Starry☆Sky

冬服とネクタイ【宮地×月子】



 今日から一斉に衣替えとなり、白いシャツであふれていた教室や廊下、食堂は一変して濃淡混合のグレーのジャケットばかりになる。
 肩がこるほど重いわけではないのだが、さすがにシャツ一枚とは違って気持ちだけでなく目に映る色合いにもどっしりと重厚感が増す。
 今日は部活もなく放課後は自由かと思いきや、提出期限が明日までという課題がしっかりと残っていたことに気付き、月子はこれから一人で図書館行きだ。調べ物をしながら必死になって課題に取り掛からなくてはならない。毎度ぎりぎりまで手を着けない自分が悪いのだけど、何度反省をしても同じことを繰り返してしまう時点で、もう諦めるよりほかなさそうだ。
 ノートと課題を片付けるのに必要な教科書をカバンに詰め込み、いざ図書館へと足を向けるのだが、その前になんとなく宮地の顔が見たくなった。
 これといって大事な用もないし、部活もないけれど、部活が無いとなると今日は一日顔を見ずに過ごすことになる。
 毎日会っているのが当たり前になってしまっている分、ふと思いつくとなんとなく何かが足りない気持ちになり、月子のつま先が図書館ではなく星座科、つまりは宮地の教室へと方向を変えた。
 もう帰ってしまったかもしれないけれど、存在を確かめるだけでも多少気持ちは収まるはず。
 科が違っても選択科目によっては合同の授業になるので見知った顔は多くいるのだけど、まだまだ知らない顔が多い中、単身でよその科に乗り込んでいくのは少しだけ緊張する。
 開け放たれたままの星座科の戸口で宮地の姿を探すのは簡単だった。教室に残っていたのは宮地を含めた四人ほどしかおらず、宮地以外の三人は月子の姿を戸口に見つけると、ちょうどこちら側に背を向けるようにして立っていた宮地に「彼女来てるぞ」と知らせてくれた。
 皆揃ってニヤニヤしているのと、宮地が一瞬驚いたような顔をしてこちらに向かって歩いてくるのがなんとも可笑しくて月子はついつい笑みをこぼす。彼がこちらに歩いてくるまで、後ろで冷やかされているのを彼は知っているのだろうか、と思ったからだ。
「む……? やけに楽しそうだが」
 宮地の背中越しには、残った三人がそれぞれこちらに手を振りながらそおっと教室を出て行くのが見えた。気を使わせてしまったのが申し訳ないけれど、逆にそれがとてもありがたく感じる。
 ――ごめんね。そして、気遣いをありがとう。
 心うちで感謝をしつつも宮地を見上げる。
「ううん、なんでもないよ」
「それより、どうした。今日は練習もないからもう帰ったのかと思ってた」
「うーん、こういう日こそ真っ直ぐ帰りたかったんだけど、課題があることに気付いてしまいました。……それも明日提出。さらにはページがまだ真っ白なの」
 月子が力なく笑うと、宮地は「仕方のない奴だ」と言いながらも優しい笑みを浮かべる。
「俺も手が空いているから、俺でわかる範囲のものなら手伝うが」
「うーん、気持ちはすごくありがたいんだけど……位置計算とかって大丈夫?」
 尋ねると宮地は困ったようにその表情を曇らせる。無理もない、星に関するスペシャリストの集まりの学校とはいえ、所属の科が違えば授業内容は全く違うのだ。天文科がまさしく天文や天体について観測や仕組みについて学ぶ学科であるなら、星座科はその名の通り星座そのものについてを学ぶ学科だ。選択科目でかぶることがあるといってもその機会はとても少ないのだから仕方がない。
「……すまない。力になれそうにないな」
「ううん、いいの! 手伝って欲しくて来たわけじゃなくて、その……ちょっとでも宮地君の顔が見られればいいなって思っただけだから」
「お、お前……っ」
 目を丸くした宮地が口元を押さえて真っ赤になったり、ハッと背後を振り返ったりと慌しい。
「ふふっ、クラスの人ならさっき帰っちゃったよ?」
「む、あいつらいつの間に。……まあ、いいか。……それより、夜久。あと少しだけ時間いいか?」
 耳まで赤くなったまま、じっと月子を見つめる宮地にうんと頷くと、教室の中に入るようにと促される。後に入った月子がなんとなくドアを閉めたのは本当になんとなくで、特に深い意味はない。
 宮地は自分の机に腰をかけるようにして佇み、月子も彼に向き合うようにして目の前に立つ。
 口数が多いほうではない彼なので、無言の時間は慣れているはずなのだが、こうして改めて二人きりになるとどことなく気恥ずかしく、視線を合わせられずに二人とも別々の方向へと視線を向けている。
 ――なんで緊張するのかな。帰り道とか今まで全然平気だったのに。と、とにかく……か、会話探さないと! 
 いつものようになんでもない話のネタを必死になって考えようとするけれど、こういうときに限って簡単には思い浮かばない。
 ちらりと宮地を見ると、窓の外へと視線を向けたまま何も言わない。その横顔からは特に目立った感情は読み取れず、月子はどうしたらいいものかと視線をさまよわせるのだが、ふと宮地のネクタイが曲がっているのが目に付いた。
 それだけでなく、かちっと真面目な性格の宮地がジャケットの前を開けて着崩しているアンバランスさがなんとも気になる。
 今日から衣替えで、まだ前を閉めて過ごすには暑いからだろうかとも思ったが、思い出せば今までも冬服はずっとこんな感じで着ていたような気がする。
 こういう着崩しかたは幼なじみの七海哉太と似たような感じがして、月子の頬が僅かに緩む。ネクタイも締めずにポケットにねじ込んだままの哉太ほどではないけれど、時折仏頂面を下げたままでいるのは似ているかもしれない。
「宮地君って、何気に制服を着崩してるよね」
「ん……そうか?」
 意外そうな顔で月子を見る宮地に笑みを向けて答える。
「うん。宮地君ってきちっとした性格してるし、ちゃんと前を閉めて着るようなイメージがあったから、ちょっとだけ意外かな?」
「まあ……必ず前を閉じておかなくちゃいけないなら別だが、そこまでうちの学校は堅苦しくないし、実際開けておいたほうが楽でいい」
「うん、確かに楽かもしれないね。それにまだちょっと暑いし」
「だな」
「だけど、ネクタイがちょっと曲がってるよ? 直してあげる」
 差し込む光をを受けてやんわりと目元を細める宮地に、月子は一歩前に近づいてネクタイへと手を伸ばす。宮地は机の上に腰を下ろしている状態なので、いつもより少しだけ視点も襟元も近くに感じる。
「あ……す、すまない」
「いえいえ」
 襟元を開けているからきっちり締めることはできないが、少し歪んでしまった三角なら簡単に直せるような気がする。
「こう、かな?」
 月子が真剣にネクタイの結び目と向き合っているのを、宮地は黙って見つめている。
 ――う……。見られてるとさすがに緊張するけど、ちゃんとやってあげないとね。
 ストレートな状態から結び目を作ることはさすがにできないが、母が父のネクタイを簡単に直していたのを思い出しながら指先を動かすと、割と簡単に形が整った。
「うん、我ながら良くでき――」
 満足げに宮地を見つめると、視界に移るのは斜めに傾いた彼の頬のラインで、あっと思ったときには唇に優しい感触が残る。途切れた言葉はそんな二人の間で消えていく。
「宮地く……」
 照れくさくて視線を合わせられないでいると、もう一度唇が触れる。触れる優しさは一度目と変わりないけれど、いつもより長いキスに少しだけ息が苦しくなってくる。
 ――ど、どこで息継ぎすればいいんだろう。それより、宮地君は苦しくないの!?
 羞恥と息苦しさが重なる。我慢できずに咄嗟に伸ばした手が宮地のネクタイに触れ、月子は思わずそれをくい、と引っ張ってしまう。
「……夜久?」
 不思議そうな声が聞こえるが、俯いているため宮地の表情まではわからない。
「ご、ごめんっ! だ、だって苦しくて……どこで息していいのかわかんないんだもん」
 そう言ったあとでどんどん顔が熱くなっていく。それだけじゃなく、とんでもなく恥ずかしいことを言ってしまったんじゃないかと全身が熱くなる。それこそ体温が一、二度上がったのではと思うほどだ。
 ――か、顔みらんない! 恥ずかしい……!
「そ、そうか……? 悪い、つい……」
 口ごもる宮地の口元だけをちらっと見ると、彼もその口元を押さえて顔を赤くしている。
「みっ、宮地君は全然平気だったの?」
「いや、俺は……別に」
「平気、だったりする?」
「え? ……平気って言うか……それどころじゃな――っ、い、いや別に……っ!」
 目があっても慌ててそらすその態度に、月子に悪戯心が起こる。
「そうなんだ? むむ……ひょっとして、慣れてたりして?」
 上目遣いで見上げると、ぎょっとした顔の宮地が口を開く。
「慣れてなんかいるか! 前にも言ったが、俺はお前とのキスが最初で、それ以前にもそれ以後にもお前以外とはしてない!」
「本当かな〜」
「おい、夜久な……」
 前髪をぐしゃっとかき上げるいつもの仕草には困惑の色が混じって見える。これ以上いじめてはさすがに気の毒なので、月子は「ごめんごめん、冗談だよ」と笑って肩を竦める。
 そして、幾分むくれた顔をしてそっぽを向いてしまった宮地のご機嫌を伺うべく、その顔を覗き込む。
「……ごめんね?」
 ぴくりと眉が上がったのがわかったが、月子の言葉に返事はない。
「みーやじくん?」
 それでも返事がないので両手を合わせ、「からかってごめんね?」と首を傾げると、ちらっとだけこちらに視線を移した宮地が月子の手を掴んで引き寄せ、そのまま抱きしめるようにして受け止める。
「み、宮地君!」
 立ったままであれば頭一つ分ほど背が違うけれど、今日は宮地が机に腰を下ろしている分顔が近い。耳には彼の髪が触れている。
「お前は……なんでそう、いちいち可愛いことするんだ」
 囁くようなその声。
「え?」
「おかげでこっちは振り回されっぱなしだ」
 溜息のような呟きが聞こえ、深く吐いた吐息が月子の髪にかかる。
 その宮地の途方にくれた子供のような戸惑いがなんとも月子の胸の奥をくすぐり、小さく笑って彼の背中へと腕を回す。
 日ごろは絶対に届かない肩の上に頬を当てると、冬服のジャケットからは暖かな日差しをたくさん吸い込んだ日差しの匂いがする。
 抱きしめられているこの状況は胸を騒がしくさせるけれど、瞼を閉じるととても心地がよくて、もし時間が許すならいつまでもこうしていたい程だ。
「……課題、もっと早く終わらせておけばよかった」
「ん?」
「そしたら、今日は一緒にいられたのに。美味しいパフェ、宮地君と一緒に食べに行きたかったな……」
 言葉にしたら本当に切なくなってくるのだから不思議だ。
 ――ホント、なんでもっと早めに片付けておかなかったのかな、私。
「課題は期限があるが、パフェはそう逃げないから安心しろ」
 尤もな言葉なのだけど、切なさの問題源はそこではない。彼はわかっていて言っているのか、それとも大真面目なのか。
 おそらく後者なのだろうけど、と月子は心内で思いながら小さく笑う。
「うん。でも……もうちょっと一緒にいたかった。っていうことで……えいっ!」
 掛け声と共に、回す腕に力を込めてぎゅっと宮地を抱きしめる。
「や、夜久、急にどうした!?」
「宮地君を充電中」
「じゅ、充電!?」
「うん」
 もう少し一緒にいたいと言うのは紛れもなく本心で、だけどここでゆっくりしていられないのも事実。図書館もいつまでも開いているわけではないし、課題をこなすにもそこそこ時間がかかる。
 瞼を閉じ、大きく深呼吸をしてから体を離すと、名残惜しそうに小さく笑う宮地と目が合う。自分よりも大きな彼の手が頭を撫でる。それが心地よいから本当に離れがたい。
「課題、力になれなくてすまない。頑張れ、夜久」
「うん。頑張ってくる! だから、今度放課後空いているときに、一緒にパフェ食べに行こうね!」
「ああ」
 一緒にいたい。
 好きだから、一緒にいたい。
 もっと笑顔を見ていたい。
 こうしてすぐ傍で、いつまでも笑い合っていたい。
 付き合うようになってからその想いは強くなり、それが毎日自分を励ます力となっている。こんな風に思えることにも驚くけれど、自分の存在が少しでも宮地の力になっていればどんなに幸せなことだろう。胸に暖かな想いを抱きながら目を細めて宮地を見つめる。
「それじゃ充電も完了したし……そろそろ行くね?」
 抱きしめ合ったことでまた少し曲がってしまったネクタイを軽く直してやり、戸口へと向かう。
 ドアへと手をかけた瞬間、少しだけ胸が切なくなった。明日もその次も、毎日だって会えるのに、どうしてこんな気持ちになるのか。
 ――最後にもう一回顔が見たいな。
 振り向いた月子に、夕日を受けた宮地が小さく笑って返す。それに応えるように月子は手を振って笑顔を見せる。
「宮地君も、充電したくなったらいつでも言ってね」
 宮地を想う気持ちが、ちゃんと彼に届けばいいと心から思う。
 いつでも力になりたいから。
 ただ、彼が好きだから。
「足りなくなったな〜って思ったら、今みたいにぎゅって分けてあげる!」
 その思いを込めて告げた瞬間、彼は目を丸くし、それから拗ねた子供のような顔をして横を向く。
「……いつでも足りない場合は、どうしたらいいんだ……」
 深い溜息のような声が聞こえたが、小さすぎてよく聞き取れない。
「え? なんて言ったの? よく聞こえないよ」
「な、な、なんでもない! い、いいからお前は早く行け!」
 さっきまでの穏やかな顔はどこへやら。一変して仏頂面へと変わってしまった。
 ――なんで怒ってるんだろ? ……ま、いいか。顔真っ赤だから照れてるのかもしれないし。うん。多分、そうだよね?
「ふふっ。はいはい、行ってきまーす」
 くすくすと笑いながら教室を出て、今度こそ図書館を目指す。
 秋は夕暮れ時が短く、毎日少しずつ夜を急ぎ始める。一日が長く感じられた夏を恋しくも思うが、今も身体に残る彼の温もりが、センチメンタルを緩く溶かして幸せな気持ちにさせる。
 ――うん、充電したし! 明日まで宮地君を我慢! 課題がんばろうっと!
 唇に笑みを浮かべ、まだ暖かい両腕を抱きしめるようにして月子は足を進める。
 瞼を閉じなくても簡単に思い出せる彼の顔を窓から見える秋空に描きながら、誰もいない廊下に靴音を響かせて歩いた。



End.
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