これからどこでのんびりしようかと考えた。イベントを見るのも少しばかり億劫だし、のんびり屋上庭園のベンチで横にでもなってるか。
「じゃあ、僕も……」
 そそくさと退場しようとする僕の前にすばやく陽日先生は立ちはだかる。
「待て! お前は職員としての役割がある。逃がさないからな〜」
「役割って言っても、どうせ学園の中を見回って生徒を監視する役目でしょう。別にいいじゃないですか、こういうお祭りの日ぐらい多少の破目を外しても」
 やれやれと肩を竦める僕に、陽日先生は戸惑いめいた息を吐き、頭を掻いて苦笑する。
「まあ、そうしてやりたいところは山々なんだけどな……。でも、もし何かあったらこういうイベントの開催自体も危ぶまれるだろ? 生徒会なんて企画も実行も全部担当してあの少人数でイベントを回してるのに、それを無くしてしまったら教師としても申し訳がないよ。生徒たちを思い切り遊ばせてやる分、裏でオレ達教師が見てやらないといけない部分ってあるだろ。こういう思い出になるような行事を楽しませてやるために、オレ達はオレ達の仕事をする。それが地味な仕事でも、できることはしておく。生徒の笑顔を守ってやる。それが教師の仕事ってやつだ」
 穏やかに、だけど有無を言わせない凛とした声でそう言い切られてしまっては反論のしようがなく、僕はふう、とため息を吐いた。この人も月子と一緒で、正面から正論を吐く人だ。日頃生徒以上に底抜けに明るく、下手をすれば生徒に間違われるような人だけど、やっぱり教師は教師なんだと僕は思い知らされる。
「わかりましたよ。じゃあ、僕も微力ながらお役目を果たします。……で、見回りの分担はどうなってるんです――」
 僕は陽日先生から渡された詳細の一枚紙に目を通しながらぼんやり思う。
 生徒の笑顔を守ってやる、か。
 また眩しい言葉が出てきた。なんの得にもならないし、こうした見回りなんて、「教師に見張られてる」と煙たがられはしても、感謝をされることなどない。
 陽日先生のように、広い心で優しく見守ってくれている人の気持ちがあることなんて、誰にも気付いてもらえやしないのに。
 一種のボランティアか? と苦笑したくもなったけど、すれ違う生徒達の笑顔が本当に楽しそうなことに気がつく。
 衣装を互いに笑いあっている奴もいれば、小さい子供みたいにじゃれあったり、はたまた配られるお菓子に群がったりとみんな楽しそうだ。
 随分と平和なことで、と斜めに見ながらも、笑顔のある場所があることはいいことだ、なんて思う僕もいる。
 変な気分だ。陽日先生の熱血が僕にも少し移ったのか?
 ――それとも……。
 視線の先には笑顔でお菓子を配っている月子の姿がある。彼女も僕を見つけると、ちょっとだけはにかんだ笑顔を見せた。
 つい笑い返してしまったのはどうしてなんだろう。思わずつられてしまった。
 ――やっぱり彼女の影響……なのか? まさかね。
 まさか、だけど……でも、どうなんだろう。
 自分でもよくわからない。
「……厄介だよ、まったく」
「んー? なんか言ったか?」
「いえ、なんでもありません」
 前を行く陽日先生が振り返るけど、僕は口角だけ上げて軽く答え、色とりどり、姿様々の人の間をくぐっていく。僕の任務とやらを果たすために。
 簡単に出てこない答えなんて、今は必死になって探す必要がない。それさえも面倒だ。
 けれど、それは決して逃げてるわけじゃない。面倒なだけだから触れないようにしているだけだ。……なんて、僕は僕自身になぜか言い訳を繰り返すのだった。


「ぷっはー! やっぱ星見酒だよな〜! 最っ高!」
 どれだけ持ってきたのか、陽日先生は目の前に缶ビールやら日本酒の一升瓶を置いてはあっという間に一本ずつ空けていく。大して胃に食べ物も入れていないからこの調子じゃあっという間に酔いが回りそうだ。実際、陽日先生の息がとても酒臭い。
「こら直獅、飲みすぎるなよ。ほどほどっていう言葉を覚えろ」
 琥太にぃはジュースを片手に呆れ顔だ。僕は二本目のビールに口をつけているけど、陽日先生みたいに無茶な飲み方はしないから、適当に星空とアルコールの両方を楽しんでいる。隣には月子もいるから男ばかりの寒い宴席にはならなそうだ。
「月子ちゃんもジュース足りなかったら言ってね」
「あ、はい。ありがとうございます」
 無事に全ての予定を終え、生徒会の役目を全うした彼女を陽日先生が見つけ、この輪の中に招き入れた。
 なんというか、僕ら三人と月子っていう顔ぶれはここ最近の固定メンバーになっている。星を見るのにも、くだらない話をするときも決まってこの四人が集まる。そして、不思議とそれが嫌いじゃない僕がいる。さっきだってみんなで星空を見上げながら秋の星座を追っていて、星に知識のある者同士があれやこれやと語るのは妙に楽しかった。それがかつての思い出と重なって見える分、少しだけ胸を切なくさせるけど、やっぱり悪くはない。
 そう、甘く心を引掻くような切なさが残るのに、この雰囲気が嫌じゃなく、むしろ居心地がいい。良すぎるくらいだ。
 陽日先生は訳のわからないことをわあわあ喚いているし、琥太にぃは付き合っていられないとばかりに横になり眠る準備をして、それぞれが好き勝手にしているのに、なんとなく落ち着く。
「水嶋先生」
 小声で彼女が僕の袖をくいと引っ張り、背後へと視線を向ける。
「あの、陽日先生の暴走……っていうか暴飲を止めなくていいんですか? 星月先生は寝ちゃってるし、風邪引いたらどうしよう」
 僕と彼女は二人で寄り添いながら声を潜める。
「琥太にぃは一度寝ちゃうとなかなか起きないから、キリのいいところで起こしてあげるとして、酔っ払いは放っておくに限るね。絡むとあとあと面倒くさいし」
 僕達がこんな会話をしているのに全く聞こえている様子はなく、飲むぞ〜、水嶋〜! と僕がいない方向に向かってうるさい。……本当にうるさい。
 僕が眉を顰めると、月子は可笑しそうに吹き出す。
「ふふっ、そうみたいですね。星月先生も気持ち良さそうに寝てるから、そおっとしておきましょうか」
「だね」
 僕たちはくすくすと笑い合ったあと、揃って空を見つめる。晩秋の冷たさを帯びた風が襟元を掠め、さっと吹き抜けていく。かさかさと転がるのは落ち葉で、乾いた音が日々大きくなっていくたびに次の季節が迫っていることを感じる。
「寒くない?」
「ううん、大丈夫です」
「そう? 寒くなったら言ってね。しっかりと温めてあげるから、僕が」
「ほ、本当に大丈夫です!」
 他愛もない言葉を交わしながら僕は不思議な気持ちになる。お菓子を手にしてこんなコスプレをしているからかもしれないけど、ちょっとだけ童心に帰った気持ちになる。
 だからかな、思わず星の位置を指さした。さっきまでみんなで神話を語っていたのに、それでもまだ星を見続けてしまう。
「アンドロメダ座、か……」
「綺麗に見えますよね、今日」
「うん。で、その隣に牡羊座だね」
「ふふっ、それは私もわかります」
 二人でゆっくりと指差す星座は今日も綺麗に瞬いている。
「じゃあ、三角座は?」
「三角座? ……あ、あれ?」
 楽しそうに僕の指差す先を彼女は見つめる。こういう風に星を眺めているとやはり昔を思い出してしまう。
 三人で星を星座を探した夜のこと。あの時は姉さんが月子と同じように笑いながら星を追っていたっけ。
「位置的には近くなんだよ。けど、明るい星じゃないから良く見えないかな? じゃあ、僕の指の先見てて」
「あ、はい」
 月子が僕に寄り添うようにしてじっと夜空を見上げる。
「牡羊座の頭の上を真っ直ぐに上がると、まず一つ目があって、そこから斜め上に二つの星があるはずなんだけど」
「えっと……暗い星しかないですけど」
 僕が指さした方向を彼女が懸命に目で追う。
「うん、それでいいんだよ。わかりづらいかなやっぱり」
「あ、でもよーく見ているとだんだんわかってきたかも。……わ、三角に見えた。うん、凄い凄い! 郁、よくわかりましたね」
 目を輝かせて僕を見つめる瞳がなんだか眩しく見えて、僕は少しだけ視線を逸らした。
「そりゃ……これでも先生だからね、今は」
「そうでした。って……しまった」
「何?」
 名前呼んじゃいました、と小さく呟いて、背後にいる二人へと視線を向ける。幸い二人とも僕達の会話なんて耳に入っていないみたいだ。琥太にぃはすっかり寝息を立ててるし、陽日先生はゆらゆら揺れながら何か呟いて手酌酒してる。ホント、どれだけ勝手気ままなんだろうね、僕たちは。
 その隙にというわけじゃないけれど、勝手気ままの延長線上にいる僕は、芝生についている手を動かしてそのまま月子の手を握った。
「い――水嶋先生!」
「黙って」
 僕自身、この行動に少し驚いている。何も恋人ごっこをしているから形ばかりにとりあえず手を繋いだわけではなくて、なんとなくこの手に触れたくなったんだ。
 なぜなんだろと思ったけれど、答えはすぐに出てきた。いつも二人で会うときはこうしているからだ。
 こういうのを一種の習慣っていうのかな。だとしたら、一ヶ月の期間が切れたら、この手の温もりを感じられなくなることを寂しく思うのだろうか。
 ――この僕が? まさかね。
 僕は認めたくなかった。寂しいだなんて思うはずがない。だってこれはゲームだろ。
 でも、ゲームなのに僕はなんでこんな風に彼女と手を繋ぎたかっているんだろう。
 彼女のこの温もりを求めてしまう。今まで誰と居てもこんな気持ちにならなかったのにどうしてなんだ。それを考えてもすぐに答えが出てこないから、急に不安になる。
 だから僕は大人気ないことに彼女に対し、そっけない態度を取ってしまった。
「いいじゃない、別に手ぐらい。恋人なのに、嫌なの?」
「嫌じゃないですけど……」
「じゃあいいよね」
 我ながらなんて格好が悪いのか。もっと上手なごまかし方があるはずなのに、まるで拗ねた子供のようだ。不機嫌を隠し切れないこんな僕が少し恥ずかしい。
 驚いたように目を丸くした月子は、僕と背後にいる二人とを慌しく見比べては少し戸惑っているようだったけれど、そっぽを向く僕の頬を穴が開きそうなほど見つめ、見えない何かを確かめているようにも見えた。それを振り切るように僕はできる限り感情を抑えた声で言う。
「二人のこと気にしてるの? 大丈夫、わからないよ」
「でも」
「見つかったときは適当にごまかせばいい」
「……もう、知りませんよ」
 戸惑っているようなのに、どこか照れた声で月子は言う。それも笑顔で。
 なぜ彼女がここで笑ったのかわからないけれど、僕は黙ってその手を握り続けた。彼女もまた、黙って僕にそうされていた。
 それからどのくらいそうしていただろう。不意に彼女が吐息を漏らした。
「今月ももう終わりなんですね。明日から十一月かぁ……本当にあっという間。冬がすぐそこまで来てる」
 彼女は空を見上げた。そのどことなく感傷めいた呟きに、僕もそうだね、と静かに返す。
「僕がこの学園にいられるのも、あと一ヶ月だ」
 そう言葉にしたら、彼女の感傷的な気持ちが僕にも移ってしまったようになぜか胸の奥が小さく痛んだ。
 どうも調子が狂う。こんなはずじゃないのにという気持ちが、このあとに続くはずだった僕の言葉をさらっていく。
 そして、声にならないまま消えてしまった言葉たちの代わりに出てきたのは、僕自身でも思いもしない言葉だった。
「月子はさ、これからどうしたいって思うの? 何か目標みたいなのってある?」
 言ってから「なんでこんな先生みたいな台詞……」と天を仰ぎたくなった。僕らしくもない、こんな色気のない話なんて。どうにかしてるよ、まったく。
「え……目標、ですか?」
 月子も僕からこんな言葉が出てくるとは思っていなかったのか、ぱちぱちと目を瞬かせている。
「そう。僕には特にこれといったものがないから、君みたいな子だったらどうなのかなって思って。夢を見るのは子供の仕事でしょ」
「また子供って言う……」
 彼女は少しだけ頬を膨らませたけどそれもつかの間だけ。僕の問いかけに真剣に答えようと考え込んでいる。
「実はまだよく考えていなくて……。とにかくこうして星を見るのが大好きでこの学校に入学したのはいいけれど、まだ「これだ」っていうのは見つかってないんです。ただ、星に関係するお仕事に就きたいなって思ってはいるんだけど……。漠然としてるからこうして話をしていてもちょっと情けないんですけどね。でも、何にしても大学に進学するには違いないですね」
 彼女は小さく笑って僕の質問に答えてくれたけれど、そのあと僕に期待の目を向ける。
「郁は? 目標はないって言ってましたけど、教育実習に来たっていうことは、やっぱり先生を目指してるんですよね?」
「え……僕? 教師……ね。こんなことを言うのはなんだけど、教師はなにかと面倒そうだ。それに実習をしたから皆が教師になるとは限らないよ。第一、教育学部に通ってはいるけど、それは別に――」
 別に僕が教師になりたかったわけじゃない、と言いそうになって口を噤んだ。
 教師という職業に興味を持っていたのは僕じゃなくて姉さんの方。それが心の中に残っていたから、学部もそれを選んだだけだ。僕は単なる暇つぶしの一つぐらいにしか考えていなかった。だから月子が思っているような前向きな考えからきたものじゃない。第一、こんな風に思う僕に、これからの目標なんてあるわけないじゃない。惰性の日々が続くだけだ……これからも。
 心の声が嫌なくらいに僕の中で響き渡る。そんな時だった。彼女は凛とした力強い目で僕を見つめて言う。
「郁は、いい先生になると思います」
「え?」
「いい先生に、なれますよきっと」
 真っ直ぐな瞳、真っ直ぐな言葉に僕はたじろぐ。
「なに……いきなり。なんでそう思うの? っていうか、僕は別に先生になろうなんて――」
 自嘲的に笑う僕に、彼女は軽く首を振る。
「それでも、言わせて下さい。郁はなんだかんだ言っても、ちゃんと人の話を聞いてくれます。この前だって、柑子君や柿野君達の話を聞いてくれていたじゃないですか」
「口説き文句にナンパのテクニックを教えろって言われただけじゃない、あんなの」
 苦々しく笑うと、彼女は横に首を振る。
「それでもです。それに、みんなが「郁ちゃんセンセ」って頼っていくのは、やっぱり郁がいい人だっていうのをどこかでわかってるからなんだと思います。いい加減な人のところには誰だって近づいたりしません。子供だってそれぐらいわかります」
 僕の手をぎゅっと握りながら、今度は空を見上げる。その横顔はやけに自信に満ちていて、それは本当に僕のこと? と尋ねたくなるくらいだった。
 なんだかやけにくすぐったかった。誰かにこんな風に思ってもらえたことがあったかなと過去を思い返すけど、一度もないのがなんだか笑える。そう思ったら本当に笑い声が出た。情けないやら、嬉しいやら、なんともいえない気持ちだ。
「随分と高く評価してくれているみたいだけど、実習の一環だから皆の話を聞いているだけとは思わないの? 表面上だけ取り繕っているだけで、実は打算的で冷めた考えをしてるって、君は思ったりしないわけ?」
 僕が尋ねると月子は僕の目をじっと見て、それから笑った。
「郁はそう思われたいですか?」
 まさかそう返されるとは思いもせず、僕は一瞬言葉に詰まり視線を逸らした。
「……別に、人にどう思われようと関係ないよ。それに、どうせ好き勝手に勘ぐったりするだろ」
 誰だって心底信頼し合って接しているわけじゃない。何かしらの利害関係があるからいい具合に笑顔を見せたり弱みを見せたりして人の心に入り込もうとする。それが術だっていうことも僕は良くわかっている。皆が皆、君のようにお人好しのわけじゃない。
「でも、そう言いながら今ちょっとだけ寂しそうな顔をしてます。本心じゃないですよね。それに、皆の中にいるときは仕方ないなって顔をしているけど、やっぱり楽しそうです。私はそういう郁の顔を見ているから、なんとなくわかっちゃいます」
 面食らっていた僕だけど、素直に物を言う彼女は本当に大胆というか、恐れ知らずだと改めて思った。大抵こういうときは人の顔色を伺うものなのに、彼女は自分の思ったことを真っ直ぐに僕にぶつけてくる。躊躇いなどまるで無縁のようで、その変な力強さは思わず笑みが零れてしまう程のものだ。
「……君、生意気」
「ごめんなさい。でも、郁は自分が言うほど冷めた人でもないですし、優しい人ですよ。……確かに、ちょっとだけ意地悪ですけど」
 困ったように笑う月子が僕をちらっと見る。
「僕が意地悪するのは君が面白い反応をするからだよ。僕のせいじゃない」
「もうっ。……でも、それが郁なんだなって思うと仕方がないかも。優しかったり、意地悪だったり、時々寂しそうだったり、子供みたいに笑ったりって。そういう郁の顔をいろいろ見ていきたいな、って私は思います」
 それは眩しいほどの笑顔だった。どうして彼女はこんな風に素直に笑えるんだろう。触れたら壊れそう、なんてもろいものじゃなく、自分自身とも他人ともきちんと向き合えるような強さを持ち合わせている瞳は、今こうして僕を見つめている。
「まるで、ずっと僕のそばにいてくれるみたいな感じだね。僕達は一ヶ月間限定の恋人同士なんだよ?」
 そっと笑うと、彼女は少し考えるようにして繋いでいる手を見つめたあと、言葉を紡ぐ。
「そういうのって、時間は関係ないですよ。私は郁のことが知りたいって思ってるだけだから。それに、たとえ期間限定でも今は郁の恋人ですよ?」
 照れくさそうな、でも明るい笑顔が僕まで笑顔にさせる。
 本当に変な子。どうして僕はこの時期にこの場所で君に出会ってしまったんだろう。小さなゲームに勝って、冷めた目で月子を笑っては日常に戻るつもりだったのに、そう簡単には行かなさそうだ。
 第一、彼女とのやり取りの中で何か救いのようなものを求めている僕がいる。
 ――初恋も知らない高校生の女の子に? そんな女の子に何を求めてる?
 苦笑したくなる思いが胸の中に広がっていくけれど、それをぬぐい去ることはできない。
 何かが少しずつ変わっていきそうで、戸惑いばかり覚えていく。
「君って人は……やっぱり変わってる。お子様だから平気で物を言うし、まったく困ったもんだね」
「でも、郁にはこれぐらい言ってあげなくちゃ」
 肩を竦める彼女を笑って見て、僕は軽く髪をかき上げた。
「うわ、僕のお姫様は手強いな。……ん?」
 もう一度芝生へと手を戻したとき、指先が何かに触れる。それは月子が配っていたお菓子の小さな包みで、ふと僕は一つのことが気になった。
「どうかしました?」
 僕の顔を覗き込む月子に、指先に当たったお菓子を目の高さまで持ち上げる。
「月子、自分の分のお菓子は?」
「え?」
 きょとんとした顔をして僕を見る。この調子じゃきっと忘れていたに違いない。人のことばかり気にかけていて、自分の事を忘れてしまうのが彼女らしい。
「トリック・オア・トリート。ハロウィンでしょ、今日は。まさか配ってばかりで自分の分忘れちゃってたの?」
「あ……そうでした」
「まったく、生徒会も人使いが荒い。そこにあるバスケット貸してごらん。僕が役目を変わってあげる」
 僕は身を乗り出して大きなバスケットへと手を伸ばす。お菓子は三つしか残ってない。
「でも、それは生徒会のみんなの分だから、私はいいですよ」
「それじゃ君の分がないでしょ。いいんだって男の分は。女の子は我慢しないこと。どうしても欲しいってあいつらが駄々をこねるようなら、あとで僕のをあげるといい」
「郁……」
 瞳の光を揺らして僕を見つめる。こんな小さなことなのに気を使っていたら、君、疲れちゃうでしょ。いいからこういうときは甘えるの。女の子なんだから。
「ほーら、お決まりの台詞を言って」
 魔女の三角帽子を手にし、それを彼女の頭に乗せる。えっ、と驚いたように目を丸くしていた月子だけど、被せられた帽子のつばを両手で掴みながら、ややあって満面の笑みを浮かべる。
「ふふっ……じゃあ遠慮なく。えっと……トリック・オア・トリート! お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ?」
 帽子のつばをぐっと下げ、ちょっと顔を隠すようにして照れたように言うのが本当に可愛かった。これは嘘じゃない。
「……可愛いの。僕に魔法をかける小さな魔女さん」
 だから僕は困るんだ。少しずつ君に心を許しているから。僕の心に君が少しずつ入り込んできているから。
 信じてみたい、と思い始めているから。
 月子、君のことなら……少しだけ信じられそうな気がするんだ。
 そう、少しだけ。
「も、もうっ! 本当にいたずらしますよっ」
 ぎゅっと握りしめた手を僕の肩にぶつけようとする。その瞬間を見計らい、僕はその手を掴んでぐっと引き寄せる。勿論、その華奢な身体を抱き寄せるために。
 抱きしめた彼女の身体は暖かく、僕はその温もりに少しだけ戸惑ったけれど、それを隠すようにして彼女の耳元でそっと囁く。
「いいよ。……僕に、いたずらして?」
「い、郁!?」
 僕に抱きしめられたまま彼女は声を裏返らせる。
 でも、冗談だって笑ってごまかすつもりは無いから。君になら、いいかもしれないって思うのは本当。実際、僕の心に魔法をかけて、こうして揺さぶってるじゃない。
 正直、僕は少し戸惑っているけどね。
 でも、いい大人が格好がつかないから、それは言わないよ。



End.
⇒ Back to “StarrySky” Menu